後宮(スワト)とは。 国王と王妃候補者達による、長期的なお見合い会場である。 現在の王室の方針は、半恋愛結婚推奨。 というのも、愛のない仲では、夫婦間に善の気が生まれにくいからとのこと。実に教会的、世界的な事情だな。 かといって完全に恋愛結婚じゃあ、勢い任せで破局の危険がある。実際に完全恋愛結婚の頃は、王族になる覚悟の出来てない平民と結婚してしまって、数ヶ月でお后さんノイローゼ&発病、子をなせないまま別居状態にということもあったそうな。 なので、候補者を後宮に集めるから、何ヶ月か交流を図って気が会う人と結婚するようにね、となったらしい。 後宮では婚前交渉絶対NG。清い交際を。お見合いだから、王妃候補者側の意思で途中抜けもOK。 後宮入りに選ばれるということは次期国母になってもいいよと、国の選定者側に判断されたということなので、国王と結婚しなくても箔が大いに付く。 結婚する気がなくても、他の候補者達と交流するために後宮に留まる人もいるが、それもそれなりに受け入れられている。恋愛と関係ない部分で、国王や未来の王妃の人間関係構築になるからだと言う。 そんなことを夜の侍女宿舎で、カヤ嬢とククルから聞いた。「しかしキリンさんが、後宮をそのように勘違いしていたとは」 そう呆れるように言ったのはカヤ嬢。そのようにとは、国王にも指摘された『バシーヌ』と『スワト』を勘違いしていたことだ。『バシーヌ』はお見合い会場などとは違う、愛憎渦巻く閨の競い合いの場。それはそれでカヤ嬢が好みそうな話だが。「ときどき話が合わないなって思っていたんです」 ククルにもそんなことを言われる。後宮で働いている侍女は他にもいるため、ときどき後宮についてもククル達と話していたことがある。そのときに話が噛み合っていなかったのだろう。「できればその都度指摘してくれ……国王陛下の前で恥をかいてしまった」 あれ、絶対話の種にして後で絶対いじってくるから。 そんな私の落ち込む様子を二人はやれやれといった顔で見てくる。「陛下が後宮を開くのがだいぶ遅くなったため、既に婚約者を作ってしまって後宮入りできない、それなりのお歳を召した方がそこそこいるそうですわ」 と、カヤ嬢がそんなことを言った。ふむ。国王も既に二十代後半。嫁探しには十年は遅いと言える。「かくいう私も、あと後宮が開くのが五年早ければ、後宮入りしていたでしょうね」「五年前のカヤ嬢って、十歳じゃないか」「後宮はお見合いの場であると共に、高位貴族の子女の社交の場でもありますからね。幼くても入ることがありますわ。勿論、一度に後宮入り出来る人数にも上限枠がありますけれど」 なるほど。しかし、カヤ嬢は五年前まだ婚約していなかったんだな。今の婚約者とは十年来の知り合いで、結婚の口約束というか「大きくなったらお嫁さんになってあげる」と幼い頃に言って、親もそれを見ていて婚約を決めたらしいが。 そこの所を聞いてみると。「親同士の婚約の約束は、幼い頃に既に口約束で交わされていましたけれど、正式な婚約となったのは私が十二歳になってからですね」 なるほど。それ以前なら後宮入りの可能性があったと。「しかし、複数とお見合いさせて恋愛させるか。恋愛が上手く成り立たなかったら、どうするんだろうな」「婚約が成立しなかった候補者の方が後宮を辞した先から、新しい候補者を入れていきますが……まあ、お見合いですから妥協はありますわね」 私の疑問に、そうカヤ嬢が答える。 妥協か。まあそう都合良く相思相愛の恋愛が育まれるとは限らないのだから、そうなるよな。今回、国王は公爵令嬢を気に入っているというから、どうか恋愛成就して貰いたいものだが。「新しい候補者と言っても、婚約者の居ない貴族の娘には数限りがありますし……でも、国王陛下のお好みってどんな方なのかしらね」 そんなカヤ嬢の疑問に、私は答えられない。国王と恋バナなんてしたことないからな。おそらく、私が前世男の現世永遠の幼女で恋人と縁がないだろうから、あいつはそういう話を避けていたのだろう。いや、単純にあいつが恋愛に興味なかっただけかもしれないが。 そうそう、婚約者がいない貴族の子女と言えば、ククルもそうだ。彼女からも自身の色恋沙汰の話を聞いたことがない。なので、聞いてみる。「ククルも高位貴族の娘だが、後宮入りの打診は来なかったのか?」「来ましたわ」 そうあっさりとククルは答えた。「でも、陛下は何というか、恋愛対象という感じではないのです。嫌いではないのですけれど」 ああ、ククルと国王は、私が縁となって彼女が幼い頃に何度か会っているからな。一緒に遊んでくれる親戚のおじさんみたいな感覚なのかもしれない。国王が王太子時代のことだ。 王太子は次期国王として、自分だけの近衛騎士団を作り上げようと国中をうろつきまわっていた。その過程で巨獣退治だの悪人退治だのもやっていた。その途中で、ククルの生家に寄ることもあったのだ。彼女の父のゴアード侯爵とは私が知り合いだったからな。「ククルはどうするつもりなんだ、婚約者」「私の婚約者ですか? うーん……」 私の問いに、うなり声をあげて黙り込むククル。光るカヤ嬢の目。そして、ククルは絞り出すように言葉を紡いだ。「貴族の男の子達がいる私専用の後宮、どこかにありませんの?」「まあ、ククルさんったら!」「普通のお見合いじゃ駄目なのか、それは」 私の言葉に、ククルは首を振って否を伝えてくる。「どうせなら、選ぶ余地のある恋愛をしてみたいですわ」 そうか、ククルにも人並みに恋愛願望はあったのか。 それならば、と私はククルに一つの秘策を授けるのであった。◆◇◆◇◆「いやだぁぁぁっ! いっちゃいやああああ!」「やめちゃうの? やめちゃうの? どぼじで……」「お菓子ぃー! お菓子ぃぁーっ!」 明くる日の朝、仕事場の近衛宿舎の入口ホールにて、私は小姓達に囲まれてまくし立てられていた。 きっかけは、7月いっぱいで近衛宿舎付きを辞めると言ったこと。既にその辞令を知っていたオルトは、宿舎前に宿舎の全人員を集めて、私の異動を発表した。騎士の面々は落胆していたが、朝の仕事に来ていた小姓達は泣いて私を引き留めてきた。 いつの間にか、私も慕われるようになっていたのだな。「もうお菓子貰えないのか? お菓子……」 ……慕われていたのかなあ。お菓子係と思われてないか、これ。「まあまあ、皆落ち着いてください。王城には居るので、ずっと会えなくなるわけではないですよ」 私はそう言って、小姓達をなだめすかす。 大泣きしている子の目元にハンカチを当て、涙を拭ってやる。それでも泣き止まないので、ぎゅっと抱きしめてやった。子供の相手は庭師時代から慣れているが、泣いた子を泣き止ませるのは相変わらず骨が折れる。「お菓子、お菓子は?」 小さな子を泣き止ませていたら、そう別の小姓に言われる。 まあ、大事だよねお菓子。幼い子達には貴重な甘味だもんね。「料理長には話を通しておきますが……お菓子を貰えるかは、皆さんの頑張り次第ですよ」 私がそう言うと、小姓達は口々に頑張る、と言って真面目な顔になった。 お菓子パワー恐るべし。まあ、料理長がお菓子作りを続けてくれるかは解らないけどな。 小姓達をなだめすかし、泣き止ませる。すると、今度は小姓ではない人が私の方へと寄ってくる。「もうお目にかかれなくなるの、残念です」 洗濯担当の下女さん、エキ嬢がそう言った。彼女もオルトに招かれ、近衛宿舎の入口ホールへと足を踏み入れていた。 彼女とは、小姓達を連れて毎朝宿舎の前で会っていた。エキ嬢自身は普段宿舎の中へ入らないため、侍女の私が彼女に洗濯物を引き渡していたのだ。本来の侍女の仕事ではないが、彼女が宿舎に入らない以上仕方が無い。まあ、それも近衛宿舎に侍女を正式に配置する話が進んだらどうなるか解らないが。「後宮の担当になったら、会うこともあるでしょうが……」 私は仕事モードのため敬語でそうエキ嬢に言うが、彼女は首を振る。「多分配置換えはないですねぇ。私はしばらく宿舎の洗濯係です」 そうか、そうなるとなかなか顔を合わせる機会はないだろうな。 仕事場が重なっていないのにしょっちゅう出没するカーリンがおかしいんだ。同じ下女なのに。 エキ嬢は、「では、私はこれで失礼します」と言って、台車に入った洗濯物を押して去っていく。別れが簡素なものとなったが、仕事中だ。仕方がない。 そして次に私の方へと言葉を向けてきたのは、馴染みの正騎士達だ。護衛任務がある者達はすでに仕事に向かっていてこの場におらず、今ここにいるのは訓練がある者や休日の者達だ。「貴重な女っ気が失われるなぁ」「華が無くなる」「他所の騎士どもに自慢できなくなるぜー!」 うん。まあ、予想していた。 だから、私も用意していた言葉を言ってやる。「侍女がいなくても生活はできるんですから、我慢してください」「ううっ……美少女と一緒に生活したい……」「結婚して王都に家を買えば良いじゃないですか」「相手が居ねえ!」「近衛にも女性騎士居るでしょう……」「あいつらはなんかやだ」「贅沢!」 そんなアホな会話を騎士の一人と繰り広げる。宿舎長のオルトは、やれやれとそんな様子を見守っていた。でも知っているぞ。オルトだって、奥さんがいないどころか彼女もいないと、騎士達に愚痴っていたことを。「はー、また男所帯に逆戻りか」「姫がいると、どこか明るかったんだけどなぁ」 ああ、それは私が花を生けたりカーテンを取り替えたりと、外観に気を使っていたからだ。物理的に明るく感じたんだと思うぞ。「皆様、心配ご無用ですわ!」 と、突然宿舎入口に新たな人物が現れた。それは、とても見覚えのある姿だ。「皆様、お久しぶりの方はお久しぶり、初めての方は初めまして」 侍女のドレスに身を包んだその麗しい姿。私よりもいくらか年上の若い少女。ぶっちゃけククルである。「リレン・ククル・パルヌ・ボ・バガルポカルでございます。このたび、8月からこの『白の塔』の担当侍女を任されることとなりました」 なんだと、と騎士達から困惑の声が出る。「皆様、よろしくお願いします」 優雅に侍女の礼を取るククル。すると、わっと騎士達が沸いた。「ククルの嬢ちゃんじゃねーか! 久しぶりだなぁ!」「大きくなったな!」「こんなにちみっこかったのに、成長するものだ」 そうコメントするのは、古株の近衛騎士達。私と国王と共に国中を巡り、バガルポカル領の侯爵家にも顔を出したことのある面子だ。「新しい侍女だと!」「侍女殿より年上で、若い子……」「美少女!」 そう沸いているのが、従騎士を始めとする若い騎士達だ。私が抜けると思ったところに、新しい侍女が補充されると知って喜んでいるのだ。しかも、今度は幼女ではなく少女だ。さらに、ククルは美人さんだからな。「ちなみに」 騎士達の話し声に割って入るように、ククルは声を上げる。 騎士達の注目が再びククルに戻る。「婚約者はいませんわ。どうぞよしなに」 そうククルが告げるとともに、またしても男達が歓声を上げた。ククル、攻めるなあ。私の甘言に乗ったばかりにこんなことに……。 何故ククルが近衛宿舎付きになったのか。それは、私が昨夜、彼女に入れ知恵をしていたからだ。 貴族の男の子達がいる場所で、恋愛をしてみたい。その要望に合う仕事場が、私が抜ける近衛宿舎なのだ。男は若いのからおじさんまで選り取り見取り。騎士階級なので、貴族でもある。なんだったら選ぶのは小姓でも良い。相手が騎士で本当に良いのかは、一度じっくりと話し合う必要があるが。 そんなことを昨夜私はククルに話した。すると、ククルではなくカヤ嬢が話に食いついてきた。勿論カヤ嬢が近衛宿舎に行くという話ではなく、ククルはこの機会を逃すべきではないとカヤ嬢が主張したのだ。 今まで恋愛に消極的だったククルが自身の恋愛について話をしたということで、ことのほかカヤ嬢は乗り気になっていた。 そこで、カヤ嬢はククルに恋愛の素晴らしさを語り、行き遅れる恐怖を語り、今回の機会がどれだけ貴重かを語った。そして見事にククルは洗脳、もとい説得され、近衛宿舎付きの侍女を望むようになった。 そういうわけで、希望するなら侍女長に相談してみたらと言ったのだが、ククルは今日の朝一で侍女長のところへ駆け込んでいた。そして、ここにこうやって来ているということは決定がなされたのであろう。侍女長、決定が早いな。さすが有能である。 ククルの今の担当場所は王宮の託児所だったが、あそこは他にも担当侍女がいるため、そちらに任せてここへ向かったのだと予想出来る。私は今日で近衛宿舎付きを解任となるので、こちらへ来たのは私から引き継ぎを行うためだろう。 そんなククルを騎士達は大歓迎といった様子で迎えている。「ククルちゃんかー。ちっちゃな頃を知っているから、そういう対象として見るのもな」「でも、宿舎が華やぐのは確実だぞ」「正直、姫の働く様子は子供がちょこちょこと、おままごとしているように見えてたからなぁ」 おうてめえ今なんて言った。 ……まあ、担当侍女が十歳児から十四歳の少女に変わるのだ。その気持ちは解らないでもない。 ただしだ。「ククルに無体なことをしたら、私が飛んできて潰します」 そんな私の言葉に、ひえっと騎士達の顔色が悪くなる。 気がついたら騎士に無理矢理手込めにされて、孕まされていましたなどとなっていては、ゴアードに顔向けできなくなってしまうからな。なにより私の可愛い姪っ子や妹のような存在なのだ、ククルは。酷いことしたらただじゃ済まさない。「ただし、清い交際は認めます。皆、節度を守るように」 続けて言った私の言葉に、またしても騎士達がわっと沸く。締め付けるばかりじゃ、ククルの目的は果たせないからな。だがククル、男漁りに夢中になって仕事をおろそかにするんじゃないぞ。……ククルには男漁りなんて言葉は似合わないな。まあ、健全な婿捜しだ。応援してやろう。「なあねーちゃんねーちゃん」 と、小姓の一人がククルに話しかけてきた。対するククルは、なんでしょう、と優雅に受ける。「ねーちゃんって、お菓子作れるか?」 その小姓の言葉に、私は思わず吹き出しそうになる。こいつ……。「お菓子ですか? まあ、簡単な焼き菓子くらいなら、キリンお姉様に教えて貰ったことがあるので、できますわ」 そう答えるククルの言葉に、今度は小姓達がわっと沸く。 そして、ククルに絡んでいた小姓がまた言葉を続けた。「侍女の仕事は俺達にお菓子を配ることなんだぜ!」 その言葉に、薄い笑みでこちらをじっと見つめてくるククル。「いや、これは必要なことなんだ、ククル」 そう言い訳する私。蛇に睨まれる蛙状態である。「もう、侍女のドレスで料理なんて、非常識ですわよ、お姉様」「大丈夫、実際に作るのはこの宿舎の料理人達だよ」 侍女の服装は、動きやすいにしてもドレスだからな。下女の格好や、前世でのメイド服のようにはいかない。料理には向かないだろう。「侍女さん、お菓子くれるの?」 と、小姓の中でもとりわけ幼い子がククルに尋ねる。「っ!? ええ、あげますわよ。ですから、私のことはククルお姉ちゃんと呼ぶのですよ」 崩れた笑みで小姓にそんなことを言い出すククル。ああ、そうか。実はククルには歳の離れた弟が居て、その子を溺愛していた。それを思い出すのだろう。それに従順な大型ペットも彼女の好みだ。ククルの興味はすっかり幼い小姓達に向いていた。 きゃっきゃと楽しそうに話すククル。 だがククル、騎士達との交流を忘れるんじゃないぞ。幼すぎる小姓はさすがに婚約者には向いていないだろう。 私は、小姓と戯れるククルを物欲しそうな目で見つめる若い騎士達に、頑張れ、と心の中でエールを送るのであった。