取調室はすでに取調べ開始時の熱量を失っていた。
さすがの伊丹もいつまでものらりくらりと交わす立食師に、疲れきっていた。
伊丹と同じく取調べをしていた三浦はすでに諦めたのか「暖簾に腕押し」とばかりに取調室の壁にもたれかかって休憩している。
「みなさん、ずいぶんお疲れですねえ」
「うわ、びっくりした! 」取調室をマジックミラー越しに眺めていた芹沢は不意に現れた杉下に驚いた。
「芹沢先輩、あれが立食師ってやつですか? 」
カイトは遊園地の乗り物を待つ子供のように容疑者を指差す、芹沢は疲れたように頷くと「伊丹さんなんて、イタミンなんて呼ばれてるよ」と力なく笑う。
「顔に似合いませんよね」とカイトが言うと、芹沢は『そうそう』と言わんばかりに頭を小刻みに振る。二人の後ろからマジックミラーを覗いている杉下も「おやおや」と噴出しそうになるのを口を押さえて堪えた。
「で、どこから立食師について情報を? 」
芹沢情報の出所は米沢あたりだろうとアタリをつけた。
どうせ、いつもの事だし最終的に手柄は自分達のものになるし、と芹沢は内心ほくそ笑む。自分達三人がいくら取り調べたところで相手の立食師はのらりくらりとかわすだけ、なら特命係を使って少しでも事件解決の手がかりがでてくるのなら儲けものだろう。
「そんなことより、どうなってるんでしょうか? 」
杉下が話をそらすように芹沢に質問をする。
やっぱり米沢かと芹沢は頷く。
「どうせ隠しても無駄でしょうからいいますよ。現在取調べを受けているのが通称カントクと呼ばれている立食師です。またの名をアラ煮のトクと呼ばれている本名、徳田寛治です」
「二つ名って……」
カイトが呆けたような顔をする、確かに二つ名を持つ輩はめずらしい。いまだに二つ名のような風習があるのはやくざか刑事ぐらいだろう。
「それから? 」と杉下が話しを進めろとばかりに相槌を打つ。
芹沢は咳払いを一つして話を続けた。
事件発生現場は近くの漁港だった。
本日明朝、漁港の冷凍倉庫内に長門守、五十一歳が胸部を鋭い細長い棒状のものでさされ死んでいるのを漁業関係者に発見された。
第一発見者――富田健二によると発見当時、長門に凶器は刺さっていなかったらしい。
富田の報告によりまもなくして、現場近くの巡査が到着。その途中、泥酔状態で事件発生現場の近くにもたれかかって寝ている徳田を発見、その右手に人間のものと思われる血液が付着したアイスピックを所持していたことから、緊急逮捕と相成ったのだった。
さらに、現場の聞き込みによると事件前夜。遺体が発見された倉庫前で殺された長門と誰かが言い争っているのを近所の住人が目撃していた。
徳田が犯人と思われる証拠がありすぎるほど、あるのだ。
「ほとんど決りじゃないですか! 」とカイトが叫ぶ、確かに普通ならこの時点で事件解決だ。
「まあ、これからが問題なんだよ」と芹沢はあせるカイトをなだめる。
鑑識の結果によると長門が死亡した原因と思われる傷跡と徳田が所持していたアイスピックの傷跡と一致しなかったのだ。また、長門と誰かが言い争っていた時間に徳田は近くの居酒屋で店主と酒を飲んでいたとその居酒屋の常連客の一人が証言している。
現状では証拠不十分。
徳田のアリバイと凶器の傷跡が一致しない理由を突き止めなければ書類送検には難しい。
「なるほど良く分かりました」
杉下が頭をさげる。
「どうぞ中へ」芹沢がドアの入り口に二人をエスコートすると杉下が「今日はずいぶんと気前がいいですね? 」と苦笑いをする。「いいんですか! 」と杉下とは対照的にカイトは興奮気味だ。
ドアを開けると取調室は奇妙な沈黙に包まれていた。何を聞けばいいのか、何を話せばいいのか、三浦と伊丹は考え込むように立食師を睨んでいる。
そんな二人に芹沢が手を上げて挨拶をした。伊丹が挨拶を返そうと手を上げると、後ろの特命係に気づいたのかうんざりしたように顔をゆがめる。「またか」と伊丹の口が動いたのが見えた。芹沢は思わず条件反射のように首をすぼめた。
「イタミンこいつら誰よ? 」
「だから、俺のことをイタミンってよぶんじゃねえよ! 」
伊丹は芹沢の隣に立つとスーツの首根っこをつかみ上げて「芹沢くーん」と苦々しい顔を近づける。
芹沢はそんな伊丹に特命係の二人には聞こえないような小さな声で「こういうときこそあの二人を使いましょ? 」と恐る恐る伊丹の顔を見返す。三浦はただ黙って同意するように頷いた。
「警部どの、それではよろしくお願いします」
ああ、この人単純でよかった。
そう芹沢は心の中で伊丹の性格に感謝した。
伊丹は芹沢の首根っこから手を離す。芹沢はやれやれという風にため息をつくと、伊丹と三浦といっしょに取調室から出ることにした。
「では、カイトくんお願いしてもよろしいでしょうか? 」
杉下の意外な申し出にカイトは思わず「マジっすか! 」と喜ぶ。
「兄ちゃん、ずいぶん若いみたいだね? 」
徳田は軽いボディーブローのような第一声を打ち込んだ。それを無視してカイトは「なぜ、長門さんを殺したんですか? 」とその挑発には乗らなかった。
「殺すってどういう意味で? 」
さすがに今度の挑発にはカイトは耐え切れなかったのか「あんたが長門さんをアイスピックで刺し殺したんだろうが! 」と怒鳴る。しかし、徳田はカイトの言葉を無視して一人で語り始めた。
「殺すといっても、兄ちゃん。いろいろな意味があるんだよ? 文化人類学的な死、熱が失われることによる死。人々の記憶からの抹消もある意味、人を殺しているのと同意義だとカイトくんは思わないかね? 」
「はあ? 」カイトは眉間にシワをよせ青筋を立てる。
「一言に殺すといっても哲学的な意味や文化人類学的な意味、さまざまな意味があるけれど」
「ふざけんな! 」
カイトは徳田の言葉を遮って大声を張り上げた。
マジックミラー越しに二人のやり取りを見ていた芹沢は「ああ、これじゃダメだ」とかぶりを振った。もうすでにカイトは立食師にいいようにやられている。
まあ、ここまでは予想通りだけれどもと、芹沢は伊丹の顔を見て頷いた。
「だから、アイスピックを使ってどうやって長門さんを殺したと言っているんだ! 」
「そこまで分かっているならどうして送検しないんだい? カイトくん」
「それは」とカイトは言葉に詰まった。
芹沢は思わず立食師の話術に舌を巻いた。いまだに送検しない理由お話してしまえば、犯人だけしか知りえない情報を教えてしまうことになる、凶器はアイスピック以外の何かかもしれないと。
しかし、その立食師の質問に戸惑ってしまっては半分答えを言っているも同然だった。
証拠が足りない。
どちらにしても、カイトには立食師の相手は荷が重いように思えた。芹沢は心の中で「はやく杉下警部に変わってもらえればいいのに」とカイトに同情する。
「なぜアイスピックでなければいいけなかったのでしょうか? 」
杉下が沈黙を破るかの用に徳田に質問をした。
これでもカイトに助け舟を出してるつもりかと、芹沢は顔をしかめた。
「もしも、突発的な犯行であったとするなら何も、アイスピックなど使わずとも冷凍倉庫の中であれば凶器になりそうなものはたくさんあったと思うんですがね」
「たとえば? 」
徳田が杉下の話に乗ってきた。
マジックミラーから取調室を見つめる三人は思わず身を乗り出す。
「アイスピックを使わなくとも、氷の塊で頭を殴りつけたり、そのまま冷凍倉庫に長門さんを置き去りにすれば十分に殺害は可能だと思うのですが」
「よっぱらっていたから手元にあったアイスピックを使ったんじゃないの? 」
徳田はさも他人事のように杉下の挑発に乗った。
「それは自白と考えてもよろしいのでしょうか? 」
「まさか、でももしアイスピックで刺し殺したんなら良く一回で俺は刺し殺せたなと思ってね」
「おや、では凶器は他のものだったと? 」
「俺が目を覚ましたときにはアイスピックを握っていたけれど、そいつで長門を殺したと言うのは不適切な表現じゃないかね? 」
杉下と徳田がお互い笑ったまま睨みあう。カイトは申し訳なさそうに、杉下の後ろに立っていた。
「最後に質問してもよろしいでしょうか? 」
徳田は大きく頷く。
「なぜあなたは自分が犯人なら犯人と、犯人でないのなら犯人でないと正直に言わないのでしょうか? 」
マジックミラー越しに伊丹、三浦、芹沢の三人は杉下の顔を覗き込んだ。
確かに今まで自分の犯行を肯定もしなければ否定もしていない、だたのらりくらりとかわすだけだった。
徳田は口の端を大きく上げてにやりと笑った。
「俺は立食師だからね」