えー本日はお日柄も良く。という感じで迎えた祝日の天候は晴れ。 雲一つ無い快晴です。そもそも、この大陸の天候に曇りというものは存在しないけれど。雲という単語自体、この国の人々は知らないのではないだろうか。使用されている言語にはちゃんとあるけど、雲って単語。 どういうことかというと、この世界は惑星環境から脱出して衛星――月に着陸した樹木型宇宙船の甲板に人が住み着いていると言えるわけだ。月は惑星と違って大気などはない。全て宇宙船世界樹号が甲板の人々に日光の代わりや雨水の代わり、そして空気を用意してあげなければいけないのだ。 よって、天気はシンプル。晴天か雨天。嵐や台風など存在しないという、なんとも人が生きやすい環境なのだ。もちろん、嵐なんて代物を知っている人はこの世界にはちょっとだけしかいないのだ。そのちょっとだけの存在は、旧惑星から脱出して千年単位で生き続けている伝説の魔術師だとか、億年単位で生きてる神獣だったりするわけだが。 世界の天気は世界の中枢『幹』の気象部が管理している。どの地域がいつ晴れて雨が降るかという予定は『幹』からその地域の管理者、すなわち国の王族へと伝えられ、国は国民に天気予定表を配布するというわけだ。 そして国の王族さんは年に何日か領地の天気の変更を『幹』へ融通してもらう特権を与えられている。『幹』の天候管理は優秀で、作物が日照りにあうことはまずない。ではどういうときに天気を融通してもらうかというと、国の定める祝日を晴天にしてもらうのだ。 国の定める祝日というのは祭りや催し物が行われることが多い。「休日」ではなく「祝日」。すなわち何かを祝う日のことである。 そんな祝日が、今日この日なのだ。 今日はケーリの日という祝日だ。ケーリとは梅を少し大きくしたような実をつける樹木のこと。 青いままの果実は林檎のように少し酸味のある爽やかな味。収穫後熟して赤黒くなると、蜜の混じったとろけるような甘さになる。 王都ではこの時期、そのケーリの実を花の蜜を集める蟻の巣から採取した蟻蜜と一緒にビンに詰める、ケーリの蟻蜜漬けが日持ちのする特産品として売り出される。 そう、今この時期は国中でケーリの実の収穫が行われている。今日の祝日も、ケーリの収穫を祝って行われた村々の収穫祭が始まりとなっているのだ。 王城から城下町へと繰り出せば、商店街を中心にケーリの実を大々的に売り出すケーリ祭が開催されているのを目にすることだろう。 私もケーリと砂糖と向日葵麦の蒸留酒を買い込んで、梅酒の手順でケーリ砂糖酒を漬け込みたいところである。 しかしそんな華やかな祝日も、一日訓練で終える予定なのが悲しいところだ。 でもロリコンの魔の手から逃れるのと、カーリンの恋を成就させるためにも、今日この日を逃すわけにはいかない。何せ相手は近頃激務が重なっているという緑の騎士団の騎士さんなのだ。 天気は良し。季節は日本でいうところの秋。運動するには良い気温だ。 配役も良し。騎士ヴォヴォはすでに練兵場へとやってきており、カーリンも配置についている。 場所も良し。王城内の練兵場の予約は侍女長に相談したら簡単に取れた。近衛達は祝日で休暇を取っているのだろう。 恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦開始である!「まずは柔軟から始めましょう」 騎士ヴォヴォに指示をしながら柔軟を始める。訓練前の柔軟は彼にとってはあまり馴染みがないだろう。騎士団ではせいぜいがラジオ体操的な軽いストレッチ程度が前準備のようだ。 だが、私は前世の日本で覚えた、本格的な柔軟体操を訓練前に徹底的にやる。そうした方が良いと日本人時代に聞いたことがあるようなないようなそんな気がするからだ。 あ、カーリン、彼の柔軟を手伝ってあげて。 うんそうそう背中をぐいーっと。 ん、私は大丈夫。十歳ボディが元だからヨガのポーズだって楽勝よ。「よし、ここまで」 しっとり肌着が汗ばむ程度にじっくりと柔軟したところで、立ち上がる。 練兵場は芝生ではなく土が敷いてあるので、手でお尻を叩いて砂埃を落とす。ああーなんか前世の小学校時代を思い出すわぁ。「ではまず、十分程度組み手を行いましょうか」 用意しておいた木剣を手に取り、向かい合う。ちなみに私の木剣は特別製。衝撃吸収の魔法を重ねがけしており、殴っても怪我をしにくいスポンジ剣状態になっている。ただし魔人としての怪力を発揮した状態での打撃で怪我をしないかは、保証しかねます。 ちなみに十分と言ったがあくまで日本語訳。時間の単位が地球と同じということはない。「行きます」 彼が構えを取ったところで、合図をして組み手を開始する。 彼の取った構えを見る。かつての合同訓練でも見た、二本の木剣を使う二刀流だ。 二刀流とは言っても、日本人が侍をイメージするあれとは違う。利き手には片手持ち用のショートソードサイズの木剣。逆の手には、防御を目的としているのであろう短剣サイズの木剣を持っている。 おそらく対人用の剣技の使い手なのだろう。盾ではなく短剣を防御に使う剣技は、人の数倍の体格を持つ巨獣相手には通用しない。 だがその構えは美しく洗練されていて、家屋サイズの巨獣であろうとも軽々と屠ってしまいそうな剣気を感じ取れる。 彼はただの正騎士ではない。何気に緑の騎士団の役職持ちなのだ。青の騎士団と違って強ければ偉くなれるというわけではないが、この国の騎士団は実力主義の傾向が強い。 幼い頃から戦いを学んだのだろう。二刀などという変則的な武器を使っているが、槍を持たせても棍を持たせても全て見事に扱ってみせるはずだ。武術の熟練者としての風格がそこにはある。 だが、それだけだ。「覇ッ!」 勢いよく踏み込んで、なぎ払い。 私の取った、たったそれだけの行動で彼は吹き飛んだ。「くっ……」「立ってください。次!」 構えを取るのを見た瞬間、踏み込み木剣を振るう。再び倒れる騎士。「次!」 構え。走る。側面へ回る。騎士は反応したが身体が追いついていない。突いて倒す。「立ちなさい! まだ三分と経っていないぞ!」 体術を交えず純粋な剣技で圧倒すること十分間。最初の組み手が終わった。 結局彼は一度も剣を振ることすらできずに終わったのだった。「座ってよし!」 合図と共に、崩れるように騎士ヴォヴォは地面へとへたりこんだ。 息は整っている。体力はまだまだ余っているようだ。だが、何もできずに終わったという、精神的なダメージが大きいのだろう。「弱いな」 私の言葉に、目に見えて落ち込む騎士ヴォヴォ。だが違う。「君が弱いのではない。騎士が弱いんだ」 ああ、そういえばテンション上がって敬語が取れてしまっている。これだから発声魔法は使いにくいんだ。 でもいいか。勤務時間外だし。「正直に言うと、この国の騎士は弱い! 例外は近衛騎士団くらいだ」 とりあえず言葉を続ける。ここからが今日の訓練(建前部分)の本題だ。「前に私が参加した合同訓練を思い出して欲しい。私は剣技らしい剣技を青の騎士団長以外に使っていなかった」 そう。ずどーんどかーんずばーんと大雑把になぎ倒していた。繊細な技量の駆け引きなんて全くなかったのだ。「騎士達は、確かに武器を扱う技術は悪くない。日々の修練に裏打ちされた素晴らしい剣だ。しかし皆、私に力負け、速度負けしてしまっているのだ。これは私が怪力の魔人だからというわけではない」 そこまで言うと、私はぐっと身体に力を込めた。身体の奥底、深い深いところにある何かを押し出すように力む。 すると、身体の表面から光り輝く空気のようなものが湧きだしてきた。 そう、これは闘気である! 英語で言うとオーラである!「青の騎士と緑の騎士は闘気の扱いが未熟!」 闘気とは人間の持つ霊的――魂的な生命のエネルギーである。 生命力とでも言えばいいのか、肉体の奥底からひねり出すことのできる不思議パワーだ。 不思議とは言っても原理は解明されている。人は生まれるとき、そして死ぬとき、世界樹と魂のやりとりをする。魂を世界樹から与えられなければ、この世界に生きる人間は生まれてくることすらできない。生きている人間は、みな身体に魂を宿している。肉体に宿っている魂は、肉体をよりよく動かそうとエネルギーを作り出す。それが闘気なのだ。 人間は他の生物より魂の力、闘気を作り出す力が優れている。世界樹が生命力溢れる生き物として人間を特別扱いして生み出してくれているからだ。そういう点を考えると、前世の地球に生きる地球人と、この世界樹に生きる世界樹人は似ているようで実は違う生き物なのだとわかる。「どうして今の世代の騎士達はこんなにも闘気の扱いが未熟なのか、何故か解るかヴォヴォ君!」「騎士レイが飛竜事変で討ち死にしたから、ですかね」「うむ、遠因はそれだな」 騎士レイとはかつてこの国に存在した、闘気戦闘の達人である。 その特徴は、とにかく強い。 彼がどれくらい強いかというと、「強さ」のみで成り上がれる青の騎士団の現騎士団長、その彼より強い私のざっと五倍は強い。 騎士レイが生きている頃、ちょっとした縁で手合わせをしたが数秒で叩きのめされたことがある。 その強さはこの国だけでなく世界へと届いており、悪の化身を退治する人類最強の存在である「勇者」一行のパーティ入りをしても問題ないとまで言われていた。 そんな彼だが、その最期は竜との相打ちという壮絶なものであった。 七年前、世界樹が北の山に飛竜を生み出した。 その竜は二匹のつがいだった。そのうちの一匹が街を襲撃しようとしたときに、その場に居合わせた彼が一人で竜を撃退したのだ。そのすごさは、残ったもう一匹の竜と戦った私がよくわかっている。 あの竜達には再生能力があったのだ。それを彼は誰の助けも得ずに一人で殺しきってしまった。人間という生物が手足や武器を使ってできることの範疇を超えている。闘気というものが、いかに奥深いかよくわかるエピソードである。 騎士レイは竜を殺したが、戦いの最中に負った傷は重く、魔法治療を行える魔術師が近くにいなかったため無情にも命を落としてしまったという。 彼の下では多くの騎士や騎士見習い達が闘気の使い方を学んでいた。彼は闘気戦闘技術――気功術の教導官的な立場だったのだ。 しかし彼の死から二年後。王太子が新国王となったばかりの頃、何があったのか、彼の教え子達はみな騎士を辞め「己の力を試す」と言い残して遠い新大陸の開拓者になってしまった。謎である。 こうして騎士レイの死をきっかけに、強力な闘気を使う騎士一派が一つ消えてしまったという過去がある「世代交代による訓練法の見直しで、気功術よりも武器を扱う技術が重要視された結果、武器全般を使いこなし、極めるまで気功術は最低限だけ身につければ良いという風潮が生まれてしまったのだ」 戦いの実力を重視する青の騎士団は新国王の体制に合わせ人事異動を行っていたが、騎士レイの一派の出奔により世代交代に失敗。緑の騎士は元々騎士の家による世襲制が多いため、優れた気功術の教導官の不足により騎士見習いや準騎士達が効率的な闘気の扱い方を学べず、若い世代に闘気使いが育たないという事態に陥ったのだった。 騎士は兵士と違い、貴族社会の出身者がほとんどだ。つまり絶対的な数が少ない。一度の世代交代でごっそり顔ぶれが変わるのも珍しくないと聞く。 さらには「気功術は貴族の武術」というこの国の風潮があるせいで、魔物と戦う『庭師』などの市井の実力者達も、闘気ではなく魔法戦闘ばかり覚えている始末。 結果、現状のこの国で気功術を万全に扱えるのは、既に隠居を決め込んだ引退騎士ばかりという有様になってしまっているわけである。 騎士も魔法を使って戦えばいいかというと、それもまた違う。国に所属する戦闘員で魔法を使って戦う人材は、魔法宮という部署が一手に管理している。才能がものをいう魔法戦闘員は騎士よりも一段上のエリート官僚扱いだ。「というわけで、本日は闘気の使い方、すなわち気功術を重点的に訓練する!」 騎士ヴォヴォに向けてそう宣言を行う。ちなみに私はそれなりに闘気を扱える。父から学んだ部族の戦いは闘気を使うものだったからだ。とはいえ生まれつき魔人として身体能力に優れており、魔女から受け継いだ魔法のほうが気功術より便利なので、さほど闘気の造詣は深くないが。 しかし、戦闘に魔法を用いない騎士は闘気が生命線だ。 私は以前、騎士ヴォヴォに言ったことがある。強くなりたいなら気功術を特に学べと。割と真っ当なアドバイスだったのだ。 騎士レイ一派がいないとはいえ、闘気を学ぶ方法はいくらでもあるだろう。今の騎士団が気功術より剣技を重視しているのは、指導者不足もあろうが、対人戦闘に役立つ剣技を重視する風潮が存在するのもあるのだろう。 闘気だけ使えても、身体能力が高いだけのバーバリアンになってしまうからなぁ。 十の闘気を扱える剣の素人と、十の剣技を扱える闘気の素人が戦うと、まず剣技の使い手が勝つ。 しかし、闘気の習熟がある一定段階を超えると、途端に剣技の使い手が勝てなくなる。闘気の使い手が人間の範疇を超えた超人になるためだ。しかしほとんどの気功術の使い手がその一定段階を超えられない。なので多くの兵士を育てようとする場合、どうしても剣や槍などの一般的な武術を重点的に学ばせようとしてしまうのだ。 ただし、私の動きを目で追えるのに身体の動きが付いてこられていない彼には、闘気で身体を強くする技術が必要だ。 彼は歩兵剣総長。超人となることを期待されている人材である。 この国の騎士団が抱えている問題。それはまさに決戦兵器たる超人不足である。超人の一人である私からすると、この国の騎士は弱く見えるのだ。主観的じゃなくて客観的に他の国と比べた場合は? さあ。この国が強いのではないかな。「闘気とは、何か? 世界樹の加護により、植物の力を帯びた魂と肉体が作り出すパワーだ!」 腰に手を当てて、騎士ヴォヴォに向けて力説する。 世界樹人の秘密。魔法的な解析によると、人間は動物よりも植物に近い。闘気とは魂の作り出すエネルギー。魂の源は植物エネルギーなのだ。「ヴォヴォ君、ぶっちゃけ君、肉ばっかり食ってるな! 肉食だな!?」「あ、はい」 彼は首都圏勤務の騎士だ。首都圏近郊では、首都での消費を目的とした畜産業が盛んである。 都市郊外に牧場があり、そこでは子象ほどに大きな巨獣が、食肉目的で飼育されている。よく肥え太るように、穀物を混ぜた飼料を豊富に与えているらしい。 中世ファンタジー世界で食肉用に飼料を使って大型動物を育てるとは、なんと贅沢なことだろうか! 地球の中世時代の麦は、一粒から生産できる麦の粒の量が現代とは比べものにならない程少なかったという。 しかし、この世界は歴史で見ると地味にSFじみた時代である。農家が育てている作物の多くは、旧惑星で品種改良を受けたものの末裔であったりするらしい。 さらに、この世界の天候は完全に管理され日照りはなく、さらにこの国は世界樹の枝から生えてくる恵みが栄養豊富な土壌と水という農業大国。家畜を育てる飼料が作り放題の飽食の国なのであった。 首都に住む人は肉ばっかり食べている。美味しいからね、専用に育てられた肉は。 逆に魚は川魚が少々、湖魚の干物がごくごく少量。海はそもそも世界に存在しない。「騎士になってからは肉をよく食べますね。筋肉付けなければいけないですから」「それがいけない。肉ばっかり食べるな! 野菜を食べろ! 温野菜じゃなくて生野菜だ! サラダ野郎になれ!」 野菜は大事である。 別にビタミンがどうこう緑黄色野菜がどうこう言っているわけではない。 闘気は植物エネルギーなのだ。植物、すなわち野菜や果物をいっぱい食べることで、身体の魔法的属性をより植物に近づけて、闘気の生み出しやすい身体になるのだ。 サラダ野郎とは、『庭師』の間で闘気使いに付けられるあだ名の一つだったりする。「闘気は生野菜を食べることで肉体に宿るのだ。近衛騎士団は毎朝山盛りのコボロッソの千切りを食べているぞ!」 コボロッソとはキャベツやレタスのような葉野菜だ。白菜ほどは肉厚ではない。 千切りにしたコボロッソに酢の利いたドレッシングを少々。それを毎朝モリモリ食べる。肉も好き嫌いせず食べる。 私が王太子時代の国王と一緒に近衛騎士団を作っていたときに教えた「闘気の使えるマッチョ騎士への道」の教えだ。最強の近衛騎士団は私が育てたって誇っても文句は来ないと思う!「この国は農業大国だ。いつでも容易に新鮮な野菜を手に入れられる。高級な塩漬け野菜などに頼る必要なんてないのだ」 感心したように頷く騎士ヴォヴォ。 彼もまさか訓練中に食生活の指導を受けるとは思っていなかっただろう。「そういうわけで、本日の訓練中、水分補給は全て野菜ジュースで行う」「え……」 さて、ここからが今日の本番だ。「カーリンよろしく」「は、はいっ!」 私に呼ばれて、カーリンがお盆を両手に持ちながらこちらへと歩いてくる。 お盆の上には、コップ一杯の野菜ジュースと、汗拭き布が載せられている。 カーリンが騎士ヴォヴォにコップを渡すと、彼はどうもとお礼を言ってぐいと勢いよく野菜ジュースを飲み干した。 今日は一日、カーリンにつきっきりでヴォヴォの世話をしてもらう。 なお、カーリンが渡した一杯目の野菜ジュースには、こっそり魔法薬を盛っている。 高位の魔術師が修行を行う際に飲む合法的な魔法薬だ。この王城の魔法宮の宮廷魔法師団でも、幹部魔術師が修練用に常備していると聞く。 繰り返し言う。これは合法薬である。 ただし、無断でこの薬を盛るのは合法かどうか非常に怪しい。しかし魔法薬を使って己を鍛えるのは、騎士でも役立つ修行法なのだ。わかってくれるかい? わかってくれるね。「さあ、いくぞ! 日が落ちるまで徹底的に訓練だ!」 魔法薬を用いた精神改造訓練、キリンズブートキャンプワンデイバージョン。私はこの手法で彼のようなロリコン『庭師』を改心させたことが何度もある。 ちなみにブートキャンプとは、前世の私が日本にいた最後の時期に流行していたダイエット法のことである。◆◇◆◇◆ 訓練は続く。 練兵場は中々酷い有様になっていた。私のしごきに、騎士ヴォヴォが胃の中のものを何度も吐き出して、そこらの土が嘔吐物で汚れていた。 もちろん、吐いても野菜ジュースの摂取を止めさせることはしない。闘気を大量に消費するときに野菜を摂取することで、食物から植物の力を引き出しやすい体質になるのだ。理想的なサラダ野郎は一日五食サラダを食べる。 意外だったのが、騎士ヴォヴォのスタミナが相当あったことだろうか。闘気は完全にガス欠状態で少しもひねり出せないというのに、ノックアウト上等な組み手で何度も立ち上がってきたのだ。結果、長時間の休憩も少なくなりさらなる嘔吐が土を汚すことになった。 ああ、訓練終わったら私一人でここを掃除するのかぁ……。カーリン手伝ってくれるかな。 あ、駄目だ。好きな人の嘔吐物を喜々として始末する、アブノーマルな性嗜好に目覚めかねない。 とにかく、この惨状の通り徹底的に訓練を課した。きっと今夜は血尿が出てげっそりしてくれることだろう。治療魔法は適時かけてあるが。 加減はしなかったので、きっと私への恋心は消えてなくなるはずだ。私のことを華やかな幼女剣士として見れなくなる。厳しい訓練を課す鬼教官として精神に刻み直されていることだろう。 そして魔法薬の効果が切れ正常に戻ったとき、彼は気づくのだ。 訓練の最中、甲斐甲斐しく自分のことを世話してくれた可愛らしい下女がいたことに。 時は夕刻に近づいている。昼食は取っていない。当然だ。薬が切れるまでそんな優しさを見せるわけにはいかない。そしてカーリンが彼の唯一の癒しなのだ。「よーし休憩ー」 衝撃吸収の魔法がかかっている木剣で騎士ヴォヴォを空高く打ち上げ、小休止を入れる。 おっと、頭から落下してきたぞ。受け身も取れないのか。仕方ないので地面すれすれで蹴りを入れて、背中から落下するようにしてあげた。「いやあ、遅れた遅れた。すまんね急に事件があってね」 休憩に入りカーリンから水を受け取っている最中、来客があった。 そうだ忘れていた。緑の騎士の副騎士団長さんが午後から訓練を見に来るはずだったんだ。 時間はすでに訓練終了予定時間が近づいていた。用事が入って来られなくなったが、顔だけ見せに来てくれたのだろう。前控え室で、祝日の訓練の後は飲みに行こうかなんて騎士ヴォヴォと話していた。 しかしごめんなさい。彼、今日はもう固形物食べられないと思います。「おおこりゃこってり絞られたなぁ」 練兵場の惨状を見ながら苦笑する副団長。 まあ苦笑もするだろう。嘔吐し続けて続ける訓練なんて、身体を壊すだけだ。こんなことを連日続けたら確実に壊れてしまう。 でもご安心ください。キリンズブートキャンプは地獄の苦しみを代償に、闘気の扱いが飛躍的に向上する実績ありです。魔法を戦闘に使うタイプの騎士さんでも安心。闘気の代わりに魔力の使い方をみっちりお教えできます。「ほらほら起きろ。この程度、新兵訓練の頃に経験してるだろう」 地面に仰向けになって倒れている騎士ヴォヴォを無理矢理起こす副団長。彼女もなかなかスパルタだなぁ。 副団長に上体を起こされ座り込んでいる形の騎士ヴォヴォ。なにやらどこか意識がぼんやりしている様子。 おや、魔法薬が切れてきたな。 よしいけカーリン!ゴー介護ゴー! 私の合図に、カーリンがてとてとと走り寄る。甲斐甲斐しく顔の汗を布で拭いてやり、そして私が飲むために用意していたはずの果実水を渡して、口に含ませてあげていた。 甲斐甲斐しいなぁカーリン。彼もここは野菜ジュースのようなこってり味ではなく、果実の混ぜられたさわやかな水が欲しかったところだろう。まあ果実にも植物の力は宿っているので、どろどろ野菜ジュースじゃなくて果実水でも問題ないんだよね。濃い方が良いのは確かだけれど。 あ、副団長、カーリンの存在にいまいち気づいていないからか、水を飲んでいる騎士ヴォヴォの背中をばんばんと叩いている。うん、やっぱり咳き込んだ。水飲んでいる最中にそういうことしちゃだめだね。 咳が止まり、大きく深呼吸を行った騎士ヴォヴォは、意識もはっきりしたようでげっそりとした顔に戻っている。様子を見るに、まだ体力は残っているようだ。時間終了まで鎧を着たままシャトルランでもしようかな。 ちなみに今日は私も胸鎧を着込んでいる。野菜ジュースと魔法薬以外は全て彼と同じ条件で訓練している。野菜ジュースを飲み続けるのはさすがに無理。幼女ボディだからすぐ胃がたぷたぷになってしまう。「副団長」「あん?」 地面に座り込みながら、何かを呟く騎士ヴォヴォ。「どうして気づかなかったのでしょう……私は自分が恥ずかしい」「何言ってんだお前」「若さこそ美、強さこそ美、そんなのただのまやかしでしかなかった……」 本当に何を言っているんだ、という顔で呆れ返る副団長。 でも彼を見捨てないであげてください。彼は今、魔法薬を用いた修行から解放され、性というものに一つの区切りをつけているのです。一つの性癖というものに別れを告げているのです。 ――そう、それが修練によって魔術師達が到達する、真理の一つなのだ。そして残るのが性愛をそぎ落とした慈悲深い愛なのだ。頑張れカーリン。そこで笑顔を見せるんだ。 彼はロリコンという性癖から今解放された。でもすでに魔法薬の効果は切れている。カーリンの可愛らしさで再度彼をロリコンの道に引きずり込むんだ。戦う幼女ではなく、ご奉仕少女の性嗜好を植え付けるんだ!「よし!」 私が心の中でロリータ下女カーリンに声援を送っていたところで、騎士ヴォヴォは気合いを入れるように声を上げて頬を両手で叩く。そして勢いよく立ち上がった。 立ち上がると同時に見事に足元がふらついていたが、見なかったことにしておこう。「セトさん、続きをお願いします」「おお、やる気出してるな」 私の呼び方がセト姫からセトさんに変わった。地獄の訓練の効果はあったのだろうか。 最後の最後、そんな彼の瞳には強い光が宿っていた。魔法薬の効果から解放され、果たして彼は何を見たのか。木剣を両手に持ち気合い十分といったところだ。「では、最後だ。夕刻の鐘が鳴るまで、練兵場の外周を全力疾走。私が後ろから剣を持って追いかけるから、少しでも速度を緩めたら張り倒されると思え」 私が告げた最後のメニューに、彼の決意の顔はくしゃくしゃに歪んだ。◆◇◆◇◆ その後、騎士ヴォヴォが私を口説いてくることはなくなった。 彼に飲ませた一杯目の野菜ジュースに盛った魔法薬。あれは一時的に性欲を破壊する薬だ。 上級魔術師というのは古来、「性」という縛りから抜け出し、精神を仙人的な存在に作り替えることを至上としている存在なのだ。その「性」から抜け出すために、初歩段階であの魔法薬を用いた修行を行うのだ。 つまり彼は訓練の間、私のことを「女」として見ることができなくなっていた。 そんな状態で私が地獄のような訓練を彼に課したらどうなるか。 血反吐を吐き、血尿が出るような訓練の後に薬が切れたとして、彼は果たして私を前と同じように可憐な戦う幼女として見ることができるのか。苦しい訓練の記憶が思い起こさせられる私の姿が、姫に見えるか蛮族に見えるか。 ちなみに彼が万が一ドMだったとしても、薬の効果で性的なものに近い快感を得ることができないため、苦しみはそのまま苦しみとして味わうことになる。そしてそんな地獄の最中、彼は天使を見るのだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる美少女カーリンという天使を。 あの訓練の後も王城内で彼と幾度か会ったというカーリンが言うには、私への恋愛感情は彼の中から見事に抜け落ちたということだ。 私も一度彼と顔を合わせる機会があったが、彼が私を見る目には怯えのようなものが見事に宿っていた。 ただし、前とは違う純粋な敬意のような態度も混じっていたように感じる。あと毎朝山盛りのコボロッソを食べるようにしたとのこと。 ともあれ、彼の恋愛対象から私を外す、フラグ折り(物理)は無事に成功したようだった。祝日を一日潰した甲斐があったというものだ。 さて、ここでもう一つ後日談をしよう。 騎士ヴォヴォの保護者的な立場で二度私と顔を合わせた緑の騎士の副団長。彼女は緑の騎士にありがちな地方騎士の家の出身だった。 彼女は一人っ子であったらしく、実家からは結婚、そして世継ぎを強く望まれていた。 職場は周りが男の騎士だらけで結婚も楽かと思いきや、仕事が順調すぎて功績を立てた結果、結婚適齢期には幹部の座に収まってしまっていた。そしていつのまにか副団長という地位に就いてしまい、なかなか恋人ができず歳も三十過ぎに。騎士社会は上下関係に厳しく、上司を恋愛対象として見れない男達ばかりだったのだ。 そんなこんなで、貴族の次男三男との見合い婚でもするかと思っている矢先のこと、可愛がって育てていたエリート幹部騎士が突然求婚してくるという事件が起こった。 これを好機と見た副団長は、幹部騎士の求婚を受け入れ、即座に婚約を発表した。 そして婚約の発表から十日も経たずに結婚式の日取りが決まったという。見事なくらいのスピード婚だった。 ちなみに、この副団長に求婚を申し込んだ幹部騎士というのが、緑の騎士団歩兵剣総長。私の地獄の訓練をくぐり抜けた騎士ヴォヴォである。 魔法薬としごきを用いて私を恋愛の対象から外し、解放されたところで新しい愛に目覚めさせる恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦。失敗なのか成功なのか。「まあ、一組のカップルの未来を作ったんだ。私の作戦も失敗じゃなかったってことかな」 新人侍女の一ヶ月間の研修が終わり、侍女宿舎の自室でお祝い会を開いているときのこと。カヤ嬢から話された騎士ヴォヴォの恋の結末を聞き、私はそうコメントを返した。「どう考えても失敗ですよ!」 またもや侍女宿舎に入り込んでいるカーリンがツッコミを返してくる。 彼女の視点からすれば甲斐甲斐しく世話を焼いていたところに、遅れてやってきた副団長に横からかっさらわれた形なわけだ。何あの泥棒猫! って感じだろう。 まあしかしだね。「私からすれば、彼につきまとわれなくなりさえすれば正直解決だったから、問題なし的な?」「問題おーおーあーりーでーすー!」 床を転がって地団駄を踏むカーリン。 彼女もすっかりこの部屋の土足厳禁の素足スタイルに慣れたものだなぁ。 そんなお子様カーリンの様子を無視して、ククルが私達の話題に乗ってきた。「でもなんで騎士さんは副団長さんを選んだんでしょう。作戦に穴がありすぎるのでカーリンを選ぶのはまずないとして」「まずないってなんでですかー!」 今度はククルにツッコミを入れるカーリン。 今日のカーリンはツッコミが忙しいなぁ。まあ私達がカーリンの失恋を弄って遊んでいるだけだが。「そこは私も気になるな。カヤ嬢知っているかい?」「ええ勿論」 恋愛マイスターカヤ嬢はばっちり事情を知っているようだ。本当、この子の情報網はどうなっているのだろう。 カヤ嬢が語るには、騎士ヴォヴォは元々副団長に特別可愛がられていたらしい。次期副団長候補として育つよう、仕事や訓練を特別にあてがわれていた。確かに登城控え室で副団長がそんなことを言っていたな。 だが、騎士ヴォヴォはその副団長の気づかいに気づかず、ただの一騎士として日々を過ごしていた。ただ、剣技の才能があり家柄も良かったためか、大きな苦労もすることなく歩兵剣総長にまで登り詰めることはできた。 だがある日、さる高名な人物から特別な訓練を受けることになった。 その訓練で、彼は様々なことを学び、気づかされた。過去を振り返り、副団長の日々の心遣いを知った彼は……副団長に恋をしてしまった。 実直な彼は、すぐさま副団長へ求婚した。そのときの彼の顔は、いっぱしの騎士の顔になっていたという。「さる高名な人物は、キリンさんのことですわね」 なんだそりゃ。「訓練で様々なことを学び気づかされたって、要は私のしごきがきつくて副団長の普通の訓練が恋しくなったってだけだよな……」 そんな私の感想。「自分に優しくしてくれる人に惚れたんだねー」 そんなククルの感想。「私も訓練中いっぱいいっぱい優しくしましたよー……」 そんなカーリンの感想というか嘆き。「そこはほら、年季の差ね」 嘆きに対するカヤ嬢のその言葉に、ショックを受けたように崩れるカーリン。 訓練中に優しくするだけではポイントが足りなかったか。まあ男がみんながみんな、雑貨屋の美人店員さんに手渡しでお釣りを受け取って、一目惚れするような人間ばかりではないということだな。 作戦が甘かった。いやあすまないすまない。 ……実はもう一つ、カーリンが恋破れた理由の予測が立っている。極限状態まで消耗した騎士ヴォヴォは、存在感の薄いカーリンのことを認識できなくなっていたのではないかと。肉体的な何らかの器官で彼女を認識していたならありえる話だ。まあ黙っておこう。 私を彼の恋愛対象から外したところで、皆平等よーいどんといけばカーリンにも勝機はあったのだろうけれどね。「一目惚れも良いけれど、日々の思いの積み重ねによる恋はやはり素晴らしいものだと思うわ」 そんなカヤ嬢のコメントでその場はまとまったのだった。「横恋慕はさすがに駄目ですかねー」 ……まとまったことにしておこう。 性癖改善バイオレンス系トライアングル純愛恋愛事情<完>