夏真っ盛りの五月初旬。 空の人工太陽に照らされて気温は上がる一方で、侍女の宿舎では皆が一様に「暑い暑い」と愚痴をこぼす様子が見てとれた。 私自身は魔法で身体の周りに冷房を利かせているので、暑さはまず感じない。だがしかし、仕事中に他の侍女達がさりげなくこちらに近づいてくることが増えた。 そんな暑さが続く中、王妃付き侍女の皆が待ち望んでいた日が訪れる。 その日、王族一同は、護衛を引き連れて王都郊外にある川へ避暑に来ていた。 そう、水辺でのんびり涼むのだ。王族にも休養は必要ということだな。王族の参加メンバーは国王、王妃、先王、王太后、王妹の五名。 王都に流れる川には、普段から一般市民が水遊びに訪れている。だが、その川に繋がっているといえども、ここは王都の外。市民の姿はなく、近衛騎士の集団が周囲を囲んでいる。 ここは王都の魔物・害獣避け結界の外なので、敵の出現を警戒して半数以上の騎士が水辺だというのに鎧を着込んでいる。暑い中、大変そうだ。下男や下女達も同行しているので、汗をかいた騎士への水分補給は彼らの働きに任せるとしよう。 近衛騎士の苦労に支えられ、王族とその担当侍女一同は、川のそばで自由に涼む。 川と言えば魚。魚と言えば釣りということで、国王と先王は少し離れたところで早速釣りに興じている。 今回、私は彼らをサポートする気がないので、ボウズもありえる。まあ、それも釣りの楽しさということで我慢してもらおう。 王太后と王妹ナシーは、大きな日傘……前世の海水浴で使うようなビーチパラソルの下で、冷たいお茶を飲みながら雑談を交わしている。「後宮の様子はどうなのです?」「あー、一人やんちゃな奴がいるのだが、オルトがそいつを締めてな。それで今では、オルトが後宮のドンみたいになっているのだ……」「あらあら、頼もしい人ですね」「昔の母上を思い出すボスっぷりだ……いや、母上、顔怖いぞ」 何やら面白そうな会話を繰り広げているので、聞き耳を立てつつパレスナ王妃のそばにつく。 どうやら、ナシーの後宮生活は順調なようだ。 さて、私の主のパレスナ王妃はと言うと、相変わらず絵に夢中だ。今も画板の上に紙を広げて、スケッチにいそしんでいる。 スケッチの対象は、侍女。それも、いつもの格好をした侍女ではなく、水辺で水着を着てたわむれる侍女達の姿だ。 そう、王族に仕事でついてきている侍女達の大半が、水着を着て水遊びをしているのだ。 この国の四季ならぬ五季は暖かい季節が長い。その結果、一般市民の間だけでなく、貴族にも川や湖で水遊びをする文化が根付いている。 なので水着が存在しているわけだが、侍女達が着ているのは前世通りの機能的で布面積が少ない水着ではなく、フリル付きの半袖シャツと可愛いキュロットという組み合わせの水着だ。普通の服に見えるが、水を弾く素材でできていて、水を含んで泳ぎにくくなるということはないようだ。 侍女達は川に足を浸けて、はしゃぎ回っており、鎧を着けていない近衛騎士が事故に備えてその様子を見守っている。 男性騎士の鼻の下が伸びている気がするが、真夏の出動ということで、良い目を見させてあげてもバチは当たらないかもしれない。 頑張る騎士達の一方で、王族の世話という仕事を放棄して遊び呆けている侍女達だが……まあ皆二十歳未満の若い少女達だ。仕事を忘れて遊びたい日もあるだろう。年長者の私がしっかりしていればいいさ。「キリンも遊んできていいのよ?」 少女の無防備な水着姿をスケッチしながら、パレスナ王妃が言う。 うーん、メイヤとサトトコの健康的な美が描けているな。鉛筆で水着が水に濡れた表現とかできるのか。見る人が見たらエロスを感じるのだろうなぁ。 私は絵と実物の姿を見比べながら、パレスナ王妃に応える。「いえ、このままお世話を続けさせていただきます」「泳ぎたくならないの?」「そもそも私、泳げませんからね」「えっ、そうなの!? 意外!」 本気で驚いた顔を見せるパレスナ王妃。まあ、この話をすると誰もが驚くのだよな。 そして、理由を聞いて皆、納得する。「私の骨や筋肉は金属質の物体で構成されているので、水に浮きません。魔法で呼吸できるので溺れることはありませんが、沈むので地を這うように水底を歩くことしかできません」「な、なるほど……確かにキリンの体重ってすごく重いわよね」「ちなみに重くて水に流されることもないので、別に川で水遊びをする分には問題ありませんね。彼女達に混ざらないのは、私に、はしゃぐだけの若さが足りないだけです」「もう、何よ。単に面倒臭いってだけじゃない」 その通りである。そもそも、私は魔法で身体を冷やしているので、水遊びで涼む必要はないのだからな。「それに、私が水遊びに行くと、パレスナ様に送っている冷風が途切れますよ?」「あー、それは困るわ。やっぱりキリンはここにいてね」 と、そんな会話を終えたところで、何やら国王達のいる方角が騒がしくなった。 目を凝らしてその方角を見ると、近衛騎士が何やら厳戒態勢にあった。「蟹(カニ)が釣れたようですね」「蟹って、あの美味しい食べ物の蟹? 騒ぐほどのこと?」「ああ、食卓にあがる小さい食用蟹ではなく、人の倍ほどの体高がある凶悪な奴ですね。王都の結界の外なので、出てきてしまったのでしょう」「えっ、それ、あそこで泳いでいる子達も危なくない?」「あちらは宮廷魔法師が簡易結界を張り続けているので、安全ですよ。おっと、蟹が倒されましたね」 巨大な蟹に慌てる騎士を押しのけて、国王が抜剣して蟹を真っ二つに切り裂いていた。 国王の活躍に、騎士達が沸いている。「キリリーン! キリリーン! ちょっと来てー!」 国王に呼ばれたので、仕方なくパレスナ王妃の横を辞して蟹のもとに向かう。 胴体を横に切られた蟹が、蟹味噌を周囲にぶちまけて倒れている。「なんでしょうか」「この蟹、食べられる? 食用可なら、釣果として最高なんだけど」「残念ながら、身がスカスカでしかも大味すぎて、庶民ですら口にはしませんね。ただ、身を練って丸めれば魚の餌にはなります。甲羅は完全に使い道がないので、魔法で粉々にして埋めておきますね」「そっかー。お願い」 そして、騎士による蟹の解体作業が始まるが、剣とナイフでは難しいのか、思うように進まない。 仕方がないので、私が魔法でカットしてやり、甲羅を受け取り魔法で粉砕して地面の中に埋めた。「では、これで失礼しますね」「うん、今度こそ、ちゃんとしたのを釣り上げてみせるよ!」 魔法で探知した限りだと、蟹が暴れたせいで近くから魚が逃げてしまっているのだが、まあ黙っておこう。 なんでもかんでもネタバレしては、釣りも面白くないだろうからな。 そして、パレスナ王妃のもとに戻り、水遊びする侍女を対象にしたスケッチを見守る。 今はビアンカを描いているようだ。ふむ、ビアンカの格好は……と、これはいけない。「ビアンカさんのくちびるが紫色になってきているので、ちょっとあがらせてきます」「あら。頼むわね」 私は乾いたバスタオルを持って、同僚侍女のマールと水のかけあいをしているビアンカに近づいていく。 幼い二人は頭から水を被っており、おそろいのピンク色の水着が、人工太陽の光に照らされてきらびやかに輝いている。水着のキュロットから覗く細い脚は、ちゃんと食事を取っているのか少し心配にさせる。「ビアンカさん」「はーい?」「くちびるの色が紫色になっていますよ。ちょっと水からあがっておきましょう」「うん、お母さん」 お母さん?「あっ!」 私をフランカさんと間違えたのか、ビアンカの顔は真っ赤になっていく。 そう恥ずかしがらなくていいのに。先生を母親と言い間違えるのは、前世だと小学生あるあるだったし。 とりあえず私はビアンカを水辺から出させ、バスタオルをかけてやってパレスナ王妃のもとへと向かう。 すると、パレスナ王妃が顔を赤くしてくちびるを紫にしたビアンカの様子を見て、心配そうに言う。「ビアンカ大丈夫? 具合悪い?」「大丈夫です!」「顔が赤いけれど……」「なんでもないです!」 ここは、私を母親と言い間違えたことは、言わないでおくのが正解だな。 私は無言でビアンカの髪をバスタオルで拭いてあげた。 そんな感じで、王族による近場での避暑は昼過ぎまで続けられた。◆◇◆◇◆ 王都郊外から王都内に戻った王室一行は、すぐには王城に戻らず、とある場所に訪れていた。 それは、王立美術館。ここは魔法の冷房が利いており、夏の暑さから逃れるのによい人気のスポットとなっている。 ただ、今日ばかりは王室の貸し切りだ。芸術関連とあってやる気満々のパレスナ王妃を筆頭に、一般客のいない美術館をゆっくりと巡回していく。 今、美術館ではトレーディングカードゲーム原画展なる展覧会が開かれていた。 その名の通り、カードに使われたイラストの原画が飾られており、カードに馴染みが深い貴族女性である侍女達が、興味深げに原画を見回っている。「あっ、あちらがパレス先生のコーナーのようです」 私は展覧会の一角に飾られていたパレスナ王妃の絵画を見つけて、一同を案内する。 パレスナ王妃の絵は複数枚あり、しかも、最近完成したばかりの女帝とアセトリードの絵が、『近日カード発売予定』との文字と共に飾られていた。「ふーむ、見事な物だの。よそさまの絵に一歩も負けておらんわい」 先王が、魔王アセトリードの絵を眺めながらそう感想を述べた。あの魔王モードは、私の幻影魔法で再現した姿をモデルに描いたのだよな。闇の塊という絵にしづらい姿を見事にカード用のイラストに落とし込んでいる。 こうして美術館に絵が並んでいるのを見ると、パレスナ王妃が一流の画家なのだと解るな。 その後も一同は絵を眺めてまわり、最後に物販コーナーでお土産を物色することになった。 私は特に興味を引かれた物はないので、お土産はなし。カヤ嬢やククルも、わざわざ自分が住んでいる王都のお土産なんていらないだろう。 展示物の絵を印刷した絵はがきとかもあるが、絵はがきなんて使わないしなぁ……。「うーん、うーん……」 と、何やら頭を悩ませる少女が一人。ビアンカである。 彼女は、どうやらトレーディングカードゲームの特別販売コーナーの前で、購入を迷っているようだ。 特別販売の商品は、原画展に並んでいた原画が使われたカードが入っている限定パックだ。ここでしか売っていない限定のカードはないが、今では手に入りづらくなったカードがパックのラインナップに混ざっている。「迷っていますね、ビアンカさん」 私がそう話しかけると、ビアンカは視線をカードパックに向けたまま応えた。「買っていいのかなぁ。どうかな、キリンちゃん」 ああ、そうか。今までビアンカの金銭管理はフランカさんがしてきて、カードなどの玩具は、むやみやたらに買い与えようとはしていなかった。 だから、このパックを買って良いか迷っているのだろう。「ビアンカさん。お金の管理はもうフランカさんから、貴女自身に任されているのでしょう? つまり、一人前のレディとして、自分で何を買うか判断できるとフランカさんは考えているのです」「一人前のレディ……!」「なので、お金は自分で判断して計画的に使いましょう」「解ったよ、キリンちゃん! ……今回買うのは五パックだけ!」 ……本当に恐ろしいなぁ、トレーディングカードゲームが持つ魔力ってやつは。実際に魔法がかかっているわけではないのに、そこらの魔法よりずっとすごい。 この幼い少女がカードで身を持ち崩さないか、ひっそりと見守ってあげる必要があるのかもしれない。 フランカさんにも、私にビアンカを任せるって言われているからな。一人前の侍女として働いている以上、給金をどう使うかは本来ビアンカの自由なのだが、彼女はまだ十歳なのだ。 仕事ぶりは一人前でも人間としてはまだまだ子供だ。心配である。 などと考えて終わった美術館訪問。王城に帰還し、パレスナ王妃を外出着から着替えさせ、一部の夜番担当者を残して終業となる。 侍女宿舎に戻り、夕食を食べ、温泉に入る。そして、就寝まで時間があるので、私は暇を潰そうと談話室に向かった。 すると、談話室ではビアンカが、年上の貴族女性とカードゲームで遊んでいた。 行なっているのは対戦でなく、協力プレイだ。世界に善意を満たす過程をカードで表現する、儀式色の強い遊び方だ。 十歳の少女が懸命にプレイする様子を周囲のお姉様方(ビアンカの年齢から見てだ)が、優しい目で見守っている。 プレイは進み、唱えられる聖句で周囲は清められ、ゲームが終了する。 そして、ビアンカとその相手は、互いに健闘をたたえ合いながら、カードをしまっていく。「ビアンカさん、前に持っていないと言っていた『黒き洗礼』、手に入ったの?」「はい! 今日、美術館で買ったら当たりました」「美術館?」「王立美術館で、カードの原画展をやっていまして……そこに限定パックが売っていたんです!」「まあ、限定?」「ビアンカさん、その話詳しく聞かせてくださる?」「わたくしも興味ありますわ」 と、カード好き女子が、次々とビアンカの周りに集まっていく。「は、はい。原画展にはカードに使われた絵画が飾ってあってですね――」 たどたどしく限定パックの説明をしていくビアンカ。 ふーむ、なるほど。 考えてみれば、貴族の女性にとって、トレーディングカードゲームは嗜みであり、コミュニケーションツールでもあるんだよな。 ただの子供の遊びとは違う。本物の社交がそこにはある。 ビアンカがカードを買い求める気持ちを縛りすぎるのは、もしかしたらよくないかもしれない。まあ、何事もほどほどが一番だ。