侍女として主人に仕えるための前提の話として、私はパレスナ嬢に前世が男であったことを伝えることにした。 最近でも、元男だったことを伝えてカーリンなんかは驚いていたからな。 パレスナ嬢がアトリエに使っているという部屋の中で、私は前世について語った。 この世界ではない、地球という惑星に生きていたこと。男だったこと。仕事は貿易商社に勤めていたこと。 そんな話をパレスナ嬢はイーゼル(絵を置く三脚みたいな形をした支持台だ。画架とも言う)に立てかけた絵の前に座り、楽しそうに聞いていた。 パレスナ嬢が描いているのはお茶会の絵。お茶を飲む若い貴族の女性達が画面一杯に描かれており、パレスナ嬢はそれに色を重ねていく。 パレスナ嬢は、私が元男だったことは軽く流し、地球の事について話をせがんできた。 この世界に生まれて前世の話をする機会は幾度となくあったため、つっかえることなく話をしていく。「地球には魔法が存在しないため、魔法以外の技術が高度に発展していました」「魔法道具じゃない高度な技術! どんなのかしら」「この世界にも馬車はありますよね。それを引く動物を無くし、代わりに燃料を燃やすときに生まれる力を使って車輪を動かす、自動車というものに人は乗っていました」「自動車! 想像付かないわね!」「外見はこのようなものです」 私は、魔法の幻影で小さな自動車を作りだし、部屋中を走り回らせる。 それを見て、パレスナ嬢ではなく侍女のビアンカが、わっと喜んだ。「楽しそうです! メッポーのない馬車!」 メッポーとは馬のように使われる、この世界特有の動物だ。 とりあえず、私はビアンカを中心としてサーキットの幻影を出し、そこにF1カーを走らせておいた。 楽しそうに足元を眺めるビアンカ。ちなみに彼女の母親は、この宮殿に掃除下女がやってきたため、その監修をしている。「他には写真ですね。光を取り込むことで、光景をそのまま切り取ることができます。写真技術はこの世界にもあって、王城の身分証にも写真は使われています。規制対象技術なので、市井には絶対に出回らない技術です」 画家のパレスナ嬢が食いつきそうな技術の話をする。「そう、写真! 写真よ! 王城に来てびっくりしちゃったわ!」 と、思った通りに食いついてくる。「あんなものが広まっちゃったら、肖像画家も、風景画家も仕事が無くなって干上がっちゃうわ!」「写真が広まったからこそ生まれた、新しい絵画技術というのもあったんですけどね、地球では」 代表的なのが、モネを筆頭とする印象派だ。「なにそれ! それも魔法で見せて!」「いやあ、三十年も前の記憶なので、正確な絵なんて出せませんよ」「正確じゃなくていいから!」 パレスナ嬢に促され、私は前世の仕事でも扱ったことのある、モネの『印象・日の出』の複製画を小さなサイズで出力した。 魔法で魂の奥底から記憶を掘り起こして出してみたので、思ったよりも正確なのが出てきた。船が浮かぶ港の風景、水平線の上の空に浮かぶ日の出が独特のタッチで描かれている。「ほーう、ほーう」 パレスナ嬢はそれをとても興味深そうな目で見ている。 意外と上手く出力できたので、私は他の複製画も魂の記憶から再現してみた。これもまたモネで、『散歩・日傘をさす女性』だ。草原を歩く女性と少年を下のアングルから見上げている、明るい一枚だ。 今、パレスナ嬢は人物の描かれた絵を塗っているので、参考になるように人の描かれた印象派の絵を見せたのだ。「はー、新しい何かが生まれそう!」「この絵は印象派という種類の絵画で、写真の存在に大きな影響を受けたと言われています」「見たままを写し取れる存在に、影響を受けないはずがないわねー」 私の言葉にそう乗ってきてくれるパレスナ嬢。ちなみにビアンカは絵に興味が無いのか、ずっと足元のF1レーシングを楽しそうに眺めている。タイヤを消耗してピットインする様子も再現している自信作なので、楽しんでくれて何よりだ。「印象派の次は、写実的なものを否定するポスト印象派というものが隆盛します。その代表格にゴッホという画家がいるんですが――」 ゴッホの複製画は扱ったことがないので、幻影を出すことはしない。「そのゴッホに影響を与えたという、私の故郷の版画を浮世絵と言います」 画面いっぱいの迫力ある大波。その奥に見える上部に雪が残った山。葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』だ。前世の仕事で、日本からいくつも浮世絵を海外に流したので、魂に記憶は強く残っている。他にもいくつかの浮世絵を幻影で表示して見せた。「版画ねー。そっちはノータッチだわ。でも見事ね!」「本の挿絵をしたいなら白黒二色ですから、こういった線のくっきりした絵は参考になると思いますよ」「なるほど! これは良い勉強ね!」 パレスナ嬢の絵を塗る手は完全に止まって、私の表示する幻影の絵に視線が行っている。 あれ、絵が止まるならあまり良くない状況だな。私は少し興が乗りすぎたと反省し、絵の幻影をさっと消した。「ああん!」「絵、描くの止まってますよ」「あとちょっとだけ! キリンの一番好きな前世の絵は?」「ああ、それなら浮世絵で『鼠よけの猫』ですね」 歌川国芳という猫好きの浮世絵師による作品で、首に鈴を付けてふてぶてしい表情をした、黒ぶちの猫を描いたものだ。 この浮世絵を家に飾ると鼠よけになるという、おまじないの絵である。「『ねこ』! 私の絵にも『ねこ』居るわよ!」「へ?」 この世界に猫はいないはず。 パレスナ嬢に促されて、私はイーゼルに立てかけられた絵を改めてよく見てみる。すると、お茶会をする貴婦人達の足元に、確かに一匹の猫がいた。『鼠よけの猫』のように黒ぶちの猫だ。「何故猫が……?」「後宮を歩いていたから、モデルになって貰ったわ」「いえあの、この世界で猫っていないはずなんですけど……多分」「でも実際居たわよ。私も後宮に来るまでこんな動物見たことなかったけれど!」 一体何者なんだ猫……。 そもそもだ。「『ねこ』って、前世で私の住んでいた国の言葉なんですけれど……」「あらそうなの? 不思議ね。誰が言い出したのかしら」 私とパレスナ嬢は首をひねって不思議がる。元日本人の私が名付けないと、『ねこ』とは呼ばれなさそうなのだが。「『ねこ』って名前は『ねこ』ちゃん本人から聞いたんですよー」 F1に夢中になっていたビアンカが、ふと顔を上げてそんなことを言いだした。私達の会話、聞いていたのか。 しかし、すごいことを言ったぞこの子。「本人から聞いたって、猫が喋ったのですか?」 そうビアンカに聞いてみるが、ビアンカはなんてことない顔で返してくる。「ハルエーナちゃんは、動物とおしゃべりが出来るんです」 誰だハルエーナちゃん。ビアンカが朝に言っていたカードの子か。すごい特技だなそれ。 読心魔法という秘術があるが、それは心の声をそのまま聞き取る術だ。私のように術者にとって未知の言語で思考している場合、それを読み解けない限り読心は無意味だ。 だから、動物とおしゃべりするというのは、読心で行うのは無理だろう。動物は人間の言葉で思考していないからな。どちらかというと翻訳の能力になる。そちらの能力に長けた魔人かなにかなんだろうか。「ハルエーナさんは、塩の国から来ている第三王女ね。青百合の宮の主人よ」 そうパレスナ嬢が説明する。思ったよりも大物だった。 塩の国とは、この葉の大陸と同じ世界樹の枝にある別の葉の大陸、その端っこにある国だ。 その通称の通り塩を多く産出していて、塩が滅多に採れないこの国とは十数年前から交易が盛んになっている。 パレスナ嬢は説明を続けて言った。「塩の国とアルイブキラの友好を深めるために、後宮入りしたみたい。まあ、本人は陛下と結婚するつもりはないみたいだけれど」 なるほど。この後宮は、結婚する気ゼロでも交流目的で入って良い場所だからな。入るにはそれなりの審査を受けなくてはならないが。「王女様をちゃん付けですか」 そう思わずビアンカに向けて言ってしまう私。侍女が他の宮の王妃候補者をちゃん付けって、すごいな。「歳も近いし、すごい仲も良いから、良いのよ」 と、返してきたのはパレスナ嬢。その言葉を受けて、私は疑問に思ったことを言う。「そのお二人はおいくつなんですか?」「ビアンカは九歳です!」 元気よくビアンカが答えてくる。「おお、そんな歳で侍女をやっているって偉いですねえ」「キリンちゃんもそうじゃないの?」「私は二十九歳ですよ」「えー、嘘だー」「魔法で歳を取らないんです」「でも二十九歳はないよー」 何がないんだよ! そんな会話にパレスナ嬢はくすくすと笑い、言葉を投げかけてくる。「ハルエーナさんは十一歳よ。他の王妃候補者はみんな十五歳以上だから、侍女のビアンカと歳が近いってわけね。ちなみに私は十六歳よ」 十一歳。カーリンと同じかぁ。カーリンは妙にしっかりしているから解りにくいが、十一歳と言えばまだまだ子供だ。二十代も後半にさしかかった国王と組み合わせるのは、ちょっとないなと感じる。まあ、パレスナ嬢の言うとおり異国の王との国際交流目的なのだろう。「その王女様が、猫から『ねこ』と聞いた……」 何者なんだ猫……。 日本語の『ねこ』という言葉を知っているってことは、日本にいた猫? いやいやまさかそんな。「ま、後宮にいればそのうち『ねこ』にも会えるわよ。それよりも、もっと前世の話をしてちょうだい」 もやもやとした疑問を残したまま、私は前世の記憶の中で、パレスナ嬢の興味を引きそうな話を選ぶ。絵の話はしたので絵以外でだ。 なお、筆が止まるので幻影魔法はもう使わないでおく。ついでにF1サーキットを消す。「ああっ」と残念そうな声がビアンカから上がるが、無視しておく。「前世では、人は空を飛べていました。飛行機というのですけれど、空気の流れをとことんまで究明して、鉄の塊を空に飛ばしていたのです。人は馬車のようにその鉄の塊の中に乗っていました」「空をしかも鉄! 想像付かないわね」「そうですね……紙を一枚貰えますか?」「紙? クロッキー用の紙ならいくらでもあるから良いけれど」 薄めの紙を魔法で正方形にカットし、紙を折る。作り上がったのは、紙飛行機だ。「見ていてくださいね」 パレスナ嬢の手元が狂わないように、注目を集める一言を言っておく。 そして、私はアトリエの端まで寄り、紙飛行機を部屋の中央に向けて飛ばした。「わー、紙飛ばしだー。男の子とかよくやってるー!」 良いリアクションをありがとう、ビアンカ君。「飛行機はこの紙が飛ぶ仕組みをとことんまで突き詰めて、空を飛べるようにしたわけですね。この世界でそんな研究をしようものなら、道具協会がやってきますけど」 私の言葉に、パレスナ嬢は絵に絵の具を塗りつけながら、うーむと思考を沈めた。「空を飛ぶ……どんな景色なのかしら。竜なら空を飛べるだろうけれど、竜を飼い慣らすなんて無理だし……魔法はどうなのかしら」「世界の中枢『幹』が使う魔法に、重力魔法というものがありまして、それを使える魔法使いなら空を飛べますね」 この世界樹の世界は月の上にあるため、重力が軽い。なので、『幹』は重力魔法を使って、世界樹の地表を惑星と同じ重力環境にしているのだ。人が惑星の外で生きるためにクリアすべき項目は、非常に多い。「重力……? 風でびゅーって飛ぶのじゃ駄目なの?」「風だけで人が浮こうと思ったら、ハングライダーっていう専用の道具が必要ですねえ」「どうせそれも、道具協会が飛んできて規制するやつでしょう?」 はい、その通りです。人が空を飛ぶと流通革命が起きる。その流通革命なんて、一番道具協会が起こらないよう目を光らせているところだからな。 そんなパレスナ嬢と私の会話の最中にも、ビアンカは私の紙飛行機を使って、紙を飛ばす遊びに執心していた。 あー、F1を見せてから完全に集中力が途切れちゃっているな。勝手知ったるお嬢様の部屋だもんな。でも、アトリエだから動き回るのはいけない。「ビアンカさん。紙飛行機飛ばすのはやめて、折り紙しましょうか」「折り紙? 何ですかそれ?」 ぴたりとビアンカの動きが止まる。続けて私は言った。「紙を使った芸術ですよ」「芸術? 何それ気になるわ」 今度はビアンカじゃなくて、パレスナ嬢が食いついてきた。私は苦笑しながら、パレスナ嬢から追加で紙をいくつか貰った。 その紙を正方形に魔法でカットし、ビアンカと一緒に紙を折っていく。 折り紙の紙は、ティニク商会で売り出している商品の一つだ。その紙を売り出すために、教本を作ったりもした。その手順は忘れていない。「はい出来ました、お花ー」「わー、キリンちゃんすごい」「えっ、なになに、ここからじゃ見えないのだけれど!」 歓声を喜ぶ私とビアンカに、絵の前から動けず焦りの声を上げるパレスナ嬢。 仲間外れもなんなので、私はビアンカをパレスナ嬢のもとへと差し向ける。「ビアンカさん、パレスナ様にも見せてあげて」「はい! お嬢様ー」「ん、んー、なるほど、紙で出来た飾りね」「お嬢様、これただの紙飾りじゃないですよ。切らないで折るだけなんです」「へー、そうなんだー」 感動の薄いパレスナ嬢の反応に、「むー」と膨れるビアンカ。 私は苦笑して、ビアンカに手招きして引き戻す。 そして、ビアンカに向けて私は言う。「せっかくだから、もっと色々作ってパレスナ様を驚かせてあげましょうか」「お花一杯作るの?」「お花以外も一杯作りますよ」 そして私は、ビアンカと一緒に動物や虫、正六面体やリボン、薔薇などを作っていった。 パレスナ嬢はその間、集中して絵画を描き続けていたようだ。もう折り紙に興味は無いらしい。「出来たー!」 紙を使い切って、ビアンカはそう満面の笑みで完成を喜んだ。「では、パレスナ様に見せに行きましょうか」「はい! あ、一杯ありすぎて手に持ちきれない」「はいはい」 私は空間収納魔法を使ってお盆を取り出すと、その上に折り紙を並べていく。 そして、再度ビアンカをパレスナ嬢のもとへと向かわせた。「お嬢様ー、折り紙出来ましたー!」「んー? えっ、なにこれすごい」 今度こそパレスナ嬢は驚いてくれたようだ。「これを切らずに折るだけで作っているわけね。なるほど、確かに芸術性があるわね!」「でしょうー!」 パレスナ嬢の折り紙を認める言葉を受けて、喜びの声をあげるビアンカ。 そんな微笑ましい光景を見ていたときのことだ、部屋にノックの音が響く。「どうぞ」とパレスナ嬢が入室を促すと、フランカさんが一人部屋へと入ってくる。下女の掃除監修が終わったのだろう。 フランカさんは部屋の中をざっと見渡すと、私の方へと近づいてくる。そして、小さな声で私に尋ねてくる。「ただいま戻りました。キリンさん、娘はしっかり大人しくしていましたか?」「はい、していましたよ」 F1レースに夢中にさせちゃったけど、あれは私が悪いからな。「お母さん!」 折り紙の乗ったお盆を持ったビアンカが、私達のもとへと歩み寄ってくる。 そして、お盆をフランカさんに掲げて見せながら、言った。「これ、キリンちゃんと一緒に作ったの」 それを見たフランカさんは、驚いた顔を見せ、私に向けて呟いた。「キリンさん」「はい」「娘ってもしかして、天才なのでしょうか?」「え、いやあ、どうでしょうね」 芸術性高く見えるけど、手順に従ったら誰でも出来るからねこれ! ティニク商会に行ったら、カラフルな折り紙と教本をプレゼントでもしてあげるかな、と私は思ったのだった。