「積もりましたねえ……」 朝食の席で、侍女のククルがそう話を切り出した。「積もりましたわね……」 同じくカヤ嬢もそう話に乗る。「積もったな」 私もオウム返しをする。そう、積もったのだ。雪が。「この国は冬が短いのがありがたいが、それでも積もると大変だな」「なんで雪なんて降るのでしょうね……」 私の台詞に、そう言葉を連ねてくるカヤ嬢。 先日の国王が言った言葉を考えると、雪は『幹』が人を気候に適応させるために降らせているのだと考えられる。 この国は『幹』の農業試験国的な立ち位置にいるので、冬に作れる作物を研究させているのだろう。 単に地上に水の恵みを与えるだけなら、気温を高くして雨でも降らせればいいだけだ。 意味もなく人が苦しむ試練など『幹』は与えない。善意を抽出できる量が減るからだ。「仕事中寒いのは嫌ですね」 ククルが憂鬱そうに言う。 そんなククルも幼い頃は、雪が降ると私に遊んでくれとせがんできて、一緒に雪遊びなどをしたものだが。まあ、仕事を持つと昼間に遊ぶ暇などないから、こう意見が変わるのも仕方がない。「二人とも風邪など引かないようにな」 そう言って食事を終え、歯を磨いて自室へと戻る。 髪型よし、ドレスよし、コートよし、手袋よし、ブーツよし。 冬の完全装備をして部屋を出て、温石を受け取り宿舎を出た。 空を見ると、昨夜は勢いよく降っていた雪も、今ではちらつく程度に収まっている。 王宮までの道のりは、すでに除雪がされていた。朝から下男達が頑張ったのだろう。ご苦労様だ。 そして王宮の廊下を通り、後宮へ。 後宮では、下女達が多数集まって除雪作業を行っていた。ああ、そうか。今の後宮は男子禁制だから、下女が力作業を行わなければならないのか。大変だな。侍女でよかった。 薔薇の宮へと近づくと、護衛のビビが寒空の下、防寒具をもこもこに着込んで入口の前に立っていた。 いや、本当に侍女でよかったよ私。「おはようございます。大変ですね」「おはようございます。ええ、でも任務ですので」 さすがに可哀想なので、私はビビの足元に魔法陣を敷き、ほどよい熱が足元から放射されるようにした。周囲の雪がみるみるうちに溶けていく。 魔法陣を敷き終えて私はビビに告げる。「これで夕方まで保つはずです。帰るときに更新しておきますね」「やや、これは……ありがたい」 そう言ってビビは感謝の意を示してくれた。 まあ、魔女の弟子なら、この程度簡単なものだ。役に立てたようで何よりである。 そして、ビビの横を通り薔薇の宮に入ってパレスナ嬢の私室に行くと、パレスナ嬢は暖房にあたってのんびりとしていた。「今日は冷えるわね」 そう言いながら火に手をかざしている。 この暖房は魔法道具で、魔力を燃料として火を灯している。厨房のコンロやオーブンなどもこれと同じ仕組みだな。では、魔力とはなんぞやという話になると、生物が生まれつき持っている力の一つで、世界樹も生物の一つなので世界には魔力が満ちあふれて云々と、まあ面倒臭い話が続くので省略しておこう。 今日の午前の予定は、いつものように線画の練習だ。私室をでてアトリエに行く必要がある。 アトリエは紙が多く、さらには可燃性の顔料などがあるため暖房は使わないのだが、さすがに今日の寒さで部屋暖房なしは辛いだろう。「今日はこの部屋で描こうかしら」 などと言うパレスナ嬢だが、どうか私に任せてくださいな。魔法でアトリエを暖めてみせますよ。 そんなことを言おうとしたそのときだ。「ハルエーナ王女がいらしています」 と、フランカさんが来客を告げた。「あら、朝早くから珍しいわね」「それが、お嬢様ではなくビアンカに用があるようでして……雪遊びをしたいと」「雪遊び! いいわね、行ってらっしゃいな。私はそれを横でスケッチするわ!」 突然の予定変更。 だが、たまにはこんな日があってもいいだろう。 私とビアンカとパレスナ嬢の三人は、薔薇の宮の広間で防寒具を着たまま待っていたハルエーナ王女と合流し、私達もコートを着込んで宮殿の外へと出た。フランカさんはいつものように、宮殿内で下女達の掃除の監修だ。 宮殿の外ではまだ下女達が、木製のスコップを使って除雪作業を行っている。 私達はその邪魔にならない位置を選んで移動し、何をして遊ぶか話し合うことになった。「まずは雪合戦!」 そうビアンカが提案する。「いいと思う」 ハルエーナ王女が追従する。「いいけど、私の方には投げないでね!」 束ねた紙束を手に持ちながら、パレスナ嬢が言う。鉛筆を持つために手袋をしていないが、寒くないのだろうか。 とりあえず私は空間収納魔法で椅子を取り出し、パレスナ嬢をそこへと座らせた。「あら、ありがとう」 そう礼を言われるが、まだだ。先ほどビビにも使った暖房魔法陣を発動し、パレスナ嬢が冷えないようにしておく。「わー、すごいわね。さすが元庭師」 私が魔法を使えるのは、庭師関係ないんだけれどな……。「ねえ、キリンちゃんは?」 と、ビアンカに問われる。え? ああ、何して遊ぶかってことか。私も遊ぶメンバーにカウントされているのね。 他にも、ハルエーナ王女の侍女が三名この場にいる。「雪合戦でいいんじゃないですか。ここは除雪済みだから、雪だるまは作れないですし」「雪だるま? なんですかそれ?」 私の言葉に、不思議そうな顔をするビアンカ。 私は、魔法の幻影で雪だるまを表示し、こういうもの、と見せてやる。 ビアンカはああ!と納得したように叫ぶ。「ころころ雪玉転がして大きくするやつ! そうですよハルエーナちゃん。除雪全部終わったら作れなくなっちゃいますよ」「それは大変」 というわけで、私達は二手に分かれて雪玉を転がすことになった。 私、ビアンカ、ハルエーナ王女の三人組と、侍女三人の組だ。パレスナ嬢はスケッチをしながら歩いてついてきている。暖房魔法陣は追従型のため、足元がどんどんと溶けていっている。 私達は、新雪の上をころころと雪玉を転がして大きくしていく。その様子に、ビアンカがきゃっきゃと喜んでいる。 普段は一人前の侍女になろうと頑張っているが、こういう所を見るとちゃんと九歳児なんだなぁ、ビアンカ。 そしてそんな子供に交じって遊ぶ私、二十九歳児。……いけない、それは考えては駄目だ。 私は考えを振り切ると、徐々に巨大化しつつある雪玉をビアンカと一緒に転がすハルエーナ王女に話しかける。「今日は猫はいないのですか?」「寒いから外に出たくないって」「ああ、なるほど……」 日本の冬の童謡でも、猫は家の中から出てこずにこたつに入ったままだしな。「結構でっかくなってきました!」 ビアンカが嬉しげに声をあげる。 私はその言葉を受けて、二人に問いかける。「では、どこに雪だるまを作りましょうか。邪魔にならない場所で」「青百合の宮の前が良い」 と、ハルエーナ王女がご所望だ。 了解だ。私は侍女三人組に魔法で「青百合の宮の前で合流しましょう」と声を届ける。 そして青百合の宮に到着。そのころには雪玉は、かなりの大きさになっていた。「これ、持ちあがるんですか?」 ビアンカが困ったように言う。 それに対し、ハルエーナ王女は……。「大丈夫、私達には剛力の魔人がいる」「はいはい、お任せくださいな」 私はえいやと比較的小さい方の雪玉を持ち上げると、魔法で不可視の台を作り、その上に乗る。 そして雪玉と雪玉をドッキング。雪だるまの完成だ。 後は雪だるまっぽく、目と口を彫ってと。「わー、できたー!」「できたね」 ビアンカとハルエーナ王女がそう言ってはしゃぐ。 侍女達三人も嬉しそうに拍手をしている。 パレスナ嬢は雪だるまの方を向いて、素早くスケッチだかクロッキーだかをしている。「よし、次は何をしましょうか」 台から降りて、私はビアンカ達に問いかけた。「じゃあ今度こそ雪合戦!」 そう元気よくビアンカが答えた。「では、先ほどの場所に戻りましょうか」 私は皆を元の場所に促す。椅子を出したままだからな。 そして場所を移し、始まる雪合戦。私は手加減をして丸く握った雪玉を投げていく。本気で投げると人死にが出るからな。 十数分ほど投げ続け、ハルエーナ王女の侍女達がへろへろになったので一時休憩。 その間も、ビアンカとハルエーナ王女は楽しそうに後宮を走り回っていた。「あー、かまくら作ってる!」 ビアンカが突然そんな声をあげた。なんだろう、と彼女に近づいて視線の先を追ってみると、確かにそこにはかまくらがあった。 それを誰が作っていたかというと。「あらあら。おはようございますー」 お菓子作りの令嬢トリール嬢が、侍女や下女達と一緒に大きなかまくらを作っていた。 雪の日に外に出て遊ぶなんて、十五歳にしては可愛いところがあるもんだ。「おはようございます! かまくら作ってるんですね!」 ビアンカが元気に挨拶を返す。すると、トリール嬢は楽しそうに話し出した。「かまくらの中で火を焚いてお菓子を炙ると、これがまた美味しいんですよー」「わー、なにそれ! 楽しそうですね!」「順番になってしまいますけど、一緒に食べましょうかー」「わーい!」 ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶビアンカ。完全に童心に返っているな。いや、これは童心そのもので返ってるとは言わないのか。 やがて、完成した大きなかまくらの中に七輪のような調理器具が置かれ、そこで温まりながら焼いた何かのお菓子を食べていく面々。 ビアンカとハルエーナ王女の番が終わり、楽しそうにかまくらから出てきた。「美味しかった!」「うん、至高」 そう言って、またきゃっきゃと喜ぶ二人であった。「次、キリンさんもどうぞー」「あ、どうも」 トリール嬢に促されて、かまくらの中に入る。中はそれなりに広い。かまくらの中心では、藁炭の入った調理器具が熱を発していて、その上に煎餅のような物が置かれている。 それをじっと眺めていると、「どうぞ」と焼いた煎餅を渡された。おお、あちあち。 って、ん? 今の声、聞き覚えがあるような……。「いやー、美味しいですね、熱いお菓子」 そこに居たのは、下女のカーリンだった。この子、本当にどこにでも出没するな……。「除雪に駆り出されて初めて後宮に入りましたけど、楽しそうな場所ですね」 煎餅を頬張りながら、そうカーリンは言った。 私も、熱々の煎餅を口にする。うーん、熱くて美味しい。形状から塩味を想像していたが、甘くて美味しいぞ。 そして、口の中をもごもごさせながら私は、カーリンに言葉を返した。私の声は喉から出ていないので、食べながら話せるのだ。「楽しい場所だよ。王妃候補者はみんな良い子達ばかりだ」「そうですか。でも、公爵家のご令嬢に嫌がらせをしている人が居るって話ですけど」 カーリンもその話を知ってるのか。「何も、王妃候補者がやっているとは限らないだろう?」「侍女とかですか。推理は進んでいる感じです?」「推理なんてしないよ、小説の探偵じゃないんだから」 パレスナ嬢は犯人捜しなんていらないと言っていた。 現実は推理小説じゃないんだ。名探偵役も罪を暴かれる犯人役もいない。それで良い。「そうですか。フィーナ・レレーヌ。いやあ、除雪なんて嫌だと思っていましたけど、役得ですねー」 ごちそうさまを意味する聖句を唱えてかまくら内部を光らせながら、カーリンが嬉しそうに言う。「そうだな。さて、そろそろ出るか」 お菓子を飲み込み、私はカーリンと共にかまくらを出た。 外では、またビアンカとハルエーナ王女が雪玉を投げ合っており、パレスナ嬢がかまくらをスケッチしていた。 雪の日の一幕。楽しい一日だ。そう思いながら、私も雪投げに参戦した。意外なことにトリール嬢も乗ってきて、彼女の侍女達も含めた大人数での雪合戦となった。 そして雪で遊ぶうちに、日が高くなってきた。 薔薇の宮からフランカさんがやってきて、私達に向けて言った。「そろそろお昼時です。食事の前に、体が冷えたでしょうから温泉に入ってきてください」 そんな時間か。私も侍女宿舎に戻るかな。そう思ったときだ。「キリンちゃんもお風呂行こう!」「行こう」 ビアンカとハルエーナ王女に捕まった。「そうね、たまにはキリンも一緒に行きましょうか」「お風呂ですか? そういえばキリンさんを見たことないですねー」 そうパレスナ嬢とトリール嬢に言われ、私は後宮のお風呂に入ることになったのだった。 実は魔法で体を温めていたから、ちっとも冷えていないとは今更言い出しにくい……。◆◇◆◇◆ 昼顔の宮。後宮の温泉施設である。特に誰も住んでいない、後宮滞在者達のための公共施設のようなものだ。 王妃候補者が住むそれぞれの宮殿には、お風呂がない。なので、後宮に滞在する者達は、銭湯感覚でこの昼顔の宮に通う必要がある。 しかし、宮殿の外は屋根がなく、今は冬だ。通うのは辛かろう。 それでも居住空間内に個別にお風呂を作らないのは、毎日の王妃候補者達の交流の場として、この昼顔の宮が使われているからだ。 後宮は王族とその配偶者候補との交流の場だが、配偶者候補達の交流の場でもある。貴族同士仲良くして、国の結束を固めようという狙いがあるのだろう。 そんなことを道中でパレスナ嬢から聞いた。「わー、昼から温泉だー」 一糸まとわぬ姿になったビアンカがはしゃいで、湯船へと向かう。 ハルエーナ王女は何やらトリール嬢と話をしている。湯着の類は、この国の文化には存在しないため誰も着ていない。 私は侍女として、パレスナ嬢のお世話をすることにした。「お背中お流しします」「あら、悪いわね」 そう言葉を交わしてパレスナ嬢の体と髪を洗い、お湯で洗い流す。薔薇の石鹸の香りが心地よい。 王城は下水完備だ。城下町もだ。おかげで、温泉が湧き出ているということもあってか、王都イブカルは清潔な町並みであった。「キリンも洗ってあげる」「え、いえ、私は別に」「いいからいいから」 そう言ってパレスナ嬢は私の全身を丸洗いにした。侍女がお世話されてどうするんだ。私も薔薇の香りを全身から漂わせることになった。 そして私達は湯船へと向かう。 侍女宿舎の大きな湯船に負けない、広々としたものだ。貴族の子女が使うとあって、豪勢な彫刻なんかも壁に彫られている。 掃除も大変だろうな。下女達は、いつ掃除しているんだろう。「私熱いのが苦手だから、こっちへ行くわ」 パレスナ嬢が隅っこへと向かう。 ちなみに私は熱いのが好きだ。なので、お湯が注がれている方へ行く。お嬢様のお世話? 湯船でどうしろというのだ。 私は湯船の中をざぶざぶと進む。 と、肉食獣の彫刻の口から、小さな滝のように出るお湯の下に、意外な者がいた。猫だ。「猫、お前……」 ハルエーナ王女の宮殿に居たんじゃないのか。 前に猫の匂いを嗅いだとき清潔な感じがしていたが、自分でお風呂に入りに来ていたのか。今も猫からはくすぶる火の匂いがする。 しかしこいつ……。猫は、降り注ぐお湯に打たれてとろけるような表情をしていた。よく溺れないな。 そんなことを思いつつ、猫の横で熱いお湯に浸かる私。お湯の温度は四十三、四度ってところか。 ああ、やっぱり温泉って良いね。体の芯から温まる……。 そんな風に十分ほどのんびりしていたときのこと。「あれ、『ねこ』来てた」 ハルエーナ王女が近づいてくる。私の横を通り過ぎると、ふわりと花の香りがした。私と同じく石鹸の匂いだろうか。 そして、王女は湯に打たれる猫を胸の前で抱きかかえた。「『ねこ』、体洗ってあげる」「にゃー」「大丈夫、動物の肌に優しい石鹸使うから」「にゃー」「私に嘘は通じない。まだ洗ってない」 そう言って立ち去ろうとするハルエーナ王女だが、ふと立ち止まってこちらを見てきた。「キリン、ちょっとお願いしたいことがある」「はい、なんでしょうか。お力になれることでしたら是非に」 話を振られたので、無難にそう答えておく。「今月の国王とのお茶会で、私の故郷のお菓子を出したい」 なるほど。先ほどトリール嬢と話していたのは、それ関連かな。「世界中を巡ったというキリンなら、私の国のお菓子も知ってる?」「塩の国のお菓子ですか。いくつか知っていますよ」 あの国は、この国の隣の大陸にあるからな。何度も訪れたことがある。 それを聞いたハルエーナ王女は、安心したように息を吐く。「じゃあ、また後日、詳しい話をしにいく」 そう言って、猫を抱えたまま王女は洗い場に去っていった。 塩の国のお菓子かぁ。どんなのがあったかな。 私は湯船にゆっくりと浸かりながら、塩の国についての魂の記憶を精査していくのであった。