「旅行、私も行きたかった」 旅行の準備で慌ただしい王妃の私室に、うらめしい声が響く。 声の主は、急に部屋に訪ねてきた王妹ナシーだ。 旅行の出発日まであと一日。持ち出すドレスの選定も終わり、箱の中にドレスを詰める荷造りをしている最中の訪問だった。「父上と母上と兄上が一緒に行って、私だけ除け者だなんて……酷いではないか」「私に言われてもねえ……。私、行き先すら知らないわよ?」 ナシーの愚痴の言葉に、荷造りの様子を一人眺めていたパレスナ王妃がそう答える。 そう、未だに行き先は不明。 だからか、持っていくべき荷物は何が相応しいかも分からず、今日まで選定に難航していたのだ。「それでも、出かけられるのはうらやましいな。直系の王族を誰か残しておく必要があるというのは、そりゃあ分からないでもないが……」 この国の王族は、国土を調整できる特権を持っている。その王族がまとめて旅行で出かけてしまった場合、災害時に国土をいじって対応する人員がいなくなってしまうため、王族は必ず一人、王城に残るべきであるらしい。 まあ、災害ってなんだって話だが。地震も嵐も起きない世界だし、精々が山の崩落程度だろうか。後は、突発的な害獣の発生だ。害獣処理は王族の国土調整に関係がないが。 もしかしたら私の知らないところで自然災害が頻出していて、王族がそれに対処して回っているのかもしれない。「残らなければならない理由は分かるが、それでもうらやましいものはうらやましいな」 まあ、要するにナシーは愚痴を聞いてもらいたいのだろう。わがままを言って連れていってもらおうなどとは考えてはいないようだ。 そんなナシーに、梱包が一段落した侍女のビアンカが会話に乗った。「私も旅行行きたかったですー」「おや、君も除け者かい? 侍女全員がついていくわけではないのだね」「連れていくのは二人だけよ」 ナシーの言葉に、パレスナ王妃がそう答えた。そう、今回の旅行はできるだけ人員を抑えるよう、国王に通達を受けている。なので、王妃が連れていける侍女は二人だけだ。「へえ、誰を連れていくんだい?」 そうナシーが疑問を投げかけると、パレスナ王妃がこちらを向いて言った。「キリンとメイヤね」「あちゃー、キリンも行くのか。休みになるならと、せっかく手合わせをお願いしようと思ったのに」 ナシーが残念そうに言う。 そう、今回の旅行についていくのは私だ。王妃付きの侍女の中で一番の年長者かつ熟練者はフランカさんだが、一番の年少者はその娘のビアンカ。ビアンカはついてこられないので、保護者としてフランカさんが残ることになった。 そして次に年長である私が選出され、残りの侍女達の中でリーダー的存在となっているメイヤも来ることになった。 ただ、本当にどこに行くのか不明だから心配なんだよな、今回の旅行。 国王から、直々に空間収納魔法に武装を入れておくようにと、指示を受けたりした。なので、斧と鎧を用意しておいたが、この武装が必要な旅行先っていったいどこになるのだろうか。 情勢不安定な元鋼鉄の国にでも行くのか? でも、塩の国との併合はまだ先だと言うしなぁ。「ハンナシッタ殿下は、旅行の行き先をご存じですか?」 周囲の手前、敬語でナシーに私はそう問いかけた。 すると、ナシーは「ああ」と頷き、言葉を続ける。「父上から聞いたが……私からは教えられないな」「旅行に行く当人にすら秘密の旅行先って、いったいなんなのでしょうね……」「まあ、楽しい旅行になるとは思う。私が行きたいくらいにはね」 そんな会話をナシーと交わし、私は荷造りに戻る。 パレスナ王妃のドレスは、多くが公爵家から持ち込んだ品だ。何せ、結婚式が終わってからまだそう日が経っていない。城下の針子工房に何着もドレスを作らせているが、まだ完成したものは少ないのだ。 二週間の旅行日程で毎日違うドレスを着るというわけでもないが、持ち出すドレスは多い。それを一着ずつシワにならないよう、衣装箱に詰めていく。化粧品や日用品も専用のものを揃えて、梱包していく。結構な量の荷物になっている。 行き先で夜会の類はないとのことなので、宝石や宝飾品の類は全て私室に備え付けの金庫に収めた。しばらくこの部屋は主不在になり、侍女も出入りしなくなるためだ。 ちなみに私自身の荷造りは、侍女宿舎の方ですでに終わっている。 今回の旅行は侍女として同行するため、日中の服は全て侍女の制服だ。替えの制服を何着か箱に詰め、それに二着だけ私服を足して、さらに寝間着と下着、肌着を足して服は終わりだ。メイヤも、問題なく準備が終わっていると言っていた。「このドレスはまだ試着しかしていませんから、初めて使用する様子を見られないのは残念ですわね」 侍女のサトトコが、真新しいドレスを広げながらそんなことを言った。 これは、最近針子工房から届いた普段着用のドレスだ。国王からは、旅行先で式典の類はないので、礼装の類は持っていかなくていいと言われている。これは礼装ではないが、王妃のためのドレスとあってそれなりに豪勢だ。 そんなドレスを丁寧にたたみ、箱へと詰める。本当は移動式のクローゼットなどがあればいいのだろうが……そんなことしたらスペースがどれだけあっても足りないな。「新作のドレスですか……ちゃんとお着せできるかしら」 箱にしまわれたドレスを見ながら、旅行の同行者であるメイヤが心配そうに言う。侍女の仕事の一つに、主の衣服の世話がある。一人で着るのが難しいドレスも、侍女の手を借りることで着こなせるようになるのだ。……侍女がそのドレスの着せ方を分かっていればだが。 そして、今箱にしまったのは、一度試着しただけの新作ドレス。それをたった二人の侍女で担当することに、不安を覚えたのだろう。 私はそんな不安にかられるメイヤの肩を叩いて、言った。「大丈夫ですよ。……ドレスはいっぱいあるので、これが駄目でも他の物を着ていただければ」「ちょっとキリンー。頼むわよ、私の侍女なんだから」 おっと、主からの苦言が届きそうだ。でも、残念ながら私は頼りにならないぞ、メイヤ。 なにせ、生まれてこの方、こういった立派なドレスは侍女の制服のドレス以外、数える程度しか着たことがないからな!◆◇◆◇◆ 王宮前に駐まった大きな馬車に、荷物が積まれていく。 いよいよ旅行当日。朝から下女達が数人がかりで王妃の私室から昨日詰めた箱を持ちだし、馬車へと運んでいる。 持ち出される荷物は王妃の物だけでなく、先王夫妻と国王の物もある。なので、動員される下女や下男の数は結構なものだ。その下女達を監督する侍女の姿もちらほらと見える。 王妃の部屋に来た下女達も、私達王妃付き侍女がその仕事ぶりを監督というか、監視している。運ぶ荷物は王族のものだけあって、高級品だからな。さすがに持ち逃げすることはないだろうが、形式として一応監視する必要はある。「いやあ、旅行とはうらやましいですね」 馬車に荷物を積み込み終わった下女の一人が、私に話しかけてくる。顔なじみの下女カーリンだ。「新しい風習の新婚旅行ってやつだ。私も担当侍女としてついていくよ」「いいですねー。行き先はどこでしょうか」「知らない。機密だって」「ええっ、なんですかそれ怪しい。大丈夫なんですか、王族をそんなものに連れていって」「その王族しか行き先を知らないんだよ……いったいどこに連行されるのか」 秘密の場所といえば『幹』だが、あそこはただの侍女を随伴としてつれていけるような区画ではないしなぁ。私も世界をいろいろと巡ったから、私の知らない場所に行くとは思えないが。「あははー。楽しんできてくださいね」「仕事でいくのだが……まあ、ほどほどに楽しんでくるよ」 そんな会話をカーリンと交わすうちに積み込みは終わり、私はカーリンと別れ王族用の馬車へと向かう。 国王と王妃の乗る馬車に、私は話し相手として呼ばれているのだ。ちなみにメイヤは別で、侍女専用の馬車に他の侍女と一緒に詰め込まれるらしい。 私が乗るのは王族専用馬車。馬車というか、魔法動力で動く自動車である。オーバーテクノロジー極まりないが、王族専用ということで道具協会に許されている一品だ。 馬のような生物であるメッポーや、地上を走る巨大な鳥である陸鳥よりも速度を出せる。まあ、今回は他の馬車と足並みを揃える必要があるので、その性能を発揮することはないだろうが。 王族専用馬車に乗ると、中には近衛騎士のオルトがすでに乗り込んでいた。真っ先に馬車内の安全を確認したのだろう。王城内だというのに、真面目なことだ。「姫か。二週間よろしく頼む」「ああ。どこに行くか知らないが、国王夫妻の安全確保は任せたぞ」「なんだ? 姫も行き先を知らないのか」「私の主の王妃様すら、行き先知らないからな……国王に吐かせるしかない」「我が主に何をするかと言いたいところだが、姫との仲だからな……」「いやあ、今回の私は国王の親友としてではなく、王妃の侍女として付いてきているからな。基本は控えるぞ」 と、オルトと会話するうちに、国王にエスコートされてパレスナ王妃が馬車へと乗り込み、国王も遅れて馬車の中に入ってくる。 そして、運転席である御者席に、国王の秘書官が乗り込んだ。「あなたが運転するのですか……」 私が感心してそう言うと、秘書官はこちらに振り向いて微笑んで言った。「ええ、お手の物ですよ」「それは頼もしいですね」「はいっ、はいっ、キリリーン」 秘書官との話の最中、突如国王が手を叩いて私の注目を集めようと声を上げた。 なんだろうか、急に。「キリリンは、旅行の間、敬語禁止ねー」「ええっ……。一応、侍女の仕事で来ているんだが」「今回は俺っちの個人的な旅行だから、俺の事情優先でーす。キリリンは一番偉い俺の親友だから敬語禁止!」「また無茶言うな……」「ふふっ、仲いいわねー、貴方達」 パレスナ王妃が私と国王のやりとりに笑って言った。「おう、マブダチだからねー」「でも、同行者がいるだろう。先王夫妻とか」「その先王と対等に話す権利をキリリンは持っているから、問題ないね!」「まあそりゃあ……」 以前、竜退治をしたときに得た権利だ。国王と対等に話す権利。それは、国王より下の位の貴族にも、へりくだって話す必要がないという権利でもあった。 なので、私は庭師時代の最後の方では、この国でほとんど敬語を使っていなかった。おかげで、侍女になったばかりのときは、敬語を使うのに苦労したものだ。「でも、旅行先で敬語使わないってことは、行き先は国内なのか?」「行き先はすぐに分かるよー。まあ、キリリンが敬語使う必要ないのは保証するよ」 人の居ない無人島とかだったりして。いやまあ、この世界に小島の類はないのだが。 そんな会話をしている間に、馬車が進み始めた。王宮前から入り組んだ王城を進み、正門から王城を出る。 城下町をゆっくりと進み、西へ。軍の演習場として使われている、郊外の大広場の方角へ進んでいく。 ゆったりとした旅路の始まり。私は早速、パレスナ王妃の話し役として会話を交わして暇を潰そうとするのだが、その時間はすぐに終了することとなった。「お、見えてきたよー」「ん?」 国王の言葉に、私は御者席の外を見つめる。 すると、郊外の大広場に、巨大な何かが鎮座しているのが見えた。あれは……なんだ? たとえるなら、そう……アダムスキー型のUFOのような……。「……ああ、もしかして『幹』の乗り物か!」「そうだよー」 私の思いつきの言葉に、国王が楽しそうに答える。 そういえば、以前王城に乗り付けてきた『幹』の飛空船もこのような、けったいな形をしていた。そのときの飛空船の大きさはこれよりも小さかったが、デザインの傾向は似ている。 しかし、何故『幹』の飛空船がこんなところに。もしや、旅行の足として飛空船を使うのか。よく『幹』にそんな要望が通ったな。よっぽどの遠くの国に向かうというのだろうか。 そんなことを考えているうちに、馬車は止まる。「挨拶するから、ちょっと一回降りるよー」 国王がそう言い、オルトが真っ先に下車する。私もそれに続き、そして国王、パレスナ王妃と順に降りていった。 改めて飛空船を眺める。でかい。そしてデザインが明らかにUFOっぽい。『幹』って前世で想像されていたレトロフューチャーにすごく似ているから、全体的なデザインがダサいんだよなぁ。「お、いたいたー。女帝陛下、今回は誘ってくれてありがとう!」 と、国王がそんなことを言った。私は国王の視線の先を追う。すると、そこには黒髪の少女が居た。 女帝陛下。世界の中枢『幹』を支配する女帝蟻だ。世界の重鎮が、何故ここに? そんな疑問を浮かべている間にも、女帝と国王の会話が進む。「うむうむ、健在のようじゃな」「おかげさまで戦争も回避されたしねー」「うむ。そしてバレン家のナギーよ。なんともみすぼらしい姿になったものじゃ」 女帝の会話の矛先が、別の馬車から降りていた先王の方へと向かう。「みすぼらしいとは手厳しいな。世界樹に近づいた、素晴らしい名誉ある姿なのだが」「植物人類種でもないのに体から葉を生やして、明らかに異常じゃ。でも安心せい。今回は、それを治しにいくのじゃからな」「俺は乗り気ではないのだがなぁ」 女帝の言葉に、頭を掻く先王。治しにいくのか。樹人化症とは不治の病ではなかったか。「まあ、よい。で、バレン家以外の皆には、サプライズとして行き先を教えていなかったのであったな」 女帝の視線が、こちらへと向く。私を見つけたのか女帝が、にかっと笑い、そして高らかに告げた。「今回の旅行は我も同行する。あそこにあるのは大型の宇宙船よ! これから向かうのは、世界樹のはるか向こうにある、懐かしき大地! 名付けて、女帝ちゃんと行く惑星フィーナへの旅なのじゃ!」 新婚旅行は、どうやら宇宙旅行らしかった。