グラシェールの異変から一夜明けた翌日。今なお東の空は霞みがかり、巨大な噴煙がうっすらと立ちのぼっていた。
アルフラ達一行は二台の馬車を南西へと走らせ、アラド子爵領へ急いだ。
道すがら、いくつかの関所が街道を塞いでいたが、魔術士ギルドの紋章が掲げられた馬車は、たいした足止めをくうこともなく行程を消化していく。そして夕刻前には、エルテフォンヌ伯爵領とアラド子爵領の境(さかい)に位置する少都市、クリオフェスが見えてきた。
「おい、ちょっと止めてくれ」
先を行く馬車からシグナムの大きな声が響いた。
すぐに御者がたずなを絞り、馬はその歩みを止める。
シグナムが馬車を降りると同時に、フレインが荷馬車から出てきた。
二人は、当惑の表情で周囲を見回す。
「聞いてた話とだいぶ違うな……」
街道の先には、クリオフェスの遠い街並。
辺りには農地が広がり、牧草地にあたる場所には、無数の天幕が張られていた。
幾人もの歩哨が街道沿いに立ち並び、牧草地のかなり奥の方からも炊き出しの煙が昇っている。
「こりゃ数千じゃきかないぞ……たぶん師団規模の兵隊が駐屯してる」
「どういうことでしょう……アラド子爵の手勢は、白竜騎士団の残党と合わせても、一万に届かないはずとカダフィーは言っていましたが……」
狼狽するフレインへ、何事かを口にしようとしたシグナムが、街道へと顔を向ける。その視線の先から、外套をなびかせた一騎の騎兵が駆けてきていた。
「エルテフォンヌ伯爵の……白竜騎士団の者でしょうか?」
ぽつりと呟いたフレインへ、シグナムは首を振る。
「いや……一貴族の私兵にしては装備が整いすぎてる」
重いひずめの音を立てて駆けてくる騎士は、かなりの重装備だった。
直射日光を避けるため、全身をすっぽりおおった外套の下には、金属鎧の鈍い輝きが見え隠れしている。皮や厚手の布などを下地として、鱗状に加工した鋼などを隙間なく張りつけた、鱗鎧(スケイルアーマー)と呼ばれるものだ。
騎乗する馬にもまた、同様の馬鎧が着せられていた。
「この暑い最中(さなか)にご苦労なこった」
吐き捨てるように言ったシグナムへ、フレインが尋ねる。
「シグナムさんは、騎士というものが……あまりお好きではないようですね?」
「別に……嫌いってわけでもないよ。ただちょっとだけ、うらやましいとは思うけどね」
馬車から下りてきたアルフラが、シグナムの横に立つ。
「シグナムさん、騎士になりたかったの?」
「ああ、子供の頃は近所の悪ガキ連中と同じで、ご多分にもれず騎士に憧れたりもしてたね。女が騎士になれるわけないだろって、よくからかわれたっけ…………まあ、確かになれなかったけどね。女だからさ……」
「……そうなんだ」
「でもさ、あたしは男に負けたことなんて、一度もないんだよ。剣ではね」
シグナムは忌ま忌ましげに地面を蹴る。
「不公平だよな? 自分より弱くて無能な奴が、男だってだけで騎士になれるのは、理不尽だろ。家柄とかそういうのも、あるのかもしれないけどさ」
アルフラは、以前にも同じような話をシグナムがしていたことを思い出した。――曰(いわ)く、女は正規兵になれない。だから傭兵をやっている、という話だ。
「ま、昔の話さ……」
少し遠い目をしたシグナムを、アルフラは気遣うような顔で見上げる。その頭を、大きな手がぐりぐりとかいぐった。
シグナムに、亜麻色の髪をくしゃくしゃにされて喜ぶアルフラを、フレインは穏やかな目で見つめていた。
そういったやり取りをしている間に、鱗鎧の騎兵がアルフラ達の前まで駆け寄って来た。
もしそこで、騎士が高圧的な物言いをしようものなら、シグナムの機嫌をこれ以上もなく損ねてしまうところであったが――そうはならなかった。
騎士は馬上から語りかけるということはせず、鋼の擦れる音を響かせ地に降り立つ。さらに面頬(めんぼお)を跳ね上げ兜を脱ぎ、小脇に抱える。
「私(わたくし)はロマリア国軍皇竜騎士団所属、ザフト・ウェブリー士爵であります」
丁寧な口上で述べたウェブリー士爵は、片足を後ろに引き、優雅なお辞儀をして見せた。そして、顔を上げた彼の目が、導衣姿のフレインへ向けられる。
「レギウスからの使者とお見受けしますが、相違ございませんか?」
「はい。私は教王ユリウス六世陛下より、このロマリアへ正式に遣わされた魔術士ギルドの導士、フレインと申します」
「やはりそうでしたか。レギウスから、かの伯爵位の魔族を倒せし方々が送られて来ると聞き及び、今や遅しと首を長くしておりました」
ウェブリー士爵は、優秀な魔導士然(ぜん)としたフレインを、にこやかな微笑みでもって見つめる。つづいて自らより上背のある長身のシグナムへと視線をやり、満足げに頷いた。
「あたしはシグナムだ。見てのとおり傭兵だよ」
いかにも歴戦といった使い込まれた革鎧。その下からのぞく、無駄のない筋肉を備えた体躯(たいく)。ウェブリー士爵は、同じく戦いを生業(なりわい)とする者として、シグナムになにがしかの感銘を受けたようだ。そこに女だからといって侮る感情は、一切見られない。
だが、その隣に立つアルフラに視線を移すと、微妙に訝しげな顔をした。
「そちらの娘御は……?」
表情にこそ出しはしなかったが、何故こんな子供を連れているのか、といった疑問が透けて見えた。
ウェブリー士爵からしてみれば、自分のまとう重甲冑より軽そうなアルフラに対し、疑問を持つのも当然だろう。
なんとはなしにそういった気配を悟ったアルフラは、シグナムに寄り添うようにしながらも、きつい眼差しでウェブリー士爵を睨みつけた。
「あたし……アルフラ……」
名乗ったアルフラは、肩が密着するほどにシグナムへ身を寄せる。そして不機嫌そうにそっぽを向いた。
以前のアルフラならば、重厚な鎧をまとったウェブリー士爵の不躾(ぶしつけ)な視線に、萎縮していたかもしれない。しかし今のアルフラには、フレインやシグナムと比べ、軽んじた態度をとられたという不快感しかなかった。
その表情を見てとったシグナムは、出会った当初と比べ、わずか数ヶ月でずいぶんと成長したものだな、と感慨深げに微笑む。
「あんた達の国を目茶苦茶にした爵位の魔族を始末してくれるのはね、あたしやフレインじゃなく、このアルフラちゃんさ。せいぜい丁重に扱って欲しいもんだね」
シグナムの皮肉げな言葉に、ウェブリー士爵は軽く首をかしげた。そして、むすっとした様子のアルフラから目を逸らし、シグナムへ笑いかける。
おそらく何か冗談のたぐいを言ったのだろうと判断したようだ。
「とりあえず、本陣へとご案内いたします。私はこの先にある関所の指揮を預かっておりますので、持ち場を離れることが出来ません。部下の者に先導させますので、ご同行願えますか?」
「わかりました。ですが、一つお尋ねしたいことがあるのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「皇竜騎士団といえば、ロマリアの国軍ですよね? あなた達は現在、魔族の侵攻に備え、首都の防衛にあたっていると聞きおよんでいたのですが、その辺りの経緯をご説明いただけますか?」
「わかりました。では、道すがらお話いたしましょう」
フレインが了承の意を伝え、一行はふたたび馬車へと乗り込む。
一旦は座席に腰を下ろしたシグナムだったが、何を思ったのか一人馬車から降りて、ウェブリー士爵へ声をかける。
「なあ、ちょっとその馬に乗せてくれないか?」
「は……?」
「いいだろ? そんだけでかい馬なんだしさ、もう一人くらい乗れるだろ。あんたが前につめてくれりゃ鞍にも余裕ができる」
「はあ……それはまあ……」
馬上のウェブリー士爵の横へまわり、シグナムは馬の首を撫でる。
どうやら立派な馬具と馬鎧をまとった軍馬に、興味を惹かれたようだ。
「本当にいい馬だね。体高も並の馬よりずいぶん高いし、肉のつきかたもしっかりしてる。――毛並みの良さは、いい秣(まぐさ)を食わせてやってるからかな?」
「シグナム殿は、なかなかの目利きですね。この馬は皇竜騎士団の団員のみに授与される、特別な大型馬種なのですよ。優れた血の交配を何世代にも渡り重ねた、生まれながらの軍馬と言えるでしょう」
自らの乗騎(じょうき)を誉められたウェブリー士爵は嬉しそうだ。
「これほど立派な体格の馬には、名馬の産地として知られるこのロマリアでも、そうはお目にかかれないでしょう。まさに戦場を駆けるために生まれた、私の愛馬です」
馬自慢を始めたウェブリー士爵の背後へ、シグナムがひらりと飛び乗る。
「うん、やっぱりいいね。すごく乗り心地が安定してる。――こんな馬に乗って戦場を駆けたら最高だろうな」
馬車の中から、楽しげな馬上の二人を見つめるアルフラは、恐ろしく不機嫌だった。珍しくはしゃいだ様子のシグナムと、体を密着させたウェブリー士爵にいらっとしているらしい。
自分もシグナムと馬に乗ってみたいという思いが、ウェブリー士爵に対する怒りへとすり替わっているようだ。
そんなアルフラのおかげで、関所に着く頃には、車内がひんやりと涼しくなっていた。
隣に座っていたルゥは、少しきょとってしまった。
◆◆◆◆
街道に付設された関所に到着すると、数名の騎士がわらわらと駆け寄って来た。
ウェブリー士爵が彼らへ命じる。
「レギウスからの使者殿だ。礼を失することなく丁重に、本陣までご案内申し上げよ」
「はっ!」
二人の騎士が駆け出し、すぐに馬を引き戻ってくる。
馬から降りたシグナムが馬車の扉を開くと、ルゥがぴょんっと飛び降りてきた。
「ねぇ、お姉ちゃん。ボクもあれ乗ってみたい」
自らの乗騎を指差された二人の騎士は、顔を見合わせる。
「うーん……やめときな。ルゥが乗ると、すぐ振り落とされそうな気しかしない」
「えー」
なんでーなんでー、と駄々をこねるルゥを見兼ねたウェブリー士爵が、助け船を出す。
「よろしければ、小型の馬を一頭お譲りしましょうか?」
「え? いいのか?」
「はい。さすがに軍馬を、とはいきませんが、輸送用に使っている小馬(ポニー)でしたら私の裁量でなんとでもなります」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
親しげな笑みを浮かべたウェブリー士爵へ、シグナムも顔をほころばせる。
関所への短い道中で意気投合したらしい。
「馬車を引かせるのではなく、荷物を直接背負わせて移動する馬です。小回りもききますし、敷石の状態が悪い辺境の街道や、荒れ地を通るときは重宝するでしょう」
しばらく待つと、瞳をくりくりとさせた葦毛の小馬が連れられてきた。
馬車の中からその様子を見ていたジャンヌが、目を輝かせる。
「あら、可愛らしいですわね。ルゥだけじゃ不安ですから、わたしがご一緒してあげますわ」
「お前、馬に乗れるのか?」
やや疑わしげなシグナムの問いに、ジャンヌは軽く胸を反らす。えっへんっ、のポーズだ。
「武神の信徒たる者、馬術のたしなみも修めておりますわ」
「そうか、なら大丈夫……かな」
そのやりとりを聞いていたフレインは、たしなむのと修めるのではかなり意味合いが違うのでは? と思ったが黙っていた。
「ルゥ、とりあえずジャンヌに乗せてもらいな」
しかし、ルゥは不満のようだ。
「やだ、ボクあっちの大きい馬の方がいい」
「わがまま言うな。だいたい――」
そこで小馬を連れてきた騎士が、申し訳なさそうに言葉をはさむ。
「あの、すみません。この馬はもともと騎乗用ではありませんので、馬具がないのです。探してはみたのですが、どうしてもサイズが合うものがなく……」
「ああ、そりゃそうだよな。しかたないね……ルゥ、馬具がないらしいし乗るのは諦めな」
「えっ!?」
「そのうち機会があれば、あたしが軍馬の後ろに乗せてやるからさ。とりあえず馬車に戻りな」
シグナムが、軽くルゥの腕を引く。しかし、さきほどまで大きな馬の方がいいと言っていたルゥではあったが、いざ乗るなと言われて気が変わったようだ。
「この子でいい」
狼少女は小馬の首を抱きしめて、私はここから動きません、と態度で示す。
小馬はルゥにほお擦りされ、大きな瞳を見開き不自然に硬直している。とてもストレスを感じているようだ。
肉食系の獣人族と草食獣の相性は最悪である。
「ルゥは知らないだろうけどさ、鞍のない馬に乗ると尻がひどいことになるよ」
さとすシグナムの言葉にも、ルゥは耳をかさない。
そこでジャンヌが不敵に笑う。
「ふっ。安心なさい、ルゥ。ダレス馬操術を極めたわたしが一緒に乗るからには、お尻の心配はございませんわ」
ダレス神の名が出た瞬間、ルゥ以外の全員がそこはかとない不安を感じた。
「ルゥ、やめといたほうがいいと思うよ」
アルフラの言葉にフレインも頷く。
「ええ、絶対にやめた方がよいと思います」
「確実に尻だけじゃ済まないぞ」
基本的に人の話を聞かないジャンヌは、仲間達の心ない言葉も気にせず、乗馬の準備に余念がない。
長い神官服の裾を太ももの辺りまでまくり上げ、脚の間を通して右ももの脇でキュッと縛る。そしてひらりと小馬の上へ飛び乗った。
周りの騎士達は、神官服からすらりと伸びたジャンヌの白い太ももに、どぎまぎとしていた。
中身はともかく、外見だけで言えば、ジャンヌはなかなかの美少女だ。女っ気のない兵役(へいえき)暮らしの男達にとっては、ちょっとしたご褒美である。
「さぁ、ルゥ。おいでなさい」
馬上から差し延べられたジャンヌの手を、ルゥが掴む。
ぴょいっと飛び上がった狼少女が、小馬にまたがった瞬間――凄まじいいななきと共に小馬が竿立ちとなった。
肩と臀部をめちゃくちゃに跳ねさせながら、小馬はその場から駆けだす。
「ひあぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ――――――――――――」
ジャンヌの悲鳴が長く尾をひき、すごい勢いで遠ざかっていった。
突然のことに騎士達も呆然としてしまい、小さくなっていく馬影(ばえい)をただただ見送っていた。
「…………あー、なんていうか……」
シグナムがため息混じりにつぶやく。
「ご丁寧なまでに予想通りだったな」
「……あっ、いえ。そんな落ち着いている場合では――」
はっ、と我に返ったウェブリー士爵が焦ったように言う。
「このままですとあの娘達、大怪我をしかねませんよ!?」
「大丈夫だよ。怪我してもすぐ治っちまうのと、怪我でもして少しは大人しくなってくれるとありがたい奴だから」
「そ、そうですか……」
「ごたごたしちまってすまないね。とりあえず案内を頼むよ」
気を取り直したウェブリー士爵が軽く手を掲げ、騎士達へ指示を出す。
「では、ご案内を。くれぐれも粗相のないようにな」
「かしこまりました!」
シグナムがウェブリー士爵の肩をぽんっ、と叩く。
「世話になったね。戦いが始まれば、また顔を合わせることもあるかもしれない。その時はよろしくな」
「ええ、是非とも貴殿とは、戦場で肩を並べて剣を振るってみたいものですな」
ウェブリー士爵と穏やかな笑みを交え、シグナムは馬車へと乗り込んだ。
◆◆◆◆
しばらく馬車に揺られていると、街道脇にぐったりと寝そべる小馬が見えてきた。そしてその傍らには小娘が二人――
「うぅ……ぐすっ……」
――半泣きだった。
ルゥとジャンヌは、両手を太ももの間にはさみ、内股でぷるぷるしている。
「だから言ったろ」
シグナムが扉を開き、ルゥを手招く。
「ほら、早く乗りな」
「おまた、いたい……」
どうやら歩けないらしいルゥを、シグナムが担いで馬車へと運ぶ。
「お尻も……いたくて座れない……」
「シグナムさま、わたしもお尻が……」
助けを求めるジャンヌへ、シグナムは若干うんざりとした顔をする。
「まったく……お前の面の皮と尻の皮は、別の素材で出来てるのか?」
暗に、分厚い面の皮ほど尻の方は丈夫ではないのだな、と言われているのだが……厚顔無恥さを指摘したシグナムの皮肉がよく分からず、ジャンヌは泣きながら答える。
「た、たぶんどちらも修練不足のようです」