この国では、一ヶ月を約四十日、一年を九ヶ月と定めている。 そして、それぞれの月を初春・仲春・晩春・初夏・晩夏・初秋・晩秋・冬期・雨期と分類し、天候を調節している。 今日は8月1日。冬期の一日目となる日だ。 天を動く人工太陽の光は抑えられ、気温は下がり冷え込む空気となっている。辛い季節だが、ひと月で終わるのはありがたい。春長く冬短いのが、この国が農業大国でいられる理由の一つだと言えた。世界の中には常春の国とかもあるけど。 そんな冬の朝の侍女宿舎。朝食を終え身支度を終えた侍女達が、宿舎入口に集まっていた。 侍女達の前にあるのは、向日葵麦の麦わらで作られた炭が入った、大きな火鉢。 暖を取っている……わけではない。 火鉢の番をしている下女が、金属のトングで炭をかき分ける。そして、トングで何かを掴み取った。 下女がトングで掴んだのは、石だ。下女は、石を火鉢の脇に置かれた金だらいに入れる。金だらいには水が満たされていて、石は水が沸騰する小気味よい音をたてながら冷やされていく。 やがて、あら熱を取った石を下女は金だらいからまたトングで取り出し、もう一人の下女が広げる湿った布袋の中に入れ、それを侍女の一人に渡した。 布袋を受け取った侍女は、それを冬用ドレスの懐にしまうと、「行って参ります」と周囲の侍女に挨拶をし、宿舎を出て行った。 この布袋と石は、温石(おんじゃく)と呼ばれる原始的な携帯カイロだ。 石の保温効果で一時間ほど懐を暖めてくれる冬の便利道具である。一時間と聞くと短いと思うかもしれないが、今はまだ朝早く、日が照り気温が高まるまでの繋ぎと思えば、無駄になるものではない。「次はキリンさんですわよ」 侍女達に促され、私も下女から温石を受け取る。実のところ、私は魔法で暖を取れるのだが、侍女達に混じってこういう道具を使うのがなんだか楽しいので、素直に受け取り使うことにする。 侍女の冬用のドレスに付けられた、専用のポケットに布袋を入れる。ぽかぽかと体の芯から温まってくるかのように感じる。 私はよし、と気合いを入れると、他の侍女に倣って侍女宿舎を後にした。 今日から、私の仕事場は後宮だ。 王城を進み、王宮へと入る。途中道行く人と挨拶を交わしながら、王宮の一階を奥へ奥へと進んでいく。 そして王宮の裏、後宮へと続く廊下へとさしかかる。そこには、後宮を守る女性騎士が二人、門番となって立ち塞がっていた。 私はその門番の前で、懐から侍女一人一人に与えられている身分証を取り出した。 身分証には、赤の宮廷魔法師団によって撮影された顔写真が印刷されている。身分証にしろ顔写真にしろ、この国の文明的に見て妙にハイテクである。ただ、身分証はそのまま懐に入れるのではなくしやすいので、首から紐でかけるようにした方が安心できるのだが。 向かって右側に立つ門番が身分証を受け取り、その内容を確認する。 そしてチェックを終えて、身分証は返却され、私は懐にそれをしまい直す。「お噂はかねがね」 門番がそう私に向かって言ってくる。 噂って、何の噂なんですかね……。 気になるが、私はとりあえず仕事場へ素直に向かうことにする。通る前に、門番へ一礼。「寒い中大変でしょうが、頑張ってくださいね」「はっ! どうぞお通りください」 二人の門番と挨拶を交わし、後宮へと入場する。 目に入ってきたのは、空だ。屋根はない。後宮は一つの建物ではない。高い壁に囲まれた、王城の一区画なのだ。その区画の敷地中に、いくつかの宮殿が建てられている。宮殿の一つ一つに、それぞれの宮殿の暫定主となる王妃候補者が住み込んでいる。 私は、先日国王から見せられた後宮の見取り図を思い出し、それに従って仕事場となる薔薇の宮へと向かう。 宮殿の外壁には、解りやすいよう宮殿名に対応する花が彫刻されている。 少し歩くと、薔薇の彫刻がなされた宮殿に到着した。 宮殿の入口には、またもや金髪の女性が門番として立っていた。王城の中なのに物々しいな。 今は男子禁制ということで後宮入口に門番が居るのは解るのだが、宮殿にまで門番がいるのか。嫌がらせを受けているとの話があったが、それが原因かもしれない。 私は、門番に身分証を提示し、侍女の礼を取り挨拶をした。「本日からパレスナ様の担当侍女となりました、キリン・セト・ウィーワチッタでございます」 身分証を確認した金髪の女性は、返礼として騎士の礼を返してくる。「よくぞいらっしゃいました。今、他の侍女をお呼びしますので、少々お待ちください」 そう言って、金髪の女性は宮殿の中へと入っていく。私はおとなしく入口の前で待っていることにした。 やがて金髪の女性は一人の侍女を伴って入口に戻ってきた。侍女の見た目の年齢は、三十代半ばほど。若い侍女が多い侍女宿舎の方では、あまり見ない年齢帯の人だ。いや、私自身が見事にアラサーなのだけども。「お待ちしておりました。どうぞ中へとお入りください」 侍女に促され、宮殿へと入っていく私。入口を抜けた先は広間となっており、複数の廊下へと続いている。 さすがに宮殿内部の見取り図までは知らないので、侍女に案内されながら頭に構造を記憶しておく。「侍女のフランカと申します」「キリンです。よろしくお願いします」 たがいに侍女の礼を取る。むう、洗練された礼だな。新米侍女の私と違って年季を感じるぞ。この人が同僚と思うと少し緊張するな。「早速ですが、お嬢様にお目通り願います」 主に挨拶をするらしい。まあ、侍女は主に仕えるものだから、主を紹介されないことには話が始まらないか。 私はフランカさんに案内されて、宮殿の奥へと進む。「こちら、お嬢様の私室となります」 フランカさんは部屋の扉にノックをし、「入って」と返事が返ってきてから扉を開ける。 入室を促されたので、失礼します、と一言断って部屋へ足を踏み入れた。「ようこそ! 歓迎するわ!」 部屋の中央には、二人の人間が立っていた。 一人は、歓迎の言葉を放った、十五歳ほどの金髪の少女。絵の具で汚れた簡素なドレスを着ている。 もう一人は、侍女のドレスを着た八、九歳ほどの銀髪の幼子。 私が山賊から助けたのは十五歳ほどの貴族の女性だったから、おそらく金髪の方がパレスナ嬢だろう。 しかし、公爵令嬢が着る物とは思えない簡素なドレスだ。すごい汚れているし。 そんな内心を察されたのか否か、パレスナ嬢が言葉を放った。「こんな格好で失礼するわね。今日はこれから絵を描く予定なの」 なるほど、絵か。室内に絵画の道具はないが、壁に絵が飾られている。あれが自作の絵だったりするのだろうか。「朝ご飯は食べた?」 そう話を振ってくるパレスナ嬢。「侍女宿舎の方でいただいてきました。これからも特に早朝のご用事がない限り、三食は宿舎の方でいただくことになるかと」 私はそうパレスナ嬢に答えた。パレスナ嬢が地元から連れてきた侍女はこの薔薇の宮に住み込みだが、私は侍女宿舎からの通いになる。同じ王城内なのだが、王城は広いので、別の建物から通っているようなものだな。 「侍女宿舎! 良いわねー、同世代の子達との共同生活。良いインスピレーションが湧きそうだわ」 にっこりと笑うパレスナ嬢。第一印象は悪くなさそうだ。「さて、挨拶が遅れたわね。私はリウィン・パレスナ・エカット・ボ・ゼンドメル。よろしく」「キリン・セト・ウィーワチッタでございます。本日からおそばに侍らせていただきます」 たがいに礼を取り、挨拶を済ませる。 そして次に、パレスナ嬢は同室している侍女を紹介した。「私の隣にいるのが、ビアンカ。まだ小さいけど侍女よ」「初めまして! よろしくお願いします!」 たどたどしく侍女の礼を取る幼子に、私も返礼した。「貴女をここまで連れてきた侍女は、フランカ。ビアンカの母親よ」「娘ともども、どうぞよしなに」「よろしくお願いいたします」 私はフランカさんと挨拶を交わす。フランカさんは金髪で、ビアンカと髪の色が違うが、ビアンカは父親似なのだろうか。 そして、さらにパレスナ嬢は話を続けた。「後は四人、地元から護衛を連れてきてここに住まわせているわ。門番をしていたのはフランカの妹。護衛の他にも料理長を一人。ま、いずれも公爵家の分家の出ね。護衛はローテーションを組んで働かせているから、後で挨拶させるわ」 なるほど、宮殿内に常駐している護衛は四人と。山賊に襲われていたときは剣士が五人居たはずだから、一人は地元に帰すなりなんなりしたのだろう。 しかし、料理長も分家の出ということは、貴族なのか。しかも後宮にいるということは、貴族の女性だ。この国の基準に照らしてみると、少し変わってるな。「身の回りの世話はフランカ達に任せるから、貴女には主に私の話し相手を任せるわ」「かしこまりました」 話し相手か。それも侍女の立派な仕事の一つだ。かの枕草子にも、侍女的立場である女房の清少納言が、主人である中宮定子と雑話を交わす場面が登場している。「世界的な『庭師』と聞いているし、期待するわ。絵のいいインスピレーションになりそうね!」 よほど絵を描くことが好きなのだろう。満面の笑みで喜びを表現している。「それと」 と、パレスナ嬢がこちらに歩み寄ってくる。 私の前に立つと止まり、体の前に添えていた私の手を取り、言った。「命を救ってくれて、本当にありがとう。感謝しきれないわ。私だけでなく、他の六人も貴女に礼を言いたがってた」「はい、ご無事なようで、なによりです」 あのとき矢傷を負っていた御者も、治癒の魔法と魔法薬で手当をしたから、無事だったのだろう。「あれだけの悪漢に囲まれて、今日で私は死ぬんだなって思ってた」 剣士五人に対して、山賊の数は三十人を超えていた。しかも国王曰く、山賊達はただの無頼漢ではなく、どこぞの工作員だったという。世界樹の運命の導きで私が間に合わなければ、剣士達が達人級とかでない限り一行は命を落としていただろう。「貴女が間に合ってくれて本当に良かった。だって……」 パレスナ嬢は、私の手を離すと、横の壁の方を向き、壁の一画へ手を差し出した。「おかげで渾身の一枚が描けたのだもの!」 パレスナ嬢の手の指し示す方向。そこには一枚の絵画が飾られていた。「題して、『魔人姫の死闘』!」 見事な絵がそこにあった。鎧に身を包んだ幼い女の子が、地面に伏せている少女を守り、剣を持ち悪漢と戦っている絵画。 繊細なタッチながら、迫力ある剣の振りが死闘を表わしている、素晴らしい一枚だ。 顔を見合わせた時間はそれほどではなかったはずなのに、絵に描かれた女の子は完全に私だった。しかしだ。「私、あのとき剣も鎧も装備していなかったと思うのですけど……」 内容に偽りありだった。「そこは、イメージよ! 素手で山賊達の膝を砕くなんて、美しい光景じゃないわ!」 イメージか。私、基本的に殺人はやらないんだがなぁ、庭師として。庭師は犯罪者を憲兵に差し出して改心させて、悪を善に変えるまでがお仕事だからな。あのときは、膝を砕いて魔力を封じた山賊をそこらに放置したけど。「左様でございますか。しかし、見事な一枚ですね。とても素人とは思えません。名のある画家によるものかと思いました」「当然よ!」 私の賛美に、胸を張って自信を表わすパレスナ嬢。ちなみに賛美はおべっかではない。本当に名画なのだ。 見た目十五、六ほどの少女がここまでの絵を描けるとしたら、相当な練習を積んできたか、才能があるかのどちらかだろう。もしくはそのどちらもかもしれない。少なくとも、後宮で簡素なドレスに身を包んで、朝から絵を描こうとするくらいには絵が好きなようだ。「他にも色々過去の作品をこの宮殿に飾ってるから、案内するわね!」 そう言ってパレスナ嬢は部屋の奥に向けて歩き出した。部屋の奥には入口とは違う扉が一つある。 彼女を追うようにして、フランカさんと娘のビアンカが動き出す。私も置いていかれないように、ついていくことにした。 しかし、パレスナ嬢、ドレスは汚れたみすぼらしい物だが、歩き方は優雅だな。さすがは公爵令嬢と言ったところだ。 パレスナ嬢は自ら部屋の奥の扉を開け、中へと入っていく。 それに続いて私を含む侍女三人も中へと入る。部屋の中には、鏡台とクローゼット、そして大きな天蓋付きのベッドが置かれていた。部屋に窓はなく、魔法の照明が部屋の中を照らしていた。「お嬢様の寝室でございます。陛下がこの宮殿を訪ねてきても、けっしてこの部屋にお通ししてはなりません」 そうフランカさんが説明する。 今の後宮は男子禁制で、婚前交渉絶対NG。唯一後宮に入れる男子の国王と言えども、ベッドのある部屋に入ってはいけないということだな。よく覚えておこう。「この部屋に飾っているのは、あれね。かなり昔に描いたのだけれど、なかなか良く出来た一枚なのよ」 パレスナ嬢の指し示す壁の絵に目を向ける。 そこに描かれていたのは、とある生物が作り出す風景。それは、とても見覚えのあるものだった。「『氷蜘蛛の巣』……」 それは、寒冷地に住む巨大蜘蛛が作り出す、幻想的な蜘蛛の巣だった。 寝室に飾られるくらいなので、蜘蛛は描かれていない。描かれているのは巣のみだが、それが繊細な色使いによって、芸術に高められていた。「あら、知っているの? さすが世界を旅する庭師ね!」 この国で氷蜘蛛を発見し、家畜としたのは私だ。巣に見覚えがあるのは当然だった。だが、この絵に感じる既視感はそういうものの類ではない。「カードの正式採用イラスト……あの、パレスナ様はもしかして、画家のパレス氏ですか?」「あら? 解っちゃった? あなたもカードをやるのね」 にやりと深い笑みを浮かべるパレスナ嬢。この絵は、トレーディングカードゲームにある『氷蜘蛛の巣』というカードに印刷されているイラストそのものだった。担当絵師は、画家のパレス。何枚ものイラストをカードに提供してくれている馴染みの絵師だと、商人のゼリンに聞いたことがある。「いえ、実は私、昔からティニク商会の商品アドバイザーをしているのです。カードの開発にも携わっていまして……」「あら、もしかしてゼリンと知り合い?」「はい、彼が若い頃からの知り合いです。なるほど、パレスナ様は既に名のある画家だったのですね」「その通りよ!」 画家パレスと言えば、この国ではそれなりに名の知れた新鋭の画家だ。貴族の邸宅に彼(正体は彼女だったが)の絵が飾られていることも珍しくないことと聞く。そして、トレーディングカードゲームへの多数のイラスト提供で、若い世代に一気に名が売れた。「私はカードは趣味じゃないからやってないんだけど、人気のようね。印刷ってすごいわね」「印刷は宮廷魔法師団との伝手がないと頼めませんからね」「あら、そうなの。道具協会の陰謀ってやつかしら」 印刷事情について説明する私の言葉に、そうコメントするパレスナ嬢。まあ、高度な技術の規制については、道具協会が悪いと思っておけば大体良い。「私、カードやってみたいです!」 そう言うのは、幼い少女、ビアンカである。 それに対し、パレスナ嬢の反応はと言うと。「薔薇の宮じゃ他にカードやっている子、誰もいないわよ。私の絵が使われているというのにね」「なるほど、一人じゃカードは出来ませんからやる相手がいないですね」 パレスナ嬢の残念そうな言葉を受けて、私はそう言った。 私はカードを持っているしプレイ出来るけど、聖句を唱えても光らないから正直微妙なんだよな。子供はあの光るのが良いって言うし。「青百合の宮のハルエーナちゃんがカードしてるって……」 かすかに潤んだ目でフランカさんの方を見るビアンカ。 フランカさんは、その視線をじっと受け止めると、少し言葉を溜めてからビアンカに向けて言った。「貴女のお給料で買うのよ。確かそれなりのお値段するから、お菓子が減ると思いなさい」「うっ、お菓子我慢する……」 なるほど、仮にも後宮で働く侍女だから、子供と言えどもお給料は出ているのか。ビアンカは苦い顔をして自分を納得させようとしている。「遊ぶにしても、休憩時間にすること。良いですね」「はい!」 そんな親子のやりとりをにこにこと見守っていたパレスナ嬢が、楽しそうに言う。「今度街に出て、ティニク商会に行かないとね。あ、そうそうティニク商会と言えば、キリン。ちょっと良いかしら」「はい、なんでしょう?」「今度は私、本の挿絵にも挑戦してみたいのよねー。でもゼリンは新進気鋭の商人。貴族でもおいそれとは会えないわ。どうにか都合が付かないかしら」 こ、この人早速、新入り侍女のコネを使おうとしている! 強かだな。まあ、出版業を積極的に展開しているのはゼリンで、今のあいつになかなか会えないというのも解る。 そして、ゼリンの奴に遠慮する必要なんて私には欠片もないので、答えは是だ。「解りました。会えるよう手紙を今日中にでも出しておきましょう。いつの日程がいいですか?」「あら? 言ってみるものね!」「ゼリンが遠くに出かけてなければ、今週中とかでも大丈夫ですよ。私もいつも急に訪ねてるので」「本当に! じゃあ三日後は、皆でティニク商会にお出かけね!」 そういうわけで、宮殿の絵を見回るはずが、いつの間にか外出の予定が出来ていた。 実は初めてとなる、外へご主人様について行っての侍女のお仕事だ。どうなるかな。先輩となるフランカさんとビアンカにどう動けば良いか予め聞いておこう。 オルトとの『幹』へのお出かけ? あれは何か違うからノーカンで!