三十歳を間近に控え、私は就職活動をすることにした。 人の寿命が七十歳弱のこの国で三十路近くになって職探しをするというのは、特殊な事情を抱えていそうな話に聞こえるかも知れない。 しかし私は別にこの歳まで無職でいたわけでも、失業したわけでもない。 今就いている仕事がお世辞にも安定した仕事といえるものではないため、平穏な生活と安心できる老後のために、ちょっくら転職でもしようと思い立ったのだ。 私の『前世』では就職活動をするには履歴書を書く必要があった。 『今世』の国では履歴書を書く文化がないが、ちょっと特殊な私の経歴をまとめるために、人生の履歴を振り返ってみようと思う。◆◇◆◇◆ 私は転生者である。 前世は地球生まれの日本男児だった。一人の日本人として人生を謳歌し、短く太く生きそして死んだ。 前世の経歴は今生の就職活動にさほど関係あると思えないので、今回振り返るのは省略する。 で、転生である。輪廻転生。前世の日本男児としての記憶を失わずに私は新しい生を受けた。 今生の私はある少数民族の姫として生まれた、らしい。 らしいというのは前世の記憶が今の精神に馴染むまでの間に、私はその民族の庇護の下から離れていたのだ。 物心ついた幼い頃の私は父に連れられ諸国を漫遊していた。 旅人である。旅の仲間に母はいなかった。 なぜ私が母のもとから離れて旅をしているのか父は語らなかった。が、私が姫であること、そして母が生きていることは父から教えられた。 寡黙な父だった。その父から私はこの世界での生き方を学んだ。 私は転生者である。そしてこの世界は地球ではない。 地球から遠く離れた外宇宙の星なのか、次元を跳躍した異世界なのかはわからない。わかる必要もない。この世界で新たに生まれた私は、地球に戻りたいという思いは特に抱かなかった。 この世界は日本人である前世の私から見て、簡単に言うと「剣と魔法のファンタジー世界」だった。 文化は中世や近世の西洋にどことなく似ていて、日本語でいうところの魔法に当てはまる不思議な技術体系が存在した。 この世界独自の動植物の他に、大地の地脈の悪気からこぼれでた魔物なる異生物も存在した。 父は旅を続けながら魔物を退治して金を稼ぎ、そして私にも魔物との戦い方を学ばせた。 齢五つにも満たない娘に巨大な両手剣を持たせてさあ振ってみろ、などちょっとありえない教えを受けたのだが、私自身もちょっとありえない生物なので問題はなかった。 今生の私は人間である。 人間なのだが、人間離れした力を持って生まれていた。 私は生まれつき怪力だった。女として生まれ変わってからというもの、私は物を持って重たいと感じたことがほとんどない。 成人していない小さな体で軽々と人を持ち上げ、馬(のような四つ足の動物)を持ち上げ、岩を持ち上げ、小屋を持ち上げることができた。 どうもこの世界ではときたま特異体質を持って生まれてくる人間がいるらしい。私達のような存在は『魔人』などと呼ばれているようだ。ちなみに『魔人』は勝手に私が日本語訳した当て字だ。 そんな『魔人』に生まれた私は父から魔物と戦うための剣技を学び、国々を旅して歩いた。「お前には苦労をかける」 そいつは言わない約束だよおとっつぁん。 私はそれなりに父を尊敬し、共に旅路を行きすくすくと育った。 そんな旅の生活を続けるある日、父が死んだ。 ある町で魔物退治の仕事を請け負い、魔物に挑んで返り討ちにあった。いや、父上さすがに竜退治は無謀でしたよ。 唯一の肉親である父を失った私は天涯孤独の身となった。母のいるらしい遊牧民のもとへと戻るにも、その場所を私は知らない。 父にこの世界での生き方を学びはしたものの、そのとき私はわずか七歳。父が町に作った知り合い達は、それを見かねていろいろ手を尽くしてくれた。 気がつくと私は町の外れの塔に住む魔女のもとに、養女として引き取られることになった。 私は生まれつき怪力なだけではなく、強い魔力も持っていた。 魔力というのは魔法を使うために人間が使う不思議パワーである。生物であれば多かれ少なかれ身につけているパワーらしい。ただ、私に強い魔力があると言っても『魔人』に分類されるような先天的な超魔力というわけではない。 実は私は生まれつき言葉を話せない。 怪力魔人として生まれた弊害か、人間とはちょっと身体の作りが違っていて、声を発する器官が身体に備わっていない。 そのためか本来なら声と一緒に口からどばーっと飛び出すはずの魔力パワーが身体の中に溜まっている。そこに目を付けた魔女さんが、自分の後継者として私を養女として引き取ってくれたらしい。 剣と野営の仕方と魔物の殺し方しか知らないような脳筋幼女が、一転して人類の英知の結晶である魔法を学ぶことになった。 本当に私が単なる脳筋幼女だったらその境遇にくじけていただろう。 だがしかし。 私は転生者である。 元日本男児である。地球でも比較的高い教育水準の国で生まれ育った記憶がある。 まあ要するに、魔法なる一種の学問を学べるだけの知性が生まれつき備わっていたわけだ。魔法自体にはさほど興味がなかった当時の私だが、衣食住が魔女に保障され他にやることもなかったのでそれなりに熱心に魔法を学んだ。 そして私がこの世界で十歳と少しになったある日のことだ。「もうあなたに教えることはない、とは言いません。でも、もうあなたに教えてあげることはできない。なので私の秘技をあなたに伝えます」 年若い少女の姿をした魔女がそんなことを言い出した。 見た目はどこの国のお姫様だと言いたくなるような若く美しい魔女だが、実は不老の身で歳は二〇〇を超えていた。 そして不老ではあっても不死ではなく、魔力の衰退による死が近いと常々こぼしていた。 で、その日の魔女は言ったのだ。「明日私は老衰で死にます。なのであなたには私の生きた証として後継者になってもらいます」 寝耳に水だった。 明日死ぬなど急に言われても。 しかし、魔女はすでに死ぬ準備を一人で全て終えていたらしく、最後に私に魔法の秘技を残すだけとなっていた。 理解の追いつかない私に、魔女は一つの首飾りを渡した。 それは魔女の『魔法使いとしての証』だった。首飾りについた宝石の中には、魔女の魔法使いとしての全ての経歴が魔法で刻まれていた。 魔女は私の首にかけたその首飾りを通じて、魔法の秘技を伝えた。 それはすごくあっさりとした魔法の儀式だったが、魔女に宿っていた魔法の力が私に受け渡されたのがわかった。 その翌日、魔女は美しい少女の姿のまま死んだ。 いつの間にか町の者達は葬儀の用意を整えていた。生前の魔女に、死ぬ日を伝えられていたのだという。 葬儀はつつがなく進められ、魔女の塔の横に小さな墓が作られた。 私は母のように慕っていた魔女の死を悲しみながら、もう一つ突き付けられた現実に涙した。 ――ああ、十歳のこの身体で不老になってしまった。 魔女から渡された魔法の秘技には不老の術も含まれていた。それは任意でかける便利な魔法ではなく、不老は秘技を扱うために必要な一連の魔法システムに組み込まれたセット効果なのだった。 不老だけ取り外したくても、秘技は完成度があまりにも高く、いじりようがなかった。 こうして一人の怪力魔法ウォーリア系転生TS不老幼女が生まれたのだった。◆◇◆◇◆「つまり私は死ぬまでこの小さな体のままなのだ」 私はここまで話を聞いてくれた一人の男性に向かい、そう言葉を締めくくった。 ここは魔女のいた塔のある地の領主の館。目の前で私の話を聞く男性は、領主であるレン・ゴアード・パルヌ・ボ・バガルポカルである。 長ったらしい名前だが、要約すると次のようになる。 パルヌ家のゴアード侯爵(レン)。領地(ボ)はバガルポカル領。日本人風に短くするとパルヌ ゴアードさんだ。 口髭の似合う渋いアラフォーおやじである。ただし。「なるほど。いやー、会ったときからずっと変わらない美幼女なのはそういうわけかー。てっきり長寿種族の血でも混じっているのかと思ってたよ」 口を開くとすごいフランクなのだ。見た目渋い侯爵の癖に。 残念美人ならぬ残念貴人である。「幼い姿で成長の止まる長寿種族はおらんよ。生物として、不利な子供の状態で長い時を過ごす利点がない」 よくある私の姿についての勘違いを目の前の男、ゴアードに語る。「そういうわけで、この幼い姿のまま老後を迎えるまで私を雇ってくれるような仕事先を探しているのだ」 私がなぜわざわざ侯爵の館に来ているかというと、就職活動の一環である。 十歳のあの日から三十路を間近に控える今日まで、私は『庭師』として過ごしてきた。庭師といっても、別に貴族の庭を剪定する園丁のことを指しているわけではない。園丁などという安定した職業についているなら、こうして転職先を探してつてを頼り、国中を飛び回る必要はない。 『庭師』とは、『剣と魔法のファンタジー』風に言うと冒険者である。 魔女の庇護がなくなった私は、魔女の弟子という経歴をひっさげて冒険者の免許を取った。なんと免許制である。 魔法を学びはしたが、私は魔法の真理を探究するよりも、今生の父に学んだ魔物退治の力を活かす生き方を選んだのだ。 免許を取り、魔物を倒し、世界という未知の庭を切り開いていく『庭師』の生活を続けること二十年弱。 満ち足りた年月だったが、歳を取り、「いい加減一ヶ所に腰を落ち着けてゆっくり生活すべきかもしれない。アラサーだし」と考えるようになった。 その考えに最適解とも言える職はある。 専業主婦である。 しかしこの身は永遠の十歳児。結婚などありえない。 いや、実際には縁談は『庭師』時代何度かきている。幼女なのに。 愛に見た目など関係ないとうそぶくロリコン野郎の縁談は、ことごとく蹴ってある。 なぜなら私は転生者である。元日本男児である。 男の精神を持って女に生まれ、そして十歳で成長が止まった。 第二次性徴は迎えておらず、それにともなう精神の変調が起きていない。 つまり今の私は、幼女ボディの元男精神のアラサーなのだ。 男精神とはいっても、今生で女性に対し性的な好意を持ったことはない。 第二次性徴前の女の脳を持っているからだろうか。前世の記憶をたぐると、確か男と女とでは脳の構造が違ったはずだ。 もちろん同性愛者はこの世界にも存在するが。 ただまあ私の場合は男にも女にも恋愛感情を持ったことは今のところないのである。 なので私は、主婦という選択肢を捨て、十歳児の身体で一人老後まで働き続けられるような就職先を探さねばならないのだ。「何かよい働き先はないだろうか。領主ならば多くの職を把握しているだろうと、恥ずかしながら頼った次第なのだ」「まあ領地運営している以上、人材には常に飢えてるけどねー」 ふうむ、とゴアードは立派な黒の口髭をいじりながら言う。「君ほどの『庭師』なら、お金には困っていないんじゃない? それこそ、そこらの下級貴族並の蓄えがありそう」「ああ、武具につぎ込むだけつぎ込んでも、なおありあまる金はある」「じゃあ無理に働かなくても、遊び人として過ごせばいいんじゃないかなー?」 それはいけない。最悪の解だ。「若くして自由人になるなどとんでもない。そういうのは隠居してからだ。ゴアードも侯爵ならばわかるだろう。働かない良家の次男三男が、いかに人間として腐っていくかを」「うーん、一理あるかな」 この国の貴族は男子が家を継ぐ。家を継ぐ長男以外の男は、家から仕事を与えられなければ、家の財産を食いつぶすだけの『ニート貴族』になる。 そして、領地を運営する貴族の家には税として多くの富が集まる。貴族の家には『ニート貴族』を養うための財があり、そしてそれを許容する貴族間の常識がある。 私は『庭師』として貴族からの依頼をこなすことも多くあった。その数々の仕事で見てきた働かない次男坊三男坊達は、みな人としての活力が乏しく、また中には常識知らずなろくでもない人間になっているものもいた。「やはり老いるまでは、手に職をつけていたほうがいいと思うんだ。私は老いないが」「『庭師』は駄目なん?」「『庭師』の仕事は好きだし誇りを持っているが、荒事にもそろそろ疲れたんだ。安定した職について少しゆっくり生活したい」 魔物を倒し、秘宝を探し、巨獣を討伐し、世界の真相を知り、悪竜に挑む勇者を助け、滅びに向かう国を救った今までの生き方に後悔はない。だが、さすがにそろそろ激動の世界を若さだけで乗り切るのに、疲れを感じてきたのだ。 いつの日か、私は平穏な生活と安定した老後というものに恋焦がれるようになり、そして今、職を求めて侯爵の前にいる。「ふーむふむ。お金があるなら自分から新しい仕事を興してみるのも悪くないんじゃなーい?」「それは駄目だ。私には商才と人を率いる才がないからな」 それについては日本男児であった前世のころに嫌というほど痛感している。 そういうものに、てんで向いていないのだ。「与えられた仕事や、やらなければいけない仕事をこつこつとこなすのがいい」「じゃああれだ。魔女さんの後継者なら魔法の研究をするのは駄目なのかい?」「ああ、駄目だな。そもそも私が塔に留まらず『庭師』になったのがそれだ。私は生まれつき声を出せないから、詠唱ができない」 私は魔女から多くの魔法を教わった。しかしながら、体質上その多くを使いこなすことができない。 私は言葉をしゃべれない。声にのせて身体の中の魔力を組み立てることができない。魔法を使うのに必要な詠唱ができないのだ。 今こうして侯爵と面と向かって言葉を交わせているのは、詠唱のいらない簡単な魔法で周囲の空気を振動させて仮初めの声を作りだせているからだ。 ゆえに私は魔法使いではなく、いくつかの魔法が使えるただの戦士でしかない。「なので、仕事の斡旋先は魔法に関係ないものを紹介していただきたい」「うーん……よし、わかった。いい仕事があるよ」 ゴアードは口髭をいじる手を止め、にやりと渋い笑顔を作った。「む、今日は伝えるだけにして後日また伺おうと思ったんだが、もう心当たりがあるのか」 あくまで頼れるつての一つとして無理言ってこの侯爵家を訪ねたのだが、幸先は良いようだ。「ああ、あれだ」 そう言ってゴアードは立てた親指を横に向け、何かを指し示した。「?」 彼の指の先には、ひっそりと佇む女官がいる。 部屋に案内された私に茶を入れてくれた後、ずっと部屋の隅に立っていつでも主人の指示に応えられるよう待機していた。「十六年前の秋に、君に頼んだ依頼覚えているかな? 西のサマッカ館の護衛」「ふむ……ああ、あれか。覚えているとも」 ゴアードが侯爵を継いで一年と少しが経った頃のことだ。 その頃すでに私は彼から何度も依頼を受けて、その全てを成功させており、信用に足る『庭師』として目をかけて貰っていた。 なにぶん十歳で見た目の成長を止めた身だ。人一倍実績を残さないと大きな仕事は得られない。 私の拠点である魔女の塔。その土地の領主であるゴアードからの依頼は、受けるに越したことはなかった。 その時受けた依頼は、領地の西にある狩猟用の屋敷、サマッカ館でのパーティの護衛だ。 国中の若い貴族達を集めてのパーティが三日にわたって開催される。その招待客の一人に悪魔の影ありとして、悪魔退治の経験がある私が呼ばれたのだ。 だが、貴族の集まりの中で騎士でもない私が鎧と両手斧を携えて構えているわけにもいかない。 そこで取られた手段が。「侍女見習いに扮して護衛に当たったんだったな」「うん、そう。それ。侍女」「ふむん?」 それとは?「侍女の仕事なら紹介できるよー。君、貴族じゃないけど、前の国王から名誉勲章貰ってたよね? それに『庭師』の免許も最大の種別だ。だから貴族の子女相当として推薦できるし、なにより侍女は生活が安定していて社会的地位の高い仕事だよ」「侍……女……」 その提案を拒否する材料は私には特になかった。 貴族社会の中に飛び込めるだけの教養を身につけている自信はない。が、全く新しい仕事の世界に足を踏み入れるならば、どこでもそんなものだ。 こうして私、キリン・セト・ウィーワチッタは怪力魔法ウォーリア系転生TSアラサー不老幼女新米侍女となったのだった。