アルバーツが行った簡易的な炭素年代測定によれば、死体はいずれも6千年前のものだった。
つまりルイズと同時期である。
ハントの見た感じでは、人間の死体はルイズよりも小柄であるように思われた。骨しか残っていないので性別は分からないが10~12歳の子供のように見える。
そんな子供が、なぜ恐竜のような動物と一緒に横たわっているのだろうか? この動物に襲われたのだろうか? それとも逆にペットにしていたのだろうか?
「これは……?」
ハントは頭蓋骨のすぐ脇に何かの残骸を発見し、それを良く観察しようと四つん這いになった。
ハントたちの着ているスキンタイト宇宙服は地上作業用であり、靴やグローブが厚手になっているだけでなく、膝、肘、肩、尻などにプロテクターが装着されている。通常の宇宙服と違い、転んでも穴が開いたりしないように強化されているのだ。
元々スキンタイト宇宙服は穴があいても致命傷にならないのだが、念には念を入れてある。
彼が外殻ヘルメットの頭頂部にあるヘッドライトで残骸を照らすと、どうやらそれは溶けた金属とガラスとが混ざり合った残り滓のようだった。
「それはたぶん眼鏡です」
ハントの背後から無線機越しにアルバーツが言った。
「眼鏡ですって?」
ハントは膝立ちになって上半身を捻るようにして振り返って言った。宇宙服のヘルメットは上半身に固定されているので、首だけ振り返っても後ろを見る事が出来ないからだ。
「6千年前に金属フレームの眼鏡があったと仰るのですか?」
「そう言われると確証は無いのですが……」
ヘルメットの中で困ったような表情を浮かべるアルバーツ。
しかし焼死体の顔のそばに溶けた金属とガラスがあったら眼鏡だと思うのも無理は無いし、それを否定できる確固たる根拠がある訳では無い。
ハントはダンチェッカーの意見を求めようとして彼を振り返ったが、彼は人間には興味がないらしく、恐竜のような動物を睨みつけるように観察していた。
動物の白骨死体の体長は6メートルほど。
肉食恐竜のような頑丈な頭蓋骨と大きな口を持ち、口の中には骨でも噛み砕けそうな丈夫な牙が生えている。
ティラノサウルス等と異なり、前足は丈夫で長くて鋭い爪が生えている。掌が平坦でない事から、四足歩行はせず、前足はもっぱら獲物を捕らえるために使っていたと思われる。
それに対して後足はやや貧弱で、これまたティラノサウルス等と異なり、高速で疾走することは難しいように思われた。前足を歩行に使わないのなら、それを補うように後ろ足が発達するのが普通なのだが、この動物にはそれが当てはまらない。
肉食動物であるにもかかわらず走るのが苦手なのは奇妙だ。
だが奇妙だと言うならば、この動物の最も奇妙な点は別にあった。
背中に巨大な翼が生えているのである。
「いや、失礼ですがアルバーツ教授、これは誰かの仕組んだ酷い悪ふざけです」
長い沈黙の後、ダンチェッカーは言った。
「どこの誰がこんな手の込んだ事をしでかしたのかは分かりませんが、この動物は良く出来ています。もしこれがハリウッドの仕業だとしたら、私は諸手を挙げて称賛しますよ。素晴らしい出来だ」
称賛すると言っていながら、ヘルメットの中の彼の顔は憤慨しているように見える。どうやら彼は騙されたと思っているようだ。
アルバーツは動物の白骨死体を指差して尋ねた。
「これは偽物なのですか?」
「そうです。間違いありません」
ダンチェッカーは断言し、続けた。
「誰が作ったのかは知りませんが、これが映画のセットなら良く出来ていると言わざるを得ません。この動物の骨格は理に適っています。特に背中の翼を支える関節は惚れ惚れするほど良く出来ています。現実にこのような動物がいてもおかしくないほどに」
ハントは再び動物の背中を見た。
ダンチェッカーの言う通り、背骨と翼の結合部分は骨盤のような複雑な構造になっており、翼で全体重を支えられそうなほど頑丈にできている。専門家でないハントでも、どこにどのように筋肉がついていたのか想像できるほどだ。
翼は折りたたまれた状態で白骨化しているため全体像は分からない。だがハントの推測では広げれば7~8メートルになると思われた。つまり動物の体長よりも大きいと思われる。
ダンチェッカーは更に続けた。
「しかしこれが本物の動物だと主張するのなら私は断固否定します。このような動物は有り得ません。地球上のいかなる祖先からも、このような動物が生まれる事は絶対にありません。分かりやすく申し上げれば、このような前足と後足と翼を持つ動物は絶対にあり得ないと言う事です」
「いやしかし……」
アルバーツは食い下がった。
「この白骨死体は6千年前のものなんですよ? しかも地下に埋まっていたんです。悪戯だとするなら、いったい誰がこんな事をしたと言うんです?」
月面に白骨死体がある事自体がそもそも有り得ないのだが、アルバーツはその点を忘れているようだ。
ダンチェッカーは答えた。
「それは私の預かり知らないことです。私は生物学者なのであってマジシャンでもなければエンターテイナーでもありません。6千年前の悪戯を解明したいのであれば、その道のプロフェッショナルを呼んだ方がよいでしょう」
アルバーツは助けを求めるようにハントを見た。しかし生物学者ではないハントに反論できる筈もない。
ダンチェッカーがなぜこの動物を否定したのか。
その理由は簡単である。
既に絶滅した動物を含めて、地上の脊椎動物は前足と後足を持つものと、翼と後足を持つものしかいない。前足と翼を同時に持つ生物は存在しないのである。
これは魚だった動物が初めて地上に這い上がったときに決定された遺伝的特性であり、それ以後の全ての地上生物の基本となっている。その後いかなる突然変異が発生しても、前足と後足もしくは翼と後足をもつ生物しか生まれていない。
いっぽう魚類は話が別である。
魚類には胸ビレ、背ビレ、尾ヒレがある。
この事から、胸ビレが腕に、尾ヒレが足に、背ビレが翼に進化しても良いように思える。理論上は、背中に翼の生えた恐竜に進化することが絶対に無いとは言い切れない。
しかし現実にはそのような進化をした陸上生物の化石は全く見つかっていない。世界中のあらゆる化石を調べても、そのような進化をした動物は存在しないのである。
腕と足と翼を持つ化石が存在しないのに、唐突にそのような動物の死体が出現する、などと言う事は有り得ない。
従ってこの謎の動物は偽物に間違いないのだ。
ハントは立ち上がると、改めて謎の動物を眺めた。
原子物理学が専攻である彼には詳しい生物学的知識はない。そこで彼は別の角度からダンチェッカーに尋ねた。
「教授、ご意見はごもっともなのですが、この白骨死体が悪戯だと断定するのは早計過ぎるのではありませんか? こんな物が月面にある時点で既に常軌を逸しているわけですから、何か生物学的にも常軌を逸した事態が発生した可能性があるのではありませんか?」
「それを仰るなら、こんな代物が月面にある事自体が悪戯だと言う事を証明しています。月面に生物がいる筈がないのですから」
ダンチェッカーは無意識に眼鏡の位置を直そうとしたのか、片手で自分のヘルメットを叩いてしまい、思わずその手を自分で睨みつけた。
一方ハントは食い下がった。
「例えばこれが地球外生物だと言う可能性は考えられませんか? 月面に生物がいる筈がないのなら、逆にどこからやって来ても構わない訳ですから」
するとダンチェッカーは出来の悪い生徒を諭すように、やれやれとばかりに首を振って答えた。
「この偽物は間違いなく恐竜を参考にして作られています。おそらく恐竜の化石を良く研究したのでしょう。例えば頭蓋骨や後脚はティラノサウルスなどの肉食恐竜を模倣した物のようですし、前足はヴェロキラプトルなどを参考にしたように見えます。骨盤はどう見ても鳥盤類の物です。翼はおそらくプテラノドンのコピーでしょう。
つまり個々のパーツは明確に地球生物の特徴を備えているのです。
仮に他の惑星にこの偽物のような生物が存在していたとしても、細かな特長が地球生物と同じになることは絶対に有り得ません。サメとイルカのように外見が似る可能性はありますが、中身までが似ることは有り得ないのです」
彼は謎の動物の白骨死体を指差して締めくくった。
「これは誰かが地球の恐竜を参考にして作ったドラゴンのフェイクです」