トリステインのヴァリエール公爵。ゲルマニアのツェルプストー伯爵。両家とも国に代表される名門貴族でありながら、その因縁は決して浅い物ではない。
この二家は国境をはさんで隣接していることが、それに大きく関係していた。
トリステインとゲルマニアが戦争になれば、この二つの家が先陣を切って戦った。
あるときはヴァリエールが、またあるときはツェルプストーが、相手を蹂躙し、殲滅し、勝利し、また敗北した。
お互い殺し、殺された一族に数は、数えるのも億劫になるほどである。その恨みは蓄積され、互いを不倶戴天の敵と認識させるに至った、というわけだ。
顔を合わせることがあれば、言葉、刃、杖と手段を問わず切り付けあう間柄は、すでに周知の事実となっている。
だからなのか。国際会議の場では、できる限りヴァリエールとツェルプストーが顔を合わせることがないように調整されることが多いように思われ、実際その通りだった。
顔を合わせれば私情を抑えることが難しいらしく、口汚く罵り合い、話し合いが滞ってしまうこともこともしばしばだ。
しかしヴァリエールのツェルプストーに対する憎しみは、ツェルプストーのそれに比べると、遥かに強烈で鮮烈な物であり、蛇蝎の如く嫌っているのである。
それはひとえに、恋によるものだった。
先祖代々、とはいかなくとも数代に一度のペースでツェルプストーはヴァリエールの恋人ないし、それに類する存在を奪ったという過去があったのだ。
ある者は想い人を、ある者は恋人を、ある者は婚約者を、またある者は妻を、ツェルプストーの一族に奪われ、ヴァリエールは辛酸を舐めさせられ、屈辱に喘いだのだ。
この因縁は長き時の中で変わることなく、両者の間に埋めがたい溝を生み出していた。
いずれ劣らぬ二つの名家、花弁舞うラグドリアンの湖畔に新たに噴出す古の遺恨は、人々の手を血で汚す。
不倶戴天の胎内から産声を上げた禁断の恋人たちが、不和をも飲み込み、運命を流しだす。
さあ、これは許されぬ恋をした二人の物語。
彼らがどこに流れ着くか、皆様方、どうかご高覧あれ。
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街の西に、スズカケの森、と呼ばれる場所がある。
スズカケとは、木の名前だ。樹高は一〇メイルから三〇メイルと高く、青々と生い茂る葉は大きい。樹皮は斑に剥がれる特徴を持つ。
そんな木が鬱蒼とするとする場所だ。太陽の光はわずかしか届かず、昼間であっても薄暗い。しかし、葉と葉のわずかな隙間から射し込む日の光は、どこか幻想的だった。
要するに、人目に付きにくい場所なのである。
誰かと秘密の逢引をするにはもってこいの場所ということだ。そのため若者に大人気。ここで愛をささやかれれば、コロっと落ちてしまうかもしれない。
ほかの使い道といえば、一人になりたいときにも有効な場所だろう。
「はぁ……」
実際ここに一人、そういう使い方をしている青年がいた。
太陽さえ色褪せる鮮やかな深紅の髪はわずかな光を浴びて一層輝きを増し、唇はきりっと結ばれて、洗練された彫刻のように美しい面差しは、見る者全てを魅了することだろう。
その体つきからは頑強さが伺え、身長もすらりと高く、小麦色の肌がひどく印象的だった。
彼の名は、マクシミリ・フォン・ツェルプストー。齢二三にして、フォン・ツェルプストーの家督を継いだ青年だ。
「はぁ……、はぁぁぁ……」
太陽に並び立つ美貌の持ち主は、しかしその表情を曇らせていた。これでは草木は実もつけず、動物たちは穴倉にこもったまま。世は冬を抜けることはないだろう。
重いため息に見える陰鬱とした色は、一体何によるものか。それを知る者は、今はまだこのようにマクシミリアン本人、ただ一人だ。
「おはようございます、マクシミリ様」
不意に、青年に若くはりのある声が、注がれた。
頭を動かすのも億劫なのか、マクシミリは瞳だけをそちらへと向け、わずかに頬をほころばせる。
彼の眼に入ったのは、金砂の如く輝きを放つ長い総髪を後ろ頭に赤い紐でくくった長身の少年。肌の色はマクシミリとは対照的に白磁のように透き通っている。
マクシミリの容姿を端整と評するなら、こちらの少年は精悍。少しばかり野性味が強く、鋭い目つきはさながら狼のようだ。均整の取れた体格は、しかし服の上からでも屈強さがうかがえた。
「まだそんな時間なのか、コンラート」
コンラート、それが彼の名だった。わずか一八歳にして、若き伯爵の片腕を務める少年。
彼はマクシミリのどこか気の抜けた声音に、はあ、っとため息をついて呆れたといわんばかりの視線を投げつけて見せた。
「昼になるには、まだ一刻半はありますね」
「ぁあ、悲しい時間は進みが鈍くていけない。それを手に入れられれば時は歩を速めるというのに」
「また恋、ですか」
「そうだ、恋だ。彼女の好意が得られない」
マクシミリの答えを聞き、コンラートは大きく、そして重たい息を吐いた。
彼のこの状況は、何も今回が初めてではないのだ。だからコンラートはすぐに原因が恋だと気がつくことができた。
そして何より、少年を鬱にさせるのは主が恋に悩んでいることが原因ではなく、恋している彼が伯爵家当主としての仕事を投げ出してしまうことに会った。
おかげで、しわ寄せが秘書官を務めるコンラートに集まってくる。そして、領地運営に支障をきたしてしまうからに他ならなかった。
「で、どこのどなたです?」
「美しい、女だ」
「恋だと分かったときから、そこまでは当たっています」
「的を打ち落としたな。相手はとびっきりの美人だ」
「的が大きければ、落とすのも楽でしょう」
心底呆れている、そんな様子を隠しもせず見せるコンラート。その内心は、さっさと仕事に戻ってくれないかな、という想いでいっぱいだ。
「それは外れだ。どれほどのくどき文句を浴びせてもたじろかず、色目を放てば受け流す。聖職者さえ惑わす黄金でも股を開かない」
「ならどうします?一生独身を貫かれるというのですか?」
「美人というのは黄金にも勝る宝だ。それを世に残さぬということは、美の浪費というものだ。何にも勝る大罪だ。ゆえに私が彼女を救う。私こそ彼女のイーヴァルディ」
「恋に恋する、という歳でもないでしょう。いい加減、そんな女のことは忘れて仕事に戻ってください」
だんだん相手をしているのが面倒くさくなってきたのか、コンラートの言葉はどこか投げやりだった。
しかし肝心のマクシミリはといえば、側近のそんな様子も気にかける様なことはなく、やはりどこか芝居がかった口調のまま言葉を続けた。
「ああ、どうしたら忘れられるのか教えてくれないか?」
「眼を自由にして、ほかをよく見てください。美人は他にもいますから」
「それではあの方の美しさを一層きわ立たせるだけだ。彼女を超える花があるというなら、見せてくれ。忘れる方法など、あるものか」
「……はぁ」
もはや拗ねているとしか思えない言動の主に辟易している。これでは何を言っても、理屈をこねてコンラートの言葉をかわして見せるだろう。
一体どうした物かと頭を悩ませる。
今日中に彼に決済をしてもらわねばならない案件が山ほどあるのだ。街道整備、貧困者の救済案、徴税。それこそ数えればキリがないほどに、彼の仕事は溜まっている。
このままでは早々に領地の運営は行き詰まり、破綻しかねない。
ツェルプストーの家系が恋に最大の情熱を燃やしていることは、コンラートもよく理解している。だから恋をするな、とは言わない。
しかし、恋だけをしているというのは貴族として許されることではない。もとより貴族は平民たちから集めた税で生活をしているのだ。集めた物に見合うだけの対価を彼らに与えねば、彼らも腹を立てるだろう。
そうなれば、人心はマクシミリから離れていき、最期には何も残らなくなってしまう。長く続いたツェルプストーの一族も栄を失ってしまう。
ゆえに、主に仕えるコンラートとしては何としてでもマクシミリに仕事をさせなければならない。彼が平時は優秀であるからこそ、コンラートは強く思うのだ。
「今月、ラグドリアンの園遊会があります。それは覚えておいでですか?」
「ラグドリアン……、ああ覚えているよ。水の精霊のおわす湖だ。それで愛を誓えば、それは永遠の物になるという」
「そうです、そのラグドリアン。かの園遊会には大陸中から貴人麗人が集い、交友を深めると聞き及びます。ならば伯爵閣下のお目にかなう女性もおりましょう」
「つまり、恋の炎は恋の炎をもって制す、とでも言いたいのか?」
「眩暈がするなら、いっそ回ってしまえということです。あなたが他の女性に目移りしていれば、かえって意中の女性の気を引ける。押してだめなら引けばいい」
「恋の駆け引きというヤツか」
「シーソーゲーム、ともいいますね。物は試しです、実践してみてはいかがですか」
半ば勢いに任せ放った台詞は、思いのほかマクシミリの興味を引いたようだった。
影の射していた表情に、光が宿る。希望を失っていた瞳は力強く輝きを放ち、槍のように鋭かった口元も弓さながらに弛み、腰と背は外気を得た。
「よし、コンラート。では早速、ラグドリアンへ向かうぞ!」
「園遊会は来週です。参加したいのであれば、執務をこなしてからでなければ許可はいただけませんよ」
「……、おまえは本当に仕事ばかりだな。仕事に恋でもしているのか?」
「マクシミリ様が恋とご婚約なされていますからね。そうでなければ、帳尻が合いません」
仕事、仕事と口を開くたびにその言葉を聴かされていては、マクシミリのように思ってしまうのも無理のないことだ。対して、即座に皮肉を返せるコンラートも、あるいは自覚のあることなのだろう。
この主の片腕を担うには、まじめすぎるくらいで丁度いい。そんな考えもあるのかもしれない。
ともかく、何かとのんきな主と生真面目な従者。二人の関係はそれであり、両極端な両者の性格がうまく作用し、互いに足りない部分を補い合っていた。つまり、バランスはいいのだ。
「というよりだな。さっきから思っていたのだが、そう他人行儀なしゃべり方をしてくれるな、コンラート。腹違いとはいえ、私たちは実の兄弟だぞ」
「ならばこそ、です。私情を交えては、周り者たちに示しがつかないでしょう」
「だが今は、その者たちもおらん。世に三人だけのツェルプストーの乳飲み子だ。昔のように”あにさま~”と呼んでみろ、ほれ、さぁッ!」
なにやら血走った目つきでそう催促されて、またしてもコンラートは頭の痛い想いだった。
腹違いの兄弟。父は同じでも、母は違う。半分だけ、血を分けた兄弟。
マクシミリとその弟は本妻であった今は亡きデボラ・リゼット・ド・トロワの息子であり、コンラートは旅の女傭兵であったアズリアの息子であった。
コンラートが間違ってもツェルプストー伯爵家の家督相続争いに巻き込まれぬようにと、アズリアは愛人としての立場を貫いた。
その結果として、先代はマクシミリを後継者に、弟のディートリヒをデゥーディッセの町と、男爵位を与え、コンラートはマクシミリの側近として取り立てられた、ということだ。
兄弟が争わぬようにと決定した先代の、領主として、父としての配慮はなかなかの妙手であった様で、まだ就任して間もないにもかかわらず、領民たちからの信頼は厚いものとなっていた。
特にこのマクシミリとコンラートの親密さは有名な話であり、二人の中が違うときは双月が違うとき、といわれるほどである。
「言わねば、お前の恥ずかしい秘密を家人たちの前で朗読して見せよう。なにせお前のおしめを変えていたのは、この私だ。お前が忘れているようなことで、事細かに覚えているぞ」
「……はぁ、兄上の意地の悪さは相変わらずだ」
「恋の秘訣はな、童心を忘れぬことよ。お前もたまには仕事のことを忘れ、町に美女でも探しに行ったらどうだ」
「できるならそうしたいよ。俺にだってツェルプストーの血が流れているんだ。恋は人生の最大の活力だって分かってる」
「なら……」
「そうさてくれないのは、いったいどこの誰ですか、あにさま?」
「…………さぁって、園遊会に向けて、今しばらくは爪を研ぐことにしよう。彼女の心掴むための爪を、なッ!」
「誤魔化したな」
まあ、いいけど。
そう心の中で付け加えて、困ったような、それでいてどこか楽しそうな笑みを浮かべてコンラートは、先に屋敷へと向かって歩き始めた兄の背を追う。
暗い森の中、動き出した人々。
このときはまだ、知らない。
この先に待つモノを。もたらされる試練を。
全ては明かされるのは、ラグドリアン。その湖畔に、月明かりが運命を照らし出す。
歯車は、静かに回り始めていた。
あとがき
始めましての方、始めまして。お久しぶりの方、お久しぶりです。
リハビリ感覚で改定増すが、構成はしっかり考えていますので、今回はたぶん大丈夫なはずです。もう一つの作品も、構成を見直している段階なので、時期が来れば連載を再開するつもりです。
えー、というわけで始まりました。
どこがゼロ魔なんだよ、って思った人。うん、言いたいことはわかります。でも、書いてみたくなったんです。
ツェルプストーとヴァリエールの因縁ってヤツを。原作一巻でルイスが言っていたアレです。
時系列で言えば、原作のルイズたちより80~100年くらい前を想定して書いています。
そのため、この作品はオリキャラパレードです。原作で名前が出てきているのはマクシミリだけです。あとデゥーディッセ男爵も出て来ています。名前だけですけど。
いちいち名前覚えんのめんどくせーよ、って言う人。すみません。何とかお付き合いしていただけると幸いです。
それでは、この作品は『略奪愛』をテーマにがんばっていきたいと思っていますんで、これからもなにとぞよろしくお願いいたします。
この作品に対するご意見や誤字・脱字の報告があれば、感想版に書いて頂けると幸いです。
それではまた、次回に。