パレスナ嬢の描画を見守り、やがて昼となり昼食休憩を挟んで午後。 私はその昼食休憩の間、後宮から侍女宿舎に戻って昼食を食べ、侍女仲間と歓談してまた後宮へと戻る、という行動を取ることになる。 少し行き来が面倒だろうか。後宮で昼食をいただくことも、考えに入れておく必要があるかもしれない。 さて、仕事の話だ。 絵を描くのは午前中までと決めていたのか、午後からのパレスナ嬢は宮殿を出て後宮内の散策に出るようだった。 侍女三人がかりで綺麗なドレスを着せ、冬用のコートを羽織らせ、外出用の靴を履かせる。パレスナ嬢はそれを面倒臭そうに受け入れていた。「午後も絵を描きたいわ!」 そう言うパレスナ嬢であったが。「駄目です。後宮にいる以上、他の宮のお方とも交流を致しませんと」 などとフランカさんに切って捨てられる。 ぶちぶちと文句を言うパレスナ嬢であったが、宮殿を出る頃には顔に笑みを浮かべるようになり、口は閉じられた。お嬢様外行きモードに変身だ。さすがは公爵令嬢である。 散策の護衛には、門番を交代したフランカさんの妹ビビが付いてきている。「キリン殿がおれば、私のような護衛など必要ないとは思いますが」 そう苦笑するビビだが、今の私は侍女なので護衛は期待しないでいただきたい。 冬の寒空の下、後宮を歩いていく一行。特に誰ともすれ違わず、開けた場所に辿り着いた。 そこには、綺麗に磨かれた丸いテーブルと、それを囲むように七脚の椅子が置かれていた。これは、見覚えのある……そう、午前中にパレスナ嬢の絵で見た光景だ。 きっと、ここでお茶会を開いたりするのだろう。野外に置かれているというのに、テーブルや椅子には汚れ一つない。掃除下女さんご苦労様です。 その椅子の一つにパレスナ嬢は優雅に座った。「ここで待っていれば、そのうち誰かが来るでしょう」 今は冬でここは王城内とはいえ野外だが、人が集まるのだろうか。「その間、何か暇つぶしね。キリン、何かない?」 と、パレスナ嬢から唐突に話を振られる。私は少し考えて、パレスナ嬢に言葉を返す。「何か、ですか。そうですね、三日後にはティニク商会へ参りますし、挿絵のことについてはどうでしょう」「挿絵、挿絵ね。うーん、そもそも私ね、本をあまり読まないから挿絵について詳しくないのよ。描いてはみたいのだけど」 もしかしたら、活字に弱いのか。それで何故、本の挿絵を描きたいなどと言いだしたのだろうか。何か切っ掛けでもあったのか。 そして、椅子に座って私の方を向きながら、パレスナ嬢は言葉を続ける。「こう、初心者向けの本ってないのかしら。いえ、絵本でなくてね」「ありますよ、初心者向けの本」「あるの!? え、持っているの?」「はい、持っていますよ。挿絵もあります」「じゃあ、退席して良いから、ちょっと持ってきてくれるかしら? 侍女宿舎よね?」「大丈夫です。“持って”いますから」 私はそう言うと、空間収納魔法を発動する。空間が歪み、そこに手を突っ込む。それを見て護衛のビビは、ぎょっとした顔になる。フランカさんとビアンカも、顔に驚きを浮かべている。 その反応も、まあ当然か。空間収納魔法の見た目は、ちょっと不思議だからな。 空間収納魔法から一冊の本を取り出すと、私は魔法を解除した。空間の歪みが消え、元の光景へと戻る。「はい、こちらになります」 そう言って、題字がアルイブキラの言語で書かれた本をパレスナ嬢に差し出す。「何その魔法。すっごい便利そうだわ」 そんなことを言いながら、パレスナ嬢は本を受け取った。空間収納魔法のことか。「すっごい便利ですよ」 オウム返しをするように言葉を返す私。 まあ、当然の如く、難しい魔法なのだが。無詠唱でよくもまあできるものだよ。魔女の魔法ってすごい。「それより、本は何かしら。なになに、『ぼくら少年探偵団』……探偵?」 渡したのは、初心者向けの本、もとい児童向けの本だ。ティニク商会で売られている市販の本である。 それをパレスナ嬢は興味深そうに見ている。「探偵って、あの探偵かしら……」「あの情報収集を生業とする探偵です。まあ、実は本での扱いは少し違うのですが……」「何が違うのかしら?」「それは読んでのお楽しみということで」 パレスナ嬢の疑問に私がそう答えると、パレスナ嬢はまじまじとカラー印刷された表紙絵を眺める。複数の少年少女と、怪しい怪人が描かれた表紙絵だ。 そして、彼女は無言で表紙をめくり、本を読み始めた。 そのタイミングで、フランカさんはお茶を用意して参りますと言って退席していった。 無言の時間が続く。ビアンカが落ち着かないのか、ややもじもじとしているが、騒ぐようなことはしていない。 やがてフランカさんが、車輪付きワゴンでお茶を広間に運んできた。下はでこぼこの石畳ではなく、つるつるとして継ぎ目が少ない床なので、ワゴンががたつくことはないようだ。 フランカさんはお茶を淹れ、どうぞとパレスナ嬢へと差し出す。 パレスナ嬢はお茶を一口だけ飲むと、本に再び視線を戻した。 やがて、数十分が経過した後――「はあ、面白かったわ!」 本を読み終わったパレスナ嬢が、大きく息を吐き、本を閉じて笑みを浮かべた。 そしてテーブルの上に置かれた冷えてしまったお茶を手に取り、一息に飲み干す。「探偵って、事件の犯人を捜索したりもするのね!」「創作上の探偵の場合ですが、そうですね」 勢いよくまくしたてたパレスナ嬢に、私は無難に答えた。 パレスナ嬢はさらに感想が言いたいのか、コバヤー少年がどうとか、怪人黒虎がどうとか述べるので、私は適切な相づちを返していく。 そして、私はパレスナ嬢に一つの情報を落とした。「実はその本、スピンオフなんですよ」「スピンオフ? 何かの派生作品ってことかしら」「はい、こちらの――名探偵ホルムスの派生作品です」 私は、空間収納魔法で再び本を取り出し、パレスナ嬢に本の表紙を見せた。『名探偵ホルムス 王都イブカル殺人事件』。名探偵ホルムスシリーズの一作目だ。「ホルムス! コバヤー少年の先生ね!」 先ほどパレスナ嬢に渡した『ぼくら少年探偵団』は、この名探偵ホルムスシリーズに登場するキャラクターを使ったスピンオフ小説だ。少年探偵団に興味が湧いたのなら、ホルムスも紹介すべきだろう。「これは初心者向けの本ではありませんが、読みます?」「勿論!」 そう言ってパレスナ嬢は私から本を受け取り、表紙を興味深そうに見つめた。「『ぼくら少年探偵団』と比べると、シックな表紙絵ね。どこか大人向けというか……」「はい、名探偵ホルムスの表紙と挿絵は有名で、主人公の髪型を真似する男性が、巷で爆発的に増えたほどです。長髪ではないと真似できないことから、髪を伸ばす男性が王都のあちらこちらで見受けられるのだとか」「挿絵がブームになるのね。素敵だわ!」 表紙を開いて、再び本の世界に没頭し始めるパレスナ嬢。 それを私達侍女三人と護衛一人は優しく見守ることにした。 そしてしばらくした後、一人の貴族の少女が侍女を連れて広間へとやってきた。どこかこの国のものと違うドレスを着て、ストロベリーブロンドの髪を結い上げている美しい少女だ。「どうも、パレスナ」 少女は、そうパレスナ嬢に簡素な挨拶をする。しかし。「ちょっと後にしてくださる」 パレスナ嬢は本から顔を背けずに素っ気なく返した。本に没頭しすぎだ……!「申し訳ありません、ハルエーナ様。お嬢様は見ての通り、初めて読む本にはまってしまったようで……」 あまりにもあんまりな状況に、フランカさんがフォローを入れた。そうか、この子がハルエーナ王女か。私、すごいこの子が気になっている。なぜならば―ー「大丈夫、『ねこ』と遊んでいるから」 そう。ハルエーナ王女は、先ほどから猫を抱えているのだ。 黒ぶちの日本猫だろうか。可愛い。超可愛い。 ついちらちらと視線を送ってしまう。「何?」 と、ハルエーナ王女に見とがめられるほどに。「あ、いえ。猫可愛いなと」 侍女としてパレスナ嬢に付き従っていなければならないのに、勝手に視線を送ってしまったのは失礼なので、私はそう正直に答えておく。「うん。『ねこ』可愛い。ね?」「可愛いですよね、『ねこ』」 王女がビアンカに視線を向けると、そうビアンカも乗ってくる。 フランカさんは私達を咎める様子は欠片も見せない。むむ、主人の用事が終わるまで、お客様のお相手をするのも侍女の仕事ってことかな。「ハルエーナ様が飼われているんですか?」 私のそんな問いに、王女は首を振って否定した。「私が後宮に来たときにはすでにいた」「どこから来たんでしょうね」「にゃー」 ああっ、今鳴いたぞ。可愛い!「気がついたらここに居た、だって」 あ、王女は猫と会話出来るんだった。なんという神スキルだろうか。 でも、もし自分が飼ってる猫に「お前嫌い」とか言われてそれが理解出来たら、立ち直れそうにないな……。 というか、私の言葉で会話が成り立つってことは、人間の言葉が解るのかこの猫。賢い。 しかし可愛いな。触りたい。 そんなことを思ってそわそわしていると。「ん、触る?」 そう言ってハルエーナ王女が、腕の中の猫をこちらに差し出してきた。対人間の察し能力も高いぞ、この王女様!「にゃー」「優しく抱えろだって」「優しくします!」 私はそう言って、猫を受け取った。 ふおおお! 軽い! 柔らかい! 温かい! そして……うん? なんだこの香り。 私は腕に抱えていた猫の腹に顔を突っ込み、匂いを嗅いだ。「にゃー!」 当然の如く猫の反撃にあう。猫パンチいただきました! 爪は立てないんですねお優しい。「火の匂いがする……」 私が猫から感じた匂いの違和感は、それだった。「火ですか? 焦げ臭いんですか?」 そう言って、ビアンカもこちらに近づいて猫の匂いを嗅いでくる。「お日様の匂いがしました!」 ビアンカは、にぱっと笑顔になる。うん、臭くはないよねこの子。誰かにお風呂ちゃんと入れて貰っているのかな。 だが、火の匂いはそれじゃない。「いえ、私が感じたのは、魔法的な匂いで……火の神の匂いです」「火の神? あの天界の?」 ハルエーナ王女が不思議そうな顔でこちらに聞いてくる。 火の神。世界樹には、その火の神が支配する天界への門がある。この世界では世界樹教と二分する宗教勢力として、火の神を崇める拝火神教が存在している。「その火の神です。私の魂にもこの匂いが染みついているので、間違いありません」 前世の私は、火の神を祀るカルト宗教の施設で命を落とした。そしてこの世界で生まれて今、私の魂には天界の門を通った名残なのか、火の神の残り香と言うべきものが染みついている。 そして、この猫からもその火の神の匂いがするということは……。「猫、あなた、日本からやってきたんですか……」「にゃー」「日本良いとこ。お前何者? だって」 王女の翻訳が万能過ぎる……。「私は元日本人です。日本で死んでこちらに来ました」「にゃー」「『にほんじん』なら私の手下だな、だって」「そうですか……」 まあ、よく猫って飼い主のことを自分の下の、世話役的な存在か何かだと思っているって言うよね。でも可愛いから許す。 しかしこいつ賢いなぁ。火の神から何か祝福でも受け取ったのか。火の神、割と節操なく色々やるからな。地上への被害を考えずに。「キリンちゃん、私も抱かせて貰って良いですか?」「あ、はい」 ビアンカに猫をバトンタッチ。ビアンカは子供特有の遠慮の無さでわしわしと猫をいじり、猫は必死に暴れ回って抜け出した。 そして王女の足元まで走る猫。「あー」と残念そうにビアンカはそれを見送った。「この猫って、何か名前あるんですか?」 気になったので、そうビアンカとハルエーナ王女に尋ねてみる。「ん? 『ねこ』ですよ」「『ねこ』」 あ、それが名前なのね。まあいいか。 そしてその後も私達は、冬の寒空の下、私の前世の猫トークを中心に話を続けて時間を過ごした。 パレスナ嬢はその間、ただひたすら本を読みふけっていた。異国の王女相手にそれで大丈夫なのか、公爵令嬢。