朝の時間、王妃の私室。本日のドレスに身を包んだパレスナ王妃が、なにやら書状を眺めていた。 剣と魔法の中世ファンタジー世界っぽく、書状に羊皮紙などが使われていたりはしない。普通に紙の書状だ。 そんな書状を難しい顔をして読んでいたパレスナ王妃が、書状に目を向けたまま口を開いた。「キリン、出向ね」「はい? 私ですか?」 唐突に名前を呼ばれて、私は一歩前へ出た。 その私に向けて、パレスナ王妃が言葉を続ける。「ビビって居たでしょう?」「ええ、公爵家の護衛で、近衛騎士になった方ですよね」「そのビビが発端になっているのだけど……」 パレスナ王妃が語るところによると、こうだ。 後宮にてビビは私と気功術や剣技の特訓を行い、その成果もあってか彼女は近衛騎士団第三隊入り、すなわち女性近衛騎士となった。 そのビビの入団後の様子だが、どうやら気功術の力量向上が著しいようだ。よって、彼女への指導を行なった侍女、キリン・セト・ウィーワチッタに第三隊の気功術指導を行ってもらいたい、と近衛騎士達が嘆願をあげたらしい。 嘆願は国王に正式に認可され、戦闘侍女の正式な出向となった、とのこと。 って、戦闘侍女とかいうの、まだ設定生きていたのか。魔王討伐戦のときのジョークじゃなかったのか。「というわけでキリン、行ってきて」「いつですか」「今日、これから」「急ですね!?」「王城の練兵場を押さえているらしいわ。まあ、王妃の私としては近衛の第三隊は今後お世話になることが多いし、伝手を作っておきたいところなの。お願い、行ってきて」「はあ、構いませんけれどね……」 なんか侍女になったばかりのことを思い出すな。 急に青の騎士団の騎士団長セーリンに連れていかれ、青と緑の騎士団の合同訓練の相手をさせられたのだった。 あのときはやる気があまりなかったが、今回は国王に認可された教導役とのことでそうはいかないか。「ところで出向って何日間ですか?」 私は気になったので、そうパレスナ王妃に尋ねてみる。「とりあえず今日一日。その結果いかんによっては継続的な教導も検討するとあるわ」「たった一日で目に見える成果なんて、出るわけがないのですけれど……」「あら、緑の騎士団歩兵剣総長を一日の指導で、気功術の上級者に仕立て上げた手腕を見込んでとか書いてあるわよ、これ」「ああー……」 そんなこともあったなあ。ロリコンという病に冒されていた緑の騎士ヴォヴォの性根を叩きつぶすため、魔法薬を併用して徹底的にしごきあげたのだったな。 過去の私の行いが、今こうして変な形になって私のもとへと返ってきたのか。 まあ、正式な仕事として発令してくれたのなら従うけれどね。セーリンのやつみたいに仕事中に強引に連れ去っていくとかしなければ、私も否やはないさ。 侍女の仕事を辞めて近衛専属の教導官になれとか言われたら拒否するけれどな。「では、早速頼むわね」「かしこまりました」 さて、急な仕事変更になったが、今日も一日頑張ろう。◆◇◆◇◆ 王城内にある小さな練兵場。そこに、統一された鎧姿の女性騎士が、ずらりと並んでいた。「多くないか?」「これでも人数を絞ったのですが……」 私のこぼした言葉に、騎士を代表して前に出ていたビビが困った顔で答えた。 騎士の姿は二十人ほど。女性騎士のみが集まる第三隊はそれほど規模の大きな集団ではなかったはずなので、所属騎士の大半が参加しているのではないだろうか。 まあ、いい。これでもやりようはある。「皆様はじめまして。教導役をうけたまわりました、キリン・セト・ウィーワチッタです。この国の出身ではないため、キリンが名前となります。本日はよろしくお願いします」 私はそう言って、侍女の礼を取った。いや、今は侍女のドレスではなく動きやすい服装に着替えているのだけれどな。 すると、騎士が一名、前に出てきて言った。「名高き竜殺しの姫にお目にかかれて、光栄です!」 その言葉とともに、騎士達が一斉に騎士の礼を取った。 なんだ、この整然とした集団は……。田舎者の集まりな第一隊のやつらとは大違いだな! 第一隊は王太子時代の国王と私が国中を巡ってスカウトで集めた集団で、他の第二隊や第三隊とは成り立ちが根本的に異なる。第三隊には、田舎の村出身の者などいないのだろう。きっと貴族の子女だけを集めて作られた騎士団だ。 礼を持って接してくれるなら、こちらも礼を失しないよう受け答えしようか。「それでは、早速始めたいと思います。まずは皆様の気功術の腕前を知りたいので、『練気』を行なってください。これです」 私はその場でぐっと気合いを入れ、身体から闘気を吹き出させた。闘気を発し、身体に留まらせず放出し続ける。気功術の基礎である、『練気』と呼ばれる型だ。 ふーむ、私の『練気』はやはり一流の気功術使いと比べたら一歩劣るな。魂がこの世界産でないせいだろうか。まあ、私には魔法があるから劣っていても気にしないが。「こ、これはなんとすさまじい……」 私の『練気』を見て、近衛騎士達がひるむ。うーん、この程度で「すさまじい」か。「この程度、皆様にもできるようになっていただきます」「ほ、本気か!」 もちろん本気だ。「気功術の熟練者の『練気』は、この比ではありませんよ。国王陛下ならば、私の十倍の『練気』をこなしてみせるでしょう」「おお……」 私の言葉に、騎士達からどよめきが起こる。国王は国内最強の魔法戦士だ。憧れがあるのだろう。 だが、彼女達は近衛騎士。そんな国王を守るための存在だ。この程度の『練気』に驚いていては、とても務まらない。「では、皆様『練気』を」「はっ!」 そうして近衛騎士達の『練気』が始まった。 うむ、どうやら気功術を使えない者はいないようだ。だが……そうだな。正直に言って、発せられる闘気の量が、とても少ない。 一番闘気が多いのが、先月闘気に目覚めたばかりのビビだというのだから、なんとも言えない。 ふーむ、なるほどなるほど。気功術の達人、騎士レイが失われた影響はここにも出ているわけだな。 そんなことを考えていること数分。「あ、あの……キリン殿」「はい、なんでしょう」「『練気』はいつまで行えば……」「力尽きるまでですが?」「は?」「持久力を鍛える鍛錬と同じです。力尽きるまで走るのと同じように、限界まで気を練り続けていただきます」 闘気を使った模擬戦で限界まで使わせるには、ちょっと手狭だしな。「なるほど……すでに鍛錬は始まっているのですね!」「そういうことです」 そうしているうちに、一人、二人と力尽き、滝のような汗を流して脱落していく。うむ、闘気は肉体と魂両方から絞り出す力だからな。限界まで使うと、このように体力も消耗することになる。 やがて、ビビも含めた騎士全員が力尽き、その場にへたり込むことになった。 ふむ、第一段階は終了といったところか。「お届けものでーす」 と、ここで私が事前に言って、パレスナ王妃に用意してもらったものが届く。台車に載せられたタル。それに、木のコップだ。王城で働く下男達が持ってきてくれた。 それを見て、中身を察したのかビビが苦い顔をした。「はい、じゃあ一人ずつコップを手に取って、タルの中身を飲んでいってくださいね」「キリン殿、それはいったい……」「もちろん、野菜ジュースですよ?」「はあ、野菜ジュース」「端的に言うと、闘気は大地に実る食物から力を補給できます。なので、野菜ジュースで即席のエネルギー補給です」「な、なるほど……」「ちなみに、近衛騎士団第一隊は、闘気を高めるために、毎朝コボロッソの千切りを山盛り食べています」「それは知らなかった……」「闘気を高めたいなら皆様もサラダ淑女になりましょう」 そう言って、私は騎士達にコップを受け取らせていく。私もコップを受け取って、はい乾杯。「ううっ!」 新鮮な野菜汁の味に、近衛の皆様一同感激のようです。「はー、不味い。もう一杯!」 やっぱり気功術の特訓と言えば、青汁だな!「あの、キリン殿……毎度思うのですが……」 おずおずといった様子で、ビビが発言する。「はい、なんでしょう」「地に生る植物の摂取が必要なら、果実ジュースでは駄目なのでしょうか」「いいですよ?」「はい。えっ、いいのですか」「果実を混ぜるとお高くなるので、そこに留意しなければなりませんが、効果は変わりませんので、自主練などをするときはそちらをどうぞ。ただし、私との特訓のときは野菜百パーセントで」「……野菜百パーセントに何か意味が?」「青汁に慣れていれば、普段から野菜をもりもり食べることに、苦痛を感じることはないでしょう。そういうことです」 さて、みんな嫌な顔をしながら飲み干してくれたことだし、次のステップに移行しよう。「コップはあそこにまとめて置いてくださいね。……さて、気功術を高めるには、限界まで闘気を絞り出す他に、瞑想して世界に己を広げることが有効です。闘気とは己に宿る植物の力。世界樹の力。瞑想で世界に根を張って、自分の内部を眺める必要があります」 私の解説に、騎士達が耳を傾ける。「しかし、瞑想は消費する時間の割には、効果がとても薄いのです。ですので、魔法で強制的に世界樹と皆さんを繋げます。皆様、その場に座ってください」 私の指示に従い、女性騎士達はその場に鎧姿のまま座った。「魔法使いますよー。抵抗しないでくださいねー」 はいどーん。大規模魔法により、二十人を超える騎士達が一斉に意識を失った。騎士達の肉体と精神を世界樹に接続したのだ。後宮でのビビとの特訓でも使った手法だ。 うむうむ、このまま数分、皆には世界樹と一体化していただこう。 世界と接続していることを示す翡翠色の光が、辺り一面に舞い散っている。この人数でやると派手だな。「がーはっは! 俺、参上である!」 と、時間待ちをしていると、練兵場に侵入者が。「むむ、これはどういうことだ? 皆、座りこんでいかがしたか!」 なんと、先王である。彼の後ろから女官が慌ただしく追いかけてきている。「これは先王陛下。皆様には、気功術の特訓のため、魔法で世界樹に精神を接続してもらっています。瞑想の延長のようなものです」 先王に話しかける私。私は、先王と対等に話す権利をかつての竜退治の褒美としてもらっている。 王と対等に話せるということは、その下の貴族ともタメ口で話してもいいということだ。私が普段侍女宿舎で、貴族の子女である侍女達に敬語を使っていないのはそのためだ。だが、今は職務中のため敬語を使い続けている。「なに!? そのような素晴らしい魔法があるのか!」 私の言葉に、驚いたように先王が反応した。「はい。以前、ハンナシッタ殿下にも施したことがございます」「なにぃーッ! あやつ、そんなこと一度も話してくれたことがないぞ! うらやましい! 俺にも施してくれ!」「一応、危険のある魔法なのですが……」 外から接続を解除しないと、世界から精神が戻ってこられなくなる危険のある魔法だ。「かまわん! 近衛騎士団全員にかけられるくらいには、安全が確立されている魔法なのであろう!」「ええ、まあそうですが」 一定時間が経過すると、自動で接続を解除する術式くらいは当然組み込んである。「では頼むぞ。世界樹と繋がるとは、楽しみであるな! がはは!」「はい、では座って……はい、魔法に抵抗せずに……はい」 そうして先王も世界樹の精神の旅に向かった。 と、騎士団の皆はそろそろ戻すべき時間だな。接続解除、と。 ぱちりと一斉に騎士達の目が開いた。 そして、そのスピリチュアルな不思議な体験に、皆驚きを隠せなかったのかどよめきが起きる。「これが……世界樹……。そうか、宇宙とは……進化とは……!」 前に出ていた代表者の騎士が、そのような呟きを漏らす。 うむうむ、効果はあったようだな。「はっ、ま、待て! そこにいらっしゃるのはもしかして……!」「はい、先王陛下ですよ」「こ、これは! 皆、起立! 先王陛下の御前である!」 騎士達が、跳ね上がるようにして一斉に立ち上がった。うん、みんな王族警護の近衛騎士だから、王族の前ではこうなるよな。 ただ、その先王はいま世界の旅に出ているよ。 さて、彼もそろそろ接続解除だ。「むっ、終わりか……。なんとも、尊い時間であった……」 先王の意識が目覚める。その目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。 先王は樹人化症の疾患者だ。その病の原因は、国の土壌管理システムで世界樹と己を繋げすぎたことだ。それだけ世界樹に思い入れがあり、世界樹に繋がるということに人一倍尊さを感じているのかもしれない。 ちなみにこの精神と肉体を世界樹に繋げる魔法は、樹人化症を引き起こしたり症状を悪化させたりすることはない。『女帝ちゃんホットライン』で確認済みだ。「キリン殿、感謝する。このような機会を与えてくれてただ感謝しかない!」「いえ、お役に立てて光栄です。気功術の腕を上げるための魔法なのですがね」「おお、そうだった! 練兵場で気功術の特訓を行うと聞いて、冬眠で鈍った身体をほぐそうと、俺も参加しにきたのだ!」「左様ですか。では、一緒にやっていきましょう」 先王も気功術を使えるのか? 国王と王妹は武闘派だが……。「では、また限界まで『練気』を行いましょう。先ほどよりスムーズに気が練られるようになっているはずです。では、始め」 言葉とともに、私も『練気』だ。と、思ったとき、隣から、どばっと闘気が吹き出した。 先王だ。 なんだ、これ。国王ほどとは言わないが、それでも、とてつもない闘気の量だ。先王、気功術の達人であったか。「いつもよりたぎっておるわい! これが先ほどの魔法の効果か!」 先王の闘気ははるか地の底、世界樹から湧き出している。これは、気功術の達人にのみ許された奥義。世界樹から無限の闘気を引き出す秘術だ。「先王陛下、今回は肉体に宿る闘気の量を増やすのが目的ですので、世界樹からではなく己の肉体から闘気を練ってくださいませ」 無限の闘気を引き出す術では、闘気のスタミナ的な強化とはいかないため、そう言っておく。「おお、そうであったか。どれ、己の力のみで闘気を出すなどいつぶりか」 先王の清流のような綺麗な『練気』が、突如激流のようなものに変わる。ふむ、これが先王本来の闘気か。「これは私も負けてはいられませんね」 私も身体の奥の奥から闘気を練り、それを放出する。「がはは! キリン殿は魔法戦士と聞くが、闘気もなかなかのものだの!」 そうして二人で『練気』合戦している間に、近衛騎士達はまたもや闘気を出しきり、力尽きた。先王の前とあってか、座り込むものはいなかったが。「はい、陛下。ここまでとしておきましょう。では、エネルギー補給です」「ふむ、そのタルの中身を飲むのか? 中身はなんだ?」「野菜百パーセントジュースです」「それは理に適っておるな! 騎士レイ一派がいなくなってからというもの、騎士団の力量低下に悩んでおったが、おぬしが指導すれば気功術の復権も近い!」「私はあくまで侍女なのですが……」 そうして、また、皆で野菜ジュースを飲む。闘気を限界まで放出すると肉体疲労で汗を大量にかくから、水分補給にもなってちょうどいい。 はい乾杯。「うむ! やはり野菜は美味い! 俺の肉体はすでに植物だが、それでも野菜が美味くてかなわんわ!」 先王は身体が植物化する病気にかかっている。今のは、病人ジョークだろうか。反応に困るのでやめてほしい。 反応に困るので、先王の方は向かず訓練を進める。「では、次は皆様の身体強化の力量を見ていきましょうか――」 そうして、気功術の特訓は、午後の就業時間いっぱいまで使って終了した。 その翌日、出向が終わりパレスナ王妃の私室に行ったところ……。「目に見えて気功術の力量が上達したので、今度また指導をお願いしたいそうよ」 と、パレスナ王妃に告げられた。 うーん、なんだか本格的に、指導教官にでもさせられそうな勢いだな。私は今のところ、パレスナ王妃付きの侍女の仕事に不満はないので、こちらを続けたいのだが。「戦闘侍女だから問題ないって陛下が言っていたわ」 だからなんだよ、戦闘侍女って。