とある冬の日の侍女宿舎。昼食の席で、侍女達がなにやら一つの共通した話題を口にしていた。 浮ついた噂話の類ではない。内容は、戦争の話だ。 この国が宣戦布告を受けたとかいう話で、相手は鋼鉄の国らしい。鋼鉄の国は、この大陸と同じ世界樹の枝にある、隣の大陸にある国家だ。その通称の通り、鉱物を主な産出品としている。この国とは、六、七年ほど前から緊張状態が続いていた。「こっちはまだ冬で、それが終わったら雨期だぞ。よく攻めてくる気になったな。あっちの大陸も今は冬だし」 私は昼食を食べながら、侍女仲間のカヤ嬢とククルと会話に興じていた。話題は他の侍女達の話を受けての戦争についてだ。「どういうことなのでしょうね」 トングとフォークで平べったいパンをちぎりながら、カヤ嬢が言う。 私達は侍女だ。軍事の専門家ではない。何故と問うても、それらしい答えが返ってくることなどない。「近衛騎士の人達は、前々から忙しそうにしていましたけれど、まさか戦争があるとは思いもよりませんでした」 近衛宿舎に勤めるククルがそんなことを言った。 戦争準備で近衛が忙しいか。王族が出陣する予定でもあるのかね。 そうして建設的な話は何もしないまま食事は終わる。しょせんは侍女の噂話である。 身支度を調えて、午後の仕事をしに後宮へと向かう。冬の盛りはそろそろ終わりを迎えるが、まだ雪はちらついている。 門番のいない薔薇の宮の門を通り、主であるパレスナ嬢の私室へ向かう。今日の午後は語学の勉強だったか。私が講師役だ。「帰ってきたわね。早速始めましょうか」 戦争のことなど頭にないのか、明るくパレスナ嬢が言う。 もしかしたら後宮にまで戦争の話が届いていないのかもしれないな。 戦争は頭の隅に置いて、授業を始めることにする。「まず、歴史的背景から説明しますと、隣の大陸は約千二百年前にできたものです。そして約八百年前にこのアルイブキラの大陸ができますが、当時ほとんどの住民は隣の大陸から移り住んできた者です」 この国の建国王クーレンなんかは、隠された建国史を紐解いても出自が明らかではないのだが。「よって、使われている言語は元々同じものだったのです。それが八百年の間に変化して、異なる二つの言語になったわけですね」「なるほどね!」「つまり、文法は共通しているということです。単語を重点的に覚えれば、日常会話くらいはすぐにできるようになるはずです」 私の説明に、パレスナ嬢だけでなく、侍女のフランカさんとビアンカの親子もふむふむと納得しているようである。「今、隣の大陸には塩の国や鋼鉄の国など複数の国がありますが、使われている言語は共通です。国ごとに新しい単語に少々の差異はありますが、その新しい単語も時間の経過で他の国に広まっていきます」「新しい単語は後回しにしたほうがよさそうねー」「そうですね。私もさすがにここ数年で生まれたばかりの単語とかは知りませんし……」 私は複数の国の言語を習得しているが、最新の辞書を買って語学に励むほど熱心にはしていない。そのあたりは翻訳の専門家に任せたいところだ。「それを踏まえて、簡単な単語を覚えて、会話の練習をしてみましょうか」 そうして語学の勉強をすること数時間。 一番物覚えが良かったのは、一番若いビアンカだった。 フランカさんは少しかじっていたのか、問題なし。 パレスナ嬢は、まあ頑張ろう。でもまだ始めたばかりだし、どうとでもなる。「世界共通語なら少し話せるのだけれどね」 そんな弱音をパレスナ嬢は吐いた。って、共通語喋れるなら結構すごいことだぞ。「世界共通語など、いつ覚えたのですか?」 そう私が問うと、パレスナ嬢はにっこりと笑って答える。「陛下と仲良くなってからね。王族になるなら『幹』とのやりとりが必要でしょう?」 なるほど。パレスナ嬢は私の想像よりも勉強家なのかもしれない。 そんなことを思っていたそのときだ。部屋に、護衛のフヤがやってきた。 そしてこんなことを言いだした。「陛下がいらっしゃっています」 これから来る、じゃなくてもう来ているらしい。 私達は、急いで迎える準備を行なった。陛下のもとへと向かうのはビアンカで、フランカさんはお茶の準備。私はパレスナ嬢と一緒に来客室だ。 私室でじっくりパレスナ嬢の見た目を整えている時間はない。私は歩きながら彼女の身だしなみをチェックした。 絵を描いている途中でなくてよかった。さすがに絵画用の汚れたドレスで国王に会わせるわけにはいかないからな。 いや、あの国王ならその程度の格好、気にしないとは思うけどな。気にするのは、主を立てる立場にある侍女の私達である。 パレスナ嬢のドレスを整えながら来客室で待っていると、国王がやってくる。 その面持ちは、どこか重苦しいものだった。いつものチャラ男が台無しである。 二人は挨拶を交わし、着席する。そして、フランカさんによって茶が配られ、一息入れてから国王は口を開いた。「もう聞いているかもしれないけど、戦争が起こる。鋼鉄の国とだね」「えっ!?」 パレスナ嬢はやはり戦争のことを伝え聞いていなかったようで、驚きの声を上げた。 本来なら閉じた環境の後宮に外のことを伝えるのは、私の仕事なのか? いやでも、今回は侍女から聞いた噂話だったからな……。「その戦争に、俺も総大将として出るよ」 国王が総大将って、なんだその大いくさは。下手な負け方したら、国王が討ち取られるんだぞ。「陛下が参戦って、何故……」 パレスナ嬢も驚きを隠せないようだ。「どうも、向こうは兵力の大半を出すようだ。影から上がってきた演説によると、領土の刈り取りではなく、全土を征服するまで止まらないと豪語しているらしい。宣戦布告文には国盗りをするとまで書かれていたよ」 そりゃあまた、大きく出たものだ。鋼鉄の国の軍に属す兵達は確かに、豊富な鉄資源による優れた武具によって支えられている。しかし、この国でも、軍は圧倒的な兵站に支えられているのだ。さらに、この国はその食糧生産力を元手に鋼鉄の国以外と貿易をして、多くの鉄を輸入している。 ちなみに影とはスパイや忍者のことである。「魔王討伐戦の報酬で、『幹』から魔法金属を大量に受け取ることも、向こうさんは気に入らないみたいだよー、キリリン」 ええっ。そこで私のせいにされても困るぞ。「ま、そんなわけで総力戦さ。まあ、うちは負けないけどね」 大陸丸々一個の大国と、大陸に複数の国があるうちの一国でしかない中規模国の戦いだ。全力で当たれば、勝ちは濃厚だろう。「どうしても陛下が出なければならないの?」 パレスナ嬢が国王に問う。彼女の後ろにいるためその表情はうかがえないが、きっと悲痛な顔をしていることだろう。「うん。そうだね、いざ説明すると面倒なんだけど……国王っていうのは、国民にとって絶対的な存在だ。国の象徴で、神にも等しい」 でもね、と国王は言葉を続ける。「王族にとっては、国王ってそんなにすごいものじゃないんだ。自分達の代表として国民の前に出るための表の顔みたいなもん。王族間に順列はほとんどないんだ」 そういえば、そのようなことを王太子時代のこいつに言われたことがあるな。王太子といってもそんなすごいものじゃないって。「だから、絶対王者が戦場に出て士気が上がるなら、死ぬ危険があろうとも王族は国王を戦場に出すのさ。死んだら、代わりに王族の誰かが新しい顔になれば良いだけだからね」 そう言って国王は言葉を締めた。 出陣の意思は揺るぎないようだった。「あの、陛下が出るということは、後宮はどうなるの?」 そうパレスナ嬢は問う。 そうだ。後宮は国王と王妃候補者達のお見合いの場。国王がいないとなると、その存在意義の大半が失われる。 戦争が長引くとなると、解散も考えられるが……。「いや、後宮はそのまま存続させるよ。それでね、お願いがあるんだみんなに」 と、国王が答える。 みんな? パレスナ嬢だけでなく、侍女の私達もということか。「実はね、ハルエーナ殿下なんだけど、鋼鉄の国が隣の大陸への経路である『枝の道』を封鎖しちゃって、塩の国へ逃がせないんだ。後宮で守り通すしかない」 青百合の宮の主であるハルエーナ王女は、この国の者ではない。隣の大陸にある塩の国から、親善目的でやってきている。「だから、後宮のみんなで殿下のことをしっかり見守っていてほしい。ナーバスになっちゃったりするかもしれないしねー」 国王の言葉に、私達は了承の意を示した。 だが、一つ気になったことがある。「あの、発言よろしいでしょうか」 と、私が国王に尋ねると、いいよと言葉が返ってくる。「王城地下の潜航艇を使って、ハルエーナ様を塩の国まで帰すことはできないのでしょうか」 そう、以前オルトと一緒に『幹』へ行ったときに使った世界樹トレイン、樹液潜航艇。それを使えば、鋼鉄の国が『枝の道』を封鎖していたとしても、塩の国まで辿り着くことができる。 だが、国王は首を横に振って否定する。「無理だねー。戦争が理由じゃ、『幹』からは使用許可が下りないよ。あれは、結構厳格な使用規定があるんだ」「そうなのですか? 庭師時代、気軽に私用で使っておりましたが」「それだけ『幹種』の免許は権限が強いってことだね。まあそんなキリリンでも、殿下を連れては潜航艇に乗れないと思うけど」 そうか。それは残念。 私は素直に引き下がった。 そして、国王は茶を一口すすり、一息つくと再び言葉を発した。「さて、何か聞きたいこととかある? キリリンも何かあったら聞いていいよー」「では、また私から一つ」 ちょうど聞きたいことがあったんだ。「この国は今、冬期でさらにこれから雨期に入ります。何故そんな時期に鋼鉄の国は宣戦布告などしたのでしょう」 それは、昼食の席でも話題に上げた疑問だ。 鋼鉄の国の事情だから、国王が知っているかは解らなかったのだが、彼はしっかりその疑問に答えた。「鋼鉄の国は食糧に乏しいからね。あちらも今は冬だけど、秋の収穫物がなくなる前に攻めてきたいんだろうさ。なにせ、うちからは輸出をだいぶ制限したからね」「攻めてきたのって、輸出を制限したからでは……」「いや、それより前に影から、戦争の兆候有りって情報入手してたよ。だから絞ったんだ」 確かにまあ、敵国に兵站となる食糧を売る馬鹿はいないわな。「収穫を終えた農民の徴兵も行なってるんじゃないかな? あの国は農民の地位が低いから」「なるほど。理解できました」 私は納得して、口をつぐんだ。 そして国王は私達に向けて言葉を続ける。「他に何かないかな? パレスナは?」「特にないわ。……無事に帰ってきてね」「ああ、もちろんさ。キリリンも俺っちのこと心配してもいいんだよ?」「大丈夫、陛下は死にません。なにせ……王国最強の魔法戦士ですからね」「あ、それ言う? 照れるー」 そう、国王は強いのだ。この王国で一番強いのは誰か。騎士で言うと、近衛騎士団のオルトだろう。 だが、それより強い者がいる。それがこいつ、国王だ。 魔王討伐戦では最強の騎士を出すという名目だったから国王は出なかったが、本当の最強を出せと蟻人のギリドゼンに言われていたら、彼が出張っていた可能性がある。 かつての王国最強の騎士レイに武器と闘気の手ほどきを受け、赤の宮廷魔法師団の英才教育を受けた魔法戦士。そんな存在なのだ。「もう質問ない? そう。じゃあ、真面目な話するね」 今までの話が真面目な話ではなかったというのか、国王は笑みを顔から失わせ、真剣な顔でパレスナ嬢を見た。 そして、いつもとは少し違う声色で、彼女に向けて言葉を放った。「俺は、この戦いに勝利する。だからパレスナ。俺が帰ってきたら、結婚しよう」 ぴくりとパレスナ嬢の背中が動いた。 突然のプロポーズだ。 今、パレスナ嬢はどのような表情をしているのだろうか。「帰ったら開く戦勝式典。そこで、盛大に結婚式をあげよう。みんなの記憶に残るような式を。……どうかな?」 最後にパレスナ嬢に問いかける国王。 パレスナ嬢は、ただじっと黙っている。そして。「はぃ……」 か細い声でそう答えた。「……今の状況でこんなこと思ったらいけないのかもしれないけれど、すごく嬉しい……!」 そしてゆっくりとパレスナ嬢は立ち上がる。 それに応じて国王も立ち上がり、テーブルを迂回して二人は向き合う。すると――「いえーい!」 ハイタッチをした。「いや、そこは抱き合うんじゃないんですか」 思わずツッコミを入れてしまった。 横では、フランカさんが笑いをこらえている。ちなみにビアンカはただ純真な笑みを浮かべている。「人前で抱き合うとか恥ずかしいじゃん?」 そう言いながら国王は着席した。パレスナ嬢も遅れて席に座る。 そして国王は温くなったであろうお茶を一気に飲み干すと、私に向けて言った。「ま、そういうわけだから、後宮のパレスナと殿下の守りはキリリンに任せたよ。君なら安心して後方を任せられるからさ」 その言葉に、私は素直に思っていたことを言う。「戦争に連れていかれでもするのかと思っていました」「ははは、さすがに庭師の免許を持っている人を戦争には連れていかないよ」 庭師は戦争に参加してはならない。それを今も守ってくれようとしているのだ、国王は。「フランカは王宮と連携して結婚式の準備を進めておいてね。頼むよ」「はい、かしこまりました」 国王の言葉を受けて、フランカさんはうやうやしく侍女の礼を取った。「陛下、私はどうですか!」 そうビアンカが自己主張する。「ビアンカはー、そうだねー。お母さんの言うことしっかり聞いて仕事にはげむんだよ」「はい!」 そう話をまとめて国王は席を立ち、「じゃ、式をよろしくね」と言って薔薇の宮を去っていった。 正直考えることはいろいろある。だが、ここ後宮からでは戦争については何も役立てない。 それならば、私は勝利を信じて凱旋の時までこの後宮で待とう。 国王とパレスナ嬢の結婚式。それが平和で幸せになるものと信じて。