「新年おめでとうございます」 そんな言葉で今日の仕事は始まった。 そう、新年である。雨期の九月は終わり、初春の一月一日。 国民の祝日とされるそんな本日も、私は侍女として王宮の王族居住区でお仕事だ。 なにせ、私の主人は王妃という国の重要人物。のんべんだらりと、新年の初日をだらしなく過ごすというわけにはいかない。 今日は新年を祝う催し物が開催される。王妃は当然参加だ。私はその準備を侍女として行わなければならない。 そして、王城で行われる新年の宴には、王妃の付き人として私とフランカさんの二人が出席することになっている。後宮でのたった二ヶ月間だが、私は王妃付き侍女達の中でも古参の方にカウントされるので、出席メンバーに選出された。 そういうわけで現在、侍女の私達六名(一名はローテーションでお休み)は、王妃の私室にてパレスナ王妃に外行きのドレスを着せている真っ最中だ。 ちなみに、私よりも古参の侍女であるビアンカは、幼すぎるということで新年の宴への選出から漏れている。 私と見た目の年齢はほとんど変わらないのだけれど。 そんなビアンカは、先ほどから上機嫌だ。「ふふーん、ふふーん」「どうしました、ずいぶんご機嫌ですね」 ビアンカにそう尋ねてみる。 するとビアンカは、待ってましたと言わんばかりに答えた。「とうとう私も十歳ですよー。二桁です二桁」 ああ、なるほど。新年を迎えて一つ歳を取ったことが嬉しいようだ。 この国では、一月一日にみんなまとめて一つ歳を取る。それとは別に誕生日を祝う文化もあるが、あくまで歳を取るのは正月だ。 生まれたときはゼロ歳。正月を迎えて一歳になる。そして誕生日には一歳の誕生日を祝う。そして次の正月には二歳に。そういうちょっとややこしい文化だ。ゼロ歳スタートなので、日本の数え年ともまたちょっと違う。「キリンちゃんは今日で何歳ですかー?」「私はー、三十歳!」 ……ビアンカのノリに合わせて言ったけど、ちょっときついな。三十歳だぞ三十歳。前世でも届くことのなかった三十の大台。 ビアンカくらいの年齢の子からみたら、問答無用で――「キリンちゃんも、もうおばさんですねー」 そう、おばさんだよ! ビアンカもいい加減、私が見た目通りの年齢じゃないということは理解してくれているので、私の年齢を否定することはない。 だが、今度は年齢相応に辛辣な言葉を投げかけられることがある。 でも仕方がない。三十歳だもの。「ビアンカさん、私だから許されますが、三十歳の人におばさんって言ったらぶっ飛ばされますよ」 一応、ビアンカの今後のために釘を刺しておく。「あわわ、そうですか」「例えばフランカさん――いえ、なんでもないです」 途中まで言ったら、フランカさんがにこりと微笑んできたので言うのをやめる。 見た目若い王妃付きの侍女達の中で、三十歳を超えた侍女は私以外ではフランカさんだけだ。そんな最年長の上司的存在を前に、迂闊なことを言わないのが、円滑な人間関係を保つ秘訣だ。「皆さんはいくつになられましたか」 フランカさんの方を見ずに、私は新任侍女達へと話を振る。「十五歳になりましたわ」「十七ー」「十二歳です! お酒が飲める歳になりました!」 と、ばらばらな答えが返ってくる。共通しているのは皆、若いということだな。熟練の侍女というのはフランカさんしかいない。 私も三十歳だが、侍女一年目の新米侍女である。 フレッシュと言ったら聞こえはいいが、今後この若い面子だけで王妃の供回りをちゃんとやっていけるのかは不明だ。「私もようやく十七歳ね」 会話の最中、侍女達にドレスを着せられ化粧を施されていたパレスナ王妃が、そう話に乗ってきた。「陛下は二十八歳。歳の差は縮まらないものねー」「十年後にはほどよい年齢差になっていますよ」 パレスナ王妃の言葉に、私はそうコメントを投げかけた。 二十八と十七だったら歳の差婚って感じが強いけど、三十八と二十七だとそんなに歳の差って感じがしない気がする。「みんなどうなっているのかしらね、十年後」 そんなパレスナ王妃の言葉に、侍女達が反応する。「私は婚約者の方がいますので、結婚して王都の屋敷に住むことになるでしょうね」「メイヤはいいよねー。私も結婚したいー」「リーリさんはまだ婚約者いらっしゃらなかったのですね!」 結婚の話で盛り上がる新任侍女達。 そんな侍女達の様子を見て、パレスナ王妃が言う。「十年後も私の侍女を続けている子は少なそうね」「王妃様の侍女になれたのは、大変光栄ですがー。侍女の職は花嫁修業の場でしてー」 侍女の一人がそう答えた。素直なことだ。 まあ、仕方がないか。王城侍女とはそういう者達が集まるのだ。「お嬢様、私はずっとお嬢様に付き従いますよ」「私もです」 フランカさんとビアンカがパレスナ王妃にそう言った。「あら、ありがとう。でも、ビアンカはいい話があったら結婚を逃しちゃダメよ」「お母さんみたいに、結婚しても侍女を続けるんです!」 ビアンカ……健気なことを言うなあ。王宮で働き続けたいなら、結婚相手には王宮の官僚とかを捕まえないとな。「で、キリンはどうなの。どうせ結婚はしないでしょうけど」 パレスナ王妃が話を振ってくる。彼女は私が元男ということを知っている。 私はそれに素直に答えた。「おそらく、十年後も王城侍女を続けているでしょうけど……どの部署に在籍しているかは、陛下の人事しだいかと」「またそういうことを言って! 陛下にキリンは私のものだって、言い聞かせておかなきゃ!」 いやあ、もしかしたら、パレスナ王妃の子供の侍女になってるかもしれないぞ。◆◇◆◇◆ 新年最初の催し物として、城下町でパレードが繰り広げられた。 宮廷楽団が歩きながら楽器を演奏し、近衛騎士団に守られた国王夫妻が屋根なしの馬車に乗り、人々へ手を振るというものだ。 馬車は二人乗りで侍女は同乗しないので、私は王城でパレードが終わるのをひたすらに待った。 パレードは三時間は続いただろうか。帰ってきたパレスナ王妃の身支度を侍女総出で整え、今度は謁見の間にて開かれる新年の宴に向かう。 謁見の間には王城勤務の貴族達が並び、パレスナ王妃はその上座、王座のすぐ近くに立つ。侍女であるフランカさんと私は、そのパレスナ王妃の背後に控える。 私の今回の仕事は、ただひたすらにパレスナ王妃の後ろで、宴という名のお堅い式典が終わるまで待つことだ。 新年会とかそういうゆるい集まりではなく、新年を祝い、国王のお言葉をいただくという名目のお堅い式典なのだ。 貴族達が集まったところで、国王が謁見の間に入場する。私達はそれを最敬礼で迎えた。 国王はゆっくりと王座に向かって歩いていく。今日は布を幾重にも重ねた動きにくそうな服を着ているな。そして手には豊穣の杖を携えている。そんな厳格な衣装で王座に座る国王。それに合わせ、最敬礼を解く臣下達。 うーん、すごい国王っぽい。いや、実際に国王なんだが。でも、普段の下町不良貴族ファッションからは想像もできない姿だ。「これより、王国暦835年、新年の宴を行います」 国王の秘書官が、そう宣言する。「まずは、国王陛下よりお言葉を頂戴いたします」 すると、先ほど座ったばかりの国王が、杖を片手におもむろに立ち上がる。 そして、よく通る声で言葉を放った。「新年おめでとう。去年は……いっぱいあったねえ」 威厳もへったくれもないそんな台詞から国王の話は始まった。「鋼鉄の国との長い対立も、とうとう終わった。その代わり、隣国は大きな国になった。この国は、新しい体制を模索していかなければならない」 おお、すごい真面目な話をしているぞ。「まあそれはそれとして」 と思ったら違った。「俺っちもとうとう結婚したし、王宮にはいろいろ新しい風が吹き込むことになると思うよ。みんな心に留めておいてね」 ゆ、ゆるい。演説するべきところがすごいゆるい。「ちなみに、秋に眠りに入った親父が、先日起きました。また騒がしくなると思うけど、軽く流しておいて」 先王はこの場にはいない。他の王族もいない。この場にいる王族は、国王とパレスナ王妃のみだ。国王は王族の中でも貴族や国民への窓口となる立場である。堅苦しい式典は全部国王に投げているのだろうか。 そしてその後も国王は国の産業や軍事再編についていくつか方針を述べると、「今年も頑張ろう」と言葉を締めた。 国王が着席し、秘書官が式を進める。「それでは、今年の辞令を発表いたします。まずは、新当主の任命から」 と、どうやら貴族の家の代替わりも、この式典で行うようだ。 秘書官によって貴族の名前が読み上げられ、男が王座の前に歩み出てくる。まだ二十代中盤ほどの若い男だ。 男は国王の前で膝を突く。すると、国王は王座から再び立ち上がり、男に歩み寄る。 そして、国王は男の名をつぶやくと、豊穣の杖をひざまずく男の頭の上に載せた。すると、杖からまばゆい光がほとばしり、男の全身を包んだ。「頑張れよ」 国王がそう声をかけると、男は目に感激の涙を浮かべながら、「はげみます!」と宣言し、立ち上がり元の列に戻っていった。 秘書官はさらに貴族の名を読み上げ、国王の手によって豊穣の杖で祝福されていく。なんとも王権神授を信じそうになる幻想的な光景だ。 なにか御利益とかありそうな祝福の光だが、世界樹へのアクセス端末である豊穣の杖を使っているということはだ。これは宗教的なあれこれというわけではなく、国のデータベースに貴族の当主を登録しているとか、そんな裏がきっとあるのだろう。 そして当主の任命が一通り終わると、秘書官がさらに式を進める。「続いて、王城の任官を行います」 秘書官が名前と役職を読み上げる。 すると、呼ばれた官僚が皆の前に進み出てきて、国王に一礼、そして参列する皆に一礼して、元の場所へと戻る。 人事発令だな。新年はおおげさにやるのか。当主の就任ほどは時間をかけないようだ。「リゼン・トリール・ココッテール・ボ・インリント。王宮菓子職人、副職人長」 お、知り合いの名前が呼ばれた。トリール嬢。後宮で皆に菓子を振る舞っていたご令嬢だ。 菓子職人の仕事着に身を包んだ少女が皆の前に進み出ると、前の人と同じように礼をした。緊張しているのか、どこか動きが硬い。私は心の中で彼女にエールを送った。そして、これからも王妃用に美味しいお菓子お願いするぞ。 その後も、王宮図書館の司書長補佐としてファミー嬢の名が呼ばれたり、王妃の教育係としてミミヤ嬢の名が呼ばれたりして、馴染みの顔を確認することができた。というか教育係って、この場で呼ばれるような正式な官職だったんだな。 ちなみに、王妃付きの新任侍女である私は別に名を呼ばれたりはしない。 何十人も居る侍女の人事を一々宣言していたのでは、いつまで経っても式が終わらないし、謁見の間に人が入りきらないからな。 そして、式典はようやく宴の名に相応しいものへと変わる。 国王の手で、参加者一人一人に酒の注がれた杯を配るのだ。 国王付きの侍女達が杯を謁見の間に運び込み、国王の横へと並べる。 そして国王はパレスナ王妃を呼ぶ。杯に酒を注ぐのが、王妃の仕事なのだ。王妃のいない去年まではどうしていたのだろう。 国王と王妃が並ぶ。侍女が国王に杯を渡し、王妃がそこに酒を注ぐ。そして、参列した貴族が上座から順に国王の前に立ち、杯を受け取っていく。 その貴族に、国王は一言二言、声をかけていく。その言葉を聞くに、どうやら国王は一人一人の顔と役職と仕事内容を把握している様子。ううむ。ちゃんと立派な上司をやっているな。 貴族の皆に杯が行き渡り、最も下位となる侍女の私の番となった。 国王の前に立ち、パレスナ王妃が注いだ酒の杯を受け取る。 そして国王から一言。「『あけおめことよろー』」「……その言葉覚えているんですか」「もち」 十年も前に、国王から前世の言葉を教えてくれと言われて、ちょうど新年だったから気の迷いで伝えた言葉だった。 覚えたところで、なんの得もないというのにこいつは……。「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」 と、私はこの国の言葉でそう返し、元の場所へと戻った。 杯は歩いてもこぼしにくいよう、底が深い湯飲みのような形をしている。匂いは……穀物酒だな。「みんな、行き渡ったね?」 国王が周囲を見渡し、そう確認を取る。そして。「それじゃあ、今年もよろしく。乾杯!」「乾杯!」 国王の宣言と共に、皆が杯を掲げ、そして口へと杯を傾ける。 私も一口、二口と酒を飲み込む。度数の極めて少ない酒だ。まさに式典用の酒って感じだ。 これを飲み干すことで、新年の宴は終わりだ。後は、夜に王級魔法師団による魔法花火が空に打ち上げられるから、それまで待って一月一日の予定は終わりだな。 と、国王も無事に酒を飲み干したようだ。国王は満足そうな顔で杯をかかげ、口を開いた。「おかわりだー!」 ……なんですと?「待ってました!」「さあ、宴じゃ宴じゃ!」「酒だー!」 謁見の間がわっと盛り上がる。そして、侍女が複数名、酒瓶の載ったワゴンを押して謁見の間に入場してくる。 ワゴンを押した侍女が進むと、貴族達が手を伸ばし酒瓶を手に取る。そして、その場で瓶の栓を抜くと、空いた杯にどんどん酒を注いでいった。 そこから香るのは、強烈なアルコールの匂い。式典用の薄い酒ではない、ガチなやつだ! さらには下男達の手で酒樽が運び込まれる。樽に皆が群がり、酒を確保していく。 お堅い式典はどこにいったのやら、完全に酒宴に突入した。え、そういう流れなの? 厳格な式典というわけではなくて?「……フランカさん、これやるの知ってました?」 私は思わず、隣に立つフランカさんにそう聞いた。 しかし、フランカさんは首を横に振る。「いえ、新年の宴に参加できるのは、貴族の中でも一握りの人だけですから……」「式典になんで宴なんて名前が付いているのかと思ったら、本当に宴だったんですね」「ですねえ……」 そんな会話をしていると、酒瓶を持ったパレスナ王妃がこちらにやってくる。「なに二人で話し込んでるのよ。ほら、今日は飲むわよ!」「あの、パレスナ様は、新年の宴が酒宴だって知っていたのですか?」 私がそう尋ねてみると。「え? 知らないけど?」 な、馴染むの早えなこの人。「ほら、また私がついであげる」「あ、これはありがとうございます」 王妃の手によって杯に果実酒が注がれていく。うーん、さすが王城で出されるだけあって、香り高い酒だな。「ほら、フランカも」「あの、宴が終わった後にお嬢様のお世話があるので、私は……」「いいからいいから。新任の侍女達だっているんだから、一人酔っ払うくらいなんてことないわよ」 そうしてフランカさんの杯は満たされた。さらにパレスナ王妃の杯にも、私が酒を注いでやる。「それじゃあ乾杯ー!」 仕方ないなあ。飲むとなったら、私は飲むぞ。「乾杯!」「……乾杯!」 うーん、この果実酒美味いな。おつまみが欲しくなるところだが、さすがに謁見の間に料理を運び込むことはしないか。「お、なに三人で盛り上がってるのさー。俺っちも入れてよー」 赤ら顔の国王が、秘書官を引き連れてやってきた。先ほどまで酒樽の前にいたはずなのに、もう飲んだのか。「あら、陛下。とりあえず一杯」 パレスナ王妃が早速とばかりに酒を勧める。勢いよく杯に酒が注がれる。そして、国王はごくごくと水でも飲むかのようにそれを飲み干した。「うーん、美味い!」「あら、いけるわねー」 そうこうしているうちに、国王夫妻に挨拶しようという貴族が、酒瓶と杯を抱えて集まってきた。 そんな中には、新米の貴族当主の姿もあって……。「まま、新年の祝いに一杯どうぞ」「ささ、当主就任を祝ってどうぞどうぞ」「いやー、とうとう家督相続ですな。めでたいめでたい一杯どうぞどうぞどうぞ」 と、新米当主は酔いつぶされる勢いで酒を注がれていた。うーん、アルハラという概念のない厳しい貴族社会よ。 その後も酒宴は続き、とうとう夜の花火の時間に。「花火の時間だー! 行こうぜー!」 その国王の号令で、皆、ふらふらとしながら王宮の外に出て、空を見上げた。 夜空に光の花が咲く。火薬の花火と違って爆発音のしないそれは、代わりに様々な効果音付きで暗い夜空を彩っていた。 それを肴に、さらに酒を飲む貴族達。 このどうしようもない新年の宴は、数十分にも及ぶ花火が終わるまで続けられるのだった。 ちなみに、新年の祝日だというのに酒宴の最中も近衛騎士達は酒を飲まずに、ずっと貴族達の護衛を続けていたという。本当にご苦労様です。