8月も下旬に差しかかった頃、白詰草の宮の主であるファミー嬢が、パレスナ嬢の婚約を祝いに薔薇の宮へと訪れていた。 国王がパレスナ嬢に告白をしてから八日も経過している。祝うと言っても今更な感じがするが、ファミー嬢はどこかよれよれとした雰囲気を漂わせていたため、事情がいろいろ察せられた。きっと、書庫に籠もって読書を続けていたのであろう。 くたびれた感じのファミー嬢が、パレスナ嬢へ祝いの言葉を向ける。「このたびは、ご結婚おめでとうございます。ようやくですわね」「ありがとう! 本当にようやくだわ!」 笑顔で言葉を返すパレスナ嬢。 その様子に満足したように、ファミー嬢は儚い笑顔をパレスナ嬢に向けた。「お二人とも以前から仲睦まじくて、いつご結婚なさるのかと楽しみにしておりました」「恋愛小説のように、仲良くなったら即結婚とはいかないものねー。そうそう、最近はハナシーの恋愛小説を読んでいるの」「ハナシー先生の小説ですか! ……乙女心をくすぐる大胆な描写が素敵ですよね。それに、ヒーロー達の戦闘描写が綿密で、男性の方にも是非とも読んでいただきたいですね。もちろん、女性が楽しめないという意味ではないですけれど。ヒロインとヒーロー、男女両方の視点で互いの心が近づく様を描いているので、読む人を選ばない、いい意味での大衆小説だと思いますわ」 突然興奮するビブリオフィリア。これは重症だ。 パレスナ嬢は苦笑して、言葉を返す。「いろいろ読んだけど素敵だったわ。それでね、ハナシーの新作の挿絵を担当することになったの」「ハナシー先生の新作ですか!? す、すごいです。それはどのような……ああ、お待ちになって! 発売前の新作の内容を知るなんて、これは禁忌ですわ!」「草稿を預かっているのだけれど……」「読みたいですわ! ……だ、駄目ですそれは禁忌です。表紙もない挿絵もない本にもなっていない未完成のままの作品では、読んだときの満足度が完成品より劣ってしまいます。本来味わえるはずのものよりも、楽しみが半減してしまいますわ。でも、いち早く見られるというこれ以上ない魅力……! ああ、駄目よわたくし、耐えるのよ……!」「な、なんだか、ごめんなさいね?」 ファミー嬢の様子に引きぎみになるパレスナ嬢。 まあ、明らかに余計な誘惑だったな、これは。私だって、前世で発売日前に某週刊少年漫画誌を読めるとなったら、飛びついていただろう。 パレスナ嬢はファミー嬢をなんとかなだめ、話を続けた。「それでね、作者のハナシーの正体だけれど、実は王妹殿下だったのよ。本人は別に隠していないらしいわ」「本当ですか! そ、それはなんという……今までわたくしは、そんな尊い作品を他の書物と同じように読んでいたということに。王族という社会的背景。それを考慮に入れずただ漫然と読み進めていただなんて、なんと勿体ないのでしょう……! ああ、宮殿に帰ったら早速読み返さないと!」「ふふっ、そうよね。驚くわよね」 ファミー嬢の今回の暴走にようやく慣れてきたのか、パレスナ嬢はそう冷静に言葉を返した。 その後も二人の話は進み、ふと、ファミー嬢の将来についての話題になった。「後宮を出たら、ファミーはどうするの? 結婚の予定とかはあるのかしら?」「結婚ですか……。予定はないですわ。後宮入りしたことで、お話は来るようにはなると思うのですけれど……」 後宮は王のハーレムではない。王族のための大規模なお見合い会場なのだ。ゆえに、そこに呼ばれただけで令嬢には箔がつき、結婚の話が舞い込みやすくなるという。「それよりもわたくしは、働いてみたいですね。図書館の司書をしたいのです」「あら、司書ならファミーにぴったりのお仕事ね」「できれば、王宮図書館で働きたいのですわ。そこなら王宮で働く貴族のご子息の方達も多くいらっしゃいますし、他の男性司書の方もいらっしゃいます。よいご縁がありそうですわ」 このご令嬢、儚い印象の外見に反して、なかなかの野心家のようだ。ただまあ、ご本人は十八歳と、見事に結婚適齢期だ。出会いが欲しくなるのも仕方がないだろう。「いい出会いがあるといいわね」 国王との結婚が決まっているパレスナ嬢は、勝者の余裕でそんなコメントをした。 ただ、まずは王宮図書館の司書になれるかどうかからではないだろうか。 そういう職って、まず人員に空きがないとなれないだろうし。国王とのコネがあっても難しいかもしれない。 でも、後宮が解散になってからも、後宮のお嬢様達とはなんらかの縁があるとパレスナ嬢は嬉しいだろうな。みんな仲がいいし。 ハルエーナ王女などは、国元に帰るだろうから、もう会えなくなるんだろうな。寂しくなる。 私は二人のご令嬢の会話をパレスナ嬢の背後に立って聞きながら、そんなことを思うのであった。◆◇◆◇◆ そんなことがあったのが午前。そして午後は、ハルエーナ王女が私を訪ねて薔薇の宮までやってきた。 パレスナ嬢は、挿絵の打ち合わせにやってきたナシーとアトリエで話しているため、王女の相手をするのは私一人だ。「なにをすれば結婚式が盛り上がると思う?」 ハルエーナ王女がそんなことを私に聞いてくる。 彼女の歳だと、結婚式に参加したことは少ないだろう。ちなみに私も、貴族の結婚式に参加したことは数えるほどしかない。「披露宴の料理をトリール様に依頼したのですよね?」「うん。キリンも協力してくれたと聞いた。ありがとう」「いえいえ」 さて、話は結婚式だ。 一番最初にとり行われる婚姻の儀式には、私達は噛めないだろう。ミミヤ嬢がパレスナ嬢に手順を指導していたが、王族による厳かな儀式という様子だった。明るくブーケトスって感じではない。 ならば狙い目は、一回目の結婚披露宴だ。城下町のダンスホールで開催される、主に貴族達が集まる立食パーティである。 他にも、城下町の自然公園で、王都の民に向けて王妃のお披露目をする大披露宴なんていうものもある。が、こちらは私達の出る幕はないだろう。多分。「貴族向けの披露宴で、何か出し物をしますか」「出し物? どんな?」 ハルエーナ王女の疑問に、私は少し頭をひねって、そして答えた。「定番は、歌ですね。結婚を祝うような歌を夫妻の友人達が歌うのです」 私は、前世の親友の結婚式を思い出した。その披露宴では、親友の女友達が、複数人で楽しそうに歌を歌っていた。うん、いいんじゃないか、歌。「どんな歌?」 王女がさらに聞いてくる。「前世での定番の歌といえば、『てんとう虫のサンバ』ですね。とても明るい歌で、結婚式を挙げる夫妻を虫などが祝うという内容です」「……蟻人が結婚式を祝う?」「いえ、蟻でも蟻人でもなく、てんとう虫というこの世界にいない虫ですね。そこはあまり重要ではないのですが」「どんな歌か知りたい。歌ってみて」「ええっ、歌うんですか。前世の歌ですから歌詞が異国のものですけど、いいんですか?」「うん」 ……仕方ないなあ。 私は魔法で魂の記憶を漁り、前世の歌を思い出す。 そして、音を奏でる魔法で伴奏を始めた。剛力魔人百八の秘技の一つ、人力DTMである。 管楽器とギターの音が楽しげに鳴り響き、歌が始まる。 私に声帯はない。代わりに、声の魔法が正確な音程で歌を奏でている。「おー」 この国アルイブキラには馴染みのないフォークソングが、部屋に鳴り響く。 曲名でサンバといいつつ、激しいサンバではない。優しい歌謡曲だ。 歌が漏れ聞こえていたのか、歌の途中で侍女のフランカさんやビアンカ、そしてパレスナ嬢とナシー、天使ヤラが私達のいる来客室までやってくる。 そして、歌が終わると、皆が拍手で迎えてくれた。「突然、歌なんて歌ってどうしたの? しかも演奏までつけて本格的!」 パレスナ嬢にそう尋ねられる。まあ、宮殿内でいきなり音楽が鳴ったら、何事かとなるよな。「ええと、結婚披露宴の出し物を何にしようかと考えてまして、試しに歌をと」「なるほど、楽しみねー」 パレスナ嬢がうきうきとしながら言った。 そんなパレスナ嬢に、ハルエーナ王女が言う。「本番に聞かせるから、今は戻って」「ええっ、楽しそうなのに」「本番で楽しんで」 そう言ってハルエーナ王女は、パレスナ嬢を来客室の入口へと押す。 すると、ナシーがハルエーナ王女に同調した。「パレスナは歓迎される側なんだ。大人しくしているんだ」「ううーん、解ったわ」 そう言ってパレスナ嬢達は来客室から出ていった。 ハルエーナ王女は、息を一つつき、そして言った。「いい曲だった。是非その曲を歌いたい」「でも、歌詞が異世界のものですよ」「キリンなら翻訳できる?」「直訳ならできますが……」 私はさらさらと紙に『てんとう虫のサンバ』の歌詞を書いた。アルイブキラの言語と、塩の国の言語二つでだ。 それを見たハルエーナ王女は、にっこりと笑って言った。「いい歌詞。絶対にこれを歌う」「でも、この歌詞のままじゃさっきの曲に合いませんよ。これを元に、改めて作詞をしませんと」「キリン、作詞、できる?」「いやあ、正直無理ですね……」「だとしたら、誰かの力を借りる」 誰かねえ。文才といえばナシーだが、後宮のメンバー以外の力を借りるというのはどうだろう。「ファミーに頼んでみる」「ファミー様って、読むだけでなく書けるんですか?」「知らない。でも頼むだけやってみる」 そういうことになった。 勢いまかせだが、大丈夫か、これ。◆◇◆◇◆「む、無茶ぶりですわ。わたくし、一度も作詞などしたことがないのですが……」「無理?」 白詰草の宮へとやってきた私達。作詞を要請されたファミー嬢の答えに、ハルエーナ王女はしょんぼりとする。 その様子を見たファミー嬢は、慌てて言葉を返す。「いえ、やってみないことには。すでに歌詞の原型がありますから、なんとかなるかもしれませんわ。それに、パレスナ様の結婚式には、わたくしも協力したいと思っていたのです」 そうしてファミー嬢は作詞を担当してくれることになった。 そんなファミー嬢に、私は再度音楽の魔法を奏で、『てんとう虫のサンバ』を聞かせた。「明るい歌ですね。それにこの歌詞、素敵ですわ」 私が紙に書いた翻訳歌詞を見ながら、ファミー嬢が言う。これなら、作詞はなんとかなりそうだ。 私は参考として、紙に魔法陣を書き、『てんとう虫のサンバ』のメインメロディが流れる簡易の魔法道具を作った。これを聞きながら作詞に励んでもらいたい。「では、作詞ときたら次は作曲ですね」 私はハルエーナ王女にそう告げる。「? 伴奏ならキリンが演奏してくれる」「これは魔法で鳴らしているだけですから。せっかくなので、楽器で生演奏したいではないですか。メロディは決まっているので、作曲と言うよりは編曲でしょうか」「なるほど。キリン、編曲はできる?」「無理ですねえ」 私はあまりこの世界の楽器に詳しくない。楽譜はかろうじて書けるが。 ハルエーナ王女は、翻訳の歌詞とにらめっこしていたファミー嬢に向き直り、彼女に向けて言った。「ファミー、作曲とかできる?」「作詞以上に専門外ですわ……」「じゃあ誰に任せればいい?」 ハルエーナ王女に尋ねられ、ファミー嬢は少し考え、そして答えた。「ええーと、ミミヤ様の宮殿なら、ダンスのためにお抱えの楽士がいらっしゃるはずですが……」「それ。次はミミヤのところへ行く」 そうして私達は、ミミヤ嬢のいる白菊の宮へ向かうことになった。 突然訪ねてきた私達をミミヤ嬢は歓迎してくれた。 ハルエーナ王女が、披露宴に歌を歌いたいことを告げると、ミミヤ嬢はそれに乗ってくる。 ミミヤ嬢は一見お堅い令嬢に見えるが、こうして接していると、面白い行事などには積極的に乗ってくれるのが解る。楽しいことが好きなのだろう。 そして本日三度目となる、人力DTMの披露である。 紙の翻訳歌詞を見ながら、ミミヤ嬢は終始にこにこと歌を聴いてくれていた。 そして、歌が終わると彼女は早速感想を述べた。「明るい歌ですわね。これを歌うのが今から楽しみです」「後宮のみんなで合唱したい」「侍女も合わせてですわよね? 楽しみだわ」 ハルエーナ王女の言葉に、笑顔で答えるミミヤ嬢。 それに満足そうにハルエーナ王女は頷いた。「では、早速楽譜を作りましょうか。私の侍女や護衛は皆、楽器を使えますから演奏は任せてくださいまし」 おお、なんて頼もしい。 その後、私は何度も『てんとう虫のサンバ』を魔法で演奏し、ミミヤ嬢自身の手で仮の楽譜が作られた。あとで楽器に合わせて、じっくり編曲するとのことだ。 後は、ファミー嬢の作詞が上手くいくのを待つだけだ。 ミミヤ嬢がファミー嬢の宮殿に催促に行ったが、大丈夫だろうか。 戦争が終わり、結婚式が開かれるのはいつになることか。 後宮みんなの合唱で、楽しい結婚披露宴になることを願うばかりである。