とうとう塩の国へ出発する日が来た。 前日までに馬車への荷物の詰め込みは終わっているため、侍女一同は特に慌ただしく動くこともなく出発の用意をしていた。 今回の外遊に同行する侍女は、私、メイヤ、フランカさん、ビアンカの四人だ。ビアンカは本来ついてくるはずはなかったのだが、経験を積ませるためにと、首席侍女の立場であるフランカさんが特別に許可を出した。 人手が増えるのは助かる。惑星旅行の時も、侍女二人だけだと結構大変だったし。 あと、ついでにキリンゼラーの使い魔もついてくる。常に私が抱えている必要があるな。 そういうわけで出立である。 各々馬車に乗り込み、出発の時間を待つ。パレスナ王妃が乗る国王専用車は、惑星旅行の時にも使った魔法動力で動く自動車である。 今はその自動車の前に立ち、ハルエーナ王女の見送りを受けている。「先に行っているから」「私達が先に出るのに、ハルエーナが先に着くのは何か変な感じねー」 ハルエーナ王女の言葉を受けて、パレスナ王妃がそんなことを言った。 アルイブキラ一行は、自動車と馬車で塩の国まで向かう。一方、ハルエーナ王女は地下の世界樹トレインで塩の国まで戻る。 これはアルイブキラの人達が世界樹トレインを使えないというわけではない。 塩の国行きのついでに、経路上にある町村の視察をしてしまおうという国王の目論見によるものである。こういう機会でもないとゆっくり国内を見て回れないと国王は言っていた。「お待たせー」 と、その国王が秘書官を引き連れてやってきた。「おっ、ハルエーナ殿下はお見送りかい?」「はい」「わざわざありがとねー」 そう言って国王はハルエーナ王女と雑談を交わし始めた。仮にも相手は一国の王女だ。扱いはおざなりにできない。 そして、話をすることしばし。近衛騎士のオルトがこちらにやってきた。 オルトは国王の前で騎士の礼を取り、口を開く。「陛下、そろそろ出発です」「了解。じゃ、ハルエーナ王女、向こうではよろしく」「ん、では先に向かっている」 そう言ってハルエーナ王女は魔法宮に向けて、家臣とネコールナコール人型バージョンを引き連れ去っていった。「総員そろっているかな?」 国王がオルトにそう確認を取ると、オルトは「揃っています」と答え、国王は満足して魔動自動車の扉を開いた。 そしてパレスナ王妃をエスコートし、国王自身も乗り込む。私も遅れて乗り込み、それに侍女のメイヤも続く。さらにキリンゼラーの使い魔がぴょんと飛び跳ねて乗ってきた。 さらに運転席へ秘書官が乗り込み、最後にオルトが乗り込んで国王専用車のメンバーはこれで全員だ。「噂のファミー君と書記官くんもちゃんといた?」「はい。二人で同じ馬車に乗せています」「ん、抜かりないね。いやー、ハレー侯爵家の反応が楽しみだね」 ハレーとはファミー嬢の家名だ。国王、ファミー嬢の恋愛模様を完全に楽しんでいるな。 ちなみに今回も私は国王夫妻の会話役としてここに乗り込んでいる。メイヤも同様だ。自動車に同乗する侍女は、日によって人を変えるらしい。ただし私は固定。いくら私でも移動中ずっと話題を提供していたら、ネタが尽きると思うんだがなぁ。 国王専用車の中で待っていると、出発を知らせる笛の音が聞こえ、前方の馬車から移動し始める。やがて、国王専用車も動き始める。魔法で動く自動車なので、エンジン音の類はしない静かなものだ。「これが魔法の馬車ですか。興味深いですわね」 メイヤが口を開いてそんなことを言った。彼女は魔法貴族の家の出なので、魔法道具であるこの自動車が気になるのだろう。 そのメイヤの言葉に応えたのは、運転席の秘書官だ。「魔法宮の魔法技術の集大成ですよ。魔力が蓄積されており、自然の魔力と乗組員の魔力を吸収して、より長い時間走行できます」「蓄えた魔力で物を動かすのは珍しくもないですが、メッポーなしで馬車を動かすという発想が面白いですわ」 メッポーとはこの世界における馬のような動物のことだ。 そんな秘書官とメイヤの会話に、国王も乗ってくる。「動物に引かせることなく動く乗り物っていうのは、『幹』では珍しくないんだけどね。でも、参考にしたのはキリリンの前世の乗り物かな。『ジドウシャ』とかいう乗り物」「散々、自動車の仕組みを聞かれましたからね……」 私は当時を思い出してうんざりした表情を浮かべた。自分専用車両を作るのだと、王太子時代の国王に自動車の構造を徹底的に説明させられたのだ。おかげで、この国王専用車の乗り心地はすこぶるよい。 この技術を民間に流したら、絶対に道具協会が黙っていない、そんな代物だ。 しばらく私達は車についての話をして、その間にも国王専用車は前に進んでいく。 王都を西へ。一枚の葉の大陸であるアルイブキラから出国するための出口が西側にあるので、素直にその方角へと向かっているようだ。 王都の西門を出ると、そこには綿が採れる植物の広大な畑が広がっていた。「うん、順調に育っているね」 車のガラス窓から外の畑を見て、国王が満足そうに言う。 この綿の植物は王都周辺の特産品だ。 特に誰も聞いていないのに、国王が説明を始めた。 なんでも、この植物は土中の栄養分をさほど気にする必要はない代わりに、水が大量に必要らしい。なので、温泉が湧いて水が豊富な王都周辺が生育に適しているとのこと。王都の綿植物畑は、王国の衣類を支えている一大生産地らしい。 そんな綿植物を育てている農家の前で一行は停止する。視察をするらしい。私はパレスナ王妃と一緒に国王専用車を降り、視察する様子を王妃の後ろから見守った。 視察は無事に終わり、そしてまた国王専用車に乗り込み、出発する。西へ西へと進んでいく。 道中、岩山が見えてくる。「石切場だねー」 その岩山を見て、国王が口を開いた。「王都の家は石材で作っているから、ここの石を運んでいるんだ。ご先祖様が王都の近くで石を採れるよう岩山を生やしたらしいよ」 岩山を生やす。世界樹の世界ならば、そのような偉業も可能だ。世界樹の実りとして、地面の下にある世界樹の枝葉から土や岩を生やしてもらうことが王族にはできるのだ。 その岩山の石切場でも、国王達は視察に降りた。 国王の来訪に、現場の者達は恐縮しきりだった。 そしてその後も国王は各所で視察を繰り返して、その日のうちは王都周辺の王家直轄領を出ることがなかった。 その日の宿として、王都近辺の牧草地で牧場を経営している牧者の家へと泊まることとなった。 牧者の家は、前世の地球で見た遊牧民のテント、ゲルのような家だった。放牧されている家畜は牛を一回り大きくした子象ほどのサイズがある巨獣だ。その外観は前世の動物で言うとサイに近いだろうか。 哺乳類の草食動物であるその巨獣は牧草をかなりの勢いで食べるため、牧草を食べ尽くすごとに牧草地を転々とする必要がある。そのため、牧者の家は移動しやすい形状をしている。 この周辺は牧場と呼ばれているが、牧草地の範囲は広大だ。そんな牧草地に放されている巨獣が、王都の食を支えている。王都の民は肉ばっかり食べているからな。 牧者の家に歓迎されたのは、国王夫妻と侍女の私と近衛騎士のオルトの四人だけだ。そう広い家ではないため、人数を絞ってある。他の同行者達は、全員外でテントを張って今日は就寝である。あとついでに使い魔もついてきた。「いやあ、国王王妃両陛下が我が家にいらっしゃるとは、これはとてもめでたい!」 筋肉ムキムキの牧者代表が、そういって私達を歓迎した。 牧者とは、魔物や野生の獣から家畜を守る戦士だ。筋肉を身にまとっていても何もおかしくない。「今日は特製のお酒を出しちゃうわ!」 線の細い牧者代表の妻が笑顔で言う。彼女もまた牧者の一人である。 牧者は戦士であるが、家畜である巨獣を屠殺できる魔法使いでもある。 戦士で魔法使い。牧者という職業がいかに過酷なのかがよく解る。「おっ! 酒かー。嬉しいね。よし、キリリン、あれを出して」「はい」 国王に呼ばれたので、私は携えていた大きめのカゴを牧者の前に差し出した。 カゴに被せてあったフタを取ると、中に入っていたのはパンだ。「おお、パンですか。これは嬉しいですなあ!」 パンといっても、この国のパンは平べったいナンのようなパンだ。それを牧者は笑顔で受け取った。 牧者は普段このパンを食べられない。ただし、法で規制されているとか、そういう慣習があるとかではない。 牧者の家は移動式なので、パンを焼ける大きなかまどがないのだ。 彼らは普段、インドのチャパティのようなクレープ状のパンを鉄板で焼いて食べている。 牧者にとっては、この平べったくて大きなパンはごちそうなのだ。平べったいがしっかり発酵しているからな。柔らかいのだ。 なお、パンとは別に牧者一家には、王国から宿泊料が支払われている。「これは歓迎の料理により一層手をかけませんとな!」 そうして日も落ち始めた時刻、牧者一家による歓迎の料理が円形の食卓に並べられた。 聖句を唱え、私達は料理を食べ始めた。 夕食のメインは新鮮な臓物(モツ)の料理だ。臓物の足が早いのはこの世界でも変わらない事実で、美味しく臓物を食べられるのは畜肉生産者である牧者の特権と言えた。 それを国王、パレスナ王妃、オルト、私、使い魔の四人と一匹で遠慮なく食べていく。臓物を前に躊躇するような人間はこの場にいない。 国王とオルトは野外料理で狩った獣肉を食べるのに慣れているし、パレスナ王妃も領主の娘なので潰したばかりの家畜を食べることに馴染みがあるのだろう。 キリンゼラーの使い魔は、まあ大元がドラゴンだから臓物くらい食うだろう。完全に偏見だが、惑星でも混沌の獣をそのままむさぼり食っていたからな。「はっはっは、いい食べっぷりですな! では、こちらの乳酒もどうぞ」「どうもどうも。普段飲めないから、結構楽しみにしていたんだよ」 牧者に酒を注がれ、嬉しそうに言葉を返す国王。巨獣のミルクはこの牧場の名産で、毎朝絞りたてが王都に運ばれている。 だが、王都ではミルクを酒にするという文化は無い。牧者の間でのみ、その技法は伝わっていた。 続いて王妃とオルト、私も酒を注いでもらい、皆で乾杯をした。 酸味のある味。わずかに発泡している。うーん、情緒のある味だ。酒場や宿舎で飲む酒とは全然違うな。この広いテントの下で、牧者と一緒に飲むというシチュエーションがとても合っている。 私達は料理に酒にと舌鼓を打った。「むっ!」 だが、そんな楽しい一時を邪魔するように横槍が入った。近くに魔物の発生が知覚できたのだ。 魔物が新たに生まれる感覚は、久しぶりに味わった。人の住む領域には魔物が自然発生しないように魔法結界が張られているから、王城に住んでいるとそれを感じないのだ。だが、広い牧草地帯を移動する牧者達の魔物を防ぐ結界は、住居周辺にしか張られていない。 魔物の発生にオルトも気づき、雰囲気が変わる。そして、牧者もそれに気づいたのであろう、酒杯を置いておもむろに立ち上がる。「ちょいと剣を失礼しますよ」 牧者はそう言って、部屋の隅に置かれた棚の奥から鞘に入った剣を取り出す。「では、魔物をちょいと仕留めてきます」 その言葉と共に、牧者は奥さんを引き連れテントから出ていった。 一連の様子を眺めていた国王は、酒を口にしながら私に向けて言う。「キリリン、行かなくていいの? 魔物は庭師の獲物でしょ?」「大丈夫でしょう。あの剣には、魔物を浄化する強力な魔法がかけられていました。私が行く必要はないですよ」 発生した魔物もそれほど強そうじゃないし。牧者も酒が入っているが、そう後れを取ることはないだろう。 私はそう一人で納得して、モツ肉を一口食べ、酒を飲み込んだ。うーん、美味しい。「まあ、専門家のキリリンが言うならそれでいいか。それなら、彼が帰ってくるまで何か面白い話をしてよ」「では、オルト様がナシー殿下からアプローチを受けている話を」「なっ!? 姫!?」 私の言葉に、オルトが焦ったように声を上げた。「おっ、その話しちゃう? いやー、妹にもようやく良い縁ができたね」「手紙で後宮に入ってくれと告白したらしいわね」 ニヤニヤ笑う国王と、話に乗ってくる王妃の二人。 オルトは困ったような顔をするが、容赦なく二人は話を続けた。 そして、二人はオルトからナシーとの甘酸っぱいエピソードを引き出し始めた。「妹君は私では釣り合いません」などと表面上口にしているが、オルトも満更ではない感じだ。ナシー、脈ありじゃないか。「おや、盛り上がっているようですな」 牧者と奥さんが戻ってくるが、話は止まらず酒がさらに入り場は盛り上がっていく。 結局その日は夜遅くまで酒宴は続いたのであった。◆◇◆◇◆ 明くる日。昨日は遅くまで起きていたというのに、牧者達は朝早くから仕事のために動き出していた。 私とオルトは牧者の立てる物音で目が覚め、そのまま国王とパレスナ王妃を起こす。私達も出立は早いのだ。 朝のパレスナ王妃の支度をメイヤとフランカさん、ビアンカの四人で一斉に済ませ、私達は牧者の家の外に出た。「おはようございます」「おお、おはようございます」 私は牧者と挨拶を交わす。家の外では牧者の一家が巨獣を集め、朝の餌やりをやっていた。 巨獣は放っておいても牧草を食べるが、王都周辺の牧場ではそれだけで済ませず飼料を与えて肥え太らせる。「二日に一度の仕事でしてな。これを食わせると乳の出もよいのです」 飼料の雑穀を私達に見せながら、牧者が言う。なんともまあ贅沢な話である。農業大国のこの国だからこそできることだな。それで美味しい肉が王都で食べられるなら何も文句はないけど。「さ、朝食にしましょう。今日も肉ですぞ」 朝から肉かぁ。元日本男児としては未だに不思議な感覚だが、移動中は身体が資本だ。がっつり栄養を取らねば。 鉄板焼き肉と昨日の残りのパンを食べて、私達は出立の準備にかかる。 牧者の家の周りに展開していた臨時のテントは全て片づけられ、馬車に積み込まれる。「じゃあ、これからも王都の食を頼むよ」 国王が牧者に向けて言い、牧者はうやうやしく礼をしてそれに応えた。「はい、お任せください」 その言葉に国王は満足そうにうなずくと、国王専用車に乗り込む。 私達もそれを追って車に乗っていく。今日のお伴の侍女は、国王付きの侍女だ。侍女宿舎で馴染みの子なので、知らない仲ではない。「ふう、国王らしい態度を取るのも疲れるね」 車内でだらけた国王が、そんなことを言った。 国王らしい態度……? いつもと同じにしか見えなかったが。「いつもと変わってないでしょ」 と、パレスナ王妃も同じことを思ったのかそうツッコミを入れた。「いやー、パレスナの前ではいつも格好つけているのさ」「なにそれ。そんなのいらないわよー」 国王夫妻がイチャイチャし出したので、私はキリンゼラーの使い魔の毛並みを堪能して時間を潰す。隣の侍女がうらやましそうな目で見てきたので、途中で使い魔を渡してあげた。「さ、出発です。今日も視察ですよ」 運転手の秘書官がそう言って、国王専用車を前に進めた。 昨夜は楽しい一時だったが、こういう出会いがまた待っているのだろうか。私は庭師時代の旅路を思い出して、少し気分を高揚させるのであった。