私とオルトは、リネと共に数日、女帝宮にて過ごした。 地上の各国の精鋭が合流してきており、討伐戦の前日には顔合わせとして参加者全員を集めた立食パーティが行われた。 庭師の元同僚達と再会し、私は親睦を深めた。今の私は侍女だが、パーティの場でオルトにずっと付き従っている必要も無いだろう。そう思っていたら、アルイブキラ国の仮想敵国である鋼鉄の国の者達と一触即発の空気になっており、急いで割って入ってなだめすかしたなんてことも起きていた。 そして討伐戦当日。十両編成の潜航艇に乗って世界樹の脈を移動し、私達は再び地上へと戻ってきていた。 地上での移動手段は、『幹』の魔法による空飛ぶ魔法陣だ。魔法の術式が全て見えるが、『幹』的にはこれは表に出しても良い技術ということだろう。 やがて我々は、ひとけの一切無い領域へと入り込み、遺跡へと辿り着いた。 私は今になっても私達に付いてきていたリネに、一つ疑問に思ったことを聞いてみた。「リネ、今回の遺跡はどういうものなんだ?」「あー、そうですねー。三百年前に滅んだスーリイ王国の王宮と、ミザイア教国のカタコンベが混ざった遺跡のようです」「ミザイアのカタコンベかー。アンデッドが居そうだなぁ」 アンデッド。悪意の魂が、生物の死骸に入り込んで魔物となったものだ。肉体を取り込んだ影響か、通常の魔物より浄化しづらいという特徴がある。魔物は純粋な魂の塊だから丸ごと浄化できるが、アンデッドは異物が混ざっているということだからね。なお、神官による聖なる神の力で跡形も無く浄化昇天とかいうのは、この世界においてはない。 ミザイア教国は火葬の風習が無いので、動く骨のアンデッドが出てきそうである。ちなみにアンデッドは肉体を持つが、浄化したら跡形も残らない。通常の方法では、魔王の遺骸が残らないと予想する根拠である。「遺跡か。入るのは何年ぶりのことか」 鎧を着込んだオルトが、そう言葉を発した。 遺跡。ここでいうものは、単に古い歴史的建造物という意味ではない。 この世界樹の世界では、人が寄りつかなくなって数十年経過した地域は、世界樹の内部へと取り込まれてしまう。 取り込まれた建造物は世界樹の内部にて分解され、地上に生える鉱物資源等の元になるのだが、たまに分解しきれぬまま他の建造物と“混ざる”ことがある。 そして、分解半ばのまま地上へと資源として生えてくることがあるのだ。それが遺跡。 過去、人が住んでいた場所が遺跡となるので、内部に財宝や金銭的価値のあるものが残されている可能性がある。そんな遺跡を探索するのも、庭師の仕事の一つとなっていた。何せ、遺跡の内部には浄化すべき魔物がいることが多いからだ。世界樹の内部から遺跡が生えるときに、一緒に『世界要素』の悪意が地表に噴出してしまうのだ。 前世の大学時代に遊んだことのあるTRPG風に言うと、ダンジョンとでも呼べるだろうか。「内部の見取り図がありますのでー、私達の担当場所はカタコンベの大広間ですね」 何やら空間に地図を投影しながら、リネがそう言う。 その様子に、私はリネに言葉を向けた。「……やっぱり付いてくるのか、リネ」「はい、案内役ですからー」 案内役って、戦場も含めてかよ。 まあ良いけど。最強の道具使いが仲間にいるなら、それだけ無事に戦いを終える可能性が上がるってものだ。「突入じゃー!」 そんなことを話しているうちに、大音量で開始の号令がかかる。 というか今の声、女帝のものだったな。戦場に来てるのかよ最高権力者。 そう思っていると、突然遺跡の外観が爆破され、轟音が響いた。何事だ。「最強無敵魔導ロボットのフォトンキャノンですねー。入口を大きく開けたのでしょう」 そうリネが解説を入れてくれる。 いきなり派手な戦いだなぁ。私達は怪我無く帰れるのか。 先行き不明のまま、私は豪奢な王宮に開いた、大きな穴から遺跡へと突入するのだった。◆◇◆◇◆ 遺跡を先に進み、地下へと向かう。 カタコンベとは地下墓地のことだ。死後の魂が世界に還ることがはっきりと解っているこの世界。それはそれとして、前世の世界のように、人々は死後の遺体を大事にする。 というのも、人の死後の魂は世界に溶けて個というものが失われてしまうため、残るその人の生きた証として遺体を墓に埋めるのだ。 この世界の人間は、その人がどう生きたかということを重要視する。だから英雄は尊ばれ、悪人は蔑まれる。きっと、世界を善意で満たすという『幹』側の都合が、人の生死観に影響を与えているのだろう。 そんな遺跡を私達は進む。やはりというべきか、遺体は悪意に乗っ取られ、アンデッドと化していた。 それらを浄化魔法の乗った武器で打ち倒し、光の粒子に変えていく。しかし――「おかしいな……」 短槍を巧みに操りながらオルトが言う。彼は槍使いだ。マントを外しプレートアーマーに身を包んでいる。 全身甲冑という重たい装備だが、彼の動きによどみはない。人並外れた筋力もさることながら、気功術により全身からオーラがみなぎり、重さというものを感じさせないでいる。 彼は本来なら長槍を得意とするが、王宮からカタコンベに入ってというもの、通路が狭くなったので短槍を用いている。「そうだな」 オルトの言葉にそう同意する私。 道を阻むように立ち塞がる骨のアンデッドだが、動きがおかしい。 いや、動きというか、動いていない。直立不動のまま動かず、抵抗なくこちらの攻撃を受け入れているのだ。 そのおかしな静止について、私は言及する。「動いていない。いや、動けていないというべきか」「アセト君の操糸術ですねー」 私の言葉を受けて、リネがそう断言する。「やはりか」 得心が行ったと、私が言う。 アセトとは、魔王――元勇者の愛称である。正式な名前はアセトリードだったか。「勇者殿は確か、魔法の糸使いの達人だったな」 動かぬ黒い骨のアンデッドを槍の振り下ろしで叩きつぶしながら、オルトが言う。 アンデッドは光の粒子を撒き散らしながら地面へと崩れ落ちる。後には何も残らない。 オルトは元庭師であるため、私が魔法を掛けなくても自力で浄化を行使できる。手がかからなくて楽でいい。「はいー、糸を使って何でも出来ちゃうんです。と言っても、十何体もの魔物を見えないほど遠くから制御するなんて、そんな人間離れした芸当、できなかったはずなんですけど」 そんなリネの言葉に、私は推測を言う。「魔王化した影響なのかね」「そうなんでしょうかねー」 そんなことを話しながら、私達は道を進む。そして私達は大広間に辿り付いた。そこには、ぴくりとも動かない黒骨アンデッドの大軍が居た。「動かないにしても、この数は少々時間がかかりそうだ」 そう言うオルトに、私は空間収納魔法から長槍を取り出して、オルトへと渡した。 私も、片手メイスから愛用の戦斧に取り替え、突撃の構えを見せる。「初めにどかんと行きますのでー。取りこぼしたのをよろしくお願いします」 そう言うとリネは道具袋(なんだか容量無限で軽量っぽい謎過ぎる魔法道具)から手の平サイズの筒を取り出し、投擲の構えを取った。 あれは、対魔物浄化手榴弾だったか。 そしてリネは巧みな投擲で魔物達の中心に手榴弾を投げると、見事にどかんといった。 私とオルトは左右に分かれて突撃し、残ったアンデッドをなぎ払う。光る粒子を撒き散らし、骨が虚空へと消えていく。前世の日本だと死者への冒涜とか言われそうだな。まあ今生でも遺体は死者の生きた証なので、いい顔はされないだろうが。でも、このカタコンベは一度無人地帯となって世界樹に取り込まれた場所。憂う者も存在していないだろう。一応、浄化して世界樹に還しているんだから、世界樹教の教義的には良いことなのか? そうして私達は無抵抗のアンデッドを処理していく。二分ほどかけて、私達は全ての浄化を終えた。 この大広間に百体は詰まっていただろうか。私達の任務はこの大広間の確保なので、しばし立ったまま休憩を取ることとする。もちろん武器は手放さないが。「これだけの数がいたのに、見事に一体も動きはしなかったな」 槍の刃の具合を確かめながら、オルトが言った。そう、全てのアンデッドは微塵も動く様子を見せなかった。 私は、何もない空間となった大広間を眺めながら言う。「これが魔王の繰糸術だっていうなら恐ろしいものだな」 対峙したら、全身が糸で絡め取られるんじゃないだろうか。私は剛力で無理矢理引きちぎることもできるだろうが。「糸は目にも見えませんでしたし、本当に糸なのかは確信できないですねー。あ、そうだ糸と言えばー」 そう言いながらリネは道具袋を漁る。 なんだろうか。「キリンさん、これ、発明しましたよね!」 そう言って取り出したのは、小さな金属片。なんだろう、と目をこらしてリネの手元を見る。私の視力はとてもいいぞ。 そこにあったのは、糸通しだった。英語で言うとニードルスレイダー。「ああ、ゼリンに教えたあれか。商品化されてるんだったな」 馴染みの商人ゼリンには、私の様々な商品アイディアを伝えている。「困りますよこういうのー」 ぷんぷん、とリネは怒りの表情を見せる。「何かまずかったか?」 そう私が聞くとリネは答える。「道具協会的に、こういう仕事の時間短縮になる道具の発明が、一番困るんですよー。時間が余った人間は、繁殖に時間を使いますからね。仕組みが複雑じゃないから、規制しづらいしですし……」 糸通し。前世ではよく裁縫道具の中に入っていた、人の横顔が刻印された針の糸通しだ。 もちろん私はこのリネの持つ糸通しを自分で思いついたわけではなく、前世の知識を利用しただけだ。私はゼリンに思いつくままの前世の商品アイディアを話しているので、何が商品化されているのか正直把握し切れていない。本来は娯楽をメインに扱う雑貨商だったはずなのに、今では節操がない。「そういう意味では、娯楽を発明したのはファインプレーでしたね。トレーディングカードゲームに推理小説。良い感じに人間の余暇を消費してくれます。道具協会としても、印刷技術の提供に文句なしで踏み切れます」 糸通しをしまい、今度は本を道具袋から取り出した。『名探偵ホルムス 大河に消ゆ』。アルイブキラ国で人気の推理小説の最新刊だ。 アルイブキラ国では、印刷技術は赤の宮廷魔法師団が権利を握っている。その背後には道具協会が絡んでいるのだろう。何せ、カラー印刷もできるほどの、文明レベルに似合わない超技術だからな。よくそんなところと商談しようとするよ、ゼリンのやつは。「面白いですよねー、名探偵ホルムス。おかげで道具協会には、アルイブキラの言語を覚えている人がだいぶ増えちゃいましたよ」 推理小説はまだ外国で展開していないらしい。 翻訳って大変だからな……前世ほどこの世界はグローバル化されていないから、複数の言語を覚えている人って少ないし。 本をしまいながら、リネは続けて言った。「名探偵ホルムスの漫画化はまだですか?」 漫画もゼリンに伝えて商品化された娯楽の一つだ。だが、漫画家がまだそれほど育っていない。 なので私はリネに告げてやる。「ホルムスはヒット間違い無しの原作だから、一流の漫画家が育つのを待っているんだとさ」「なーるーほどー」 そんな雑談を大広間で繰り広げていたそんなときだ。「楽しそうな話をしているでござるなぁ、リネ氏、キリン氏」 突如、私達三人のものではない男の声が大広間に響いた。 私達は瞬時に武器を構え、臨戦態勢を取る。 すると次の瞬間、ぞっとするような巨大で邪悪な気配が、私達の近くに出現した。 これは、緑の悪竜のときに感じた圧倒的な威圧感と同じ……!「こんな場所でのんきに雑談などしておるのは、リネ氏達くらいでござるよー」 それは、古風な言葉遣いと現代的な言葉遣いが混ざった、奇妙なアルイブキラの言語だった。 声の発生源。そこには、闇を全身にまとった、災厄が居た。 人の形をした黒い塊。そこに、ぽっかりと人の顔が浮かんでいた。その顔は、何度も見たことがある美しい様相。「魔王……!」 オルトが、絞り出すような声でその正体を告げた。 魔王。元勇者アセトリードの顔が、闇に浮かんでいる。「いかにも、元勇者アセトでござるよー」「ぬん!」 オルトが短槍を投擲する。人外の筋力と超人じみた闘気により、一撃必殺と言える威力で放たれたそれ。 だが。ぴたりと、空中で短槍が静止した。 そして、するすると短槍がゆっくり時を巻き戻すかのようにオルトの手元へと戻っていく。「そんなの投げたら危ないでござる」 繰糸術によるものだろうか、槍の投擲は命中することなく終わった。 まあ、この程度のことなら勇者の頃のアセトリードでも出来たことだ。驚きはない。 そして、魔王はこの遺跡にずっと居たのだ。いつ遭遇してもおかしくなかった。「そんな、王宮の最奥に籠もっているって話でしたのに」 だが、リネにとって魔王の出現は驚くに値する事柄だったらしい。「楽しそうな会話をしていたから、来ちゃったでござる」 その魔王の言葉に、ちらりとオルトが私とリネを横目で見てくる。戦場で無駄話しててすみません。「会話を聞いていたって、王宮からこの地下までどれだけ距離があると思ってるんですか」 リネが険しい顔をしてそう言うが、魔王はなんともないという顔をして言った。「糸を使えば、遺跡中の会話など丸聞こえでござるよ」 ああ、糸電話の要領で、魔法の糸を各所に巡らせていたわけね。 魔王になってから本当に規格外になったなぁこいつ。 私は戦斧を持つ手に力を込める。 さて、私の力がどこまで災厄に通用するか……。「ああ、待って、待つでござる。拙者、戦う気はないでござるよ」 だが、魔王はわたわたとした表情でそんなことを言い出す。 戦う気は無い。まあそれもありうるのか? 災厄だというのに周辺国に被害をまきちらさず、遺跡に籠もり、遺跡に集った魔物は糸で縛り動けなくしていた。 明らかに交戦の意思はないという行動を取っていた。「拙者、肉体と魂は悪意に侵されたでござるが、精神はぎりぎり健全なままでござるよ」 どこでこんな変な喋り方を覚えたのか、ずいぶんと古い言い回しでそんなことを言った。とりあえず脳内でござる口調に割り当てておく。 しかし、そんなことがありえるのか? 人間が生きながら魔物になったケースは知らないため、私は何とも言えない。「助命嘆願でもするつもりですかー?」 そんなリネの言葉に、魔王はふるふると首を振る。「無敵ロボと女帝氏が来ているのでござろう? 拙者の抵抗は無意味でござる。そして、生き延びることも無理でござるなあ」 淡々とした表情で、魔王は言った。「災厄が地上にあっては世界中の魔物は活性化し、災厄の周囲に魔物は集まりと良いこと一つもないでござる。拙者、ここは大人しく、浄化される心意気でござるよ」 彼は変人だが、正義感の強い男だ。その精神性が悪意に侵されていないのならば、魔物による被害を良しとしないであろう。 とあれば、彼が人里離れた遺跡に籠もっていたのも理解が出来る。彼が言ったとおり、災厄の周辺には魔物が集うのだ。「では何故待てと言ったんですかー? 浄化して差し上げますよー?」 そのリネの言葉に、再び魔王は言葉を続ける。「死の前に、誰かと話して楽しい時間を過ごしたかったでござる。エンガ氏とミミール氏も来ているようでござったが、リネ氏とキリン氏のところが一番楽しそうでござったよ」 エンガとミミールとは、リネと同じくかつての勇者パーティの仲間達である。前日の立食パーティで顔を合わせたが、ずいぶんと沈んだ様子だった。まあ、仲間の勇者を討伐するとあっては、暗くもなるか。「だから、リネ氏、キリン氏、拙者に最期の楽しい会話のひとときをお願いしたいでござる」 満面の笑みで、魔王――元勇者アセトリードはそう告げたのだった。