一枚葉の大国アルイブキラ。その首都であり王室直轄領であるイブカル。その中枢には防壁に囲まれた城下町クーレンバレンカルが、栄華を誇っている。 イブカルおよび、クーレンバレンカルの主産物――すなわち世界樹の実りは、熱された水。天然温泉だ。 地中深くにある世界樹の枝から熱い地下水が絶えず生み出されており、城下町の人々はそれを掘り出して温泉として活用している。 この国に風呂文化があるのも、国の中心となる首都で温泉が湧き出しているからだ。 元日本人の私としては非常になじみ深い文化である。 城下町クーレンバレンカルには大通りがいくつかあり、そのいずれもが王城クーレンバレンの城門へと繋がっている。 大通りが城門に直通しているのは国防的な面で見て問題があるように見えるが、そこはしっかり魔術的な対策が取られているらしい。軍事機密なので内容は知らないが。 城門をくぐった王城の敷地内には、複数の施設が建てられている。 使用人の宿舎や近衛騎士の練兵場、薔薇のような花が年中咲き誇る植物園、若い国王の側室が多数住んでいるらしい後宮、我が師である魔女にも匹敵するような魔法師が在籍する魔法宮、そして国の頭脳部にして心臓部である王宮だ。 王城付き侍女である私の本日の業務内容。 城門をくぐった先にある登城控え室にて、案内人待ちのお客様への来客対応。お客様の入城許可が出るまで、お茶出しをしたり話のお相手をするなどの給仕と応対をするお仕事です。 侍女となってまだ一ヶ月が過ぎていない新米も新米な私。 本来なら先輩侍女について仕事内容を覚えるのが仕事なわけだが、そうも言っていられないほど現在王城は女官不足。今日は普段なら使われない予備の登城控え室を開け、私が給仕役として一人で任されているのだった。 現在王城は警戒態勢に入っている。 その契機は、以前私が壁をぶち抜いてスパイを捕まえたあの事件。 あの日を皮切りに王城、そして城下町では多数の忍者やスパイが捕まっている。そのことで直接動く警備の衛兵や憲兵、護国の緑の騎士。そして彼らだけでなく、王城で人が多数行き来することで下女や侍女などの下支えの者達も慌ただしく動き回っているのだった。 そんなわけで新米侍女ながら、決まった仕事がまだ割り振られていない私が、この拡充された登城控え室のヘルプ要員として割り当てられているわけである。 仕事内容は簡単。控え室に案内されたお客様が案内人に呼ばれるまでの間、失礼なことがないように接しつつ相手が変なことをしでかさないよう監視するというもの。 本来部屋には侍女以外に衛兵が一人以上詰めているはずなのだが、人手不足なのでそれもなく私一人。明らかに私の前職を意識した配置である。 だがそれに私が異を唱えることはない。伝え聞く話では、侍女長は有能な人だ。部下の能力に応じた適切な人員配置をするのは上官として当然のことなのだ。 侍女長がいけると判断したなら実際私一人でもいけるのだろう。異は唱えませんですはい。 まあ、物騒な人が紛れ込まなければ、登城控え室での来客対応など平和なものである。 今日これまでに対応したのは、後宮向けの雑貨商人と植物園の荷運び業者の二組だけで、特に何事もなく退室していった。 雑貨商人にお茶を出したら小さいのに偉いねと褒められて果実味飴を貰った。この程度なら禁止されている収賄には当たらないはず。うん、後で舐めよう。さすがに仕事中に口にするわけにはいかない。 そんな感じで見た目十歳程度の幼女ということで、お客様は気さくに話しかけてくれる。 うむ、この仕事は割と私に向いているかもしれない。前職でも見知らぬ人と会話する機会が多かったので、会話能力という点では劣っていないつもりだ。 この分だと、すごいお偉いさんがやってきても、退屈させて失礼になったりということはなさそうだ。多分。 敬語の使い方や礼儀作法などは、まだ怪しいところがあるのだけれど。「ほう、蟻蜜漬けかね」「はい、この季節はやはりケーリの蟻蜜漬けですね。漬けたてなら一季は保ちますので、国をまたぐお土産に最適です」 本日三組目。隣国の貿易商人だという壮年の紳士二人組である。イブカルへ来るのは初めてということで、お土産に相応しい王都周辺の特産品を紹介している最中である。 ちなみにこの隣国とは、城へ忍者を放ってきた例の国のことではない。 この国アルイブキラは、世界樹の枝から生える葉の大陸まるまる一つを国土とする国である。なので、直接国境を接する国はない。 ただ、アルイブキラの近くにもう一つ、同じ世界樹の枝から生える別の葉の大陸が存在している。その大陸の端っこの方に国境を持つ国の一つがこの交易商人さんがやってきた国だ。この国とはここ十数年で交易が急に盛んになってきている。 この貿易商人さんはその国に許可を受けた業者さん、すなわち一種の国の代表者である、と事前に閲覧した書類に書いてあった。 突発的な来城でない限り予定がしっかり組まれているので、私のような末端の給仕も来客対応用の資料としてお客様の簡素なプロフィールが閲覧できる。なんて新米侍女に優しい環境なんだろうか。「今の季節はケーリの実が漬けられますが、季節によって漬ける実が変わるのが特徴ですね。お酒を加えて保存期間を長くしたものも店頭に並んでいるので、是非ごらんになってください」「そうだね。いやあ私は甘い物に目が無くてね。今から楽しみだよ」「こらこら、少し控えろと医者に言われただろうに」「たまにはいいだろうさ、たまには」 そんな紳士二人(一人はお茶に蟻蜜をたっぷり入れて欲しいとリクエストされた)と談笑をしてしばし過ごした後、兵士が控え室にやってきて彼らを城内へと案内していった。 これから王宮へと入り、文官達と交易についての話し合いをするのだろう。 国の運営とか国際貿易とか私には想像の付かない分野だ。国々を旅するのは好きなのだけれど。「ふう、午前の対応はここまでかな」 突発のお客もなく、午前の業務は終了。一度昼休憩を挟む。この国は一日三食だ。 宿舎での昼食を取り、歯を磨き、その場に居合わせた侍女同士で身だしなみの相互チェック。 よし、今日もキリンちゃん可愛い! ……何かやってて空しくなるな。 さて、気合い入れて控え室へ戻った私だが、午後はしばらくこの部屋への来客がいない。突発のお客がいなければ別だが……と。「侍女さん、いいかな?」 案内の兵士さんが部屋へと顔を出してきた。「はい、なんでしょうか」「騎士様の登城があったからお通しするよ。はい、これ見てね」 そう言って兵士さんが私の前に紙を見せる。即日の登城申請書である。 私はそれにさっと目を通し、大丈夫ですと兵士さんを部屋から送り出した。 ほどなくして、登城控え室に見覚えのある顔がやってくる。話題の青年、緑の騎士ヴォヴォである。今日はもう一人、同じ緑の騎士を同伴しての登城だった。 彼らのような騎士の登城は商人達のように、事前通達があるわけではない。首都周辺勤務の騎士は王城が職場の一つのようなものだからだ。 さて、顔見知りの彼が、わざわざ私の居る控え室に彼が来たのは偶然か? まあ偶然だろう。 さすがにこの状況をカーリンが前のように仕組めるとは思えない。えいやと気合いを入れてみても、それらしい気配は感じ取れないし。「どうぞお席に座ってお待ちください」 騎士ヴォヴォと、もう一人の騎士――登城申請書によると、緑の騎士団の副団長殿を備え付けのソファに案内する。そして部屋に備え付けの設備を使って、茶を一杯入れる。騎士の登城手続きは普通の来客と違って早いが、まあ茶の一杯飲むくらいの時間はあるだろう。 さて、騎士と言えども登城手続き無しで入れないのが、王城という場所だ。この城はなかなか管理意識というのが高く、誰が城内にいるかというのをしっかり名簿で管理しているのだ。 私達のような王城勤務の女官だと使用人通用口からの登城になるのだが、普段外に所属している騎士だと、一般客と同じようにこの控え室で入城手続きを待つようだ。今は厳戒態勢なのでスパイや忍者の成りすましに厳しくなっているのだろう。「どうぞ」 花弁を乾燥させて作ったという茶葉から淹れた花茶をソファに座る二人へと出す。砂糖の代わりに、蜜蟻の巣から取れる蟻蜜の入ったビンを横に置くのも忘れずに。「おお、姫の手ずから茶を振る舞っていただけるとは、感激です」 ロリコン騎士は平常運転。「はは、そうか、君が剣を捧げ損なったというのは、この子のことか」 そう彼の横で笑う女性。緑の騎士の副団長だというお方だが、見た限り三十歳前後、アラサー程度の若さにしか見えない。 緑の騎士は世襲が多いと言うが、この若さ、しかも体力に劣る女性で副団長ということは、すごい人なのだろうか。ちなみに前、私が参加した青と緑の騎士団の合同訓練では、この人のことは見ていない。 ロリコン騎士ヴォヴォと副団長は、ほぼ同じ格好をしている。白い騎士の制服の上に緑に塗装されたブレストプレート――胸鎧をつけている。腰には携帯用のショートソードを携えているようだ。一つ違いとして、副団長の胸鎧に刻まれている緑の騎士団の紋章が、騎士ヴォヴォのそれよりも豪勢な彫刻となっている。副団長の印なのだろうか。 しかしこの副団長、なんとも緑の鎧姿が非常に似合っている。騎士ヴォヴォとは年季というかオーラが違う。これこそ、緑の騎士の代表者たる風格か。 緑の騎士団の緑とは木の葉の緑。木の葉とは世界樹の枝から生える木の葉のこと。つまり今、私達が立っているこの大陸のこと。 この大陸にはアルイブキラ一国しかない。すなわち緑の騎士団とは、この国を一枚の木の葉の大陸として守り続ける護国の部隊なのだ。お飾りでも何でもない本物の騎士だ。副団長ともなれば確かに騎士としての風格も出るだろう。納得。「竜退治のキリン殿だったか。君とは一度話したいと思っていてね」「左様で御座いますか」「はは、硬いね。まあ職務だから仕方ないか」 侍女のポーズで対応する私を笑って流す副団長殿。 さて、私と話してみたいとはどういったことだろう。また冒険者時代の話を聞きたいとかだろうか。「君には、うちの若造が迷惑をかけているようだね」 だが、予想に反して出た話題は、隣にいる騎士ヴォヴォについてだった。 話題にされた隣の青年は苦笑して一人、花茶をすすっている。 副団長殿は語る。騎士ヴォヴォは入団した頃から騎士としての才覚を発揮していた。故に才能あるものとして目をかけていて、今も王城に何度も同伴させることで、次期指導者としての教育をしている。 なるほど。よく王城の中で彼と鉢合わせしていたのは、そういうことか。騎士団の上級幹部でもないのに、緑の正騎士が王城で数日毎に遭遇するのが不思議だったのだ。「王宮の者に迷惑をかけないよう、しっかり叱っているのだがなぁ」 そう良いながら騎士ヴォヴォの肩を叩く副団長どのだが。「愛のためゆえ」 彼は一歩も引かないようだ。 うわあ……これはやっぱり、あれだなぁ。この前カーリンに提案した作戦を実行するときだ。 名付けて恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦!「時にヴォヴォ様」「なにかな!」 話の切れ目を狙って声をかけると、もの凄い嬉しそうに私に振り向いてくる騎士ヴォヴォ。そんなに名前を呼ばれるのが嬉しいか。「以前、次の祝日に劇場のお誘いをいただきましたが……」 実は王宮での数回の遭遇の中で、そんな誘いを受けたことがあった。当然その場で即断ったが。「! そうか、来てくれるのかい。いやあ楽しみだ!」 気が早いよこの人。隣の副団長は何か呆れたような目で見ているぞ。「いえ、別の用事があるので、それに付き合って欲しいのです」 そんな私の適当な誘いに、騎士ヴォヴォは立ち上がり「喜んで!」と私の手を取った。なんだこれ。「自分から誘うとは、意外と情熱家だったんだな」 苦笑しながら副団長が言う。いえいえ、それは誤解ですよ。「いえ、実は練兵場で、一日剣の相手をして欲しいのです」 騎士ヴォヴォをソファーに(腕力で無理矢理)座らせながら私は言葉を続ける。「私は庭師を辞め、侍女を終の仕事としましたが、それでも身体を弱らせるままにするわけにもいかないので、久しぶりに剣の訓練をしたいのです」 観劇ではなく訓練のお誘いだ。 色気も何も無いが、おそらく乗ってくるだろうと見ている。騎士ヴォヴォは私の戦う姿を見て惚れ込んだというのだから。「侍女の身の上ですので、訓練にお付き合いいただける知り合いというのがいないのです。ヴォヴォ様をのぞいて」「是非に」 即答する騎士ヴォヴォ。 ちょろい、ちょろいよ。そりゃあ断られるとは思っていなかったけれども。 一方、副団長はと言うとふむ、と少し考え込み、言った。「剣の訓練がしたいならば、また騎士団の訓練に参加してはどうだね。前は仕事の都合で参加できなかったが、次があれば私も参加したい」「いえ、あれは私の訓練方法とは違いすぎて、正直訓練にならないので自分のペースでやりたいのです」「騎士団の訓練は駄目かね」「私の戦い方は対人ではなく、対巨獣ですので」 両手を大きく広げて巨獣のポーズを取る。そう、ぶっちゃけ私は人間を相手にする戦いというのにさほど慣れてはいないのだ。庭師として、悪意を身に宿した野獣を浄化したり、人の生活を脅かす巨大な獣を打倒したりして身につけた蛮族の剣が私の戦い方だ。 一方、緑の騎士は他国の侵略を想定した対人の剣を身につける。巨獣や魔獣退治も行うが、庭師と比べて専門ではない。 私の説明に、なるほどと納得する副団長殿。騎士ヴォヴォは私と訓練できればそれでいいのだろう。口を挟んではこない。「しかし、訓練なら近衛の方がずっと相手になりそうだけどね。仮にも近隣国含めて最強を名乗ってる奴らだ」「いやあ、あの人達、今のスパイのごたごたが収まるまで、一日たりとも休み取るつもりは絶対無いですよ。陛下の崇拝者ですし」 そう言ったものの、これは嘘である。 一日たりとも休むつもりがないのも現国王の崇拝者というのも本当だが、私が頼めば稽古に付き合ってくれる人は何人かいるだろう。 何せ今の近衛騎士団の主要メンバーは、庭師駆け出し時代の私と王太子時代の現国王が王都でやんちゃしていた頃にかき集めた「ぼくたちのかんがえたさいきょうのきし」達で、私の友人達なのだから。 北の山の飛竜退治も一緒にやったし、庭師主催“致命傷を負わせたら丸禿の刑”国境チキチキ野盗退治という名の怪しい集団捕縛レースもやったし、私が庭師として『幹』の称号を得た後も、その特権をかざして勇者の援軍として遠い枝の国まで魔竜退治の遠征をやった。 最強の騎士の名に相応しく、対人戦闘という点では私より剣の腕が勝っている強者も何人かいる。 とはいえ、ここは騎士ヴォヴォを訓練に誘うのが主目的。 ぶっちゃけ私は訓練を年単位で行えなくても困りはしない。勘が鈍る程度で、肉体的には年中寝たきりでも魔女の秘術により一切筋力が落ちることがないのだ。逆にどれだけ鍛えても筋肉は付かないのだけれど。なお、太りはする。「戦いから数ヶ月離れたと言っても、さすがに力加減をあやまってミンチにすることはないでしょうし、異国の武術の稽古に付き合うことはヴォヴォ様にとっても良い経験になると思うのですが……いかがでしょうか」「ふむ、まあそもそも私が反対する理由はないな。しかしヴォヴォ、休日手当は出ないぞ」「姫との休日のひとときに、給金など貰うわけにはまいりませんよ」 訓練だと言っているのに。私に打ちのめされて愛に目覚めた男の言うことは違うなぁ。少し作戦が成功するか、心配になってきたぞ。「しかし異国の剣か。ふむ……」 再び考え込む副団長。「面白そうなので私も午後から顔を出したいのだが、よろしいか?」「ええもちろんです」「そうかそうか、ではよろしくたのむぞ」 笑いながら私の肩を何度も叩く副団長。結構力強いけど、普段これを受けている騎士達は痛そうだな……。 ともあれ、これで恋のバイオレンス系トライアングル魔法大作戦の準備がおおよそ整った。 なお、案内役の新米兵士さんが控え室の入口で困ったように会話が終わるのを待っていたのは見なかったことにした。