「よっ! はっ! ほっ!」
四十七層のフィールドにおいて、現在キリトは 絶賛無双中であった。
防具等は前線装備とは言えないが、武器自体は良い物を使っている。二刀流でない物の、それでもキリトのレベルを考えれば、この程度のフィールドは余裕であった。
エンカウントする不気味な草や花型モンスターをバッサバッサと切り捨てている。ほとんど一撃で倒すその姿に、シリカもグリセルダも唖然としている。
唯一アスナだけは二人の様子を眺めながら、苦笑いをしている。
「キ、キリトさんってすごく強いんですね」
四十七層のモンスターをものともせずにあっさりと倒していくキリトに、シリカは驚きの表情とともにアスナに告げる。
「うーん。キリト君の場合はほとんど病気だからね。あっ、次は群れで来た」
次は五匹ほどのモンスターが団体でやってきた。
しかし数秒後には、キリトによって完全に殲滅されていた。
「強いって思ってたあけど、まさかここまでなんて……」
グリセルダもシリカと同じように驚きを隠せないでいた。
いくら安全マージンを十分にとっていても、ほとんど一撃でフィールドモンスターを蹴散らすなど、普通なら無理だ。
ここは最前線に近い前線だ。攻略されて時間のたった低層ならともかく、ここでこれほどまでの無双を行えるプレイヤーなど、攻略組以外に考えられない。
グリセルダはじっとキリトを見ながら、何かを考え、そしてハッとなる。
「ねえ、アスナさん。彼、キリト君って、言ったわよね?」
何かを確かめるように、グリセルダはアスナに尋ねる。その意図にアスナは当然気づく。
「はい。でも心配いりません。キリト君はキリト君です。それ以上でもそれ以下でもありません」
まっすぐにグリセルダを見るアスナに、彼女も何も言わず見つめ返す。シリカだけは、その意図に気が付いていないのか、不思議そうな顔をしている。
「………そう。わかったわ。ごめんなさい、変なこと聞いて」
「いえ、構いません」
この話題に関しては、ここまでとグリセルダは切り上げる。アスナは内心でほっとした。キリトのビーターと言う悪名は大きい。
たまたまリズもシリカも気付かなかったが、グリセルダは名前とキリトの強さでその正体に気が付いた。
おそらくは今、グリセルダは様々なことを考えているだろう。
何故キリトがここにいるのか。アスナとコンビを組んでいるのかなどなど、疑問は尽きないはずだ。
仮に自分がグリセルダの立場でも、同じ風に考えてしまうだろう。
「……キリト君、本当はすごく優しいんです」
だからだろう。独白にも似た言葉が漏れる。
「優しいから、無理して全部自分一人で抱え込んで、そのくせ悪いことは全部自分のせいにして」
この世界でもう一度やり直す時も、再会した時も、キリトは一人で孤独に戦っていた。もっと違うやり方はあったはずだ。
わざわざ、自分からビーターを名乗らずとも、名乗ったとしても、みんなと協力し、協調していけば、孤独になどならずには済んだはずだ。
だがキリトはあえて自らを追い込んだ。自分の罪であるかのように、罰であるかのように。
「ずっとみんなのために頑張ってきて、今もシリカちゃんのために頑張ってます」
戦闘に関しては病気と言うか趣味と言うか、本人が好きでやっているけど、とアスナは苦笑しながら言う。
無双をするキリトはどこか生き生きとしている。ゲーマーとしては、難易度の低すぎるゲームはつまらないだろうが、たまには無双したい時もある。今のキリトがまさにそれであろう。息抜きの意味も当然あるだろうが。
「そんなキリト君だから、私は支えてあげたい。一緒にいてあげたい……。あっ、ちょっと違うかな。私がずっと一緒にいたいって言うのが正しいです」
「好きなのね、彼の事」
「はい。この世界の誰よりも、キリト君の事が好きです。私がナーヴギアをかぶったのは、この世界に来たのは、キリト君に会うためだったんだなって思くらいに」
表情を和らげながら問いかけるグリセルダに、アスナも満面の笑みを浮かべながら答える。
同じ女同士、さらには好きな男がいる人間であるため、お互いの気持ちがよくわかったのだろう。
しかしアスナとしては複雑であった。グリムロックの件をどうすればいいのか、今の彼女ではいい案が浮かばない。キリトと相談したいところではあるが、グリセルダがいる場所では、あまり話せる内容ではない。
「そう。素敵な人なのね、彼」
「はい!」
まるで我がことのように語るアスナにグリセルダも優しい笑みを浮かべる。
と、いつの間にかモンスターを撃破したキリトが三人の所に戻ってきた。
「お疲れ、キリト君」
「ん。まあこのくらいは、な」
キリトとしてもまったく疲れていない。そもそも現在のレベルが八十を超えているのだ。前線の四十七層と言っても、キリトにとってみれば本当にお遊びでしかない。
それはアスナにも言えることだが。
どこかほくほく顔のキリト。ストレスの発散にもなったのだろう。
「変わろうか?」
「いや、いいよ別に。疲れてもないし。このまま一気に行こう」
どこか楽しそうなキリトにアスナはホッとする。どうやらリズに言われたことをあまり引きずってはいないようだ。
四人は全く問題なままフィールドを進む。
「ねぇ、そう言えばキリト君はどうして今回、シリカちゃんの事を手助けしようと思ったの?」
不意に、グリセルダがそんなことを尋ねた。彼女としてはシリカとアスナが知り合いであることは聞かされたし、そのアスナとコンビを組んでいるキリトが彼女の友人を助けるのも理解できるが、一応理由を聞いておきたかった。
先ほどのアスナの言葉で彼が良い人であることは分かった。
「あっ、それは私も聞きたいかな」
アスナもグリセルダの言葉に乗り、キリトに尋ねる。アスナの場合は、前回もシリカを助けたと言うこともあり、素朴に疑問に思ったのだ。
「困ってる人を見捨てられないから、とか?」
悪戯っぽく聞くグリセルダに、シリカも興味津々な顔をしている。
しかしその言葉にキリトは何とも言えない顔をした。
キリトとしては自分がそこまでお人よしであるとは思っていない。確かにビーターとして名乗りを上げた後、様々な情報やアイテムをほかのプレイヤーに流しているが、別段それは善意などではない。
ただ茅場晶彦の思惑通りになるのが嫌だったから、前回と同じ展開になるのが許せなかったからに過ぎない。
誰かのために、困っている人のためになんて言葉は使えなかった。もし困っている人間を見捨てられないような高尚な人間ならば、最初の時、クラインをはじめ、一般プレイヤーを置き去りにして、一人でレベル上げをしようなどしなかったはずだ。
そんなキリトの心情を察したのか、それとも不味いことを聞いたと思ったのか、グリセルダは慌てて、自らの言葉を謝罪する。
「ごめんなさい。少し嫌なことを聞いたかしら?」
グリセルダとしては、話題を広げようとして話したことだったのだが、逆にそれがキリトに嫌な思いをさせたと感じた。
「あっ、いや、そんなことはないかな。たださっきみたいに困ってる人のためって言うほど、高尚な理由じゃない。アスナの知り合いって言う理由はあるけど……」
「ごめんね、キリト君。その、言いたくないならいいよ、別に」
と、ガシガシと髪をかく。あまり言いたくなさそうなキリトの姿にアスナも同じように謝罪する。
「あっ、違うって。別に気分を害したわけでもやましい理由って言うわけでもないんだけど……」
なおも言いにくそうなキリトに三人は不思議そうな顔をする。
「ああ、もう。なんか雰囲気暗くなったから言うけど、絶対に笑うなよ?」
と、前置きしながら、キリトは少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。
その後も絶対に、絶対だからな、と前置きする。
「その、シリカが……妹に似てたから」
キリトの言葉にシリカは思わず吹き出し、慌てて口元を手で覆った。アスナもグリセルダもほんの少しだけ笑った。
「わ、笑うなって言ったのに! だから言うのが嫌だったんだよ」
前回もシリカに笑われたし、マンガじゃないんだから、こんな理由ないよなとかぶつぶつと呟く。
でもアスナもグリセルダさんも笑わなくてもいいのに、と恨めしそうに呟く。
「ごめんごめん、キリト君。機嫌直して」
「いいよ、別に。どうせ笑われるって思ってたし」
どこか拗ねた口調のキリトにアスナは腕をからめ、どこか楽しそうに謝罪する。
「本当にいい子みたいね。それにしても仲がいいわね、二人とも」
「そうですね。キリトさんの妹に似てるのか……。なんだかうれしいです」
「あら? お兄ちゃんが欲しくなった? でも彼女、手ごわそうよ」
シリカの言葉に冗談めかしながら、グリセルダが言うとシリカもうぅーと嘆く。
「その、アスナさん、すごく美人で強いですから。それになんだかお似合いって言うか」
二人の前を歩くキリトとアスナの姿はどこか自然だった。まるで長年連れ添った夫婦のように。
「シリカちゃんにもきっといい人が見つかるわよ」
「……はい!」
グリセルダの言葉にシリカは同意し、キリトに謝るべく、歩みを進め前を歩く二人に合流する。
その姿はどこか仲のいい、兄妹、姉妹のようにグリセルダは見えた。
そしてその後、無事に彼らはプネウマの花を入手することに成功した。
「これでピナを生き返らせることができるんですね」
「ああ、心アイテムにその花の中に溜まっている雫を振り掛ければいい。でもここはモンスターもまだ出るし、街に戻ってからの方がいい」
「転移結晶を使う? その方が早いけど?」
「……いや、別に帰るだけなら危険はそうないから、逆にもったいない。またモンスターは俺が引き受けるから」
「むぅ。少しは私も手伝うのに……」
アスナとしてはキリトにばかり負担を懸けさせたくないと言う思いからだったが、逆にキリトはそれをやんわりと断る。
「アスナは二人の護衛をしててくれればいいよ。それにこう言うのは男の仕事」
「男の仕事も何もないような気がするけど……。結構楽しんでるでしょ?」
「あっ、バレた?」
アスナの言葉にキリトは苦笑する。最近はレベル上げばかりで、こう言うちょっとした息抜きができなかった。
たまには何も考えず無双したいと思うのは、ゲーマーであり男であるならば当然である。アスナもそれがわかっているだけにあまり強くは言えないが、自分も少しはやってみたいと思う。どうにもずいぶんとアスナ自身もゲームに毒されているようだ。
あとキリトとしてはもう一つだけ理由があった。それは前回のシリカの惨事だ。別に命の危険はなかったが、少しエッチな攻撃を受けていた。
アスナがあんな目に合うとは思えないが、それでも心配である。美少女が触手にさらされたり、唾液をかけられるなど見たいようで見たくない。
いや、男としてみたいと言う気持ちが決してないわけではないが、それでもアスナをそんな目にあわすことはできない。
「だからアスナは休んでてくれ」
「もう、仕方がないな」
アスナも諦め気味に言うと、四人は来た道をまっすぐ戻る。その間は、たわいもない談笑を続けるが、街に近づくとキリトの歩みが止まった。
「キリト君?」
アスナも不思議そうな顔をする。だがキリトの表情は険しい。ただ事ではないと感じたのだろう。アスナもグリセルダも表情を引き締める。
「そこにいる奴ら。隠れてないで出てこいよ」
キリトが低く声を発する。数秒後、周囲からぞろぞろと十人以上のプレイヤーが姿を現した。
その先頭には細身の十字槍を携えた女性プレイヤーがいる。
「へぇ。アタシのハイディングを見破るなんてね。と言うか、こいつらのせいかね」
「姐さん、それは酷いですぜ。俺らと姐さんじゃ、全然熟練度が違うんですから」
女性プレーヤー・ロザリアの言葉に、ほかのプレイヤーが反論する。
「まあどうでもいいよ。じゃあさっそくだけど、あんたらのゲットしたレアアイテムを置いていきな」
いきなりの言葉にシリカは表情をこわばらせる。目の前の女性は一体何を言っているのだろうか。
「オレンジギルド・タイタンズハンド。そのリーダーのロザリアさんか」
キリトが発した言葉にロザリアを含め、全員が驚きの表情を浮かべた。
「……さあ、何のことだい?」
「とぼけても無駄だ。あんたがオレンジギルドの所属ってのは調べがついてる。そして後ろの連中も」
「えっ、でもここにいるのは全員グリーンカーソルですよ!?」
シリカの言うとおり、ロザリアのカーソルはグリーンだった。ロザリアだけではない。ほかの全員もグリーンだ。
「オレンジギルドと言っても全員が犯罪者カラーってわけじゃない。グリーンメンバーが街で獲物を見繕い、パーティーに紛れて待ち伏せポイントに誘導する。ほかにも情報収集や物品の売買や入手で街に入る必要があるから、大半のオレンジギルドはグリーンを半数近く残してる。それに今はカルマ回復イベントの情報も出回っているから、グリーンに戻るのも面倒だけど、不可能じゃない」
それにと、キリトは付け加える。
「タイタンズハンドの構成員数はそれなりに多い。俺が聞いた話じゃ、三十人以上らしい」
すらすらと語るキリト。情報源はもちろんアルゴだ。キリトは前もって、アルゴにメッセージを飛ばし、タイタンズハンドの情報を得ていた。
前の記憶では十人前後のギルドだったが、この世界では三倍以上にも膨れ上がっていた。
理由はラフィンコフィンの壊滅と軍の巨大化故だ。
ラフィンコフィンの壊滅で、彼らに追随しようとしたプレイヤーが行き場を無くした。さらに軍の治安維持部隊の影響で、少数の犯罪者はことごとく取りしまわれた。
ゆえに犯罪者グループはまとまり大きくなる必要があった。それでもギルドとして表に出続けるわけにはいかない。オレンジカーソルならば、即座に軍に取りしまわれる。
だからこそ、今の犯罪者ギルドは何とかカーソルをグリーンに戻そうとカルマ回復イベントを繰り返す。
そのままおとなしくしていれば良いようなものだが、一度堕落し道を踏み外した人間と言うのは、中々正道に戻ることはできない。
圧倒的な力で他者を虐げる楽しみを知ってしまったからだ。
「主な犯罪はレアアイテムの強奪と他プレイヤーへの襲撃。噂ではMPKまで仕掛けてるって話だ」
アスナはその言葉にハッとする。MPK、と言うことは先日の一件も。グリセルダもそれに気が付いたのか、さらにきつくロザリアを睨みつける。
「……この間の三十五層でグリセルダさん達のパーティーをMPKしたのは、あんたたちだろ?」
キリトの言葉にロザリアを含め、誰も何も言わない。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるだけだ。
当然、彼らは肯定などしない。当たり前だ。誰が自分の犯罪を告白すると言うのだ。代わりに否定もしない。しかし沈黙は時として雄弁に物事を語る。
「前線のこのエリアに来るにはオレンジじゃ普通に上ってくるか回廊結晶を使う位しか方法はない。でもグリーンなら、普通に来ることができる。だからこそ、このメンバーか」
タイタンズハンドでもグリーンのメンバーで、それなりにレベルが高いメンバーをそろえてきたらしい。
確かに数と言うのは力だ。四対十五では確かに向こうが有利。シリカの事を考えれば、実質三人で相手をしなければならない。
「いい手だな。そっちは全員グリーンだから、こっちから下手に手を出せない。麻痺毒を使えばさらにやりやすいだろうな」
「へぇ、そこまで分かってるんだったら話は早いね。大人しくしな。あと、転移結晶を使うんじゃないよ。逃げてもいいけど、その場合、あたしらがどこまでもあんたらを追っていくから」
ロザリアの言葉にシリカは小さな悲鳴を上げる。嫌なやり方である。確かに軍の庇護下にあるシリカや、中層プレイヤーの中では上位クラスのグリセルダにタイタンズハンドが手を出すことは難しいが、決して不可能ではない。
それに彼らにはまだ仲間がいる。この場を切り抜けたところで、その仲間が襲ってこないと言う保証はない。
現実世界において、やくざなどがよく使う手ではある。この世界で軍が機能しているとはいえ、人を完全に守りきるのは難しい。それにタイタンズハンドの構成員も全員を把握しきれていないのだ。
だがそんな中、キリトは一人、ゆっくりと前に出る。その手には片手剣が握られている。
「あっ? 一番弱そうな奴から出てきたね」
嘲笑うようにロザリアが言うと、周りの連中もつられて笑う。
しかしキリトの顔は、目は笑っていない。先ほどまでの表情が消え、どこか怒気をはらんでいる。
さらに彼はカーソルを操作する。直後、彼の装備が変化する。彼の上着が消失し、代わりに漆黒のロングコートがその身を包み込む。そしてオプションである眼鏡も外す。
さらにもう一度カーソルを操作。今度は逆の手に剣がもう一本握られた。
その変化にロザリア達は戸惑うが、すぐに気を引き締めなおす。
「ビビるんじゃないよ! ただ剣を二本持って服が変化しただけじゃないか! 麻痺毒のナイフでやっちまいな!」
剣を二本持つことは可能でも、それではソードスキルもまともに使えない。ただのはったりだとロザリアは叫ぶ。
「それにこっちはグリーンだ! 相手の方からは絶対に手は出せないよ!」
ロザリアの言葉に仲間の数人がキリトに襲い掛かる。それにはさすがのグリセルダも動こうとしたが、手でアスナが制する。
「アスナさん!?」
「大丈夫ですよ」
アスナも表情を硬くしているが、まったく焦ってはいなかった。
「キリトさん!」
シリカが叫んだ。彼女はキリトがやられる未来を想像したのだろう。
三人の男がキリトに襲い掛かる。仕留められる。男達はそう考えた。
しかし彼らの攻撃は当らない。逆にキリトは剣を振るい、相手の毒ナイフに攻撃を当てる。一人の武器が粉々に破壊された。
『武器破壊(アームブラスト)』
キリトが取得したシステム外スキル。対人戦用にさらに磨きをかけたスキルである。
いかにプレイヤーとて体術スキルを取得していなければ、武器がない状態では何もできない。武器の数も限られている。
ゆえに武器破壊。本来なら、ここで全員ライフを削ってもいいが、アスナやシリカ、グリセルダの見ている前でするのは気が引ける。
回廊結晶でもあればよかったが、あいにくとあれは未だに入手できていない。だからこそ、キリトのやり方は限られてくる。
目標は相手の持つ武器。今のキリトは強すぎる。オレンジ相手でも直接攻撃しようものなら、一気にライフを削ってしまう。
特に相手が中層プレイヤーなら一撃でもまともに入れば、おそらくは殺してしまう。
できる限り、キリトは殺しをしたくない。アスナのいない時ならばともかく、彼女の悲しむ顔を見たくはなかった。
だからこそ相手を無力化する方法はこれしかない。
何が起こったのか、ロザリアを含め全員が理解できなかった。突然の黒い疾風を思わせる攻撃。
次々に破壊されていく武器。破壊できなかった物は、例外なく弾き飛ばされていく。タイタンズハンドの全員が動けなかった。
全員の武器が破壊、あるいは弾き飛ばされた後、キリトはタイタンズハンドを睨みつける。
「これで終わりか?」
その言葉に全員が我に返る。
「お、おい。さっきあいつキリトとか言わなかったか?」
「それに黒い服って、まさかあのビーターの黒の剣士!?」
一人がシリカが呼んだ名前を思い出し口に出すと、それは瞬く間にタイタンズハンドに広がっていく。
「う、うそだろ!? なんでそんな奴がこんなところにいるんだよ!?」
ビーター・黒の剣士の悪名はオレンジギルドの方にこそ、影響力が強い。ラフィンコフィンの殲滅の噂もあり、オレンジギルドの間ではその名と存在は危険視されていた。
「は、はったりだ! ただ真似てるだけだ! 名前を偽っているだけだ!」
「で、でもさっきの動きと言い、こっちの武器を破壊するなんて普通の奴ができるはずがない!」
動揺が走る。ロザリアもその言葉にわなわなと震えている。
「……久しぶりに聞くな、その名も。ああ、そうだ。俺がビーター・黒の剣士キリトだ。で、それがわかったんなら、俺がこれからすることもわかってるだろ?」
二本の剣をゆっくりと構えながら、キリトはどすの利いた声で告げる。
全員が蒼白となる。二刀流にまで頭が回っていない。なんでキリトがこんなところにいるかなんてどうでもいい。ただ自分達の未来が見えてしまっていた。
すなわち……。
「う、うわぁぁぁっ!!!」
一人が叫びとともに逃げ出した。それに伴い仲間たちも我先にと逃げ始めた。
「お、おい! お前たち!?」
ロザリアは逃げ出した仲間達を引き留めようとするが、誰もロザリアの言葉など聞いていない。
ロザリア自身、このままではまずいと思い転移結晶を使い逃げようとするが、キリトはそれを許さなかった。
「!?」
気が付いた時には、キリトはすでに彼女の目の前にいた。片方の剣を放し、ロザリアの左手をつかむ。逃げられなくするため、転移結晶を使わせないためでもある。
「ひっ!?」
キリトの顔を見る。ビーターと認識した後のキリトに対して、ロザリアは恐怖を抱く。また今のキリトの表情は明らかに怒りをはらんでいた。
首筋に近づけられる剣。殺されると、ロザリアは思った。
噂に聞くビーター・黒の剣士ならば躊躇なく自分を殺すであろう。
「このまますぐに殺してもいいが、聞きたいことがある。正直に答えろ。さもないと……」
蛇に睨まれたとはまさにこのことだろうか。彼の目が語る。こいつは本当にほかのプレイヤーを殺している。なぜか、そう確信できる。
だからロザリアは懇願することしかできない。
「お、お願いだよ。こ、殺さないで……」
「俺の質問に正直に答えればな。まずは……」
キリトは次々にロザリアに質問をする。彼女たちの拠点、メンバーの数、名前など。
そしてMPKの件に関して。
あらかたの情報を聞き終えたキリトは、ロザリアを解放する。彼女の方は恐怖で放心しているようで、逃げ出そうともしない。
キリトは即座に聞き出した情報をメッセージとして送信する。あて先は軍。
彼は以前から、軍のシンカーと少ないながらも連絡を取り合っていた。オレンジの情報や危険な迷宮区の情報をアルゴ以外にも渡して、広く知らしめるようにしていた。
特に結晶無効化エリアの情報は、早く、そして多くのプレイヤーに伝える必要があった。
軍もその手の事に関しては、それなりに早く行動してくれた。
もしシンカーが現実世界でMMOトゥデイと言うサイトの管理人をしておらず、情報を独占するような相手ならば、キリトも情報を回したりはしない。
しかし今のところ、シンカーはその理念通り、情報を大々的に広めてくれている。今回のオレンジギルドの件も伝えれば、裏付け情報を取った後にでも彼らを捕縛するだろう。
メンバーの名前も割れているし、リーダーであるロザリアの身柄は確保した。幹部クラスの情報もあるので、仮に逃げたところで、これまでどおりにギルド活動を続けることは不可能だろう。
不意にキリトはアスナ達の方を見る。
グリセルダとシリカは呆然としている。それも当然かもしれない。自分の正体を知ったのだ。
一般プレイヤーにもビーター・黒の剣士の名は知れている。リズとシリカは気づかなかったが、知らないと言うことはありえないのだ。
チクリと胸が痛んだ気がした。
別に誰かに疎まれるのも、恐怖されるのも、嫌悪されるのも慣れているはずだ。そうなるように仕向けていたから。
自分はアスナと一緒になって、弱くなったのだろうか。
戦闘力と言う意味ではレベルや二刀流のおかげで強くなったと言える。だが心は?
分からない。もしかすれば弱くなっているかもしれない。
(ダメだな、俺。アスナが居てくれるって言うのに……)
シリカには怖がられただろう。それも仕方がない。
もうこのパーティーはこれで終わり。元々シリカともピナを生き返らせるためだけに一緒に行動を共にしただけ。報酬もなければ、見返りも求めていない。
だから、もう行こう。
もう一つ、しなければならないことができたから。
キリトはロザリアに転移結晶を使用させるように促す。すでにシンカーからメッセージも返ってきた。指定の街に転移させてもらえば、こちらで身柄を拘束すると。
「結晶を使って、今から指定するところへ行け。逃げようと思うな。逃げれば俺がどこまでも追っていく。ビーターの俺から逃げられると思うな? まあ逃げたいなら止めないが、逃げたら……次は殺す」
コクリコクリとロザリアは頷くしかできない。震える手で結晶をつかみ、キリトに指定された行先を告げる。
光に包まれ、彼女はこの場から姿を消した。
それを確認すると、キリトは一人歩き出す。もう一つの事件を終わらせるために。
どこか、悲しそうな背中とともに。
「あ、アスナさん。キリトさんって……」
信じられないと言う顔をするシリカに、アスナはコクリと頷く。
「そうだよ。でも噂みたいな人じゃない」
シリカは聞いた噂と今まで見ていたキリトを思い返し、見比べる。
優しいキリトと先ほどの怖いキリトが浮かぶ。どっちが本当のキリトなのか、シリカにはわからない。
「どっちもキリト君だよ。でもわかってあげて。キリト君は無意味に人を傷つけたりしない。今だってそう。だからお願い。キリト君を怖がらないで。キリト君を嫌わないであげて」
まるで懇願するかのように言うアスナ。
我がことのように、アスナはシリカに告げる。
彼女はキリトが傷つくのが嫌だった。つらい思いをするのが嫌だった。
特に仲良くなった相手に拒絶されるのは。
それは彼から聞いた過去。
かつて一度だけ所属し、そして彼を残して全滅したギルドの話。
皆を守れず、最後に拒絶の言葉を放たれたキリト。その時の衝撃は計り知れない。
もし自分が同じ立場だったなら……。
「………私、キリトさんの事、嫌いになったりしません」
「シリカちゃん?」
「私、さっきは少しだけ怖かったです。でもキリトさんがああしてくれなかったら、私達、今頃どうなってたのかわかりませんよね?」
「……うん」
「それにキリトさんは、ピナを生き返らせるために力を貸してくれました。そんなキリトさんを私は絶対に嫌いになったりしません!」
まっすぐにアスナを見つめながら言うシリカに、アスナはありがとうと返す。
「じゃあ少しキリトさんと話をしてきますね!」
そう告げると、離れていくキリトに追いつこうとシリカは走って行った。その後ろ姿を見て、アスナはどこかほっとした。
「やっぱり彼があのキリト君だったのね」
「はい、グリセルダさん」
「でも噂って当てにならないわね。彼、とってもいい子なのに」
その言葉にアスナも苦笑する。
「キリト君ですから」
「あなたも大変よ。彼の隣にいるのは」
「覚悟の上です。だから私はここにいるんです。キリト君の隣にいて彼を支えます。彼の背負っている物を、少しでも一緒に背負うって決めましたから」
「そう。あなたも彼も強いのね」
「違いますよ。キリト君がいてくれるから。彼がいるから強くなろうとがんばってるだけです」
そう言ったアスナの顔は、今まで以上に美しかった。
アスナは思う。
絶対にキリトを守ると。彼の隣で、支え続ける。
それが自分の使命。自分にしかできないこと。
戻ってきた意味。キリトと一緒にいる意味。
だからもう一度心に誓う。
何があっても、彼とともにあると……。