最終話 『Stop,in the name of Love.』
メーデー、メーデー、メーデー
この声が届いていますか?
僕は自分の世界を見失った模様。
要救助者は1名。
現在位置の特定は困難。
メーデー、メーデー、メーデー
貴女は、今もそこに居てくれていますか?
踏み台転生者の青年、春原圭一は二つの力を持っている。
一つは『能力』。
神から与えられた『絶対痩身』の力。
もう一つは美貌。
都市伝説たる『※ただしイケメンに限る』を現実にする能力。
手に入れたものが余に眩し過ぎて、彼は背中を確認する事を忘れてしまった。
真夜中の闇が、彼の影を消し去ってしまうその時まで。
全てを壊すダモクレスの剣は、伝説通り今まさに彼の世界の全てを破壊しようとしている。
\アッサーモヨールーモコーイーコ………イマハマエーダケーミテーレーバイー/
地球。ある冬の終わりの週末の、昼時も過ぎた頃。
踏み台こと春原は海鳴の住宅街を歩いている最中、ふと足を止めて周囲を見渡した。
いつもと同じ風景。
変わらぬ空。
春を前に少し温かくなってきた季節。
全く何もかも全てが、彼の体験してきた海鳴の日々がそのままである。
なのに何故か、本当に不思議な事に、それらがとても大切な物に見える。
不思議だ。
これがスイーツ脳とやらだろうか。
成る程、俺はスイーツだったのかと春原は納得し、翠屋に向かう足取りを再開させた。
タダ食いができる。
なによりそれ以上に旨い。
既に定位置となって長いカウンターの奥に座ると、「ベーコンサンドスペシャルで」といつものメニューを告げた。
そうして先に来たブレンドコーヒーをのんびり飲みながら、注文した料理が来るのを待つ。
何度も、何十回も繰り返してきた日常。
だが何の前触れも無く、何の予告も無く、冗談みたいにそんな日常はアッサリと終った。
「それは常連さん用の裏メニューなんだけど……どこで知ったんだい?」
「ん?」
窓の外を眺めてコーヒーを待っていれば、掛けられたのは高町なのはの父、士郎の怪訝な声だった。
「あれ?寝癖そんなに酷かったですかね?」
常連といえば自分程の常連も居ないだろう。
なんせ小学校からこちら一ヶ月以上来なかった事が無い程通いつめているのだ。
ならきっと、寝起きでそのまま来たものだから、圭一だと気付かれないくらい酷い頭をしているんだと。
そう、思った。
「そうは見えないが……」
「んー?確かに……何かのギャグですか?俺ですよ、春原圭一」
「いや………?」
お冷のグラスで歪んだ自分の顔を見ても、確かに誰かを間違えるほどひどい寝癖はなさそうだ。
士郎は士郎で、目の前の青年がどうやら本気で困惑しているのを見て取り、首を捻ってしまう。
なんだろうか、これはタチの悪い冗談でも意地悪でもなくて……ひどく嫌な予感が、した。
「すまない。本当にわからないんだ。俺の家族の知り合いかな?」
「いやっ、知り合いっていうか……高町さん、いや高町なのはさんと小中学校でクラスが一緒だった春原ですけど」
「あぁ!」
士郎が何か思い出したような顔になり、圭一はほっと一息ついた。
何の遊びかは知れないが、これでようやくメシが―――――
「なのはのクラスメイトだったのか。いやぁ、よく来てくれたね。なのはのヤツ、男の子の友達なんて連れてきた事もなかったけど、ちゃんと居たんだな。おっとごめんごめん、今用意するよ」
圭一の顔が、凍りついた。
出てきたサンドイッチは、温かかったが、何故か味が解らなかった。
それでも体は自動的に動く。
数年振りにレジで士郎に食事代を払い、「よかったらまた来てくれ」と声をかけられる。
えぇ、是非。
かろうじて返事をして店を出る。
背後で閉まる扉の音が、嫌に頭に響いた。
其の場から一歩も動かず……いや、動けずに、圭一は携帯を取り出すとまずメールを確認した。
日付は約一ヶ月前、なのはがヴィヴィオを連れて里帰りするから、孫?の顔を見に来て欲しい。
ついこの間届いた士郎からのメールが、確かに其処にある。
『スペシャルサンド、相変わらず美味しいですね』
そう送ったメールは、宛先不明で突き返された。
「何だ……何が起きてる?」
最早尋常な事態ではない。
確信があった。
何か洒落では済まない事が、今起きている。
アパートに小走りで戻りながらハラオウン出張所に電話を掛ける。
コール音が鳴るだけで安堵するなんて、そんな事が―――
「はい、山之内です」
耳元から聞こえる老人の声に、春原は足を止めた。
電話相手にクロノ君のお宅ですか?と聞いてみるも、返されるのは否定の言葉。
間違い電話を謝罪し、通話を終了した。
「あぁ、くそ。何なんだ?本当に……」
超常現象。
科学でも、魔法でも説明出来ない何か。
神に逢った事のある圭一だからこそ確信が持てる。
今自分を取り巻くこの異常事態は、『リリカル外』から何かの影響を受けたからだ。
そうでないと、『リリカル』の何かが圭一と『リリカル』を引き離す意味が見つからない。
真実なんて、暴いてしまえば簡単なものに決まってる。
よくある話で、『春原圭一』の存在がリリカル正史を捻じ曲げてしまい、今世界は押さえが取れたバネのように、元の姿を取り戻した……とか。
例を挙げるなら、ハラオウン家の連絡先。
昔は充電器に刺しっぱなしの携帯電話が置いてあったのを、圭一が無駄に金が掛かると固定電話に変更させたのだ。
圭一の実家が名義人になって。
それが、『無かった事になった』。
いや、『戻った』のか?
馬鹿馬鹿しい、そんな事があってたまるか。
それならまだ体重を気にしたナンバーズと調子に乗って脱獄したマッドの陰謀の方が……いや、そちらの方が無いか。
確かめる術の無い疑問ばかりが頭の中にぐるぐると回り、気付けばアパートの前まで戻ってきていた。
ハラオウン家のマンションに向かう気は起こらなかった。
気付かなかったからじゃない、もし誰も居なかったら、他人が住んでいたら……そんな事が怖かったからじゃない。
一番怖いのは、ミッドの関係者の誰かが居る事。
そして、その誰かが圭一の事を忘れてしまっている事。
つまりそれは、シグナムも……
ハッと左手の薬指を見る。
銀に耀くリングが、確かに其処にあった。
蜘蛛の糸は繋がっている、まだ。
鍵を開けようとして気付く。
アパートの鍵が、開いていた。
出掛ける時に鍵は閉めたはず。
このアパートの合鍵を持っているは、両親と……
「シグナムッ!!」
ドアが壊れるんじゃないかという勢いで、思い切り開く。
電気の消えた部屋の中央に人影。
「よかった、君は―――――」
何故、部屋を暗いままにしていたのか。
そんな事すら疑問に思わず、圭一は靴を脱ぎながら部屋の電気を付ける。
「あぁ、遅かったじゃないか―――圭一クン」
部屋の中に居たのは、シグナムでは無かった。
「どうしたんだい?そんなに酷い顔をして。『死んだ筈の親友の幽霊が現れた』みたいな顔しているよ」
「……ユーノ君?」
部屋にいたのは、ユーノ・スクライアだった。
スーツを纏い、優しげなインテリ風な佇まいは、今は酷く不気味だ。
何故、この男は、薄暗い部屋の中で電気も付けず、立ちっ放しで玄関を眺めていたのだろうか。
「やぁ、お邪魔してるよ」
そうふんわりと笑った瞬間、圭一の全身の自由が奪われた。
動かない、腕も、足も、胴体も、顔すら、喋る事もできない。
ただ金縛りにあったように、何一つできなくさせられていた。
「残念だよ。本当に残念だ。間に合うと思っていたんだけどね、読みが甘かった。本当に済まない圭一クン」
聞き様によっては、今圭一の周囲で発生している異変に1人いち早く気付き、対処をしようとしてくれたように聞こえる。
そして、そのくらいの事はしてくれそうな程度には、友達付き合いをしてきた筈だ。
だが、そんな希望を、圭一は捨てねば成らなかった。
感じるのだ。
彼の、ユーノ・スクライアの笑顔から。
ドス黒い程の、悪意を。
「バインドだよ。圭一クンは初めてだろう?いや、リング型よりチェーンタイプの方がいいかな?『ユーノ君』的にはさ……プッ…くはは、あははははははは!!!」
おかしくてたまらない。
膝を叩きながら全身でそう表現するユーノに流石に圭一も気付く。
理屈抜きに直感で理解した。
『 コ イ ツ だ 』
「はは……圭一クン君さぁ、『スーパーマリオ』やった事あるかい?『スーパーマリオ』。スーファミのアレだよ。やった事あるだろう?アレにホラ、『ヨッシー』っているじゃない」
睨み付ける圭一の目線を楽しむよう一歩一歩、ユーノは圭一に近づいていく。
その右手には、ゴルフボール程の緑色の光球がキラキラと光を零しながら握られていた。
「例えば普通のジャンプじゃ届かない所に行きたい。でもその手前には落とし穴が……そんな時は『ヨッシー』に乗ってジャンプして、『ヨッシー』の上からジャンプするよねぇ?誰だってそうする。僕だってそうするさ。その後落とし穴『ヨッシー』が落ちようとさ、そんな事は『知ったことじゃない』んだよ。そうだろ?君だってそう思うだろ?だろぉー?」
ユーノの口の両端が釣り上がり、目が細めされる。
吐き気を催す程の邪悪が、そこにはあった。
「何言ってんの?って顔してるね。教えてあげるよ圭一クン。友達の僕がさ。つまり何が言いたいかっていうとようするにさ……テメェはこのユーノ・スクライアにとっての『ヨッシー』なんだよ春原ァーッ!!」
野球のスライダーか何かの変化球のように、ユーノは握っていた光球を横投げで圭一に投げつける。
畳んだ羽毛布団を平手で思い切り殴りつけたようなくぐもった音が部屋に響いた。
「初バインドに続き初シューターだ、おめでとう圭一クン。安心しなよ、管理局ご自慢の『非殺傷設定』ってヤツさ。だからさぁ」
本気で腹部を蹴りつけられた事がある人間は、この日本にどれだけいるだろうか。
先程ユーノに投げつけられた光球は圭一の臍よりやや上に着弾し、低い爆発音と共に砕けた。
体中をバインドで縛られ、逃がす事の出来なかった衝撃がダイレクトに春原の内臓を襲う。
痛い、ではない。
ただひたすらに苦しい。
横隔膜がショックで痙攣し、吐いた息を吸い込むことができなくなる。
呼吸のし方を思い出せない。
目の前にちかちかと白い光が走り、意識が飛びそうになる。
「寝るのにはちょっと早すぎるんじゃないかい?そうだろう圭一クン」
ゴン、と。
硬質な衝撃音が部屋に響く。
圭一の頭を殴りつけたユーノの左手には、先程圭一が家を出る前にコーヒーを飲んでそのままだったマグカップが握られていた。
「あぁ、痛そうだね。本当に済まない。僕の過失だ。君ってヤツがあまりに便利だからさ、僕の準備中ずっと放置してたんだよ。だからこれは僕のせいだ。そうだ、『僕が悪い』」
圭一の顔に痛みが走る。
今度は、ユーノは圭一の足を踏んでいた。
玄関から入り靴を脱いだ圭一の足を、室内に居たユーノが『靴を履いたまま』。
「僕は女性の過去には拘らないタイプなんだけどね。勘違い、そうそれは勘違いだったんだよ。だってスゲェムカつくんだもん。解る?りきゃいできるぅ?」
コンコンと、まるで中に何か入っているのか確認するようにユーノは圭一の頭をノックする。
その衝撃は、5回、10回、20回と回を重ねる毎に強くなり、ついに思い切り圭一の頬を殴りぬいた。
「まさかお前いたいなモブにさぁ、シグナムを中古にされるなんて。あぁスゲェムカつくわ。もう一発食らっとけよ」
どむん、と。
ユーノは先程と同じ光球を再度圭一の腹部に叩き込む。
内臓が正常動作を諦め、強烈な吐き気と気持ち悪さが圭一を襲う。
「ふぅ、ちょっとスカッとしたよ。ほんのすこーし、だけどね。あぁそうそう。ここで漫画だったらシグナムあたりが君を助けに颯爽と現れる所なんだけどさ、それ無いから」
一旦窓際まで離れてユーノはポケットを探ると、金属製のリングを取り出した。
そのリング――指輪に、圭一は見覚えがあった。
見間違えるワケがなかった。
先日、シグナムに贈った……昨日も、シグナムが帰るまでずっと左手の薬指に付けていたソレ。
「こーゆーアイテムを回収しそこねるとさぁ、愛の力(笑)とかで記憶が戻ったりするんだろ?あと言うまでもないけど、『ユーノ君は結界が得意』なの、知ってるよね?とっくに敷いてあるんだよ秘匿隔離結界」
まるでゴミでも捨てるように指輪を床に放ると、指輪は倒れる事無く車輪のようにコロコロと圭一に向かって、まるで助けを求めるかのように進んでゆく。
圭一は拾おうと四肢に力を込めるも、多重バインドに縛られた体はピクリとも動いてくれない。
「あっは」
そこに、鉄槌を振り下ろすかのようなソフトボールほどの大きさの光球が、物理破壊設定で叩き落とされた。
轟音と揺れ、それに粉塵。
煙が晴れた後には、床にはバスケットボールほどの穴が、指輪など何処を見ても、陰も形もありはしなかった。
「さて、名残惜しいけどそろそろお別れだ。圭一くん。僕も流石に『リアル世界』の同郷を殺すのは心苦しい。モンスターハンターは好きかい?管理外世界に竜が多く棲んでる惑星があってね」
突然、圭一の口を押さえていたバインドが外れる。
酸素を求めるように獰猛に息を吸い込み、あらん限りの声量で吼えた。
「ユゥゥゥゥノォォォオオオオオオオ!!!!!」
「あぁ、その声が聞きたかった。さようなら、よいハンターライフを」
最終話?あぁ、ありゃスマン、ウソだ。
重いから今日はここまで。