とある日、パレスナ王妃のアトリエに先王が訪ねてきた。 筆を置いて対応しようとするパレスナ王妃だったが、先王は「雑談しに来ただけなので続けても構わない」と言い、一方的に愚痴をこぼし始めた。「まったく、あやつは急に釣りだの言いだしよって。国王の仕事をなんだと思っているのだ」 先王の言葉に、パレスナ王妃は苦笑する。 先王が最近進めていた国王への人脈の引き継ぎは、塩の国への移動準備があるため中断したらしい。だが、その移動準備の最中にも、国王は釣り堀の事業計画を立てているらしいのだ。「趣味にかまけるのは、私も強く言えないわねー。実際、こうして絵を描いているわけだし?」「がはは、パレスナはそれでいいのだ。聞いているぞ。そなたの絵を所有することが、貴族達の間でステータスになっていると。それが、王族の権威を高めてくれることにもつながろう」 パレスナ王妃の言葉に、先王はそう笑って許した。 だが、先王的には国王の釣りへの情熱は許せないらしい。「国王は、王族の中でも国民への顔という、特に国にとって重要な役割を担っておる。趣味など、国王を辞めてから持てばよいのだ」「じゃあ、ナギーお父さんも、今は趣味を持っているの?」「世界樹への礼拝がそれだったのだが、ユーナと女帝陛下に止められてしまったわい! がはは!」 パレスナ王妃の問いに、そう答えて先王は豪快に笑った。 礼拝と言っても、世界樹教の聖職者が祈るようなそれではなく、王族の特権を使って世界樹に直接アクセスして世界樹を感じ取るとかいう感じなのだろうな。世界樹のオーラに肉体が近づきすぎて、樹人化症を発症してしまう原因となってしまうから禁止されたのだろう。 そんな先王の病人トークが始まりそうになったところで、侍女のサトトコが先王に向けて発言した。「以前、王妹殿下が、先王陛下は盆栽を趣味にしているとおっしゃっていましたね」「おお、そうなのだ! これがなかなか深い趣味でな!」 嬉しそうに先王は盆栽について、早口でまくし立て始める。 一方的に話されるそれを侍女達は、苦笑を抑えつつただ黙って聞く。 三分ほど続いたその話は、パレスナ王妃によって止められた。「ちょっとナギーお父さん。うちの子達にそんな話しても、誰も興味持たないわよ。盆栽って男子の趣味でしょう?」「むっ、それもそうか」 そうなのか。この国では、盆栽は男の趣味だったのか。知らなかったな。 貴族の女性は自前の植物園で花を育てたりするのだが、それとはまた別なのだな。「あっ、でもキリンは元男だから、話が通じるかもね」 と、突然私に話が移った。「む、そういえばキリン殿は異世界からの生まれ変わりであったな。そうか、異世界の盆栽か……詳しいのか?」「少しですが。前世の所属国では盆栽文化があり、そして私の勤め先は輸出入を行なう商社でした。盆栽を商材として扱っていましたので、趣味人ほどではないですが見たことがありますよ」「興味深いな!」「キリンなら、頼めば幻影魔法で異世界の物品を見せてくれるわよー」「本当か!?」 パレスナ王妃の言葉に見事に食いつく先王。まあ、確かに見せることはできるが。「見せてくれ! さあ!」「ええと、では、オーソドックスなやつで」 私は幻影魔法を使い、仕事場で扱っていた盆栽を映し出した。「おお……これはなんと趣深い……」 先王が幻影魔法を食い入るように見つめた。そして、私に向けて聞いてくる。「これはなんという植物なのだ?」「黒松という針葉樹ですね。樹齢が長くなれば二階の建物を超える高さとなりますが、盆栽にすると百年を超えてもこの大きさです」「クロマツ……ぬうう……見れば見るほど枝ぶりに味がある。これは欲しい。欲しいぞ……!」 無茶言うなよ。異世界の樹木だぞ。 私はその後、複数のクロマツの盆栽を映し出すことを要求され、それに従った。さりげなく、それをパレスナ王妃がスケッチしていた。異世界の植物に、彼女も興味があったのだろう。「しかしキリン殿よ」 幻影魔法に満足した先王が、ふと私に尋ねてくる。「なんでしょう」「おぬしには勲章を渡して、俺と対等に話せる立場を与えたと思うのだが、なぜ敬語などを使っておるのだ?」 ああ、王様と対等に話せる立場ね。庭師をやっていた頃は便利だったよ。王様と対等に話せるってことは、それより下の貴族にも敬語を使わなくていいってことだからな。 だが、今はそれを行使することは、プライベート以外ではない。「侍女ですから。職業意識によるものです」「むう、職業意識とな。立派だな! 息子にも見習わせたいわい! まったく、あやつときたら、釣りなどと……」 おっと、話が最初にループしかけているな。「ナギーお父さんは、国王時代、盆栽はやっていなかったの?」 そこで、パレスナ王妃が見事に話を趣味の話題へと戻す。「やっていた。やっていたが、一日に必要となる時間が多い趣味ではなかったからな。だから、国王の仕事と両立できたのだ」「なるほどね。そうなると逆に、仕事の少ない今となっては、かかりきりになって暇を潰せそうにないわね」「そうなのだ。だから、こうしてパレスナのもとへと訪ねて、暇を潰しておる。ナシーは最近、俺に冷たくてなぁ」 あっ、暇つぶしで遊びに来ていたのね。 ちなみに、ナシーとは先王の娘、王妹のことだ。十八歳という微妙なお年頃だから、父親の存在をうとましく感じても仕方がないだろう。 王族も人間なのだ。「暇が多いなら、新しい趣味でも見つけたらいいんじゃない?」 パレスナ王妃がそんなことを軽い調子で言い出す。「新しい趣味か……そうだな。何かあるか……」「お勧めの趣味があるわよー」「ほう」 面白そうに言うパレスナ王妃に、先王が興味深そうに相づちを打つ。 彼女はいったい何を勧める気なのか。「釣りっていうんだけどね!」 本気か。 だがその後、パレスナ王妃は息子との相互理解を云々と見事に先王を丸め込み、先王は後日、王都の外れにある川へ近衛騎士を引き連れて釣りに向かうことを決めた。 パレスナ王妃と、そして侍女達も一緒にである。うーむ、どう話が転がるか予想もできないな。◆◇◆◇◆ 私達は朝から、王都の外れまで馬車に乗ってやってきていた。 王城から距離があり、衛兵の監視の目が薄いとして、王族がここに来るには近衛騎士達の同行が必要となる。 とは言っても、スラム街などがあるわけではなく、普段は平和そのものである。 子供が水遊びしていたりするくらいだ。だが、それでも念のため護衛を多くしなければいけないのは、王族の大変なところだ。 本日同行する近衛騎士は第二隊の者達なので、私はほとんど面識がない。 第一隊は私と国王が国中を巡って集めた国王直属の集団なのだが、一方で第二隊は主に先王が国王だった時代に直属だった者達と、その子息によって構成されている。 第一隊より第二隊の方が規模は大きく、そして第二隊は国王夫妻以外の王族全員を担当している。 平民出身が多い第一隊と違い、第二隊は貴族出身が多く、厳格な風紀で律されているらしい。 そんな近衛騎士が大勢、市民のための川にやってきたというのだから、川にいた人々は驚きだ。「ふーむ、これは少しばかり気が引けるな」 こちらから距離を取る市民を見て、先王がそんなことを言う。王族なんだから、もっとどっしり構えていればいいのにな。「それじゃあ、王都の外まで行く?」 そうパレスナ王妃が聞くが、先王は首を振って否定した。「さすがに、そこまで近衛騎士に負担はかけられんよ。民の皆には申し訳ないが、ここでやらせてもらおう」 一応、王都の外にも綿が取れる植物の畑が広がっていて、その畑の範囲には魔物が発生しないよう魔法結界が張られている。だから、ある程度までは近衛騎士も警戒せずに済むのだけれどな。それでも、王都を出るとなると色々面倒臭いのだろう。 ここで釣りをするということで、馬車に積み込んできた釣り道具を近衛騎士達に下ろさせる。 王城の下男は連れてきていないので、力仕事は騎士の役目だ。騎士にこんな仕事をさせてすまないが、王族のためと思って我慢していただきたい。「キリン、道具ちゃんと揃えてくれたみたいね。ありがとう」 と、パレスナ王妃に言われたので、私は素直に「どういたしまして」と答えておく。 そう、今回は、私が道具を用意したのだ。 釣りをしよう。道具を一式用意せねば。しかし、釣り好きの国王は忙しく頼れないのでどうしようか。という話になった。そこで、釣りに一番詳しいのは誰だという話になり、私に役目が回ってきた。 前世では釣りは結構好きでやっていたのだが、この世界に生まれてからはあまりやっていない。だから、詳しくはない。 仕方ないので馴染みの商人のゼリンを頼り、一式揃えてもらった。「釣りを実際にやるのは先王陛下だけと聞きましたが、川の近くに寄るので、みなさんこの水に浮くジャケットを着てください」 と、私はゼリンから、絶対にこれは着せろと言われたライフジャケットを皆に配る。「ちょっとダサいわねー」 そうパレスナ王妃が率直な感想を述べるが、私はそれを諭すように言う。「まあ、そこは我慢してください。水に落ちたとき、それが命を繋ぎますので」「子供も入っているような川なのに?」「自分で入るのと、落ちるのとではまた違いますしね」 水を甘く見てはいけない。私が魔法で救命はいくらでもできるが、万が一ということがある。それに、私がいないときにまた先王が釣りで川に寄るかもしれないので、着用は徹底しておくことにしよう。「先王陛下は水に踏み入るかもしれませんので、靴をこちらのブーツに替えてください」 ゴム長靴的な、水を弾く素材でできたブーツだ。 巨大な蛙の皮を使ったブーツだったかな? この世界にいる野生の動物は、いちいちでかいんだよな。「ふむ、ピッタリだな」 靴を履き替え、その場で足踏みして感触を確かめる先王。 靴のサイズは先王の侍女を通じて針子室で教えてもらって確かめたので、間違いはないだろう。「次に釣り道具。まずはこれ、釣り竿ですね」 この釣り竿、前世で見られたような立体的なリールがついている。道具協会は遊び道具には審査が甘いため、高度な技術が使用されていても不思議ではないのだが……まあ、ゼリンの用意した道具だしな。「このリールという部分を回すと、糸が巻き上げられ釣り針が引き寄せられます。魚が釣れたときに便利ですね」「ほほう。ふむ、この糸は何でできているのだ?」 私から釣り竿を受け取った先王が、それを興味深そうに観察しながら、そんなことを聞いてきた。「スパイダーシルク製の糸だそうですよ。ご存じの通り、非常に頑丈な糸ですからね」「それはまた、高くつくのではないか?」「スパイダーシルクと言ってもピンキリですね。王族の衣装に使われているような最高級品は非常に高価ですが、低価格の物は王城侍女に支給される大量生産の服に使われるくらいには安いですよ」 さすがに綿や獣毛ほどは安くないけれど。でも、服としての丈夫さは、スパイダーシルクはピカイチなのだ。だから、釣り糸にも向いているわけだ。「糸の先についているのは魚を引っかける釣り針、そしてその近くにある物がウキという水に浮く部位です」「ウキか。初めて聞くな」 ウキを手で触りながら、先王が言う。「ウキによって針が深く沈まないようになります。それと、魚が針にかかったときにウキが沈んで目印になります。他にも、針を水に投げ入れるときの重りにもなりますね」「ふむ、重要な役割なのだな」 その後も、私は釣り上げた魚をすくいあげるタモ網や、釣った魚を入れるためのバケツ、魚を保冷して城まで運ぶための魔法の収納ボックスなどを紹介していった。 そして、いよいよ釣りを始めることとなった。「まずはどこで釣るかです。釣れそうなポイントから探りましょう」 そう私は先王に言う。「ふむ。水面でも覗くのか?」「いくら川の水が綺麗だからといって、魚影を遠目で確認できるほどではないですね」 私なら、魔人としての超感覚で、水の中にいる魚の位置が察知できたりしてしまうのだが。 だが、それは常人である先王には無理であろう。私は言葉を続ける。「ところで、釣りは半日待ち続けても一匹もかからないということもざらです。それもまた面白いのですが……初心者にはその領域を楽しむのは厳しいでしょうね」「うむ、そうだな。どうせなら、今夜の夕食を獲って帰りたいものだ」「ですので、私の魔法で魚がどこにいるかを探ります。そこに仕掛けを投げ入れれば、少なくとも何もいない場所に針を垂らして意味のない時間を過ごすことを無くすことができます」 そう言って、私は先王に魔法をかけた。それは、音魔法。ソナーを発して、何がどこにいるのかレーダーのように理解できるようになる魔法だ。 そのソナーの発する方向を水の中に限定している。今、先王は水の中に何がいるかを正確に把握できている。「むっ、むむ! これはすごいな!」「では、釣り糸に餌をつけて、そのポイントに仕掛けを投げ入れてみましょう。先王陛下は、土虫を触っても平気ですか?」 私は、餌の入った箱を開けて、中から土虫と呼ばれるミミズのような生き物を取り出した。 今まで私達の横で話を興味深そうに聞いていたメイヤが、「ひっ」と悲鳴を上げて離れた。「がはは! 土虫は農業の味方! それが苦手な王族はおらん!」「私も領地の視察で農業体験とかいっぱいしたから、土虫は平気ねー」 先王が笑って私から土虫を受け取り、パレスナ王妃もそれを眺めている。 メイヤはまあ、領地を持たない魔法使いの貴族の家出身だからな。土の中に住む益虫である土虫に馴染みはないだろうな。「それを針の先に刺して、くくりつけてください。はい、できましたね。あとは竿をこう振るって、水面に仕掛けを投げ入れましょう」「こうだな? ふんっ!」 仕掛けは一発で水面に着水した。「おお、お見事です。結構、筋がいいのでは?」 私は素直にそう称賛した。「うむ。だが、魚のいるところには届いておらんな」「そこは、練習あるのみです。リールを巻いて仕掛けを戻して、何度か投げる練習をしてみましょうか」 そうして試すこと数回。魚の反応があるところの近くに仕掛けは落ちた。川辺に人が多いので魚の数はまばらだが、魔法があれば位置の探知は簡単だ。「いいですね。あとは、待ちましょうか」「待ちか。余暇を潰す趣味で、待つだけとは歯がゆいのう」「釣りの大半の時間は待ちですからね。それを楽しめるか否かで向いているかどうかが決まるといっても、過言ではないでしょう」「ふーむ」 私は用意させていた折りたたみ椅子に、先王を座らせる。 パレスナ王妃はすでに座ってスケッチを開始しており、侍女達は持ち込んだ水筒で茶を淹れて、日傘を差しつつ優雅な川辺のお茶会を楽しんでいる。 そうして待つことしばし。 何度か仕掛けを投げ入れ直して、魚影の近くに餌を誘導していると、不意にウキが沈んだ。「!? キリン殿!」「ええ、かかりましたね。リールを回して糸を巻きましょう。勢いよく巻きすぎると、糸が切れてしまいますので気を付けて。魚が疲れるのを待つ感じで」「うぬぬ、感じる、感じるぞ。竿の先から生命の躍動を!」 先王と魚との戦いが続き、やがて川岸に魚の頭が露出した。私は、それをタモ網ですくい上げた。「おっ、なかなかのミスートですよ」「ミスートか! 夕食に彩りがでるわい!」 ミスートは、七色に光る鱗を持つ食用の魚である。この春の季節に多く姿を見せる、旬の魚と言えた。「では、口から針を外して、バケツに魚を入れてください」「むっ、むむ! おお、取れた。うむ、美味そうだな」 一発で外れたか。針外しもゼリンは用意してくれていたみたいだが、今回は不要だったようだ。「すげー! 魚釣ってる!」 そう言って、川で遊んでいた子供達が集まってくる。 近衛騎士達がそれを散らそうとするが、先王はよいよいと言って、子供達に釣った魚を見せつけた。 やはり、王都の市民の間では釣りは珍しい趣味のようだ。ゼリンの奴、そんな中でよくすんなり釣り道具を用意できたものだな。「がっはっは! これは楽しいのう! どれ、ユーナの分も釣っていってやらんとな!」 王太后であるユーナ殿下は、今回の釣りについてきていない。興味のない人を連れてくるほど先王は無茶を言う人じゃないってことだな。 パレスナ王妃が今回ここにいるのは、釣りの様子をスケッチしたがったからだ。単に、城の外に出たかったということもあるかもしれない。 侍女達がいるのは……王妃の近くにいるのが仕事だから仕方ないな。 そして、侍女と近衛騎士達以外でも、もう一人同行者がいた。「魚か。久しく食べてないなー」 一人というか、一匹というか。キリンゼラーの使い魔だ。「この間、夕食で出たのを食べさせただろう」「生の魚だよ。生きたまま食べるのが美味しいんだぁ」 こいつ、最近文明的に見えていたが、そういえば混沌の獣をそのままかじりついて食べていた野生のドラゴンだった。今は、遠い惑星フィーナから使い魔を操り、毛に包まれたアンゴラウサギに似た獣の姿で私の側にいるから、すっかり頭から抜け落ちていた。「ははは、では、俺と妻の夕食の分以上に釣れれば、キリンゼラー殿にも一匹差し上げますかな」 そんなことを先王が新たに仕掛けを川に投げ入れながら言った。「本当? やったね!」 そうして、私達はその後も川岸での昼食を取りつつ釣りを続け、日が沈む前に王城へと帰った。 釣果は六匹。うち一匹はキリンゼラーの体内に消え、残り五匹は一匹ずつ王族の夕食になったらしい。まさしく大漁と言えるだろう。 そして翌日、お茶休憩の場に姿を現した国王が、ふとこんなことを言った。「父上が急に釣り堀に賛成しだしたどころか、自分がやるとか言いだしたんだけど……」「あら、ナギーお父さん、一発で釣りにはまったみたいねー」 面白おかしそうに、パレスナ王妃が笑う。「川釣りに行ったんだろ? うらやましいなぁ。しかも初めてで六匹も釣るとか! 父上が行ったなら、俺っちも近衛騎士を動員して川に……」「国王陛下が行くとなると大事になりますから、やめてください」 後ろに待機していた秘書官にそう止められて、国王はしょんぼりとした顔になった。 しかし、親子揃って釣りにはまったか。 これは、釣り堀事業、思ったよりも大事になるかもしれないな。流石に国を傾けるまで暴走する人達ではないが、趣味で許される範囲までならとことんやりそうだな。 趣味に生きる王族という存在を私はちょっと呆れた目で見てしまうのだった。