※小説家になろうに投稿済みです。数話で完結予定です。
それはいつものごとく、ニート両親の記念すべき第30回目の夜逃げのせいで、俺にとっては習慣である新たなバイト先を探している最中のことであった。
不幸のどん底にいる人間を数えていけば、俺は始めの方にいます。悲劇の主人公気取りかと糾弾するかもしれませんが、理由を聞けば納得して頂けるでしょう。
夢ばかり追いかけて現実を見ないニート父と、そんなアホ父しか愛さない、世話をしないニート母を高校にも行かずに養っています。ていうか中学の頃から年齢詐称でバイトしてました。ニート両親が雀の涙ほどの金さえ稼げない世間の粗大ゴミで無能の上、無駄に金遣いが荒いので、家のライフラインは常に止まってます。よく借金取りの怖いお兄さんにお宅強襲訪問され、引っ越しを繰り返しています。餓死と隣合わせの日常サバイバルを生き抜いてきました。それにしても公園って素晴らしいですね。水使い放題で深夜に身体を洗うのには最適です。消費期限切れのコンビニ弁当は、我が家にとっては贅沢品です。ゴミ漁りは日常茶飯事で、この前ホームレスのおじさんにあんパン恵んでもらった時には、不覚にも泣きそうになりました。
ご理解して頂けたでしょうか。そりゃあ紛争地域の人とかに比べればマシですが、それでも十分不幸でしょう? 俺達(ニート両親含め)を養ってくれたじいちゃんが死んでも、俺は懸命に、それこそ必死に人生を生き抜いています。文句があるヤツがいたら殴る。
ねえ、神様。こんな健気な俺にいつか幸福をもたらしてくれるのは、当然のことですよね。『苦労は報われる』の言葉通り、せめていつか人並みの生活を送れるくらいにしてくれても、バチはあたりませんよね。
なのに神様、これっていったいどういう了見なんでしょうかコノヤロー。
神様は幸せを運ぶ天使じゃなくて、更なる不幸を呼ぶ悪魔をよこしてきやがってくれました。
見た目は美しく天使のようですが、中身はどす黒く腐りきった地獄からの使者です。そいつは可愛らしい美少女の皮をかぶり、人様の目をだまくらかしてます。俺をゴミくずのように見て、整った顔に見下した笑みを張りつかせています。悪魔女は形のよい唇を開きました。
そしてたいへん有り難い御言葉を、授けてくれやがりました。
「アナタの人生今日で終わり。ご愁傷様」
頭イッてるのかと初めは思いましたが、実際少女は――ヤクザの親分の娘さんは、俺の命を奪いに来たのです。俺をバラバラにして殺すために来やがったのです。
ここで一言申し上げたいのですが、神様……よろしいでしょうか?
てめえなんざクソッッッッッ食らえぇぇぇぇーーーーー!!
「で、つまり俺は人身売買されたってわけか」
「人聞きが悪いわね。身体の一部を売るだけ。人身売買なんて、そんな怖いものじゃないわ」
「そりゃそうだろ。正式名称は、臓器密売っていうんだからな」
天使のような嗜虐的な笑顔という、矛盾した笑みを浮かべる少女に、俺はいたって冷静に返した。そう、俺はいたってクールだ。あのニート両親のおかげで、こんな事態すっかり慣れてる。俺は冷静、冷静だ。平常心だこんなのなんとも――。
「って納得できるか! そもそもなんだ全臓器摘出って、死ぬだろ俺。マジ死ぬって。それ一部じゃねえ、大半だろ! 骨皮肉しか残らねえのは、人身売買よりずっとたち悪いわ!」
「ちゃんと親御さん公認済みよ。むしろ積極的に押してたわ。家の息子は丈夫さだけが取り柄で、きっと臓器も良質のものばかりですよ、ってにこやかに笑ってたし。――トヨキチ、例の書類出しなさい」
少女の横に立っていた、黒スーツ姿のひょろ長い兄ちゃんが「はい、お嬢様」と答えると、鞄の中に手を入れる。スーツ似合ってねえなあと軽く現実逃避してると、少女が一枚の紙切れをつき出してきた。見てみると、俺の中身が一千万円で取引されたと書かれている。
イッセンマン? なんですかその破天荒な額は。
「ほら、ちゃんと判まで押してある。これでわかったでしょう? アナタは正真正銘売られたのよ。実の親に、その臓器全てを」
強烈な目眩がする。確かに俺は、今の今まで親から愛されていたなんて実感なかったが、まさかここまで鬼畜外道だったとは。何度も裏切られてきたが、さすがにこれは来るものがある。わき目も振らず、泣き叫びたい気分に――。
「わかるかボケ!」
なんてならず、怒りを込めて叫ぶ。アレが鬼畜外道だっていうのは、身に染みてわかっている。悲しみなんて今更だ。
ツバが飛んだのか、少女――ヤクザの親分の娘でセツナという――が顔をハンカチで拭う。拭き終わって現れたのは、鬼かと思うような険悪にゆがんだ顔だった。
「すべこべいってないで、黙って命(タマ)差し出しゃいいのよ、この臓物風情が。今すぐ解体ショーを始めたいの? ……トヨキチ」
セツナが指を鳴らすと、トヨキチと呼ばれた男がのほほんとした顔で拳銃を取り出し、俺のこめかみにつきつけた。これは悪い冗談で、モデルガンかなんかだろうと思いたいが、路地裏に連れ込まれた出会い頭にね、一発撃ちやがったよ実弾を。その結果可哀想なゴミ箱が穴を空けられ、俺の横で転がっている。しかもサイレンサーつきだから、人知れず殺ることもできる。
もちろん反抗できるわけない。全身から冷や汗を流しながら、ふるふると首を振る。
「ちょ、ちょっと待て。落ち着いて話をしよう。俺達人間だろ? もっと理知的に事を進めるべきだと思うんだが」
つきつけられた拳銃をチラ見しながら、セツナに懇願する。ていうかトヨキチさん、のほほんとした顔で銃をつきつけないで下さい。逆に怖いです。
「ふん。どうせアナタなんて、世間じゃゴミクズ以下でしょう。親からは馬車馬のように扱われ、おまけに最後はあっさり命売られちゃってるし。終わってるわね。でも悲観することはないわ。ちゃんと私の小遣い稼ぎの役に立ってるし、十分立派立派」
「……ぐ、このアマ。あんま生意気なこというなよ。その気になれば俺だって、お前をどうにかするくらい――」
「申しわけありません、動かないで頂けますか? 誤って発砲してしまいそうです」
「すみませんすみません人生の負け犬でごめんなさいゴミクズで申しわけありません」
人も殺さぬ顔で脅してくるトヨキチさんに、俺は全力で謝った。貶されているのは俺なのに、なんて理不尽な。
「せいぜい吠えるがいいわ負け犬。怨むなら自分の真上のお星様を怨んどけば。どう足掻いても事態は好転しないけどね」
「はあ……。クソ、なんだよお前、そんなに負け犬貶して楽しいか?」
諦観を込めた、深い溜め息をつき、じろりとセツナを睨む。そんな俺に、セツナは笑顔で即答した。
「うん、楽しい」
「おいぃ、即答すんなよ」
セツナは俺の非難の声を完全に無視し、財布を懐から取り出した。こんな腐った性根の女には、絶対に似合わないピンク色の可愛らしい財布から、お札が一枚差し出される。
「はい、これアナタの取り分。あんまりにも哀れだから、私がカンパしてあげるわ」
「はあ? バカにすんのもたいがいにしろよ。誰がそんな金……」
それより俺の解体ショーをやめろ。そう続けたかったが、言葉が出なかった。
「……そ、そそそ、それ、それは、い、いいいいい、いち一、一万円ん!?」
代わりに出たのは、後光でまばゆいばかりに輝く、福沢諭吉様への言葉だった。
「たかが一万円ごときでなに驚いてるのよ。さすが、ビンボー人は驚きのツボが違うわね」
高慢ちきな態度で、鼻をふんと鳴らすセツナ。普段なら、無駄に偉そうな態度にカチンとくるが、そんな余裕は今の俺にはなかった。手渡された一万円様々を握り締めて、予期せぬ幸運に、俺は生まれたての草食動物のように、ただプルプル震える。
俺は今まで、自由に使えるお金なんて一銭もなかった。バイト代は全部生活費に消え、せっせと貯めたへそくりは、トリュフを探す豚のように、ニート両親に即時発見され消費された。
でも今は違う。この手にあるのは自由に使える一万円。これさえあれば、俺の夢が叶う?
俺の脳内で緊急会議が始まる。「いや止めとけ」「それより早く逃げた方が良いって」という一部反対派をなぎ払い、あることを決意する。
「……俺はどうやってもバラ売りされるんだよな?」
妙な態度をとっていた俺を、不審な目で見ていたセツナは、胡散臭い可愛らしい仕草で頷く。
「逃げようとしても無駄よ。私も逃がす気なんてさらさらないし、隣でアナタに銃口を向けてるトヨキチも、これでも一家で一番の手練れだしね。例えチャカ持った同業者でも、トヨキチから逃げる事は不可能よ。ねえ、トヨキチ?」
「はい、お嬢様。望むのでしたら、何だってしてみせます」
人の良さそうな笑顔で、お嬢様の信頼の言葉にトヨキチさんが応じた。チャカの標準は俺に向けられたままで、銃以外の妙な威圧感がする。逃げるのなんて、確かに無理そうだ。
「そうね、午後十時ってとこかしら。それまではアナタが何したって構わないわ。逃げようとしてもいいけど、トヨキチが世界の果てまで追跡するから悪しからずにね」
「……そうかい」
それきり俺は黙り込んだ。セツナは俺が絶望したもんだと思い込んで「アナタの心臓を売ったお金でケータイ買い換えるの」など非道の限りを尽くして追い打ちを仕掛けてきた。勘違いしたけりゃ勝手にしてろ。悪魔女を完全に無視し、思考をまとめあげる。
――よし、決めた。
「だったら俺は、最期に俺の長年の夢を実現させてもらう」
「はあ?」
いきなりの夢実現宣言に、セツナはとうとう気が触れたかと、明らかに悪意のこもった同情した目で「可哀想に……」といったが、気にしない。
「俺はな、今まで散々不幸とビンボーを味わってきた。ネオンが煌めく町並みを惨めに眺めながら、公園で身体を洗ったこともあった。あまりの腹の減りように堪えかね、草食って当たって腹下したこともあった。小学校なんてあらゆるものがお下がりで、従兄弟の兄ちゃんの――男の口に長年含まれ歯形のついたリコーダーを、泣きながら吹いたこともあった」
「うわあ、イタイわね……」
黙れ。お前にいわれたくないわ、存在自体イタイ人間が。
「そんな俺には夢があった。いつか人並みの生活を送る。贅沢は望まないから、せめて普通の生活ができるようにと願い、清く懸命に生きてきたんだが……お前のせいで台なしだ」
「私じゃなくて親御さんのせいでしょう? 元を正せば」
いちいち癇に障るやつだな。親の顔が見てみたいわ。……って、ヤクザの親分だったな。
「……まあいい。俺にはもう一つ夢がある。――俺はな、一日でいいから高校生らしい買い物がしたいんだ!」
威風堂々と、俺は高らかに宣言した。しかしセツナは冷たい目で俺を見る。
「親御さんから聞いたけど、アナタ高校生じゃなくてフリーターでしょう」
あー、いちいち人の揚げ足をとるなよ。確かにそうだが俺はまだ十八才だ。本来なら、甘酸っぱい青春を堪能しているお年頃なんだよ。
「……というわけで、俺は今すぐ買い物に行く。お前に少しでも良心というものが存在してるなら、邪魔するなよ。――どうせ逃げられんのなら、やりたいことをやって死にたい」
口ではこういってはいるが、黙って死ぬ気などさらさらない。無理とさっきいったが、それでもやってみるさ。銃弾を掻い潜って逃げるのは少々ハードだが、ビンボー人の雑草魂なめんなよ。バカにするならするがいい。最後に笑うのはこの俺だ。
――そして、アレを買うんだ。高校生らしい買い物といったが、実はもう、買う物は前から決まっている。心残りだった事に蹴りをつけるために。
瞬間、真剣な表情になる。そんな俺にセツナはなにかを感じ取ったのか、まじまじと俺を見つめた。なにやら思案顔をしていたが、一人頷くと、とある行動に出やがった。
これが思えば、解体されるよりも不幸な出来事の始まりだったんだなあ。
スッと俺の横を通り抜け、スタスタ歩いていく。なんだどうしたと思っていたら、セツナは後ろを振り向いてこういった。
「なにしてるの? さっさと行くわよ」
「はあ?」
行くってどこだ。まさか解体場か? こいつ、俺の心を読んで先手を打ったのか?
……なんて、バカなことを考えている暇があるなら、さっさと一人で行けばよかった。
「なにボサッとしてるのよ。買い物に行くんでしょう? 暇だから私がつき合ってあげる。こんな絶世の美少女と買い物ができるなんて、最期に素晴らしい走馬燈のネタになってよかったじゃない」
「……………はあ!?」
ちょ、ちょっと待て。なんだ二度目のいきなり展開は! 何故お前がついて来る? いらん。お前なんて俺の夢のお買い物計画の、邪魔者以外何者でもないから。
「……ついてくるなよ」
平静を取り繕って、けれど口元をひくひくさせるのを隠せずにいう。
「バカね、逃げないように監視も兼ねてるの。アナタ一人で行動させるわけないでしょう。それに人って、死ぬ前にどんな物を買うか、興味があるしね」
この女、大変悪趣味な台詞をいい放ちやがった。
その瞬間、ガーンという擬音が脳裏に響いた。悪魔女が、後を追いかけ回してくる?
いや、ねーよ。
「お願いだから止めて下さい……」
力なく懇願するも、きっぱりとした態度でセツナは「だーめ♪」と気持ち悪いくらい子どもっぽくいい放った。
俺は膝を崩し、地べたにへたり込んだ。耐え難い嫌な事があった時の癖で、懐からお守りを取りだし、それに向かってグチる。
「……なあおいなんで俺ってこんなに不幸なんだ呪いか神様俺のこと嫌いかもしやお前か?」
不審がったセツナが、そんな俺の顔を間近で覗き込んだ。
「なにそれ?」
「……別に。ただのお守りだ」
他人にとってはな。そう心中でつけ加える。
セツナはしばし薄汚れたお守りをじっと見つめていたが、いきなり俺の背中を叩いた。
「まあまあ、死ぬ前に今を楽しまなくちゃ損よ」
言葉とは裏腹に、セツナは初めて見る悪意のない笑みを浮かべた。俺は不覚にもドキリとしてしまった。
近くでよくよく見ると、天使の皮を被ってるだけとわかっていても、信じられないくらい綺麗だ。つやのあるさらさらな黒いセミロングの髪。切れ長の漆黒の瞳。紅いらずのふくよかな桜色の口唇。それら全てが組み合わさってできた、一つの芸術品ともいえるセツナの美貌。
しかし早鐘の心臓の原因は、それだけじゃない。容姿も何もかもが違うのだが、セツナのまとう雰囲気は似ていた。ふとあいつの意地の悪い笑みと、バカにした口調が俺の脳裏に甦る。
『あははは! なにやってんの。まぬけっ』
……ったくよ。買い物の夢を果たすなんて宣言したもんだから、ついつい連想しちまったじゃねえか。でもやっぱ似てない。錯覚だ錯覚。あいつは口も態度も悪かったが、それでも優しさはあった。でもこの女は優しくねえ。全然優しくねえぞ。
なのに、何度もいい聞かせてんのに、なんで鼓動が収まらないんだ?
「……セツナ」
心持ち顔が熱くなっているのを感じながら、俺は彼女の名を初めて声に出して呼んだ。セツナはそれに微笑み返す。うっ。反則だ。その少し意地の悪い笑い方、あいつに似すぎだ。
そこでふと思う。これは俗にいうデートなのではないか。ますます顔を真っ赤にしながら、首をぶんぶん振って全力で否定するが、熱は引かない。
なんなんだこれ? どうなってんだ俺?
だが、ここでお約束が入る。小悪魔的な笑顔でセツナは手を差し伸べた、その時だった。
グーーーーーーーーーーーーー
なんとも締まらない音が無様にこだました。