大収穫祭を明日に控え、今日は朝から大忙し。 儀礼用装備のチェックは先日すでに完了していたが、身だしなみの確認というのは、本番ぎりぎりまで行う必要がある。 なにせ男というものは放っておくと、ヒゲがもさもさ伸びてくるのだ。これが女だった場合は、ヒゲの手入れの代わりに化粧が入ってくる。むだ毛の手入れも化粧も、侍女が補佐するべき事柄だ。 そう、この国の騎士にとってはヒゲはむだ毛扱いだ。ダンディな口髭を生やしているものは騎士には居ない。そういう国文化なのだ。 ヒゲを伸ばすのは力仕事をしない職業に就いている証。この宿舎でヒゲが生えているのは、料理人達だけである。料理って腕力めっちゃ使うけれど、力仕事扱いではない。まあ力仕事をしていない人が皆ヒゲを伸ばしているかというと、そういうこともないのだが。 現在時刻は夜。夕食も終わり、人工太陽の明かりも落ちている。 日の光の代わりに魔法の灯りが、近衛宿舎の中を照らしている。電気文明の存在しない世界だが、代わりに非常に発達した魔法が存在している。文明レベルが上がりすぎないよう、世界の中枢機関で魔法技術は細かく管理されている。だが、一日で人の過ごせる時間を長くするというのは、問題ないことらしい。 そんなわけで今頃城下町では魔法の街灯の下、本祭を前にした前夜祭が行われていることだろう。 大収穫祭の日程は今日の前夜祭も入れて五日間。近衛騎士が王族の警護のために市街地に繰り出すのは、明日からの四日間だ。その中で今日の前夜祭だけは、王族も王城の官僚達も行事の運営に関わらない。市民達だけの祭なのだ。 侍女達の中には、休みを貰って街に繰り出している者もいるのだが、私にそんな暇はない。 普段の日ならば私の侍女としての仕事は夕食前には必ず終わる。そんなホワイトな就業時間だ。しかし、この大収穫祭の期間ばかりは、そうも言っていられない。 そして今の私は、湯浴みを終えて一休みしている騎士達の部屋を回って、ヒゲが伸びていないか、爪は手入れされているかを見て回っているのだ。騎士の爪の長さなんて誰も見ないよ、とは思うのだがそれでも主人の身だしなみをきっちり整えるのが、侍女という職業なのだ。「失礼します」「どうぞ」 定型句を交わして騎士の部屋に入る。侍女の宿舎と同じ二人部屋。正騎士と従騎士が二人一組で住んでいる。小姓はこの近衛宿舎では寝泊まりしない。 王都である城下町に自宅を持っている騎士達も多く、彼らがいつもこの宿舎にいるとは限らない。が、全員出動の仕事を明日に控えた大収穫祭のこの期間は、全近衛騎士が王城内に夜間留まっている。「髪結いをお願いしていいかな。明日の夜まで持つようにだ」 入室するや否や、そんな注文を私に付けてきたこの部屋の正騎士。どうやら本を読んでいたようで、椅子に座り膝の上に閉じた本を載せていた。 従騎士も部屋の中におり、彼は手をかざして正騎士の髪へ魔法の風を送っていた。湯浴みを終えた後なので、ドライヤーの役目を負わされていたのだろう。魔法が使えるとは優秀な従騎士である。「何結いで?」「ホルムス風を」 結い方を尋ねると、正騎士からそんな言葉が返ってきた。ホルムス風か。流行に敏感だな。 この正騎士は肩甲骨の辺りまで髪を伸ばしている長髪の騎士だ。割合は多くないが、髪を伸ばす男も存在するのがこの国である。 私は座る正騎士の後ろに立ち、言われたとおりに髪を結い始めた。 ホルムス風とは、髪を伸ばす粋な男達の中で格好良いと噂されている髪の結い方だ。『名探偵ホルムス』という推理小説の挿絵に書かれている主人公の髪型である。 この世界にはない創作ジャンルである、推理小説という商材を商会に教えたのは私だ。 しかしなんともまあ、そこから生まれた主人公の髪型が近衛騎士まで影響を与えているとは、なんとも意外な話である。キャラデザインは私ノータッチだから、私の作った髪型ではない。 油を塗り、髪を束ね、自然にほどけないように強めに引っ張り、結い上げる。「いたた、姫の馬鹿力で引っ張られると禿げあがりそうだ」 すると正騎士が、そんな弱音を口から漏らした。「この程度で髪なんて抜けませんよ」 そう私は返す。 侍女を持つ女主人なんて、これを毎日やられてるんだぞ。 まあ、普段私が女性相手に髪を結うときは、こんなに引っ張らないが。全ては、明日の夜まで保たせろという要求が悪い。「でも姫に自分の身を任せてるって結構危機感あるよ? ぐしゃってされそうで」 ひでえこと言いやがる。 そりゃあ、やろうと思えば人間の頭蓋骨なんて、熟れた果実のように握りつぶせるが、やらないよ! 文句の一つも言いたくなって、私は正騎士に少しトゲのある口調で言葉を投げかけた。「でしたら、従騎士の方にやってもらえばいいでしょうに」「えっ、俺ですか!?」 私の言葉に、風を送るのをやめて、部屋の隅でじっとしていた従騎士が、ぎょっとした顔でうろたえる。「髪なんて束ねて縛りあげるくらいしか知りません……」 そう言ってしょんぼり肩を落とす従騎士。 それに対して正騎士が言う。「はは、大丈夫、君にそういうのは要求しないから。武具の手入れをしっかりしてくれればいいさ」 なんだこいつイケメン発言すぎる。でもあなたさっき、従騎士に魔法で髪を乾かせていましたよね。 しかし、侍女がこの宿舎に私一人しかいない以上、小姓と従騎士で出来そうなことは、やっておいてもらいたいものだけれどな。私が楽をしたいとかそういうことではなく、物理的な限界として。「普段は髪はどうしているのですか?」 疑問に思って私はそんなことを訊ねていた。「訓練の日なんかはそれこそ束ねて縛るくらい。人目につく仕事の時は、事前に城下の髪結い床まで通ったりしてるよ」 髪結い床か。そういえばそんな江戸時代みたいな店があるんだったな。要は髪を結って貰える床屋さんだ。 私の場合、前職時代は髪に魔力を宿す関係上、自分で髪を結っていたし、今は毎朝カヤ嬢に髪を弄られてるから、私には縁のない店だ。カヤ嬢って、なんで私の世話を焼きたがるんだろうね。「まあ、今日はオルトさんに、全員湯を浴びて毛の先まで綺麗に洗え、なーんて言われちゃったから、結いに行けなかったんだけどね」 そんなことを正騎士が、肩を上げながら言った。 近衛が臭いなんて市民に思われたら、国のイメージダウンはなはだしいからなぁ。 近衛って王族とセットで人の目に触れるから、以前誰かが言っていた通り国の顔みたいなものだからな。 そんなこんなで雑談をかわしているうちに、髪が結い終わる。まあ多分明日の夜まで持つだろう。「どう、名探偵っぽい?」 椅子から立ち上がり、決め顔でそんなことをのたまう正騎士。「強そうな騎士っぽくなくていいんですか?」 私は答えを保留して、そんな質問を返していた。名探偵ホルムスって別に某ホームズみたいに武闘派じゃないし、バリツなんて使わないからな。「そういうのは他の奴が担当していればいいんだよ。こっちは陛下に添える花としての役目さ」 でも貴方って近衛の中でも、身長も体格もかなり良い方でしたよね。◆◇◆◇◆「終わった、仕事終わった……」 夜も遅く、へとへとになって、私は侍女宿舎にようやく帰ってくることができた。 ごめん嘘。侍女の仕事ではへとへとにならない。前職は魔獣や巨獣を狩るため、森の中徹夜で動き続けるとかあったからね。まあ、普段の仕事量よりは多かったというだけだ。今日は騎士達も、それぞれのスケジュールというものがあって、侍女席が使えなかったということもあるしね。 しかし、騎士達の身だしなみのチェックだけやって終わりかと思いきや、髪結いだけに留まらず化粧まで頼んでくる騎士までいて、思わぬ時間を取られた。 男が化粧である。実はこれも最近の流行り。 メンズ化粧品という、この国になかった概念を商会に伝えたのは私なので、こんなに時間を取られたのは自業自得とも言える。流行るとは思わなかった。商会に流した前世のアイディアって、何でもかんでも成功しているわけじゃないのに、なんでこんなものが流行る。 いや、私侍女になるまで化粧なんて一度もしたことなかったから、仕掛け人だからといって男の化粧方法なんて詳しくないんだけれど。 化粧道具が、女子のものとさほど変わらなかったのが救いだ。しかし化粧で美しくではなく、格好良くなるものなんだな。「ただいまーっと」 自室の扉を開け、中へ入る。二人部屋だがいちいちノックをすることはしない。自分の部屋に入るのにいちいちうかがいを立てるのは面倒でしょうと、は同室のカヤ嬢の言葉だ。適度に几帳面で適度にずぼらなんだよな彼女は。前は仕事をさぼったら逆に喜ばれたし。「おかえりなさいませお姉様!」 おや。私を迎えたのはカヤ嬢ではなく、友人の娘である馴染みの顔、ククルだ。侯爵家の子女という王城の侍女を勤めるのに相応しい高貴な家の出である。 この子が産まれたときから付き合いがあるので、お姉様と呼ばれて妙に慕われている。 しかし、こんな夜更けにどうしたのだろうか。「やあククル、カヤ嬢とお話でもしていたのかい」「キリンお姉様が帰ってくるのをお待ちしていました!」 元気だなぁ。まだ若いから夜は眠たくなりそうなものだけれど。 私を待っていたということで、用事を一応尋ねてみることにした。寝る前に話をしたかったとかだろうかね。「そうか。何か用とかあったかい。なくても歓迎するが」「キリンお姉様が、明日の約束を忘れていないか確認しに参ったのです」「はは、そうかい。大丈夫だ忘れてないさ」 どうやらククルは、以前から交わしていた「大収穫祭を二人で見て回る」という約束の確認に来ていたようだ。 そう、明日の大収穫祭、私は城の外へ出られるのだ。 明日の私の仕事は朝と夜だけあり、近衛騎士が全員街へ出動する日中は何もすることがないため、変則的な半休を与えられたのだ。 侍女とは本来主人の外出についていき、身の回りの世話をする存在だ。しかし私の場合世話対象があまりにも多すぎるので、その役目は免除されている。外で仕事をする正騎士の世話をするのは従騎士の任務となる。なので昼の間だけ休みである。 そしてククルは、大収穫祭の期間のうち、明日一日の休みを獲得することに成功していた。そして私と予定が合ったため、一緒に城下町へ繰り出そうという話になっていた。 ちなみにカヤ嬢は休みが合わなかったので、三人一緒には出かけられない。そんなカヤ嬢は、ククルの隣で私達の会話を楽しそうに眺めて笑みを浮かべている。「明日はお父様とお会いできるので、私楽しみで楽しみで」 ククルの父、ゴアード侯爵は領地の収穫祭を取り仕切った後、大収穫祭の開催に合わせて王都にやってきて、屋敷に滞在しているらしかった。 侍女が王城から出て、王都にある自分の家に一時的に戻ることは、規則で許されている。侍女長に申請をすれば割と簡単に通る。なので、ククルが父に会いたいならば別に明日を待つ必要は無かった。が、ククルはどうやら、休みに合わせて父に会うことを選択したようだった。「でもククル、もう夜も遅いんだ。早めに寝なければ、明日寝過ごしてしまうよ」 と、子供を諭すように言った私だが、ククルは十四歳。夕食直後に寝てしまうような歳ではないし、肉体年齢でいうと私の方が幼い。「でも明日が大収穫祭だと思うと目が冴えてしまって……」 そんな言葉を返してくるククル。 そうか、次の日の遠足が楽しみで眠れなくなる小学生状態なのか。友人の私と、しばらく会っていない父親と一緒に巡る祭なんて、楽しみでしょうがないのだろう。「それじゃあククル、しばらく三人でお話ししていようか。眠たくなったら私のベッドで眠れば良い」「わあ! お泊まり会ですね!」「城下じゃ前夜祭をしているんだ。私達もすこしはしゃいだところで問題ないさ」 ちらりとカヤ嬢に目を向けると、にっこりと笑いながらこくりと頷いた。つまりお泊まりOKとのことだ。「では何からお話ししましょう! そうだ、カヤが婚約者の方とお祭りデートの約束をしている話から!」 いきなり恋バナをぶち込んできたククルに、カヤ嬢の笑顔が僅かに崩れる。ここで自分の話になるとは思っていなかったのだろう。 しかし、これは夜、寝静まるのはいつになることかな。明日の朝は近衛達を見送る仕事があるから、寝坊するわけにはいかないのだけれども。◆◇◆◇◆「いってらっしゃいませ」 翌日の朝早く。無事に起きることに成功した私は、その日の仕事を始めた。そして儀礼用装備に身を包んだ騎士達を近衛宿舎から見送るまで、慌ただしく時間が過ぎた。 本日は雲一つない晴天。まあここは雲の存在しない大陸だ。 地中から立ち上った水蒸気は、物理法則通りに上空で雲を形成しようとする。だが、この大陸の上空に展開された、人工太陽と人工月を運用するための魔法陣が、その雲を吸収してしまう。つまりは、一年中雲一つない良いお天気だということだ。 空を見上げると、広大な立体魔法陣が空に広がっている。地球とは似ても似つかない空模様。雨が降るかどうかは、世界の中枢機関『幹』が操るこの魔法陣によって、完全に管理されている。 そしてこの国の王族は、この日この地域に雨を降らさないでくださいと、中枢機関に予定を頼み込んで融通を利かせることができる。そのため、祭が雨天中止ということはありえない。良いことだ。 祭の時に雨が降るのって、ものすごいテンション下がるからな……。「おはようございます」 と、宿舎の前で空を見上げていた私にかかる声。いつもの洗濯担当の下女さんだ。大収穫祭当日だろうがおかまいなしに洗濯物は出るため、それを受け取りに来たのだ。 私も挨拶を返そう。「おはよう。今から集めるから少し待っていて」「はい、お待ちしています」 下女の子を置いて宿舎の中へ戻り、小姓達を呼び集める。今日のお菓子は『収穫』にちなんで秋の味覚、ケーリの実の蟻蜜漬けだ。 この季節の祭屋台で良く出される定番菓子なので、仕事のある小姓達にもお祭り気分を味わってもらおうという、料理長のはからいである。「では、部屋の前から洗濯物を集めてきてください。今日のお菓子は収穫祭にちなんだものですよ」「はーい」 私の号令に一斉に駆け出す小姓達。彼らは、すっかり私の言うことを聞くようになっていた。 菓子での懐柔が効果的だったのだろう。だが、それとはまた別に、飼い犬が飼い主の家族を順列付けするがごとく、従騎士以上の偉い存在として私を認識しているようだった。 私自身の身分は貴族でもなく、王城侍女という肩書き以上に偉いものでもないのだけれど。まあ身分の高さと場の順列というのはイコールではないから、そういうものなのだろう。 正騎士達にとっての私は、現国王と一緒に近衛を作りだした、なんだかすごそうな姉御ポジションなわけで、その正騎士達が私に見せる態度というものを小姓達は敏感に感じ取ったようなのだ。 うーん、何か問題あるかな。ないか。仕事が順調になると思えば良いことだ。 その後、洗濯物を下女(名前はエキといったか)に引き渡し、宿舎の食堂で小姓達に蟻蜜漬けをふるまって、仕事は終了。 侍女宿舎に戻り、祭に出かけるための服に着替えるため自室へ戻った。「おかえりなさいませお姉様!」 あれ、デジャヴ。「ただいま。どうしたんだいククル」「すぐに出かけられるよう待ってました!」 祭を前にしてテンションが上がっているのか、わーっと私をハグしてくるククル。こらこら着替えられないだろう。「ぎゅーっ。あら、お姉様から蟻蜜の甘い匂いが……」 私の頭の上ですんすんと鼻をならすククル。 抱きしめて匂いを嗅ぐとかそういうの、やめなさい。「ああ、さっきケーリの実の蟻蜜漬けを食べたからね」 歯も磨いていないし、濃厚なあの甘い香りが残っていたのだろう。「えっ」 そんな声と共に私を抱きしめる腕が強ばった。「ひどいですキリンお姉様!」 なんぞ。蟻蜜漬け食べたのが何かギルティだった? 祭の前に腹を満たすのはダメだった? でも食べたの一個だけだぞ。「私を置いて屋台に先に食べに行っちゃったんでしょう!」 あー。ああー。なるほど。 蟻蜜漬けは祭の屋台の名物だから、勝手に城下町まで降りて食べたと勘違いしたのか。「違うよ、小姓くん達と食べたんだよ」「しかも他の方と一緒に!」「近衛宿舎で」「えっ?」 今度の「えっ」は疑問符が付いていた。「? えっえっ、宿舎で屋台が? どういう?」 混乱するククルに、私は笑いながら、順番に事情を説明することにした。ところで、服を着替えられるのはいつになるかな。 こうして私とククルの祭の一日がようやく始まる。