王宮の廊下に用意された椅子へ、私は座る。隣には国王の姿もある。 国王はずっとそわそわとした様子で身体を揺すっており、落ち着きがない。 かく言う私も、さほど心の落ち着きはなかった。「大丈夫かなー。大丈夫かなー」 かすれた声で国王が言う。「大丈夫だ、一流の産婆と魔法医師が付いているんだ。パレスナ様には万に一つもないだろうさ」「パレスナは無事でいられても、子供の方がさー」 そう、現在、パレスナ王妃は出産の真っ最中である。 この国の貴族の伝統では、出産の場に医者以外の男は立ち入れない。初代国王時代からの習わしらしい。 なので、国王はこうして部屋の外に追い出され、出産の成功をただ祈りながら待っているのだ。 ちなみに私は、国王の様子を見守っていてくれと言われて、他の王妃付き侍女達に部屋を追い出された。私が首席侍女だというのに。「世界樹の化身が、強靱な魂を与えたって言ったからな。丈夫な子が生まれるよ」 私は国王を元気づけるようにそう言った。 魂と肉体は密接に関わっている。魂が強ければ、丈夫で病気にかかりにくい人間になるのだ。 私の身体には前世の地球人としての魂だけでなく、神獣キリンジノーの魂の要素が含まれているから、魔人としてこれだけ強靱でいられているわけだしな。「本当!? 本当だよね!?」 そんなことを言いながら国王が私の肩に掴みかかり、がくがくと揺さぶってきた。 おおい、ドレスがシワになるだろう。この戦闘侍女の魔法ドレス、結構お高いんだぞ。 私は国王をなだめすかせて、立ち上がっていたところをなんとか椅子に座り直させた。「大丈夫だ。世界樹が言っていた。世界樹を信じろ」 と、そう力説した瞬間だ。『言ってないよ! 私ができるのは強い魂を与えるところまでで、子供が無事に産まれてくるかどうかは、責任持てないよ!』 などと世界樹から神託が届く。だが、私はその神託を無視して、世界樹を信じろと言い続ける。 やがて、国王はなんとか落ち着きを取り戻したのか、腕を組み沈黙し始めた。うん、困ったときの神頼みはやっぱり有効だな。『後で覚えていろよー』 はいはい、後で構ってやるさ。 さて、そんな感じでしばらく国王と無駄話をしていると、廊下の向こうから一人の女性がこちらに歩いてきた。 その女性は腕に赤ん坊を抱えており、服装は一般的な貴族女性のドレスを着ている。「もう産まれましたか?」 こちらにそう尋ねてきた女性は、フランカさんだ。 彼女は実家で男の子を出産した後、ある程度落ち着いたところで王都に戻ってきた。しかし、まだ侍女には復帰していない。王城の園丁である夫と一緒に王都の屋敷で暮らしており、日々子育てを頑張っている。 私はフランカさんに答える。「いや、まだですね」「そうですか。産まれてくる女の子に、この子を早く会わせてあげたかったのですが」「ふむ? 将来の側近候補として早めの面会ですか?」「いえ、男の子と女の子なので、早く顔を合わせたら将来恋人同士になってくれないものかと」「鳥のヒナの刷り込みじゃないんだからさぁ!」 私がツッコミを入れると、フランカさんはクスクスと笑った。 すると、国王が勢いよく立ち上がって言った。「駄目だ! そこいらの男に娘はやらん!」「おい国王、まだ産まれてすらいないのに、やっかいな男親ごっこはやめろ」「ごっこじゃないよ!?」「本気なら、将来娘に嫌われるぞ……」「それは嫌だー!」 そんな国王と私のやりとりを笑って見ていたフランカさんは、廊下に並べられていた椅子にゆっくりと座った。 私は暇なので、フランカさんが抱く赤ん坊の顔の前に指を持っていって、ぐるぐると回して遊んだ。 キャッキャと赤ん坊が笑う様子に、私は癒される。 可愛いなぁ。産まれてくるパレスナ王妃の子供も可愛いんだろうなぁ。 私がそうしてほっこりした気分になっていると、再び誰かが廊下の向こうから小走りでやってくるのが見えた。「もう産まれた!?」 金髪のドリルヘアーを揺らして叫んだのは、モルスナ嬢だ。 そのお腹は膨らんでおり、妊娠中なのが見てとれた。 実は彼女、昨年に漫画のアシスタントとして雇った画家と電撃結婚をしたのだ。そして結婚後にすぐ妊娠した。 公爵家出身の彼女が平民の画家と結婚したということで、当時は大いに騒がれたのだが、私としては本人が幸せならそれで良いと思っている。「まだですよ。モルナ先生も身重なのですから、そう激しく動き回らない方が良いですよ」 そう言って、私はモルスナ嬢に着席を促した。「誰がモルナ先生か」「ホルムスの漫画で世界的な大ヒットを飛ばして、今や世界のモルナと呼ばれているゼンドメル・モルナ・エヒメル大先生です」「やめてよねー。ただでさえ顔が知られて、道行く人にサインを求められるんだから。今日の私はマンガ家のモルナではなく、パレスナの叔母のモルスナよ」 モルスナ嬢はそう疲れたように言い、椅子に座った。 しかし、フランカさんは男児を出産し、パレスナ王妃は今出産の真っ最中。そしてモルスナ嬢が出産予定と、私の周囲ではベビーラッシュが起きているな。 次代が育つのは良いことだ。私は子を産めないし産むつもりもないが、身の回りの女性が子供を産むのは、甥や姪のような存在ができるようで嬉しいのだ。 さて、またフランカさんの子供を構ってやろうか、と思ったら、赤ん坊はぐっすりと眠っていた。しょんぼりだ。 などと馬鹿なことをやっていると、扉の向こうから赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。 国王がそれを聞いて、勢いよく立ち上がる。「どうどうどう。まだだ、まだだぞ国王。無事に産まれたようだが、入室はまだ先だ」 そうして、私達はまたそわそわとしながら、廊下の席で待ち続ける。 それからしばらくして、ずっと閉まっていた扉がようやく開き、中から侍女のメイヤが出てきた。「どうぞ入室なさいませ。母子共に健康ですわ」「うおー! パレスナー!」 国王が立ち上がり、部屋に突撃……しようとしたところで、私は国王を押さえた。「健康って言っても相手は赤ん坊に、子供を産んだばかりの母親だ。繊細だからそっと行け、そっと」「お、おう……」「キリンさん、ありがとうございます」 とっさに入口を死守しようとしていたメイヤにお礼を言われる。私は「どういたしまして」と彼女に返した。 この一年ほどでメイヤとはずいぶん仲よくなった。 先日、私と宿舎で同室だったカヤ嬢が青の騎士団長セーリンと結婚式を挙げ、地方を転々とするセーリンについていくため侍女を辞めた。一方メイヤは、同室のリーリーが結婚を機に侍女を辞めてしまったため、私とメイヤは改めて侍女宿舎で同室となった。 ちなみにまだ侍女を続けているククルは、近衛騎士のハネスと相変わらず仲が良いようだが、結婚の話は全く出ていない。 結婚と言えば、王妹のナシーもオルトと無事に結婚式を挙げた。毎日仲むつまじく過ごしているようだ。「どうか落ち着いてお入りください」 そんなメイヤの注意を受けつつ、私達は連れ立って部屋の中に入室した。 部屋の中には一人用のベッドが置かれており、そこにパレスナ王妃が座るようにして横になっている。その腕の中には、おくるみに包まれた赤ん坊が抱かれていた。「パレスナー!」「あらあら、あれが貴女の父上ですよ」 叫ぶ国王に苦笑したパレスナ王妃が、腕の中の赤ん坊にそう話しかけた。「おつかれさまパレスナ! そしてありがとう、世界樹!」「世界樹?」 突然告げられたこの場に無関係な単語に、パレスナ王妃が首をかしげる。『だから私は何もしてないよ! でも無事に産まれてよかった!』 神託が私の頭の中に届く。どうやら世界樹も心配していたようだ。 と、私が神託に気を取られている間に、国王とパレスナ王妃は子供に命名をしようとしていた。「幸せな子を意味するキルヤから取って、キルヤシータ」 国王はパレスナ王妃から赤ん坊を受け取り、そっと抱き上げながら、宣言する。「君の名前は、リアン・キルヤシータ・バレン・ボ・アルイブキラだ。これからよろしく、ヤシー」 その名前を聞いて、パレスナ王妃はにっこりと笑って言う。「立派な名前ね。果ては女王様かしら」「どうかな。この国の国王って、他の王族達に押しつけられてなるような役職だからね。君が他にもいっぱい子供を産んでくれれば、誰か自分から王になりたいって子も出てくるんじゃないかな?」「ふふ、今から二人目以降の話? でも、こんなに可愛いなら、子供は何人でも欲しいかもね」 国王夫妻は仲むつまじく、互いに笑い合った。 そして、国王が赤ん坊、ヤシーをあやすことしばし。モルスナ嬢が国王からヤシーを受け取って抱きあげ、自分の子供を抱くフランカさんが、向かい合うような位置取りをする。 先ほどフランカさんが言っていたご対面だ。モルスナ嬢とフランカさんはそれで満足したのか、再びヤシーはパレスナ王妃の腕の中に戻った。 私はベッドから少し離れてそんな彼らの様子を見守っていたのだが、ふと、パレスナ王妃が私の方を向く。「キリン、こちらへ」 パレスナ王妃に呼ばれたので、私はベッドのそばに近づいた。「ヤシー。この人が将来の貴女の侍女キリンよ。そして貴女が女王になって子供を産んだら、その子供の侍女にしてあげるのよ」 おいおい、勝手に私の将来の予定が決められているんだが。私の人事権を持つのは国王だぞ。 文句を言いたいが、それを聞いていた国王が乗り気になった。「それ良いね! 世界最強の戦闘侍女が、成長を見守ってくれるのか。頼もしいね!」「世界最強言うなよ」 思わずそんな言葉を返す私。「いやー、どう考えても世界最強はキリリンでしょ」 私が世界最強と言われる理由。それは、今年行なわれたトーナメント方式の御前試合がきっかけだった。 王国最強の騎士であるオルト、王国最強の剣士である国王サリノジータ、王国最悪の魔法使いであるセリノチッタ。そんな強豪がひしめく試合に私もエントリーされてしまい、順調に勝ち進んでしまった。 そして、決勝戦で私は師匠であるセリノチッタに勝利し、さらにはテンションが上がって乱入してきたキリンゼラーの本体にも勝利して、真の王国最強の座を手に入れてしまった。 すると、その話を聞いた武芸者や世界的な庭師が「お前引退したんじゃなかったの?」と言いながら、腕試しに次々と私へ挑戦してくるようになった。 そのことごとくに護身の鉄棒『骨折り君』を使って勝利していたら、女帝から「もうおぬしが世界最強でいいのじゃ」と『幹』公認の最強の座に座る結末となった。 本当になんでこうなってしまったのか。「キリン、抱いてみる?」 戦いの日々に思いを馳せていたら、そんなことをパレスナ王妃が言ってきた。可愛い子供、この手で抱いてみたいのだが……。「いえ、産まれたばかりの赤ん坊は、ちょっと潰してしまいそうで怖いので、遠慮します」「ふふっ、何それ。貴女にも怖いことってあるのね」「怖いですよ。世界って、脆いから」 私がそう言うと、パレスナ王妃は一瞬心配そうな表情を浮かべるのだが、すぐに笑顔に戻った。「ただの怪力をなに深刻そうに言っているのかしら」「ちょっと詩的すぎましたかね」「まあ、いいわ。どうせそのうち、毎日のようにこの子をあやしてもらうことになるのだもの。キリンは私の侍女だからね」「……確かにそうですね」「でも、キリンにはずっと私の侍女をやってもらおうと思っていたけれど、この子のためなら手放すのも惜しくないわね」 将来この子の侍女をするのは、どうやら決定事項のようだった。 私はとりあえず、将来の主に挨拶をしておくことにした。「よろしくお願いします、キルヤシータ様」 こうして、国王とパレスナ王妃の子供は無事に誕生し、国を挙げての祝祭が行なわれることとなった。 王都の市民に対してヤシーのお披露目がされ、私は子供を抱くパレスナ王妃のそばに、首席侍女として寄りそう。 市民達は吉事に喜び、祭りに浮かれ、お披露目の場では沸きに沸いた。貴族達も地方から次々と集まってきて、国王夫妻に祝いの言葉を述べていった。 このような光景を私は今後、数十年にわたり、見届けていくのだろう。 子はやがて親になり、子を作り、また子は親になる。その様子を私はいつか老後を迎えるその日まで、ずっとそばで見守っていく。老後はやはり六十五歳からだろうか。それまでは王城で侍女を続けるつもりだ。 時には面倒なことも起こるだろうが、心配はしていない。今までだって、それをなんとなく乗り越えてきた。 胸躍る大冒険も、めくるめく大事件も、驚天動地の大戦乱も、TSを巡る大混乱も、全て消化し終えた私が、だらだらと平穏な日々を今後も過ごしていく。 そんな幸せを願いながら、私は今日も侍女の仕事に励(はげ)むのであった。 怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女<完>--2012年に開始したこの作品も、これで完結です。最後までお読みいただきありがとうございました。