「甘ぇ……あめぇー匂いがするなぁ。まだ残ってるな?」 鼻をひくひくさせながら巨漢の騎士が私を見下ろす。 彼は正騎士のハネス。私と現国王が近衛師団を作ろうと人材を集めていたときに、ある農村で見つけた力自慢の男だ。 地方の収穫祭で毎年力比べ大会に優勝している若い男がいる。そんな噂を聞きつけ、現地におもむきスカウトした人物である。農民だと思ったら実は領地を持たない文官貴族の子息だった。 そんな昔なじみのハネスは、特別にがっつくほど甘い物が好きというわけではないはずなのだが……とにかく食いしん坊なのだ。先日、私に穴の空いたパンツを持ってきた人でもある。「残ってはいますが……全員分はさすがにありませんよ?」 私は手に持ったバスケットにかかった布を取り除き、中身を見せる。もう七人分しか残っていない。後で厨房に持ち帰って料理人の人達とお茶請けにでも食べようと思っていたものだ。 ここにいる騎士達は第一隊の近衛全員ではないが、従騎士も合わせて十五人は居る。というか最近見知った顔が多いので従騎士がほとんどだ。正騎士五人に従騎士十人の顔ぶれである。 このメンバーだと、王城の外に訓練しに行った正騎士達ではなく、王城練兵場(王城内にあるがすごく狭い。騎士ヴォヴォと個人訓練したあそこだ)に従騎士達を鍛えるために出ていたグループだろう。彼らがまとめて帰ってきているようだった。「なんだぁ? ちっちぇえなぁ。ガキどもが美味い美味い言ってるからどんなのかと思ったら、腹に溜まりそうもねぇ」「昼食前の小休憩のためのものですから」「敬語きめぇな姫」「で・す・か・ら! お腹を満たすためのものじゃないんです。訓練ですいた小腹は満足しませんよ。……ところでお早いお帰りですが今日の訓練は?」 宿舎の前に集まってきていた騎士達を見渡す。衣服や鎧に土や泥が付いた形跡はない。近衛騎士団は気功術の使い手であり、その闘気によってもたらされる超人的な身体能力で、獣のように跳んだり跳ねたり平気でする。なので、従騎士の訓練といえども近衛が戦闘訓練をして汚れが付かないというのは考えられない。いや、国を挙げた大収穫祭が近いから儀礼の訓練って可能性もなきにしもあらずだが。「いやー、なんか緑の騎士どもが決闘するってんで練兵場が急に使えなくなってなぁ」 緑の騎士か。先月の騎士ヴォヴォの顛末が脳裏をよぎった。 一回目の略式結婚式(婚約しましたよという簡単なお披露目だ)に呼ばれたが、同席していた緑の騎士達は皆仲がよさそうだった。 しかし緑の騎士と言えば代々騎士の家による世襲制だ。貴族の家同士で根深い確執があったりするのかもしれない。「野次馬しようと思ったんだがめんどくせー儀式とかはじめたんで皆で戻ってきたわ……ん、なんだこれ! すげぇあめぇ! すげぇ! すごいな!」 話しながらバスケットから一つ菓子を奪い取っていくハネス。語彙少ないなこいつ……。 別に私は困らないからつまみ食いを防がなかったが……困る人達は他にたくさんいた。「ハネスてめえ!」「何勝手に食べてるんですか!」「てめえ! このっ……てめえ!」 わっと騎士達が集まり、ハネスに向かっていきなり殴る蹴るの暴行を加えだした。いかにもな男所帯の短絡的行動である。おいおい、正騎士だけじゃなくて従騎士も混じってるぞ。内輪か! 侍女生活に慣れたからか、数ヶ月前の冒険者稼業が少し懐かしく感じる。 いや、大学時代の娯楽サークルで遊んだTRPGの冒険者とかと違って、この世界の『庭師』は騎士団顔負けのエリート揃いだからこんなに野蛮ではなかったか。こいつらスカウトで集めたから読み書き程度しかできない学のない平民出とか多いからなぁ。「ぶわっはっはっ!」 騎士達の暴行を気を張って笑っていなすハネス。何だかんだで遊び半分の殴り合い程度なら軽く流す、幹部候補の実力者である。 “気”の守りが固い。野菜をしっかり食べている証拠だ。「いやー、すげー甘かった。おい、エキ。おめぇも食ったか? うめぇなこれ」 蹴りに対して足払いを返しながら、洗濯担当の下女さんに話しかけるハネス。「えっ! あの……えっとその……」 突然振られた会話にとまどい、私の方へと目を向けてくる下女エキ。ああ、みんなには内緒だと言ってしまったからな。 彼女に助けを出すため、私が口を挟もうとしたそのときだ。「やめないかハネス。そんなに視線を向けたら彼女が妊娠してしまう」 団員達の暴行を何もせず見守っていたオルト副隊長が割って入った。「はえっ!?」「しねぇよ! どういう性教育受けてんだよ!」 顔を真っ赤にしながらお腹を押さえて後ずさりするエキに、思わずツッコミを入れるハネス。「宿舎に近づく数少ない下女なんだ、大切に扱わないか」 そんな注意をハネスにするオルト副隊長だが、相変わらず殴り合いにはスルーの態勢だ。ハネスは殴られるのを闘気で防ぐだけでなく、積極的に殴り返すようになっていた。「ひえっ」 エキが私の後ろに逃げてくる。いや、私の方が背も低いし体格も小さいよね。小姓達はというと既に宿舎の中に逃げていた。うん、仕事中だもんな。なんか殴り合ってる騎士達と違って。 要はお菓子にかこつけてケンカをしたいのかなぁ、こいつら。訓練が中止になったみたいだし。血の気が収まらんってやつだ。 仕方ないのでケンカ中の事故を防ぐために魔法を使う。闘気が使える鍛えた人間同士でも、拳で頭を殴り合えば貫通した気で脳の血管が傷ついて即死なんてことがありえる。見たことないけどね。まあ、そんな死を回避するための守護妖精を魔法で呼び寄せた。未熟であろう従騎士もいることだし。「おや、妖精魔法」 オルト副隊長は殴り合いを避けて私の横に来たが、めざとく召喚された妖精を見付けたようだ。 非物質的な次元――前世のオカルト用語でいうところのアストラル界的なものから妖精を呼び出して使役する魔法。魔法の師匠から受け継いだ魔法の中で、私が一番得意な魔法だ。 通常の魔法が電子回路の組み立てといった理系の分野だとしたら、妖精魔法は人の言語を妖精の言葉に翻訳する文系の魔法。そして私は前世から一貫してばりばりの文系だ。妖精との対話は声を使わないということもあって、肉体の仕組みが人間と違う故に声帯がなく詠唱の出来ない魔人の私にぴったりの魔法なのだ。ちなみに声帯の代わりにあるのは竜のブレス器官だ。 侍女にとっては詠唱の必要な大魔法より、細かいところに手が届くファジーな妖精魔法の方が良い。 そもそも普通の侍女に魔法は必要ないのだがそれは気にしない。 私にとっては必要なのだ。具体的には魔法があれば背が足りないのを補える。永遠の幼女故に。「お優しいことだ」 まあ副隊長から見ると、素手での殴り合いで妖精の加護なんて過保護にしか見えないだろうけれども。 私も気まぐれで使っただけだし。「ところで姫、それで菓子は全部終わりなのか? 厨房に残っているとかは? 厨房の奴ら、暇してるから余らせているとかないか」 副隊長――というか宿舎長としてだろうか、彼がそんなことを聞いてきた。「ああ、はい。これで全部ですが……オルト様も召し上がりたかったのでしょうか?」「そういうわけではないが……全員に行き渡るのに越したことはないと思ってね」 少しずつ盛り上がっていくハネスと他の騎士達とのじゃれ合いという名の殴り合いを見る副隊長。 でもさっき、お菓子食べたいよなって皆を煽ったのあなたですよね?「はしゃいでいますね。訓練が中止になって力が有り余ってるのでしょうか」「それに大収穫祭も間近だからな。皆気がはやっているのだろう……しかし王城の敷地内で暴れるのは感心せんな。そろそろ止めるか」 大収穫祭か。何かと王族が表に出る機会が多いから、近衛騎士の出番も多い。責任は重く、そして衆目に触れるという栄光も大きい催しだ。 それを考えると、菓子を食べる程度で士気高揚になるのだったら、安いものではないだろうか。 しかし追加の菓子か。料理長が菓子を勝手に作って余らせてるなんてありえないし、今から作ることになる。 騎士宿舎に予定外の材料の蓄えはあるのだろうか。いや、たった十五人分の昼食前の菓子だから量の心配はいらないが予定外の使用をしていいのかどうかだ。 とりあえず宿舎の厨房に行って料理長に丸投げしてみよう。「あの、厨房に何か代わりになるようなものがないか聞いてきますね」「ああ、そのバスケットは置いていくように」「あー、はい」 このバスケットの中身をどうするつもりか。苦笑しながら私は宿舎の中へと入っていった。◆◇◆◇◆ 厨房内での料理研究のため、自由裁量で使える調味料や粉物は備蓄が十分にあるらしい。料理研究所でもなんでもない、単なる宿舎の厨房なんだけどな。 さすが王城なだけあって、融通が利くというか予算が潤沢というか。 砂糖も蟻蜜も樹液もどれも料理長の独断で使えるのだとか。 ただ、お菓子を全員に配るとなると、自由に使える材料が十分にあってもそうすんなりいくものでもないようだ。 騎士にとっては訓練も任務であり、正騎士ともなると訓練の最中に何を補給させるか、近衛の幹部一同に周知しておく必要があるとのこと。 ごもっともである。騎士は貴族である以前に公僕なのだ。組織の運営の事情もあるし、体調管理の問題もあるのだろう。 まあ小姓達はその範疇ではないので、私が彼らに菓子を配るのは問題ないようだし、騎士個人に対する第三者からの差し入れを禁止しているわけでもない。前世の日本における公僕とは違い、差し入れという名の贈賄はゆるっゆるだ。 まあしかし、今回は近衛の幹部である副隊長にも菓子を届けるのだ。後から問題になるようなことはないだろう。ただし王宮でデスクワークしてる第一隊長は除く。 さすがに今から時間のかかるソーンパプディもどきの用意はできない。となると、昨日小姓達に配った焼き菓子を作ってもらうのがいいか。料理長や他のスタッフ達も一度作ったことのある菓子なら、手際よく用意してくれることだろう。 この国で平民に親しまれている焼き菓子に、追加で蟻蜜をたっぷり混ぜ込んだものである。四十分(地球時間換算)もあれば作れる。生地を寝かす必要の無いお手軽クッキーである。 それをどれだけ用意できるか料理長に訊いてみると。「ああ、この内容なら昼食前までに宿舎の騎士全員分用意できるぞ。でも十五人分でいいならすぐだ」「マジですか」 マジらしかった。いくらこの厨房の仕事時間の大半が料理研究で占められるほど暇だと言っても、もうすぐ昼食の用意で忙しくなるはず。だというのにその片手間で用意できるとは、熟練のプロの料理人は格が違った。まあ宿舎の騎士全員分はやめてあくまであの十五人分ということになったので、オーブンの数が足りないということはないだろう。 というわけで菓子は帰ってきた騎士全員分の用意が出来ることが決まった。 そのことを告げようとまた宿舎の外へと向かおうとしたところ……なにやら玄関ホールが騒がしい。 何事かと思って見てみると、騎士達が玄関ホールで円を描くように集まっていた。外でハネスをいじるのをやめて全員宿舎の中に入ってきたようだ。 ただ、男達が作る円陣の中で、何事かやっているらしく騎士達が野次を飛ばしている。 何をやっているのだろうか。円陣の隙間から見える様子では相変わらず殴り合いをしているようだけれども。「なにやってるんですか?」 とりあえず近くの騎士に尋ねてみる。「お、姫だ」「来た、姫来たぞ」「入れろ入れろ特等席だ」 腰をかがめてさっと私の腋に腕を差し入れ持ち上げようとする騎士。「んが、重っ、姫重っ」「それ、私以外の女子に言ったらぶっ飛ばされますよ」 よくわからないうちに円陣の内側に運ばれた私。そこではまるで拳闘の試合でもしているかのように二人の騎士が対面で殴り合いをしていた。レフリーポジションに、バスケットを片腕に抱えたオルト副隊長がいる。ついでに召喚した妖精が飛び回っていた。 なんぞこれ。「なんぞこれ」「殴って勝った方が菓子を食える。わかりやすいだろ」 答えたのは先ほどまで騎士全員と殴り合いをしていたハネスだ。ちなみに無傷である。「はあ、でも料理長がすぐに蜜焼き菓子を作ってくれると言っていましたよー」 そう、玄関ホールに居る騎士達全員に聞こえるように言ったのだが。「料理長の菓子などいらぬ!」「私はお菓子を食べたいんじゃない! 女の子の作った手作りお菓子が食べたいんだごふぁっ!」「侍女さんの菓子は俺のものだ!」 円陣の中で殴り合いをしている二人がそんなことを答えた。「ええー……」 ホントにええーである。 そりゃあ確かにこの宿舎に侍女である私がやってきたときには歓迎された。 でもそれは一種のノリのようなもので、実際は私は幼女で実年齢はアラサーで、しかも精神は元男だ。そこの所は馴染み深い近衛の皆はよく知っていることであって、麗しい侍女の女の子がやってきたことを本気で喜んでいるわけではないはずで……。 って、待て。今殴り合っている二人は誰だ。 馴染みのない顔ぶれ。格好は正騎士の鎧ではなく、従騎士のもの。私が昔元王子と一緒に直接スカウトしてきた人材ではない。というかここにいるの副隊長とハネスとあと三名ほど以外は従騎士なんだった。 つまり私の来歴や本性というものをよく知らない二人なわけで、それが手作り菓子を奪い合っている。 こ、これはもしや、女の身に生まれ変わってからまれに起こっている、私のために争わないでシチュエーション……! でも奪い合ってるのは、本人ではなく菓子というなんとも微妙な状況だ。「手作りの物なんて母上と妹にしか貰ったことがないのだー!」「妹がいるなら上等じゃねえかクソが!」 あ、良いのが腹に入った。従騎士の鎧って胸当てで腹は守らないからなぁ……。「決着!」 勝ったのは妹がいない方でした。勝負を見届けた妖精が楽しそうにはしゃいでる。「さあ、姫から手渡してあげなさい」 そんなことをオルト副隊長が言いながら、私にバスケットを渡してくる。中に入っている菓子は残り一つ。この殴り合い以外は、料理長との会話のあの短時間でどうやって食べる人を決めたのだろうね。「では、本日のお菓子残り一つをお渡しします。……本来はこれ、小姓さん達に渡すためのものですからね?」「ありがたき幸せー!」 なんだこのノリ。 菓子を手渡すと、歓喜の表情で聖印を切り菓子を頬張る従騎士。「美味い……! 勝利の味だ……!」 これ、菓子自体の味は割とどうでもいいんだろうなぁ……。 ああ、そうだ、菓子についてちゃんと説明してあげないとな。「これは上の枝の国トラキオで作られる、砂糖の飴菓子でございまして」 私の言葉を聞きながら、従騎士が頷く。その足元では、負けた方の従騎士がぼんやりと天井を見ながら床に転がっていた。怪我とか大丈夫だよな?「複数人で飴を折りたたむという作業が必要となるため、身長が問題となり……」 私の言葉に首をひねる従騎士。料理の光景が想像できないのだろう。「私は手を出せなかったのでこの宿舎の料理人さんの手作りで、私は作ってないんですよね」「えっ」 その私の言葉を理解したのか、従騎士はふらりと頭をゆらし、そしてその場にくずおれた。召喚されたままの妖精が心配そうにその顔を覗き込む。「侍女の……手作りお菓子が……」 だって料理を作るのって侍女の仕事じゃないし……。