鋼鉄の国に入った私達一行は、塩の国の王都を目指して出発した。 ただし、真っ直ぐ王都へと向かう、というわけではないらしい。 国王には鋼鉄の国の現状を視察してもらいたいというのが、今回の案内役として来た、塩の国の外務大臣の意向だ。 国王専用車の中で、国王が視察の理由をパレスナ王妃に説明する。「実のところ、鋼鉄の国は、長年の独裁による政策の無理がたたってすっかり疲弊していてね。今まで仮想敵国だったからこっちは知ったこっちゃなかったんだけど、塩の国に併合されるにあたって、うちの国から支援を行なうことになっているんだ」「疲弊する政策って、どんなことをしていたのかしら?」 パレスナ王妃の問いに、国王は答える。「鉱物の大増産」「むしろそれ、国が富みそうなものだけれど」「ここで言う疲弊した国というのは、国民とか国体とかじゃないよ。国の土地のことだ」 ふむ、私も全く知らないことだ。庭師時代はこの国は素通りしていたからな。「農学に関することだからパレスナもよく覚えておいてほしいんだけど、一部の鉱物は土に混じると、人に対して毒になるんだ」「あっ、鉛とか銅のことね! 確かに、世界樹の実りは地面から生えてくるから、土壌が汚染されるわ!」「そう。それで、農業とか林業とかがダメージを受けたみたいだ。それをうちの国が支援するのさ」 そんな会話をした日の宿泊先は、寂れた村だった。かつては栄えた農村だったらしいが、今はすっかり土地が枯れ、若者達は塩の国まで出稼ぎに行っているという。 鋼鉄の国側の案内役兼護衛隊長である、元鋼鉄の国のエリート軍人『武装衆』の長、カタツナが、流暢なアルイブキラの言語でそんな説明をしてくれた。「塩の国の国主は慈悲が深い。仕事にあぶれた我が国の人間を塩の国側に一時的に移住させて、仕事を与えてくれておる」 カタツナのその言葉に、塩の国の外務大臣は苦笑して言った。「塩の精製や岩塩の採掘にあたらせています。塩の増産はアルイブキラとの交易に役立ちますから」「うちの国は、塩が慢性的に不足しているから、交易が正常化するのは助かるよー。今まで、鋼鉄の国の関税のせいで塩はすごく高かったからね」 国王は笑顔でそう返す。ふむふむ。アルイブキラで塩が高かったのはそんな理由があったのか。 間に敵対国や異文明を挟むことで、交易品の価格がすごいことになる。かつての地球でも起きていたことだ。 その昔、インドで生産された商品が、異教の文明に陸路や航路を塞がれたことで関税や輸送費がかさみ、ヨーロッパに着く頃には膨大な価格に変わっていたという。 そんな中で、関税を取られぬようヨーロッパ・インド間の航路を探ったのが、大航海時代の一つの目的ってやつだ。商品の名は、こしょう。「鋼鉄の国には鉱山奴隷がいたというから、農村でも奴隷のごとく働かされている人がいないか心配だったけど……大丈夫そうね」 パレスナ王妃は、寂れた村を見渡しながらそう言った。 そのパレスナ王妃の言葉に、カタツナは渋い顔をして言葉を返した。「我が国の恥部を聞き及びとは。まったくもって情けない。だが、実際に土地が余っていたならば、あの大総統めは貧民を農奴のごとく扱ったであろう」 農奴とは、奴隷とはまたちょっと違った農業労働者だな。土地持ちの大地主がいて、その下に小作人として農奴が配置され、働かされる。農奴は一生その土地に縛られて農業を続けなければならない。 奴隷制度と農奴制度、どちらも世界の中枢『幹』によって禁止されている。「今の我が国は、農作向きの土地が少なすぎて農奴を置く余裕すらない。むしろ、効率良く作付けができるよう、頭の良いエリート兵が屯田兵として配置されるほどだ」 屯田兵かぁ。この世界ではよく見る農業形態だな。前世の日本では、北海道の開拓時とかにいたようだが。「今のこの国の土地は荒れている。地下水が鉱毒に侵されている地域すらある。この国の前国主である大総統めが、土地を大幅に改造した結果だ」 今夜の宿である村の集会場に移動した後、カタツナはこの国の過去をとうとうと語り出した。 十六年前、大総統を名乗る男が独裁者としてこの国を支配し始めた。内政が得意で国民の支持も厚かったが、この国を古くから支えてきた貴族院の貴族家出身ではないため、鉱物に対する知識は少なかった。 富国強兵に努めるため、『幹』から国主に与えられる世界樹の実りを操作する権限を使い、鉱物の産出量を増加させた。国民に大歓迎されたこの方策だったが、地の底から湧き出る鉱物に土地は少しずつ汚染された。 地は痩せ、木は枯れ、水は汚れた。だが、この原因に気づいていたのは貴族院の貴族達だけであり、国民は天災として受け止め、大総統への支持は揺るがなかった。 大総統の暴走を止めるため、貴族達は手を打った。それは、彼の舵を取れる女傑を嫁にあてがうこと。一種のハニートラップだ。 貴族が用意したのは、カヨウという背の低い、しかし美しい一人の女であった。「カヨウ夫人ね……」 彼女の壮絶な最期を思い出したのか、国王が渋い顔をした。 なおもカタツナの話は続く。 大総統夫人となったカヨウは、カヨウ夫人と呼ばれ、その手腕を発揮した。世界樹の実りである鉱物はそれ以上増やされることはなく、権限が停止されていた貴族院も再稼働し、国政は少しずつ正常化した。 さらに、夫人は慈悲深く民を慈しんだ。ただ、過去にアルイブキラの王族にひどい目に遭わされたらしく、アルイブキラを敵視していた。 大総統は夫人の意図を読み取って、アルイブキラを敵国と認定した。 だが、これ以上鉱物が増えることはなくても、一度地の底の世界樹に実った鉱物は消えてなくならない。 掘り進めて製錬しようにも、木は枯れ果てて木炭の数が足りない。 木炭の高騰により製鉄業が立ちゆかなくなっているため、それに伴い採掘の手も止まっていたのだ。 木材が足りない。 隣国である塩の国は、同じく土地が塩を含んでいるため、木材はさほど産出されない。では、どこから用意するのか。 目を付けたのは、アルイブキラだった。「まあ、うちの国には、木材は売るほどあるからねー」 国王が苦笑しながらそう言った。「売ってもらえるのだから、買えばよかったのだがな。だが、大総統めにとって、おぬしらは敵国であった」 買わない代わりに、奪えばいい。そう考えたのだろう。 結果、昨年の戦争騒動となり、その陰に悪魔であるカヨウ夫人の存在ありと私がリークしたことで『幹』が介入。戦争は開始直前に終了させられ、カヨウ夫人は捕らえられた。 そして、今回の併合へとつながっているわけだ。「カヨウ夫人はアルイブキラを憎んでおられた。だが、戦争までは望んでいたとは思えぬ。全ては、大総統めの暴走よ」「えーと、それは……」 パレスナ王妃が何かを言おうとして、止めた。 うんうん。実は、カヨウ夫人の正体は悪魔で、かつてアルイブキラの建国王にぶち殺された過去があり、彼女の頭部であるネコールナコールは、建国王の血筋を絶やしたがっていた。どう考えても、カヨウ夫人が戦争を誘導したと思うぞ。 だが、カヨウ夫人を敬愛しているらしきカタツナにそれを言わないくらいには、パレスナ王妃は空気を読めた。「それより! 大総統ってその後どうなったの?」 パレスナ王妃がそうカタツナに尋ねると、彼はすんなりと答えた。「一方的な侵略戦争を起こそうとした咎で、塩の国に捕らえられておる。併合後に国を乱されてもかなわんので、檻の中から出てくることは一生なかろう」「はー、独裁者の悲しい末路ね」 カヨウ夫人みたいに自爆して死ぬよりはマシだと思う。多分。◆◇◆◇◆ 翌日も移動である。今日は、鋼鉄の国で最大と言われる鉱山街を視察することになっている。 移動中の車内では、パレスナ王妃に鋼鉄の国の話を求められたが、私は庭師時代この国でほとんど仕事をしていなかったので、話せることは少なかった。 この国では、魔物を退治するのは庭師の仕事ではなく、軍と『武装衆』の仕事なのだ。『武装衆』の話は、庭師をしていた頃にもしばしば耳にしたことがある。精強で権力におもねらぬ、民を守るための集団なのだと。 その性質は、権力を握っていた大総統とはさぞかし合わなかったことだろう。昨日のカタツナの言葉からは、節々に大総統への嫌悪が感じられた。「大総統と言えば、こんな話があるよキリリン」 と、国王が話し始めたのは、大総統の経歴だった。 そもそも大総統は貴族院の貴族家出身ではなく、平民出身であるらしい。その経歴だけ見ると権力に媚びへつらわない『武装衆』と相性がよさそうなものだが、大総統はその地位に就いてから強権を振るっていた。 そもそも大総統という地位自体、貴族院制の共和国であるこの国には存在していなかった。大総統本人が独裁者となるにあたって、新たに作った役職なのだ。それはもう、とことん『武装衆』とは合わないだろう。「でも彼、カヨウ夫人に対しては敬意を強く感じたよね」 さらに国王は話を続ける。 この国では、平民は家名を持たないため、カヨウという名前の謎の女性は、ただカヨウ夫人とだけ呼ばれたらしい。 権力に溺れていた大総統を誘導し善政に努め、国の行く末を操作した。そのカリスマは、『武装衆』すら魅了したのであろう。アルイブキラの隠された建国史で、彼女の前身ネコールナコールが民を先導したのと同じようにだ。 前世の権力者に取り入った狐に関わる伝説を知っている身としては、苦笑いしか出ないのだが。天使のネコールナコールが言うには、妲己も玉藻の前も華陽夫人も、全て火の神の端末達だったというからな。「その狐とかいう動物の伝説、気になるんだけど?」 せっかく新たな話題が出たので、私は国王のリクエストに乗り、前世の狐にまつわる物語を車内の皆に語って聞かせた。「ごん、お前だったのか」「ごーん!」 ああっ、同乗していたビアンカが泣いた! と、暇を潰している間に、本日の視察先、鉱山街についた。 そこそこ広い街だが、道行く人々は少ない。 カタツナが、この街の現状について語って聞かせてくる。「ここでは良質な鉄鉱石が採れるゆえ、戦争前は武具を作らせるために多数の人が働いておった。各地で採掘の手が止まる中、この街だけは盛況であった。大総統めが、カヨウ夫人にすら隠して鉱山奴隷を作るほどには」 奴隷という言葉で、皆に緊張が走る。「安心めされよ。皆、奴隷からは解放されておる。犯罪者が奴隷になっていたが、半分は大総統へ反逆した政治犯だったゆえに、彼らは今、平和に暮らしておる。残りは檻の中だがな」 まあ、まだ鉱山奴隷なんかがいたら、他国の者に視察なんてさせるわけがないだろうな。「各地で人が余っていたなら、奴隷なんて使わないで暇している鉱夫を集めればよかったんじゃないの?」「大総統めの政策下では、人の移住は厳しく制限されておった。余った鉱夫は移住ではなく徴兵に使われたのだ。現実的な話をすると、よそから来た鉱夫が多数滞在できるだけの場所がこの街にはない。奴隷ならば野ざらしで寝かせておけばよいと考えたのだろうな」 誰かが上げた疑問の声に、カタツナがそう説明した。うーん、奴隷にもいろいろと種類があるが、この国の奴隷はとにかく劣悪な環境に居たのだな。『幹』の女帝あたりが聞いたら激怒しそうだ。「しかしだ。昨日、木炭が高騰した話をしたであろう。ここで鉄を掘り、精錬すればするほど、木炭の費用で赤字がかさんだというわけだ。我が国の鉄器の質がよいと言えど、値が高すぎては周辺諸国も買い渋るというものよ。多数の鉄を投入した戦争も始まる前に終わり、赤字だけが残った。塩の国は、その負債を全て被ることになる」 カタツナは、坑道入口脇に放置されていた鉄鉱石の山を見上げながら、そう私達に語った。「だからどうか、アルイブキラの王よ。併合がなった暁には、輸出をお頼みもうす。拙者は、活気あるこの街を取り戻したいのだ」 そう言って、カタツナは私達に向けて頭を下げた。鋼鉄の国において頭を下げる行為とは、前世の日本と同じく懇願の意味を持つ。 それに対し、国王は言葉を受け取り、安値での輸出を約束していた。 しかし、木炭か。「石炭でも採れれば、燃料問題は解決するのですけどね」 ふと、私の思考を読み取って声にする魔法から、そんな言葉が漏れた。「石炭とはなんだ?」 カタツナがそう尋ねてくる。 おっふ。国王の視察の場なのに私語が漏れてしまった。しかも、みんなが私に注目している。「……石のように固い炭ですね。太古の昔に地中に眠った植物が長い年月をかけて炭になったものです。惑星の鉱山で大量に採れます」 私がそう言うと、カタツナは残念そうに言葉をつむいだ。「惑星か。伝え聞くに、神話に語られる惑星が復活したと言うが……、そのような貴重な鉱物、今の我が国が手に入れられるはずもあるまい」「ええ、『幹』から石炭を輸入するくらいなら、アルイブキラから木炭を輸入する方が現実的でしょうね。お耳汚し失礼しました」 ただなぁ。私は前世で理系じゃなかったから詳しくないんだが、製鉄と言えば石炭から作られるコークスのイメージが強い。 惑星の再開発が進めば、石炭が向こうから輸送宇宙船で送られてきたりするのだろうか。輸送費用とかどうなっているのか知らないが。 そんな会話があった後、坑道入口前の視察は無事に終わった。 パレスナ王妃は坑道に入りたがったが、「何ヶ月もまともに使われていないので、落盤があっては危ない」と入ることは許されなかった。塩の国の外務大臣が必死で止めていたな。友好国の国王と王妃に怪我なんてさせたら、大問題だ。 そうして、その日は鉱山街に泊まることになった。 夜、私はパレスナ王妃と同じ部屋を割り当てられた。護衛も兼ねているので頼む、とは近衛のオルトの台詞だ。 食事も終えた夜、私は魔法道具である『女帝ちゃんホットライン』を起動していた。女帝の側から雑談がしたいと、連絡が来たのだ。 せっかくだからと、女帝の話をパレスナ王妃も同席して聞いている。『元々アルイブキラのある葉の大陸はな、ハイリンで不足していた食料と木材と繊維を生産させるために作った大陸なのじゃ。ハイリンは鉱物資源の生産試験大陸じゃからな』 そんな新事実を女帝が告げた。 ハイリンとは、塩の国エイテンや鋼鉄の国ハイツェンが存在する葉の大陸のことだ。『じゃが、まさかハイツェンがアルイブキラへの敵意をあそこまで高めるとはのう。おかげで木材をアルイブキラが出し渋って、ハイリン全体で木材不足が起こったわけじゃ』「『幹』は、その敵意を緩和させようとしなかったの?」 私の横で女帝の声に耳を傾けていたパレスナ王妃が、そう女帝に尋ねる。さすがパレスナ王妃、しっかりと女帝に合わせて世界共通語を喋っている。『我の部下が注意勧告を出していたようじゃの。だが、強制力はない。我らはそこまで国の運営方針を縛ったりはしていないのじゃ。『幹』は世界の監視者ではあるが、宗主国というわけではないからの』「それで戦争が起こっても構わないと?」 パレスナ王妃がさらにずばりと切り込んだ。『構わないわけではないのじゃがなぁ。『幹』は小さく人口も少ないので、世界樹全体の政治など全部面倒は見切れないのじゃ。やるとしたら、文明レベルを縛る道具協会のように独裁になるのう』「そう……」 パレスナ王妃は納得し切れていないようだ。私達葉の大陸の民にとって、『幹』はとてつもなくすごい天上世界って感覚だからな。『まあ、このたびの併合には我も注目しておる。併合式典には我も出席するのじゃ』 女帝も来るのか。まあ、鋼鉄の国に終止符を打ったのは、女帝本人だからな。元勇者アセトリードと協力してカヨウ夫人を捕らえたのは、彼女だ。『当日はよろしく頼む。エイテンの料理は塩辛くて、我はあまり式典が楽しみではないがのう』 塩の国の料理が塩辛いのは、塩が安くて野菜や穀物が高いため、塩漬け食材が多いという理由だな。地元で採れる食材を使った肉料理と魚料理は、かなり美味いのだが。 そういった事情もまた、アルイブキラから来る食料に対する、鋼鉄の国の関税が高かったせいだ。 つまり、鋼鉄の国を放っておいた女帝が悪い。『我は悪くないのじゃー』 そんな女帝の言葉に、私とパレスナ王妃はひとしきり笑った後、私はキリンゼラーの使い魔を抱いてその日は就寝したのであった。 明日はとうとう塩の国に到着である。