町に繰り出して色々あった日の二日後。今日はハルエーナ王女がビアンカとカードで遊ぶため、薔薇の宮まで訪ねてきていた。私は昨日休みだったため、ビアンカは侍女の仕事があり遊ぶ余裕がなかった。そのため、ハルエーナの訪問は今日になったらしい。 パレスナ嬢はナシーの新作小説『天使の恋歌』の草稿を読んでおり、私は手持ち無沙汰だ。 なので私は、天使ネコールナコールが変身した猫と雑談をして、時間を過ごすことにした。「カヨウ夫人の正体はおそらく端末じゃな」 戦争の話題となったので、先日ゼリンから聞いた鋼鉄の国の内情を猫に説明したところ、そんな言葉が返ってきた。 端末とは、別次元にいる火の神がこの世界に介入するための端末のことで、人間の言葉では天使もしくは悪魔という。「玉藻の前は知っておるか、元日本人よ」 唐突に話題が飛んだ。玉藻の前? 聞いたことはある。「ああ、まあな。平安時代の天皇だかのめかけで、天皇をたぶらかそうとした。けれど実はそいつは妖狐で、正体を見破られて石になって死んだっていう、創作上の存在だろう?」「創作ではない。実在しておった。正体は妖狐ではなく、妾(わらわ)達端末じゃがな」 ちなみに天皇ではなく上皇じゃぞ、と補足して言う猫。「ええっ……なんだその今更知る、地球の歴史の真実。やっぱり地球にも、火の神の端末が介入していたのか……」 日本には火の神を祀る古い邪教があって、狂信者は不思議な超能力を使えていた。 この世界でも、火の神を祀る宗教の司祭達は、プラチナをも溶かす高熱の火を操る魔法を習得するという。分割思考を習得する火の神の祝福とはまた別のものだ。 つまり、地球でも火の神はなんらかの影響を及ぼしていたということになる。 私が最期に相対した狂信者が、力を与えられた狂信者なのか、狂信者に化けた悪魔かは解らないのだが……。「他にも白面金毛九尾の狐とされた、大陸の妲己なども端末じゃなあ」 妲己も実在したのかよ。妲己なら封神演義の漫画に出てきたから、玉藻の前よりは少しは知っているぞ。しかし、狐か。「なんなの。火の神って狐でも好きなの」「うむ。狐が好きな一派がおるな」 冗談で言ったんだが、本当かよ。なんなんだ火の神って。上位次元のすごい存在ではないのか。「で、玉藻の前がなにか?」 私は、ずれた話を元に修正した。カヨウ夫人と玉藻の前に何か関係があるのか?「玉藻の前や妲己と同じく、カヨウと呼ばれる狐一派の端末が、天竺で活動をしていたことがあるらしいの。それにあやかって、名を名乗っているのじゃろう。ちなみにカヨウとは字をこう書く」 猫は魔力を操作して、空間に文字を投影した。 華陽。日本語読みでカヨウか。「ではなにか。独裁者をたぶらかす悪魔が、戦争の黒幕ってことか」 玉藻の前や妲己と同等の存在というなら、その毒婦ムーブも納得できる。 悪魔は人になんらかの害をなそうとする存在だからだ。もちろん、害をなすことそのものが目的ではない。この国と鋼鉄の国を戦争させて、なにかをなそうとしているのだ。「それがのう。今アンテナで検索してみたのじゃが、その国で上位存在の指令を受けて人間に害を成そうとする端末は、特に活動していないようなのじゃよ」「なんだそれ。悪魔じゃないなら、名前はただの偶然の一致じゃないか」 今までの会話はなんだったんだ。「いやいや、今、指令を受けて端末が活動していないというだけで、過去に指令を受けた端末は活動しているかもしれん」「んんー?」 どういうことだ。私は理解できずに首をひねる。「ほれ、この国にもおったじゃろう。指令を八百年以上更新しておらんかった端末が」「ああ、お前ね」「つまり、妾の胴体が勝手に動いて、その国で暗躍していたとしたら……? 男を惑わすのは、美しい妾の得意とするところよ」「ああー、なるほど。確かに、鋼鉄の国がこの国と本格的に対立し始めたのも、北の山で竜が復活したあとだな。お前の胴体、ばらばらになってなかったんだな」 北の山で竜が生まれたのが七年前。鋼鉄の国がこの国と対立し始めたのも六、七年ほど前からだ。 建国王に首を刈られてアンテナを破損してた悪魔。そのアンテナのない悪魔の胴体部分が、建国王の血筋を根絶やしにせんと活動していると。ホラーだな。まあ、人の姿に化けているのだろうが。 というか、頭がなくても動くとか、昆虫かお前らは。 私がそのホラーっぷりに震えていると、猫が私の足をたしたしと前足で叩きながら言った。「なのでおぬし、ちょっと戦場に行って妾の胴体回収してくるのじゃ」「え、嫌だよ」「何故じゃ!? どうしておぬしは元日本人のくせに、妾にこうも逆らうのじゃ!」「むしろ私、前世でお前達の信者に殺された側なんだけれどな……」 自分では満足した死に様だから、別に今更恨んではいないのだが。 それでも、火の神やその端末にかしずく気は毛頭ない。「むうー」 猫は唸って腹を見せて寝転んだ。こいつ、本物の猫じゃないくせにあざといポーズをちょくちょく挟んで、私を魅了しようとするから困るな。仕方ないので肉球をぷにぷにしてやる。「しかしおぬし、何故妾だけに敬語を使わぬ」「お前に何か敬われるような要素あった?」「妾は端末じゃぞ! 以前はねこちゃんねこちゃんと妾にうっとうしく群がっていた青百合の宮の女どもも、今では恐れ多いと遠巻きに敬うようになったのじゃ」「それ、お前がパレスナ様にいたずらしてた元悪魔と知って、避けてるだけではないかな……」 もしくは正体が生首と知って恐れているのかもな。「なんじゃと!? やはり過去は捨てられないのじゃ……ああ、妾って本当に可哀想なのじゃー」「うるさいよ」 そんなお前には肉球ぷにぷにの刑、十倍だ。 ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに……。「やーめーぬーかー。なんじゃおぬしら人間は、猫を見るとこうも構いたがりよって……」 私の腕の中で猫がじたばたと暴れる。 本物の猫ならここで離してやったところだが、相手は本物ではなくただ変身しているだけの天使だ。遠慮することはない。「大丈夫、変身が解けるほど強くは押さないから。ぎりぎりで」「変身が解けるのって、相当強い力じゃからな!?」 肉球ぷにぷにの刑は、カード競技が終わってビアンカ達が猫いじりに参戦するまで続けられるのであった。◆◇◆◇◆ その次の日の正午、私は『女帝ちゃんホットライン』を使って女帝蟻に連絡を取っていた。 話の内容は、昨日猫に聞いた華陽夫人の正体について。『つまり、ハイツェン共和国の中枢には悪魔が潜んでおると?』 魔法道具から女帝の可愛らしい声が届く。ハイツェン共和国とは、鋼鉄の国の正式名称である。「確証はないがな。カヨウという名前が、たまたま異世界の悪魔の名前と被っただけかもしれない」『それでも、悪魔の胴体が解放された時期と、共和国が強硬姿勢を取り始めた時期が被っておるのじゃろ?』「まあそうなのだけれどな」 だからといって、私にはどうしようもない話でもあるが。戦争はもう始まってしまった。まだ軍は移動している最中だろうが、宣戦布告は済んでいるし、賽は投げられたのだ。 なのでこうしてお上に報告して、いち早い調停を頼むのである。『ふうむ、なるほど。これはあれじゃなあ……』『俺に任せろ! 俺が戦場に飛んでいって、悪魔を撲滅してやる! ハイツェン許すまじ!』 と、女帝の言葉に割り込んで、男の声が聞こえた。この声は、元勇者アセトリードが憑依したゴーレムの声か。 女帝とは世界共通語で話していたので、彼の喋り方はあの特徴的な古風な言葉遣いではない。「何言ってるんだ。あんたはお呼びでないよ」 とりあえず、私は冷静に突っ込んだ。『悪魔あるところに悲しむ者あり! ならば、俺が助けねばどうするか!』「お前が戦争に介入すると、滅茶苦茶になるんだよ! リネと私がどれだけ心労に悩んだか知ってんのか!」 思わず口汚くなってしまう私。 だが、そうなってしまうのも仕方がない。こいつは勇者時代、私憤で戦争に介入して、両軍壊滅状態という惨状を作りだしたのだ。我が第二の故郷アルイブキラの軍隊をそんな状態にさせるわけにはいかない。国王も出てるしな。「女帝陛下、頼むからそいつの手綱を握っておいてくれよ」『お、おう。大丈夫じゃ。こやつは探査船のコックピットに縛りつけておく』『え、ちょ、待って。そんな御無体な――』 そのアセトリードの言葉を最後に、『女帝ちゃんホットライン』の通信は切れる。 頼るところ間違ったかな……? でも、戦争調停してもらって毒婦一人倒せば解決って、最良すぎる落としどころだし……。でもあいつはなぁ。 私は戦々恐々としながら、身支度を整え、午後の仕事に向かうことにした。 薔薇の宮に入り、入口すぐの広間でコートを脱ぐ。すると、広間に詰めていた護衛のフヤが私のもとに近づいてきて、言った。「ハルエーナ殿下が、キリンを訪ねてきている」 二日続けてハルエーナ王女が来ているらしい。しかも、私に用事だ。 なんだろうか。パレスナ嬢の結婚式についてなにか話でもあるのだろうか。 私は疑問を頭に浮かべながら、来客室へと入った。 来客室では、ハルエーナ王女が席に座って待っていた。パレスナ嬢とビアンカの姿も見える。 私の姿を見つけたハルエーナ王女は、猫を腕に抱えながら立ち上がった。 そして、私のもとへと近づいてきながら、言った。「キリン、助けて」「はい、なんなりと」 結婚式のヘルプか。頑張るぞ。「猫が、猫が……」「はい? 猫ですか?」「猫が戦場に行くって! 止めてほしい! 説得して!」 そう、ハルエーナ王女が悲痛な声で言う。 それに対し、猫は抱えられた腕を前足で叩きながら言葉を返す。「止めてくれるな。ハイツェンには妾の体があるのじゃ」「駄目! 死ぬ!」 ……まあ、今の頭だけのか弱い天使だと、かなり危ないな。 仕方ない、説得を手伝おうか。「ネコールナコール。戦場に向かってはいけない」「ええい、止めるな元日本人。おぬしらには体がない悲しみなど解らぬのじゃ」「止めるぞ。今回の戦はとても危険だからな。なにせ、元勇者が参戦するかもしれないからな」「元勇者じゃと?」 前足をばたばたと動かしていた猫が、動きを止めた。「ああ、元勇者アセトリード。人の身を捨てゴーレムに身を換装した戦争の破壊者だ」「戦争の破壊者……」「かつて元勇者は、生身の頃に戦争に介入して、両軍をめためたに壊滅させたことがある。その元勇者がより強力なゴーレムになって、今回の戦争に調停という名の破壊を行いにいく」「わ、わわ……受信したのじゃ。元勇者にして元魔王アセトリード。なんて恐ろしいやつなのじゃあ……」 ハルエーナ王女の腕の中で、猫ががたがたと震える。「アセトリードは鋼鉄の国を許すまじと言っていた。鋼鉄の国の側に向かうなら、無事では済まないぞ」「はい、妾、行くのやめます……」 がっくりと猫は脱力した。 よかった、説得に成功した。「ねえ、そんなやつが戦場に向かって、陛下達は大丈夫なの?」 そんな当然の疑問がパレスナ嬢から出てくる。 うん、それね。そうだよね。「大丈夫だといいですねえ。一応、元勇者は悪魔を撲滅って言っていたので、悪魔に一直線に向かって、過剰に戦争に介入しないと思うのですが……」「それ、妾の体、無事で済むかの?」「済まなそうだが、あんたが行ったら、それ以上に無事では済まないからな」 猫がぽつりと言った言葉に、私は無情な事実を告げてやった。 そもそも、頭だけでどうやって、アンテナ繋がっていない悪魔の胴体を止めるつもりなんだ。意見、確実に食い違うぞ。不意打ちでドッキングでもするのか。「キリン、感謝」 説得に成功した判定をいただけたのが、ハルエーナ王女が感謝の意を示してきた。「いえ、お役に立てたようでなによりです」「パレスナの結婚式の相談にも乗ってくれる?」「ええ、是非」 そういうわけで、ハルエーナ王女からの相談は無事に解決したのだった。 悪魔の胴体は……ここからは正直どうしようもないので、アセトリードに『幹』がゴーレムボディを用意したのと同じように、首のない全身義体でも用意してやる必要があるかもしれない。でも、今の猫の姿、可愛いんだよなぁ。 私は猫の肉球を触りながら、そんなことを思うのであった。