城下では大収穫祭が続いているが、私の休みはあくまで半休だ。だから今日も私は侍女スタイルに身を包み、仕事を頑張る。 だが、王城住み込みの侍女とはいえ、四六時中働いているわけではない。食事をすることもあるし、休憩して茶を飲むこともある。入浴だって王城敷地内の入浴場で出来てしまう。菓子を食べて談笑することだってあったりする。 侍女で菓子と言えば、メイズ・オブ・オナー・タルトという菓子が前世にはあった。イギリスに仕事で行ったときに食べたことがある。 これは、イギリス王室付きの女官職である、メイド・オブ・オナー達が考え出したとされるお菓子だ。記憶している逸話によると、王宮で女官達がタルトを作って食べていたら、それを見た王様が「美味そうじゃわい。どれわしにもちょっと食わせてみい」と要求して食べたところ、大層美味しく、気に入った王様が女官達にちなんでメイズ・オブ・オナー・タルトと名付けたという。 メイド・オブ・オナー。この国で言うと私達王城付き侍女のことだ。その中でも特に王妃や女王に付き従う者を言う。 こういう名付けの方法は国を変え世界を変えても共通で、似たようなシチュエーションで物に名前が付くことがあるだろう。ただし、この城の侍女達は料理を仕事として担当しないので、主人達の前で手作りの菓子を食べて『王宮侍女タルト』なるものが名付けられることはそうそうないだろう。 ないはずだった。「まあ、今日のデザートはお姉様菓子ですわね」「そうね、キリン飴ですわ」 仕事を終えた夕食の席。皿に載って出てきたデザートを見て、ククルとカヤ嬢が色めき立った。 そこにあったのは、飴を折りたたんで作られる砂糖菓子、ソーンパプディであった。 ちなみにククルは今日、休暇を取っていて、私と大収穫祭を回った後も仕事はなかったはずなのだが、夜は王都にある屋敷ではなくこちらの侍女宿舎で休むことを決めたらしい。父親が泣いてるぞ。「キリンお姉様菓子は口の中でとろける食感が最高ですの」「デザートなんていつもは切った果物程度ですのに、キリン飴を食べられるなんて、贅沢な話ですわ」 その砂糖菓子を前に、二人のお嬢様は何故だか私の名前を連呼している。 うん、何故だろうね?「うん、二人とも。その菓子に私の名前を付けるのを止めようか」「でもキリンお姉様が考えたお菓子なのでしょう? 当然の権利ですわ!」「権利なんて主張してないからね。というか私が考えたんじゃなくて、トラキオ国で作られている菓子だからね」 そんな権利とは違う意味での私の主張に、カヤ嬢は淡々と答える。「トラキオ風キリン飴」「トラキオ風じゃないキリン飴なんてないから!」 って、私もキリン飴って言っちゃったじゃないか。 何故だろう。いや、何故食卓にこれが上がっているかは解っているんだ。近衛騎士宿舎で教えた小姓達用の菓子レシピを、料理長が王城の他の料理人達と共有していたのだ。 でも私が考えたことにされているのは何故だろう。「トンサヌ・アラキーオンって立派な名前があるんだよ」 トラキオ国で呼ばれている、正式なこの菓子の名前だ。「耳慣れない言葉なので、訳してキリンお姉様のお菓子でいいですわ」「ソーンパプディとも言う」 前世地球のインドで呼ばれていた、この菓子に似た菓子の名前だ。「耳慣れない言葉なので、訳してキリンお姉様のお菓子でいいですわ」 同じこと二回言わなくて良いから。「まあまあククルさん」 と、ククルと一緒にキリン飴呼ばわりしていたカヤ嬢がなだめにかかる。 なんだ? キリン飴呼ばわりを撤回する気にでもなったか?「キリンさんは、キリン飴に自分の名前を付けられて恥ずかしがっているようなのです」 いや、自分のものじゃないのに自分の名前を付けられるのがだな……。 いや、そうだよその通りだよ。恥ずかしいんだよ。解っているなら名前を連呼するのをやめなさい。「なので、ご本人の聞こえない場所で広めることと致しましょう」「やめて!?」 なんだよまったく。 うふふ、とカヤ嬢が笑っている。冗談なのだろう。ククルは……素でやってそうだな。「何がキリン飴だよ。メイズ・オブ・オナー・タルトかってんだ」 その私の言葉に、急に勢いよくククルとカヤ嬢が振り向いてきた。 目がらんらんと輝いている。 なんだ。何か引っかかる物でもあったか、メイズ・オブ・オナー・タルトに。「なにやら美味しそうな単語を聞いた気がします」 と、ククル。「ええ、そうですわね。たると、というのは前一度聞いたお菓子の名前だったかと思います」 と、カヤ嬢。「つまりはたるとのバリエーション! 美味しそうな予感がします。詳しくお願いしますお姉様」「ええっ、今、夕食食べてデザートまで食べたばかりなのに、食べ物の話をしてほしいのかい」「私も聞きたいです。たるとということは、不思議な異世界のお話なんでしょう?」 あー、地球の話が聞きたいのかカヤ嬢は。 こことは繋がらない不思議空間だろうからな、彼女達にとっての地球は。 ククルは幼い頃から地球の話を聞くことを好んでいたが、侍女になってからもククルと話すついでに、よく横に居るカヤ嬢にも地球の話を聞かせていた。そしてどうやら、カヤ嬢も地球の話を気に入ったらしい。「ええと、まずメイド・オブ・オナーという職業があってだな……」 と、メイズ・オブ・オナー・タルトについての説明を聞かせてやる。いつの間にか夕食を終えた他の侍女達も私の説明に耳をそばだてていた。「なるほど、『王宮侍女タルト』ですか……」 私の意訳した言葉に、なるほどと納得するカヤ嬢。 しかし、改めて説明してみると、王様に名付けて貰った名誉あるお菓子と、よその国のお菓子を紹介しただけのキリン飴を同列に扱うのも、ちょっと違うなと思ったりもした。「いつ作ってくださるんですか、『王宮侍女タルト』」 そういきなり言いだしたのはククルだ。君そんなに食いしん坊キャラじゃないでしょ! だが、どうも周囲の無関係な侍女達も、私に注目している気がする。興味津々か君達。隣の隣に座っていたメイヤなんて、身を乗り出しているぞ。「食べたことがあるだけで、レシピは知らない」 と、素直に答えておく。作れないものは作れない。作れるタルトもあるけどメイズ・オブ・オナー・タルトは無理。「そんな、お菓子マイスターのお姉様が作れないなんて……」「いや、いつお菓子マイスターになったんだ、私」「だって、私が実家に居た頃、毎回のように多種多様なお菓子をお土産に持ってきてくださっていたのですもの。お菓子マイスターです」「あれは私が作ったのはそんなにないよ。他国で買ったのを時止めの魔法で長期保存してただけだ」「ええっ! ずっとお姉様が手作りしてくださったものかと思ってました!」「他のお土産も一緒に渡してるのに、なんでお菓子だけそう思うかな……」 幼い頃の彼女にとって、私はお菓子を作ってくれるおじさんだったのかなぁ。いや、当時からずっと幼女だけどね。◆◇◆◇◆ そんなことのあった次の日の朝。私は侍女宿舎の前でカーリンと世間話をしていた。近衛宿舎に向かう道すがらだが、早めに出たのでもう少し話をしていられる。 大収穫祭についての雑談にまじえ、私は昨夜あった『王宮侍女タルト』についての話をしてみた。 私の話に周囲の侍女達が妙に興味津々だったことも話す。「まあ、侍女の方って、お菓子の流行に敏感ですから」 そうカーリンは言う。なるほどそうなのか。「そうなのかい?」「主人へお茶の手配をするのは侍女ですので。お茶にあったお茶菓子を用意するのも、また侍女の仕事です」 茶菓子ねえ。この国の菓子って、甘さが足りないものが多いから、正直茶菓子に向いてないんだよな。それでも茶菓子として使われてるけど。「でも侍女って料理しないだろう。作られたものそのまま出すだけなのに、詳しくなってどうするんだ」「なに言ってるんですか?」 いぶかしげな様子でカーリンが言う。 え、何? 私、何か変なこと言った?「下女に城下の菓子店に買いに行かせたり、王城に出入りする商会から菓子を買いつけたり、城の料理人に作らせたりするんですよ」 そう、下女のカーリンに侍女の仕事を教えられる私。 要するに、侍女はどの茶菓子がいいか選択して用意するってことか。「へぇ、そうなのか。研修期間ではそのあたりノータッチだったな。料理人が作ったものをそのまま出すのかと」 研修期間はそう長くなかったため、まだまだ侍女の仕事で知らないことはある。本来なら職場で先輩侍女から少しずつ教えられることなのだが……私の職場の近衛宿舎は先輩いないからな。「キリン様だって、城の料理人に菓子を作らせていたでしょう? それが広まったって。キリン飴でしたっけ」 ソーンパプディか。一度カーリンに食べさせたことがあったな。あちらこちらに出没して、妙に耳が早いカーリンだから、私の名で呼ばれていることも知ってるかもとは思ってたけど、やはりか。「……まあ、主人達に食べさせるためではないけどな」 主人である近衛騎士じゃなくて、小姓達に食べさせるための菓子だ。 それなのに菓子を巡ってときどき騎士達が騒ぐのだが。そのへんは料理人さん頑張ってとしか言えない。私に言うな騎士達。「しかしまあ、菓子に私の名前を付けるのはやめて欲しいものだ」「そうですねー」 おお、カーリンは解ってくれるか。「キリン様の発明や発見に一々名前なんて付けてたら、キリンなにがしって付く商品名が増えすぎますからね」 む、それは……。まあ『庭師』時代に色々やったからな。ほとんどが前世の知識をそのまま使ってるずるみたいなものだが。「キリンシルク、キリンドレス、キリン化粧、キリン小説、キリンカード、キリン紙細工、キリン糸通し――」 私が彼女の父ゼリンに提供した、商売アイデアの単語を連ねていくカーリン。いつの間に自分の実家の商品について詳しくなったのだろうか、彼女は。前はティニク商会は娯楽品しか扱ってないって勘違いしていたのに。「改めて聞くと、君の父親って商品ジャンル節操ないよなぁ……」 私はアイディアを出すだけ出してきただけで、それが売れるかどうか判断して世に出してきたのは、彼女の父親だ。 私の前世がこの世界の出身ではないと聞いて、私の頭の中を絞れるだけ絞りやがったぞあいつ。明らかにオーバーテクノロジーな知識も聞かれたんだが。聞かれたからって、全て答える私も私だが。「やりすぎて文明進めて道具協会の目に触れて、世界の中枢に永遠にご招待されなきゃいいんだが」「なんすかそれ!?」 私の言葉に、驚きの声を上げるカーリン。 道具協会。面倒な団体だ。「この国というか、この世界は人口統制のために、過度に文明を進めることを道具協会の手によって止められていることは知ってるか?」「ああ、知ってます。印刷技術の権利も、国にガチガチに固められて辛いって、父さんがよく愚痴っていますねー」「それで、実際に文明を進めるほど技術力を持った天才が出た場合、周囲に影響を与えないよう世界の中枢に連れていかれるんだ」 文明が進むとどうなるか。人口爆発だ。だが、世界には『世界要素』と呼ばれる“魂”のストックがそれに耐えられるほど存在していない。人口が増えすぎると人一人あたりに宿る“魂”が少なくなり、脆弱な人間が生まれるようになってしまうという。この国なんかは食料がすごい豊富なのに、人口爆発が起きてないのがすごいと思う。おそらく何らかの調整がされてる。 あと、世界樹ってそんなにでかくないから、人口増えすぎると純粋に敷地面積が足りなくなる。 まあそんなわけで、文明を進める危険のある天才は、世界の中枢『幹』に連行されてしまうわけだ。「怖っ、なんですかそれ怖っ!」「いやあ、世界の中枢って文明が一切規制されていない快適な超文明だから、いざ行ってみると家族ごと移住したいってやつが大半だぞ」 あそこは、科学だけじゃなくて魔法も進んでいるから、前世の二十一世紀の地球より快適な生活が送れる。蟻人が多いから、慣れてないと怖いかもしれないが。「ええ、国って簡単に捨てられるものっすかねえ」「国に執着があるやつは、初めから文明促進禁止の令を破らないからな」 生活を過度に便利にしてはいけない、便利に慣れてはいけない、という理念は割と幼少期にすり込まれるっぽいからな。私は生まれが特殊なうえに地球の価値観を初めから持っているので、そういう思想は持っていないが。そしてその理念を理性でぶち破れる人間が、商人や学者として大成する。「なにせ、学者は研究過程から日常生活まで、道具協会に全て監視されていることを受け入れないとなれないって言うからな」「うへえ、私は絶対嫌ですねそれ。消えて隠れます」 世界の中枢を目指して頑張る学者も多いって聞くけれど。 と、そんなことを侍女宿舎の前でだらだらと話していた私達のもとへ、一人の女性が小走りで近づいてきた。「キリンさん、よかった、まだこちらにいらしたのですね」 ピンク髪の女性。侍女長だ。私に何か用だろうか。 私に用があるなら下女でも遣わせてくれればいいのに、自らが来るなんて。何事だろうか。「キリンさん、国王陛下がお呼びです」「え、陛下がですか」 朝から国王からの呼び出しとな。 ふと、昨日の貴賓席で会った蟻人のことが頭によぎった。 あの貴人さんなぁ。王城で待つとか思わせぶりに言われたけどさあ。大収穫祭で王宮忙しいだろうから本当に相当待たせたんじゃないの。 そんなことを考える私に向けて、侍女長が言葉を続ける。「なんでも、『王宮侍女タルト』について聞きたいので、仕事を中断し至急執務室まで出頭するようにとのことです」 なんだそれ!? いつの間に伝わったんだ。もし食べたくなったからって、レシピは聞かれても知らないぞ!