シーン5 鎮魂の隧道
鉄の王国の戦士団250。
ターバの神官戦士団80。
あわせて300を超える数の戦士たちが戦闘準備を終え、狭い隧道にひしめいていた。
斧槍の白刃が篝火を写して輝き、揺れる炎が戦士たちの顔に緊張の影を落とす。
彼らの強さは本物だ。いかに魔神が無限の魔力を振るうとはいえ、これだけの数で一斉にかかればひとたまりもなかろう。
それでも魔神が生き残り、瓦礫の奥に閉じこめるに留まった理由は、ひとえにこの隧道の地形にあった。
「武器を振り回して戦うとなると、横に列べるのはいいとこ5~6人ってとこだろうな」
腕組みしたライオットが隧道を見渡す。
戦場となる鎮魂の隧道は、決して狭くはない。
幅は10メートル以上あるだろう。天井も高く、数名のパーティで戦闘する分には何の問題もない。
だが数百の軍勢を展開し、数の利を活かして戦うには不向きな地形だった。
「陛下、それでは手はずどおりに。数十名ずつの小集団に分け、疲労が蓄積しないよう短時間で交代。主攻は弩弓を使用。魔法の射程外から遠距離射撃で敵を疲弊させます」
「ふむ……」
カザルフェロの確認に、ボイルが髭をしごいて頷く。
「負傷者は直ちに後送。司祭たちを中段に待機させ、癒しの魔法で救護に当たります。これで犠牲者の数は大きく減るでしょう」
魔神が出れば味方は下がり、一定の距離を取り続けることが作戦の要諦だ。正面には常に万全の状態で壁を作り、疲労した者や怪我人はすぐに後方へ下げる。
中距離の魔法戦では勝ち目がない以上、ほとんど唯一の選択肢だった。
もしうまくいけば、被害も大きく軽減されるに違いない。
ただし、とライオットは皮肉っぽく考えた。
この戦術が機能するためには、非常に高度な部隊行動が必要だ。指揮官には迅速かつ正確な判断力が、部隊にはそれに従う練度が要求される。
とはいえ、ボイル王とカザルフェロはそれを承知で受け入れたのだ。やり遂げる自信はあるのだろう。
「面倒なことよな。正面から突撃し、勢いに任せて粉砕したかったものよ」
ボイルはミスリルのプレートメイルとフルヘルムに身を固め、長大なハルバードを携えるという戦支度。おそらく先頭に立って突入する気なのだろう。
傍らのドワーフ戦士たちも、神官戦士団が提供した弩弓を構えて大きくうなずいている。
ボイル王の主張は乱暴にも思えるが、そもそも大軍をそろえる意味とは、正面から勢いに任せて相手を粉砕することにある。
この狭い地形では複雑な部隊活動もできないし、本来なら理にかなっているのだ。
だが。
「おい、妖精族の王。まさかお前、自分も突入する気じゃないだろうな?」
ルージュの足下で話を聞いていた銀毛の双尾猫が、ため息混じりに髭面のドワーフ王を見上げた。
「何だ、そなたは?」
昨夜はライオットの籠で惰眠をむさぼっていたから、単なる飼い猫だと思われていたのだろう。
突然流暢な共通語を口にしたルーィエを、ボイルは少しばかりの驚きを込めて見下ろした。
「天と地と精霊たちに祝福されし猫族の王、ルーィエだ。お前と同じ王として忠告してやる。突入なんて無謀なことはやめて、おとなしく後ろで指揮をしてろ。それがお前の仕事だろう」
ルーィエにしては珍しく罵詈雑言の少ない素直な助言だったのだが、偉そうな態度と頭ごなしの言葉がボイルの反感を買ったらしい。
ドワーフの王はふんと鼻を鳴らした。
「そなたが何者かは知らぬが、口出しは無用だ。我らには我らの戦い方がある。武器を持てぬ者は引っ込んでおれ」
歯牙にもかけぬ態度で一蹴され、今度はルーィエの頭に血がのぼる。
「鉄ばかり食ってるうちに脳味噌まで鉄製になったのか? 王には果たすべき“高貴な義務”ってものがあるんだ。その無駄に硬い頭に頭突き以外の使い道があるなら、王たる者の責務についてちょっとは考えてみろ」
さすがのボイルも、ここまで直截的な表現で罵倒されるのは初めてだったのだろう。
明らさまに気分を害した様子で、ハルバードの石突きを床に打ち下ろした。
「我らドワーフ族は、強敵を恐れて戦おうとせぬ者を王とは認めぬ。何が高貴な義務か。口実を設けて味方の背に隠れよとは、いかにも臆病者の好みそうな言葉だ。そういう台詞は森に行ってエルフ族にでも説くがいい。臆病者同士、きっと気が合うであろうよ」
「それで負けてりゃ世話はない。鉄の王国も哀れなもんだ。無責任な王の暴走に振り回されたばかりに、死ななくていい戦士たちが死んでいったんだからな」
「何だと? もう一度言ってみよ」
「何度でも言ってやる。お前が無責任で無策だったから負けたんだ。文句あるか、この脳筋樽が」
傷口を容赦なく抉るルーィエの指摘に、ボイルも引っ込みがつかなくなったのだろう。口調はどんどんヒートアップし、罵り合いに発展するまでそう時間はかからなかった。
「狩りをする狼だってもっとマシな戦い方をするぞ。お前も王なら、せめて四本足の獣と同レベルの戦術を駆使してみせろ」
「ふん、猫ふぜいが笑わせおる。長広舌で魔神が倒せれば苦労はないわ。そういうご立派な口上は、せめて一太刀あびせてから言うことだ」
王たちの口論は、だんだんと子供じみてくる。
護衛の戦士たちもカザルフェロも、呆気にとられて止めに入るタイミングを失っていた。
本来なら不敬と呼べる大罪だが、何しろ相手は猫だ。大の大人がまじめくさって咎めだてするのも愚かしいというもの。
周囲に生ぬるい困惑が漂う中、ふとルージュが言った。
「ねぇライくん。あれ、何に使うと思う?」
ライオットが振り向くと、ルージュはドワーフたちが後方から運んできた50本あまりのツルハシを見て、軽く頬をひきつらせている。
「何ってそりゃ、あれは土を掘るのに使う道具……」
そこまで答えて、ライオットも絶句してしまった。
まさか、上位魔神を前にして、最前列で掘削作業をする気なのか?
無防備にもほどがある。ほんのわずかでも穴があけば、そこから飛んでくる攻撃魔法で作業員が全滅してしまうではないか。
ライオットは恐る恐る、次元の低い口論をしているボイルに問いかけた。
「確認したいのですが、陛下。まさかあのツルハシで瓦礫を掘るつもりですか?」
嘘だと言ってくれ。
そんな願いのこもった声に、興奮の冷めやらぬボイルは少々乱暴にうなずいた。
「そのとおりだ。魔法の合言葉を言えば瓦礫が消えてなくなるとでも思っておるのか? 危険は承知だが、瓦礫を掘らねば魔神めと戦うこともできぬ」
迷いのない回答に、ライオットは軽くめまいを覚えた。
そういえば、瓦礫の向こうに少人数で突入しようとは提案したが、どうやって突入するかは説明していなかった。
今度ばかりはルーィエが正論だ。頭突きの他にも使い道がある頭なら、無駄な犠牲を出さずに済むよう、少しは策というものを考えたらどうなのだ?
この指揮官たちは、穴を掘るだけで何十人の命が散っていくか、本当に分かっているのだろうか?
ふとシンを見ると、にやりと笑ってライオットを眺めていた。作戦を考えるのはライオットの仕事、と割り切っているようだ。
不機嫌そうに口を結んだルーィエも、後は任せたと言わんばかりにライオットを見上げている。
仲間たちの視線を受けて、ライオットは深々と吐息をもらした。
この戦は“鉄の王国”のもので、援軍の指揮官はカザルフェロだ。自分たちが必要以上にしゃしゃり出てもいいことはない。
そう思って一歩引いていたが、さすがにこれは許容できない。
「……私に提案があります。聞いてください」
ライオットは言うと、ボイルの返事を待たずに説明を始めた。
魔神の能力と、予想される戦術について。
攻撃魔法を使われた場合、被害を受けるであろう範囲について。
瓦礫の突破方法と、その後の部隊展開について。
最初は面倒なと言わんばかりだったボイルの顔も、ライオットの解説が進むにつれて真剣に引き締まっていった。
ボイルにせよカザルフェロにせよ、軍をそろえた以上は軍で戦う、という発想がどうしても先に立ってしまう。
多少の損害は覚悟し、数で押し潰すという戦い方だ。だがこのマイリーの神官戦士は、その損害すらも無駄であると断じ、まるで異なる発想で魔神を倒そうとしている。
「そなたのような男が我が王国にいれば、このような事態は避けられたのかも知れぬな」
そんな言葉でライオットを称揚すると、ボイルは戦士団の指揮官たちを集めて、新たな指示を出し始めた。
四半刻ほどで部隊の再編成は完了し、あわただしく突入の準備が進められていた。
先陣を切るのはドワーフ族の戦士たちだ。ボイル王は周囲の説得に頑として首を振り続け、30名あまりの精鋭とともに突入する手筈となっている。
その後方に待機しているのは、鎧甲を脱いで軽装になり、ツルハシを手にしたドワーフの戦士100名。先陣が突入した後、全力で瓦礫の除去に当たる部隊だ。
作業は普通に行えば半日はかかるだろう。だが彼らは、それを3分の1に短縮することを期待されていた。
ドワーフ戦士団の残りとターバの神官戦士団は、突入した部隊の交代要員として、順次前線に投入される予定だ。
隧道には開戦直前の緊張感があふれ、点呼の声や部隊への号令が反響して喧しいほど。
その最前列で、シンたちだけは普段どおりに平然と構えていた。
「シン、大丈夫だとは思いますが、もし怪我をしたらすぐに戻ってきてくださいね」
戦士たちの間を縫って後方から出てきたレイリアが、気遣わしげに声をかける。
「分かってる。無理はしないよ。それに今回は、ドワーフの戦士たちの後ろに付いていくだけだから」
屈伸をして身体を温めていたシンは、レイリアの姿を見ると、軽く笑みを浮かべて立ち上がった。
本来ならば先頭に立って突入したかったのだが、部外者に一番槍を持たせるなどとんでもないと、ボイル王が強硬に主張したのだ。
何とか第1陣にはねじ込んだものの、シンたちの突入序列はドワーフ戦士団の後。戦いの最前線というわけではない。
「本当なら私も一緒に行きたいんですが、今回は別の任務を命じられてしまって……」
「レイリアは神官戦士団の一員なんだから、カザルフェロ戦士長の命令に従うのが当たり前だろ。重要な任務だ。大変だろうけど頑張って」
申し訳なさそうなレイリアの肩を叩いて、シンが励ます。
レイリアは今回、カザルフェロ戦士長から救護班の指揮を命じられていた。
敵は上位魔神だ。負傷者の数は膨大になり、先遣隊に同行したわずか10名の司祭では《癒し》に対応しきれないことも予想される。
そのため癒し手を大増員することになり、神官戦士団の中から魔法を使える者を選抜して救護班に編入したのだ。
“鉄の王国”に派遣された司祭たちの中では、レイリアが1番高い位階にある。救護班を放り出して前線に出るわけにはいかなかった。
「こんなことなら、シンが誘ってくれたとき、素直に冒険者になっていればよかったです。そうすればシンだけを危険に晒さないで、私も一緒に戦えたのに」
少しだけ拗ねた様子でレイリアが言う。
子供っぽい本音に、シンから思わず苦笑がもれた。
「それはどうだろう? レイリアが冒険者になってたら、俺たちはたぶんここには来てなかったと思う。レイリアが神官戦士団にいたからこそ、今ここで守れる命があるんだ。運命っていう言葉は好きじゃないけど、何が幸いするかなんて分からないものさ」
人生万事、塞翁が馬。
シンはそうレイリアに諭す。
気合いの入った周囲の戦士たちとは対照的に、その姿は落ち着いたものだ。緊迫感などまったく感じられない。
戦闘開始直前とはとても信じられない雰囲気だった。
「ずいぶんと余裕じゃないか。スーヴェラン卿の屋敷に突入した時とはえらい違いだな」
内心ではそれなりに緊張しているライオットが、親友の変わりように不満げな声をもらした。
今回は自分の作戦案が採用されてしまったため、自分の任務だけでなく、作戦全体の成功にもある程度の責任を感じているのだ。
相手の戦力も確かめずにぶっつけ本番で挑む戦いだけに、正直なところ不安でいっぱいだった。
冗談めかして気分を紛らわせようとするライオットに、シンは穏やかにうなずいた。
「そうだな。今回は全然怖くない」
増長しているわけでも、油断しているわけでもない。
高揚する心と現実を見つめる理性がうまくバランスを取り、穏やかな平常心を保っているらしい。
10レベルファイターになら、できて当然なのかも知れない。
だが、元SEの民間人には絶対に不可能な所行だった。
「前にレイリアが言ってただろ? 信頼できる仲間がいるから、心って強くなれる。心強いってそういうことだって」
今回、ライオットは意識して“魔神殺し”の英雄を演じてきた。
だが、どうやらシンは違うらしい。レイリアという触媒を得て変化したシンは、10レベルという身体能力に心の強さがすっかり追いついている。
もはや演じるまでもなく、正真正銘“砂漠の黒獅子”なのだ。
それどころか、ただロールプレイで遊んでいただけの虚構の英雄よりも、本物の覚悟を決めた分だけ強くなっているかもしれない。
「俺にはレイリアがいて、ライオットがいて、ルージュがいる。俺は独りじゃない。だから何が出てきたって絶対負けないよ」
シンはそう言って、レイリアににこりと微笑みかけた。
ああ、この人なら大丈夫。
レイリアはシンの顔を見て、それを確信できた。
胸の奥にわだかまっていた不安が吹き飛ばされて、花開くように頬がほころぶ。
「はい。あなたを信じます」
何の迷いもなく、全幅の信頼を込めて見つめ合う恋人たちに、ルージュは素直な羨望を覚えた。
恋という階段を上って、少女から大人へと成長していく過程。今のレイリアはきっと、女性として誰よりも美しく輝いているに違いない。
あの日、ザクソンで上位魔神と戦った日、無茶をたしなめたルーィエにレイリアは言ったのだ。
シン・イスマイールにふさわしい女性でありたかった。彼の隣に立っても恥ずかしくない自分になりたかった、と。
このふたりには、恋に狂って現実を疎かにするような気配など微塵もない。むしろ互いを刺激し、切磋琢磨して、人としての輝きは増す一方だ。
「……ねえライくん。私が《ゲート》を覚えても、きっとリーダーは日本には帰らないんだろうね」
「だろうな」
ささやくようなルージュの言葉を、ライオットは素直に肯定した。
シンは男が人生を賭けるにふさわしいものを見つけたのだ。自分がシンの立場なら悩む余地などない。
人は何のために生きるのか。
それを考えれば、今のシンがレイリア以上に優先するものなど、何ひとつ無いに決まっている。
そして、ライオットもそれは同様なのだ。
妻を振り返ると、紫水晶の瞳をまっすぐに見つめた。
彫刻のような美貌は完全なポーカーフェイスを維持していたが、ルージュの心が不安に揺れていることなどお見通しだ。いったい何年、彼女だけを見つめて過ごしてきたと思っている?
「けど俺は違う。喜子が行きたいところなら、どこへでも一緒に行くよ。アレクラストだろうと、クリスタニアだろうと、日本だろうと」
大切なのはどこで生きるかではない。
誰と生きるかだ。
“喜子”と結婚するとき、“一彦”は妻を世界中の誰よりも優先すると決めた。その想いは今でも変わっていない。
「だから心配いらない。俺はいつまでも君の隣にいる。宮ヶ瀬湖で約束しただろ。一緒に幸せになろう、って」
誰はばかることもなく、堂々と宣言する。
無防備だった心にライオットの不意打ちを受けて、ルージュのポーカーフェイスが崩れた。
あの日、約束の言葉と共に贈られたダイヤモンドの指輪が、湖畔の陽光をはじいて輝いた光景が脳裏に浮かんだ。
紫水晶の瞳に漣が揺れ、まるで恋する乙女のように頬が紅潮する。
「カズくん……今のはずるいよ……」
ルージュはそうつぶやくと、真っ赤になった顔を隠すようにうつむき、右手でライオットの袖をつまんだ。
シンのように薔薇色の結界を張るだけが愛ではない。
普段はおちゃらけたライオットが、ごくたまに見せる真摯な本音は、そのたびにルージュの心を虜にしていくのだ。
「でも、これが聞きたかったんだろ?」
無造作に抱き寄せられ、ミスリルプレートに頬を埋めたまま、ルージュは素直にうなずいた。
「うん。安心した」
最近になって胸を締め付けていた最大の懸案事項が、ライオットの一言であっさりと片づいてしまった。
もう何も心配はいらない。全力で頑張って、一日も早く《ディメンジョン・ゲート》を修得するだけだ。
不安が消えて広くなった心に、高揚した意欲が広がっていく。
まるで無限にマナが湧きだしてくるような感覚。
今の自分なら、きっと何だってできる。理屈抜きでそう確信できた。
夫の胸の中、夫の腕に抱かれて、ルージュの口許に自信に満ちた微笑みが浮かんでくる。
「ふん、久しぶりじゃないか、この感覚。悪くない」
ルージュと精神感応でつながっているルーィエが、あまりの高揚感に全身をぶるりと震わせた。
今までは美しいだけの抜け殻だった体から、太陽のような輝きがあふれる。
かつて大陸で“奇跡の紡ぎ手”と畏れられた希代の魔女が、ようやく目を覚ましたのだ。
「それなら、俺様もちょっとだけ本気を出してやる。準備はいいか、半人前ども。そろそろ始めるぞ。脳筋樽に出遅れるなよ」
2本の尻尾をぴんと伸ばし、ルーィエは優雅な足取りで瓦礫の前に進み出た。
ボイルに率いられたドワーフたちは準備万端だ。弩弓や大盾をたずさえ、今や遅しと突入の時を待っている。
「いいか脳筋樽。お前らの役目は時間稼ぎだ。怪我くらいはしてもいいが、無茶して死なれると皆が迷惑する。そこのところを忘れるな」
「ふん、時間稼ぎ大いに結構。だが野良猫よ、べつに倒してしまっても構わんのだろう?」
みなぎる戦意で爛々と目を輝かせ、ボイルがにやりと笑った。
その自信は虚勢ではない。“石の王”ボイルは“砂漠の黒獅子”と互角に戦える技量の持ち主なのだから。
王に続く戦士たちも皆、一級の腕前だ。ここにいるのは戦士団の中から選りすぐられた精鋭部隊。弱かろうはずがない。
「ドワーフ族は穴掘りが得意らしいが、せいぜい墓穴だけは掘らないようにな。怖くなったら道を譲れ。うちの半人前どもでも、上位魔神くらいなら何とかなる」
「そういう世迷い言は、我らの戦いぶりを見てから言うことだ。外の世界のおままごととは違う、本物の戦いを見せてくれよう。念のために言っておくが、腰を抜かして通路を塞がぬようにな」
相変わらず罵倒のキャッチボールをしながら、それでもふたりの王は突入の準備を整えた。
ボイル王とともに突撃する戦士たちは油断なく身構え、シンやライオットも装備を点検して出番を待つ。
緊張が波紋となって広がっていった。
戦いが始まる。
それを知って、騒がしかった隧道が水を打ったように静かになる。
「では始めるぞ! 魔神めを誅滅し、同朋たちの仇を討つのだ!」
ボイルの大号令が朗々と響き、割れんばかりの歓声がそれに応えた。
戦士たちの手で白刃が突き上げられ、篝火に乱反射して光の海が広がる。
肌を震わせるほどの熱狂。今まで溜め込んできた屈辱や苛立ちを晴らさんと、戦士たちが腹の底から吼える中。
『火竜の息吹、不死鳥の翼、始源の巨人の憎しみの心……』
ひとり興奮を冷たい理性の氷に閉じこめて、ルージュは魔法樹の杖を掲げていた。
杖の先には激しく明滅する純白の炎。ただし以前とは違い、周囲に風が吹き荒れることはない。
ルージュの編み出した構成が、暴走して外界に干渉しようとするマナを完璧に捕らえ、封じ込めているのだ。
カーラの指輪を通して映る世界には、炎を幾重にも取り巻く光の封環がはっきりと見える。この世界でただひとり、ルージュだけが使いこなす特別な炎だ。
惜しげもなく魔晶石の魔力を注ぎ込みながら、ルージュは足下のルーィエに目配せした。
(ルーィエ、いいよ)
(よし、それじゃいくぞ。タイミングを間違えるなよ)
鎮魂の隧道を塞ぐ瓦礫の壁。
戦士たちと魔神とを隔てる障壁を一気に突破し、向こう側に奇襲をかけること。
それがルージュとルーィエに課せられた役割だった。
『大地の精霊よ! 我が命に従い道を開け!』
銀毛の双尾猫が精霊語で呼びかけると、何の前触れもなく、瓦礫の壁に直径2メートルあまりの穴が穿たれた。
瓦礫は円形に消失し、空洞は奥へ奥へとどんどん延びていく。
完全な闇に沈む穴がどこまで続いているのか、人間には見ることができない。ルージュは目を閉じ、闇視の能力を持つルーィエの視覚を借りて観察しながら、その時が来るのを待った。
やがて。
(届いたぞ!)
(分かってる)
トンネルが貫通し、反対側に巨大な空間が開けると、ルージュは目を見開いて最後の一説を唱えた。
『万能なるマナよ、破壊の炎となれ!』
堅固な封環から解放された純白の炎が、空気の焦げる音とともに闇を貫いた。
明滅する閃光が壁を照らしながら、豪速で細い穴を駆け抜ける。
ほんの半呼吸で反対側に到達すると、純白の炎は盛大にはじけ、内包する破壊を容赦なくまき散らした。
灼熱の波が隧道をなぎ払い、あらゆるものを消し炭に変えながら広がっていく。
隧道全体を揺るがすような地響き。
席巻する炎が闇を光で染め、溶鉱炉もかくやという熱波がこちら側にまで噴き出してくる。
問答無用の奇襲だ。
いかに上位魔神といえども、これを食らえばただでは済まないだろう。何らかの罠が張られていれば、罠ごと焼き尽くしたに違いない。
予定どおりの第1次攻撃が終了したと見るや、ボイル王は再び声を張り上げた。
「征くぞ! わしに続け!」
王みずからが先頭に立って穴へと駆け込んでいく。
それに続くドワーフ戦士たちは、さながら鋼鉄の奔流だった。金属鎧がやかましく鳴る音とともに、喚声を上げて突撃していく。
ボイルが言ったとおり、その迫力は尋常ではない。この白刃の津波を以てすれば、上位魔神といえどもあっさり倒してしまうのではないか。
そう信じられるような勢いに乗っていた。
「さて、俺たちも行くか」
精霊殺しの魔剣を抜き、シンが仲間たちに言った。
口調は穏やかだが、顔は興奮で紅潮している。ドワーフたちの戦意に当てられたのだろう。
「そうだな。陛下、予定どおりこっち側で連絡係を頼む。もし苦戦するようなら、また《トンネル》を開けて連中を助けてやってくれ」
今回、戦場は瓦礫によって分断されている。
こちら側にいる部隊には、前線で何が起こっているのか全く見えないのだ。それでは増援部隊を送り込むタイミングがつかめないため、ルージュとルーィエの精神感応を使って逐一状況を伝えることになっていた。
「ふん、当然だ。俺様はあの脳筋樽とは違って、高貴な義務というものを心得ているからな。突撃すれば勝てると思っている馬鹿どもに、戦の何たるかを教育してやる」
ルーィエが髭をふるわせながらぴんと胸を張る。
その後方では、ドワーフ戦士団の突入部隊第2陣が配置についた。
彼らに指示を出すのは、ボイルから指揮権を委譲されたカザルフェロ戦士長だ。ルーィエはカザルフェロの傍らで情報の伝達と助言に当たる。
「じゃ、戦士長さん。あとはよろしく」
「任せてもらおう」
ルージュがひらひらと手を振ると、戦士長は渋みがかった笑みを浮かべてうなずいた。
ここまでのところ、何も異常はない。すべてが予定どおりに進めば、次は掘削作業班を投入する番だ。
ルーィエの《トンネル》を使って部隊を交代させながら、並行して瓦礫の除去を進める。仮に第1陣とシンたちが全滅しても、半日後には人海戦術で魔神を圧倒できるだろう。
そのための煩雑な指揮を一手に引き受けたカザルフェロは、面白くもなさそうな様子で続ける。
「任務は果たしてみせるさ。もっとも、俺の出番なんぞ来ないのが一番楽でいいんだがな」
飄々とした口調のせいで、シンたちはしばらく、彼に激励されたことに気づかなかった。
ライオットが立てた作戦は、自分たちを抜きにしても敵を倒せるよう、周到に保険を重ねたもの。負け戦か、それに近い状況を想定している。
逆に言えば、カザルフェロの出番が来ないということは、突入する第1陣、つまりシンたちがあっさり魔神を倒してしまうということだ。
「つまり……俺たち応援されたってことでいいのか?」
「ただ単に楽がしたいだけじゃないか?」
かけられた言葉の意図が理解できず、シンとライオットが顔を見合わせる。
すると、不器用な会話を聞いていたレイリアがくすりと笑った。
「応援されたってことでいいんですよ」
「レイリア、勝手なことを言うな。俺は応援なんぞしちゃいない。自分の希望を言っただけだ。それよりお前も持ち場に戻れ。救護所の天幕は準備できてるんだろうな?」
ふてくされたようにカザルフェロが鼻を鳴らす。
その印象はルーィエとそっくりだ。
決して甘やかさず、ある程度は突き放しつつも、きちんと見守ってくれる人。
レイリアにとって“父”のような存在。
「準備はできてますし、私もすぐに戻ります。それより戦士長、もっとちゃんとシンに……」
恩師と想い人の間に立って、少しでもふたりの橋渡しになろうとしたとき。
「何じゃこれは!!」
ルーィエの開けた《トンネル》の向こうから、憤怒と憎悪に彩られた怒号が聞こえてきた。
ボイル王の声だ。
シンたちが作っていた穏やかな空気は、冷水を浴びて瞬時に緊迫感へと変化した。
想定外の出来事。それも、ボイル王が本気で怒るような何かがあったらしい。
「行くぞ」
短く言ってシンが身をひるがえす。
体重を感じさせない軽やかな動きで《トンネル》に消えると、ライオットも無言でそれに続いた。
「向こうを確認したら、すぐに状況を送るから」
「当たり前だ。くれぐれも冷静にな。他の奴らが頭に血を上らせても、お前だけは冷静に判断しろ。他人より少しばかり頭が回るのが唯一の長所なんだ。それを捨てたら、お前はただの足手まといだからな」
「分かってる」
口許に軽く笑みを閃かせて、ルージュも闇の中へと身を躍らせた。
ドワーフたちが一定間隔ごとに落としていった松明のおかげで、狭いトンネル内は十分な明るさがある。
半分ほどまで進むと、戦士たちの怒号が聞こえてきた。
この声は怒りと言うより悲しみだろうか?
遠くなっていくライオットの背中を追いかけながら考えていると、すぐに出口が見えた。
瓦礫の向こう側と同じく、幅10メートルの隧道。
壁の篝火は消えているが、ドワーフ戦士団が持ち込んだ大量の松明で明かりには不自由しない。
正面では予定どおり、ドワーフ戦士団が横一線に並んで敵を待ちかまえていた。これから瓦礫の除去が終了するまで、敵を封じ込めるのが彼らの役割だ。
そしてその向こう。ドワーフたちが怒りの表情で刃を向ける敵は。
「最低だな……」
珍しく嫌悪に顔をゆがめて、ライオットが吐き捨てる。
腐乱した筋肉。
朽ちて垂れ下がる眼球。
衣服の残骸を身にまとい、緩慢な動作で攻め寄せてくるのは、どう見ても死体の群れ。
安らかに送られ、永久の眠りについていたドワーフたちの亡骸が、鎮魂の隧道を埋め尽くしていた。