トライマグニスコープによる手帳の分析が軌道に乗り、大量のページが映像化され始めると、マドスン率いる言語班は大忙しとなった。
ガーランドの予測どおり、手帳の内容は日記だと思われた。なぜなら各ページの冒頭には必ず、月と週と曜日に相当する単語が書かれていたからだ。
日記の長さは日によってまちまちだが、ルイズは几帳面な性格なのか、日にちが欠落する事はほとんど無かった。例の表がカレンダーであり、この手帳が日記であることは確実だと思われた。
いっぽう、それゆえの問題も生じた。
数字が分からなかったのである。
どうやらルイズの文化にはグレゴリオ暦の「日」に相当する概念が無いらしく、日記の日付には月と週と曜日だけが記述されていた。そのため明確に数字だと分かる文字列がどこにも無かったのだ。
もしルイズのカレンダーがグレゴリオ暦と同様に、単純増加する数字による「日」で構成されていたのなら、数字は瞬時に解明されただろう。だが現実はそうでなかったため、ルイズの数字が判明するまでにはかなりの時間がかかった。週を表している文字が1~4の数字らしい、と言う事までは分ったのだが、5以上の数字は分からず、ルイズが何進数を使っているのかも判明しないままだったのである。
突破口となったのは、またしてもガーランドだった。
ハントを含む科学者の多くは男性であり、ルイズの日記にある女性特有の記録にはなかなか気付かない。ガーランドは日記にルイズの生理日が記録されていると言っていたが、ハントを含めた誰もそれを本気にはしていなかった。
いっぽうハントは、ルイズが毎週第1曜日に意味不明な数値を記録している事に気づいた。
その数値と思われる文字列は4文字で、最初の2文字はカレンダーの第4週に相当する文字と、第1週に相当する文字だった。つまり41だと推測される。まれに2文字目が別の特定の文字になっている事もあったが、ほとんどの場合は41だった。
この「別の特定の文字」と言うのが曲者で、5以上の数字の可能性もあるのだが、ハントはゼロだと睨んでいた。なぜなら大部分の記録では41なのに、唐突に45以上に変化するのは不自然だと思われるからだ。だったら40の方が可能性が高いだろう。
ただしその場合、6千年前にゼロの概念が存在していた事になる。
3番目の文字は常に同じで、意味は不明。
だがハントはこれを小数点だと睨んでいた。6千年前にゼロだけでなく小数点もあったのだ。
そして最後の1文字は、1から4の数字になることもあるので、おそらくゼロおよび5以上の数字だと思われた。しかし数字だと断定するには確証がなかったのである。
ハントが宿泊しているオーシャン・ホテルのバーで飲んでいると、事務仕事のためにホテルに来ていたガーランドが顔を出した。
オーシャン・ホテルにはハント以外にも多数の科学者が宿泊しており、彼らの事務も担当しているガーランドは頻繁にホテルに来ていたのである。
彼女はハントを見つけると、嬉しそうに近寄ってきて探りを入れてきた。
「今晩はハント先生、何か面白い発見ありました?」
公式の報告書は適宜コールドウェルに提出しているのだから、手帳分析の現状は彼女も把握している筈である。にもかかわらず探りを入れて来るのは、単なる好奇心だからなのか、それともこれも仕事のうちなのか。
ともあれ、ハントは謎の数値のことを彼女に話したのである。
ところが……
「ルイズの体重って、キログラムで幾つでしたっけ?」
ガーランドの思考時間は瞬き1回分だった。
その回転の速さにハントはスコッチのグラスを落としたが、彼はそれを放置して、携帯端末でダンチェッカーによる医学的調査報告書を呼び出した。
「41.4 プラスマイナス 0.6 だ」
「やっぱり……」
これが偶然の一致の筈がない。
6千年前の人間がときどき体重計に乗り、しかもそれを日記に記録するとは、ハントを含む誰一人として想像もしなかった。
だが科学者ではないガーランドにとっては当たり前だったのである。
「いや、恐れ入ったね。いっぱい奢らせてくれるかな?」
「喜んで」
この思いがけない発見から、ルイズの数字の候補―――具体的にどれが何と言う数値かはまだ分からない―――が判明した。
あと『女の直感は恐ろしい』と言う発見もあったが、それはハントの脳内で非公開とされた。
言語学者のドン・マドスンがハントのオフィスに来たのは翌日遅くだった。
「厄介な事になりました」
彼はオフィスに入ってくるなり言った。
「数字が本当だとすると、ルイズの母国は6千年もの歴史がある事になってしまいます」
「何だって?」
ハントは椅子から転がり落ちそうになった。
実のところハントは数字を発見したものの、それらの値まではは分からなかった。彼がルイズの体重だと推定した数字は、あくまでも候補なのであって、それらが現代人の使う数字とどう対応するのは分からなかったのである。
そこで彼は自分の見つけた数字候補をマドスンに伝え、値の特定を言語班に任せたのだ。
「数字の特定そのものは簡単でした」
マドスンは紙に印刷した、ルイズの数字と現代の数字との対応表を見せながら続けた。
「ルイズは手帳には何箇所か、何かを計算した跡が残っていたんです。コンピューターでちょいちょいと解析するだけで全部分かりました。彼女が何進法を使っているのかも、桁の多い数値をどのように書くのかも、四則演算の記号も全部分かりました」
マドスンが印刷した紙には、ルイズの使っていた基本演算が全て載っていた。
それによればルイズは10進法を使っており、+-×÷=に相当する文字があり、ゼロがあり、そして小数がある。つまり現代とほとんど変わらないのである。
マドスンは続けて言った。
「これを例のカレンダーに適用すると、カレンダーの一番上に書いてあったあの数値、あれが6243年という結果になるんです」
「そんな馬鹿な……」
6千年前に、6千年もの暦を使用する国家があった?
もしそれが本当なら、ルイズの国家は紀元前1万年から存在していたことになる。そんな馬鹿な事がある筈が無い。
「これは大変な事になるぞ」
ハントが言うと、マドスンも頷いた。
翌週の進捗会議が紛糾する事は、火を見るより明らかだったのである。