後宮の一画、テーブルと椅子が並べられた開けた場所。 お茶会でも開くために用意されているであろうその場所で、私達は猫を囲んで歓談していた。 今は冬期の8月1日。ドレスの上にコートを着込んでも少し肌寒い。なので、私は地面に魔法陣を敷き、そこから温かい熱が放射されるようにした。 途端に、周囲は温まり、過ごしやすくなる。 猫はハルエーナ王女の腕から抜け出し、魔法陣の近くで丸くなる。 それを王女は追い、また猫を腕に抱える。 そんな様子を眺めながら、私は幻影魔法を活用して前世に居た猫を紹介し、さらには子供の頃に飼っていた猫についての話を繰り広げた。 そして、いくらかの時間が過ぎ去ったときのことだ。「はー、面白かったわ。キリン、名探偵すごいわね! 推理ってなにこれ!」 と、パレスナ嬢が本を読み終わったようだ。いかにも感想を話したがっている。しかしだ。「あ、今猫トーク中ですので」「なんでよ! ホルムスとワトー夫人の絶妙な関係とか色々話せるでしょ!」 えー、しょうがないなぁ。「二人の関係は、『大河に消ゆ』が最高にきてる」 って、ええっ、ハルエーナ王女が思わぬ会話のキャッチ&スロー。「ハルエーナ様、名探偵ホルムス読んでるんですか?」 そう私が尋ねてみると。「ん。この国の言葉の勉強に読んだ。最高に面白い」 こんなところにファンが一名! 猫とか話している雰囲気じゃなくなった。それを察したのか、猫は王女の腕から抜け出していた。「『王都イブカル殺人事件』から『大河に消ゆ』まで、全巻持ってる」 おおう、王女、猫トークの時より饒舌になってる。 これにはパレスナ嬢もにっこり……するかと思ったら、驚いた顔で王女を見ている。「『大河に消ゆ』? 全巻? もしかしてこれで完結じゃないの?」 『王都イブカル殺人事件』を手に持ちながら、そう言うパレスナ嬢。 それに対し、ハルエーナ王女は事実を述べる。「現在全六巻。以下続刊」「まだ五冊もあるのね! キリン、見せてくれるかしら?」「ティニク商会に行くなら、そちらで買えますよ」「三日も後じゃないの! 勿論買うけれど! 少年探偵団も一緒に!」 パレスナ嬢をここまで惹きつける名探偵ホルムスが名作過ぎる……すごいなこの世界の小説家も。「私が貸すよ?」 そう王女がパレスナ嬢に言うが、私が待ったをかける。「大丈夫です。私が貸しておきますよ」 買ったらどうだと聞いただけで、貸さないとは言っていないからね。 私の言葉に、パレスナ嬢の表情がぱっと華やぐ。「ありがとう! 続きは後で読むとして、今は感想を話し合いたいわ」 その要求に、私は頷いて了解する。 さて……事件の内容は覚えているが、ホルムスとワトー夫人の会話はどこまでが一巻の内容だったかな……! ネタバレしそうで怖い! 私と同じことを考えているのか、ハルエーナ王女も少し渋い顔をして言った。「先の展開を言わない自信がない……」「それは困るわ! どうしましょう」 焦るパレスナ嬢に、王女は言葉を続ける。「パレスナが感想を言って、私達が同意をしていく」「それでいいわ」 いいのかよ。まあ、お嬢様の御心のままにだ。 早速とパレスナ嬢は感想を述べ始める。「ホルムスとワトー夫人が登場時既に仲のいい知り合いなのに、読者として疎外感を感じないのはすごいと思ったの。私あまり本を読まないから詳しくないけれど、こういうのって出会いから始めて主人公と読者に同じ体験をさせるものでしょう? それなのに既に知り合い。でもそれがしっくりくる。むしろ安心感すら感じたわ。それでね――」 パレスナ嬢が一方的にまくし立て、私達二人はうんうんと肯定していく。 それが何十分と続く。苦痛ではない。だって、自分の知っている好きな作品の感想だからね。 やがて、長く続いたパレスナ嬢の感想語りは終わりを迎える。「だから、推理小説というのは普段読書をしない私にも感じ取れる、新基軸の分野なのよ。はー、楽しかった。フランカ、お茶をお願いするわ」「かしこまりました」 そしてこのタイミングでお湯を新しく用意していたフランカさんが、パレスナ嬢にお茶を淹れる。ううむ、侍女の鑑。 疲れた喉をお茶でうるおわせながら、パレスナ嬢は言葉を新たに紡いだ。「これだけ本の話をするなら、ファミーも一緒にいたらよかったわ」 はて、新しい人物名らしきものが登場したぞ。「あの人は本のことになったら我を忘れるから……全巻読んだ方が良い」「ああそうね。確かに。じゃあ白詰草の宮に突撃はやめておくわ」 ハルエーナ王女の忠告らしき言葉に、そう肯定するパレスナ嬢。 文脈から察するに、ファミーとは読書が好きな白詰草の宮にいる王妃候補者だろうか。「では、他の子達も陛下も来ないみたいだし、私はそろそろお暇するわね」 そう言って、パレスナ嬢は席を立ち上がろうとする。「待って」 ハルエーナ王女はパレスナ嬢を引き留めた。 何かしら、と座り直したパレスナ嬢は言葉を返す。「そちらの侍女は、新しい人?」「ええ、王城から派遣された、薔薇の宮の新しい侍女よ。キリン」 パレスナ嬢に促され、改めて挨拶をする。猫談義のときに挨拶くらいしておけばよかったか。「本日付でパレスナ様の侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタと申します。キリンが名前です」 この国の平民の命名規則に則ると、私の名前はキリン領のウィーワチッタ家のセトさんになっちゃうからな。私を完全に知らない人にはキリンが名前って言っておかないとな。 実際は、セト族のキリンさん、魔法師名ウィーワチッタだ。 魔法師名は師匠の魔女から、魔法を受け継ぐなら継承者として『チッタ』の名が付く新しい名を考えろと言われて、自分で考えた名前だ。タワーウィッチのアナグラムである。「国王が言ってた通り、カードにいる魔人の人だった。ちょっと感動」 国王ってうちの国の国王のことだよね? あいつ何言ってるんだ。 ただまあ、こういう反応も二ヶ月ぐらいぶりだ。入城当初は、侍女宿舎でよく侍女に募られたものだ。今はただの同僚って感じだけれども。「左様でございますか」 私はそう言って、さっと侍女の礼を取った。 サインをねだってこないだけ、初対面時の侍女達よりも大人しいものだ。「ぐぬぬ、カードにキリンがいるですって。私の『魔人姫の死闘』もカード化してくれないかしら」 などと椅子に座りながらぼやいているパレスナ嬢。そこは自分でゼリンなり教会なりに交渉していただきたい。 そこで改めて場はお開きとなり、パレスナ嬢一行とハルエーナ王女一行は別れることとなった。「ごきげんよう」 そう言って優雅に去っていくパレスナ嬢。私達侍女と護衛もそれを追う。 フランカさんがワゴンを押しているからか、パレスナ嬢の歩みはどこかゆっくりめだ。 冬だというのに結構長い間外にいたな。 ただ、まだ冬期も一日目ということで厳しい寒さにはならなかった。 皆コートも着ていたし、体が冷えすぎて風邪を引くということはないだろう、おそらく。 今度あそこにいくときは、周囲を結界で囲って魔法で温める簡易温室を作ることも考えておくべきかもしれない。 私達は後宮を薔薇の宮に向けて歩いていく。すると。「お嬢様、伏せて!」 護衛のビビがパレスナ嬢に覆い被さる。それに合わせるように、空から矢が降ってきた。 一本の矢。それがビビに命中するかに見えたところで、矢は消失する。「……むっ」 ビビが空を見上げる。私はその勇敢な姿に向かって、言った。「魔法障壁で消し飛ばしました。魔法の矢だったみたいですね」 私は空から何かが迫ってくると感じて、魔法障壁を上に向けて張ったのだ。「そうか、助かりました」 ビビはそう言って立ち上がると、パレスナ嬢に手を差し伸べ、立ち上がらせる。「とんでもない目にあったわ。早く薔薇の宮に戻るわよ」 そのパレスナ嬢の言葉に、ビビも追従する。「ええ、空から来た攻撃です。早く屋根のある場所に行きましょう」 そうして、私達は足早に薔薇の宮を目指すと、宮殿の門をくぐって安心の息を吐いた。「いやはや、キリン殿がおれば私などいらぬとは、本当のことでしたね」 そうビビに言われるが。「いえ、咄嗟に主の身をかばえるのはすごいことです。私は護衛として常に構えているわけではありませんし、頼りにしています」 四六時中護衛対象を守るために気を張るなど、私には到底無理だ。今回の成果を受けて、護衛を減らすとかなっては目も当てられない。 そして、私達は宮殿の玄関口を抜けて、宮殿内の広間に出た。「やっと着いたわね。さあ、キリン」「はい、何でしょう」 パレスナ嬢に何かを促される。「名探偵ホルムスの続きを貸してくださる?」 こ、ここでそれかぁー。私は促されるままに空間収納魔法から、二巻目である『名探偵ホルムス 探偵の帰還』だ。これは長編の一巻目と違い、短編集となっている。「やったわ、夕食まで読書時間よ!」 そう言って、本を胸に抱きしめるパレスナ嬢。 そこまで嬉しかったか。活字が苦手と言っていたのはほんの数時間前のことなのに。「では、私は巡回の騎士に襲撃があったことを伝えて参ります」 と、ビビが宮殿を退出しようとする。「ちょっと待ってください」 私はビビを呼び止める。「はっ、何でしょうか」「実はですね、あの魔法の矢、正体は麻痺の矢でした」「麻痺の矢、ですか?」 ビビが疑問符を頭に浮かべる。私は詳しく説明をした。「人に当たると、その人は半日くらい動けなくなる麻痺の矢です。動けなくなる以外は特に怪我をしたりはしません」「それは……なんとも」 確かにこれは、嫌がらせだ。人死にが出そうにないという意味でだ。 麻痺の矢とはずいぶん平和的だなと思う一方で、これがエスカレートしないという保証はどこにもないという怖さもある。今回はただの警告かもしれない。お前を狙っているぞという。 しかし、こう後宮っぽい陰湿な感じじゃなくて、直接手段なのかぁ……。「魔法式を写しますので、これも提出してください」 空間収納魔法から頑丈な紙を一枚取り出すと、そこに念写で魔法式を書いていく。古くさい魔法式だ。どこの古株貴族の仕業なのやら。 魔法式の書いた紙をビビに渡すと、ビビは一礼して宮殿を出ていった。 その様子を主として見守っていたパレスナ嬢は、待ちきれなかったのか、「行くわよ」と私室へ足早に向かっていった。 そしてパレスナ嬢が本を読んでいる間、私達侍女三人は刺繍をして過ごし、パレスナ嬢が本を読み終わる頃には夕食の時間が迫っていた。「三冊目、貸してくださる?」「これから夕食ですよ、パレスナ様」 私はそう拒否の意思を示そうとするのだが。「夕食を食べて、お風呂に入って、その後読む物が必要なのよ」「いつまで起きているつもりですか……」「すごいわよね、魔法照明。後宮に来て写真の次に驚いた魔法道具だわ。街灯にしか使えないものだと思ってた」 まあ、照明の類も、便利すぎる魔法照明は道具協会の管理下にあるからね。町中でも街灯は魔法照明だが、個人宅には導入されていない。人は夜に余裕ができすぎたら、余計なことしでかすから。「貸してくれるかしら?」 そう言うパレスナ嬢に、私は仕方なしに空間収納魔法から本を取り出しながら、言った。「残り四冊全てお貸ししますが、フランカさんに渡しておきますね」「ええっ、なんでフランカに」「なんででしょうね」 フランカさんがじっと私のことを凝視してくるからじゃないかな。 私が本をフランカさんに渡すと、彼女の視線は治まった。ほら、正解だ。 私は別に主人の生活習慣を万全な物にすべしというような義務感は負っていないが、地元からついてきたフランカさんにはそういったものがあるのだろう。「フランカ、お風呂の後に一冊で良いから読ませてね! 一冊で良いから!」 私は今日はもう疲れたので、宮殿を出て夕食を食べたら、のんびり温かい温泉にでも浸かりたい気分だった。 ちなみにこの王城の浴場は天然温泉だ。こればかりは、あの道具協会でも規制できない最高の文化であった。「むむ、侍女宿舎のお風呂、気になるわね。仲間と裸のお付き合い。インスピレーションが湧きそう」「春画でも描くおつもりか」 私がそうじらりと睨みを利かせるように言うと、パレスナ嬢は縮こまる。「う、それはさすがにないわよ」 本格的に寒くなったら、日帰り温泉旅行にでも行こうかな。そんなことを思うのであった。