気がつくと、目の前に「ゼロの使い魔」のルイズがいた。
現状を簡潔に表すと、こうなる。ちなみに冗談じゃない。「本当」と書いて「マジ」だ。アニメなんとかだったか、とにかくそんなタイトルのアニメ情報雑誌の表紙を飾っていた物語の人物が、そのままの姿で俺の目の前に立っていた。
ちなみにアニメは観ていない。原作は一巻だけ読んでつまらなかったからそれきりだ。
「あんた、誰?」
彼女の問いかけを無視して慌てて辺りを見渡す。空も、山も、大地も、少し離れた場所にいるマント姿のガキどもも、セル画をそのまま持ってきたように酷く作り物めいている。
自分の手や服を見る。見慣れた「人間」のものじゃない、アニメのようなのっぺりとした質感のそれだ。それでも身体を動かすときの感触は、二十一年間生きてきてずっと慣れ親しんだもの。
三次元の筈なのに限りなく二次元に近い、と言えばいいんだろうか?
なん、だ……これ?
一体どういうことなんだ?
俺はどうしちまったんだ?
呆然としたまま、とりあえず手元の生えている草を千切って口に運んでみる。
なんとも言えない苦味に青臭さ、思わず吐き出した。夢にしてはあまりにもリアルな感覚だ。
じゃあこの状況は現実なのか?
そんな馬鹿な。
鼻で笑って否定しようとして思い出す。キャンパス内を歩いていると突如眼前に鏡のようなものが出現したこと。それが「現実」にいた時の最後の記憶だということ。そして、それがまさに原作で才人が召喚された場面と同じだということを。
ならばこれは……。
「嘘、だろ……?」
「ちょっとあんた。なにひとりでブツブツ言ってるのよ?」
シャレにもならない結果を導き出した思考を中断させたのは、苛立った声色のルイズだ。
俺は努めて冷静さを保ちながら、起き上がって彼女に話しかけた。
それでも、発せられた声は震えていた。
「なあ、ここは、どこだ? どうして俺は、ここにいるんだ?」
「言葉使いがなってないわね、『どこですか』でしょ? 私は貴族で、しかもこれからは不満だけどあんたのご主人様になるんだからね!」
焦燥感。胸の内が少しずつ黒く染まっていく。たらいの水に墨汁を一滴ずつ垂らしていくように。
そして、それは自分では止められない。
「いや、そんなのはどうでもいいんだ。とにかく質問に答えて……」
「質問したいのはこっちのほうよ! なんであんたみたいな平民が私の使い魔なわけ!?」
なんで俺が文句を言われないといけない? 俺はなにもしていないのに。
「これはもしかしてアレか? 新しい体感型ゲームなのか? よくネット小説であるネットダイブ系の」
「なに言ってんのか分からないけど、とりあえずしゃがみなさいよ。これじゃ『コントラクト・サーヴァント』が出来ないじゃない!」
強く食い縛りすぎたせいで歯がギリッと鳴った。口だけじゃない。全身に力がこもっている。そうしていないと暴れだしてしまいそうだ。
それでも、ここで取り乱すと全てを認めてしまうような気がして必死になって自分を抑える。
「あのさ、減るもんじゃないんだから……」
「ああもう、うるさいわね! さっさとしゃがみなさい、よっ!!」
声と共に振り上げられたのは右足だ。それは無防備だった俺の両足の付け根を見事に蹴り上げた。
「かっ! ……っ……は、あぁっ……!」
無様な程あっけなく、俺は地面に崩れ落ちた。
呼吸が出来ない。身体にも力が入らず、俺はただ呻き声を出すことしかかなわなかった。
頭の上でルイズがなにか言っている。そして俺の額に杖を置くと、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「や、めっ……っ!」
言葉は最後までカタチにならず、唇同士が触れ合う。
これ以上ないくらい最悪のシチュエーションで知る感触と熱。思わず首を捻ってそれから逃れる。
その数秒後だった。身体を熱が襲ったのは。
「がっ……ーーーっ!!?」
骨折した患部がもつ嫌なそれを何倍にもして全身に飛び火させたような感覚、と言えばいいだろうか? 確実に言えるのは、これに耐えられる奴はおかしいということだけだ。
実際に感じていたのは数秒間だったんだろうが、俺には何十分にも思えた地獄の感覚。それが収まった時、俺は息も絶え絶えといったような状態だった。
荒く息をしながら恐る恐る左手を見る。
そこには、不思議な文様が蛇のように踊っていた。
愕然とする。もう認めるしかなかった。
俺は、「ゼロの使い魔」の世界に召喚されたんだ。
「さっさと起きなさい。行くわよ」
ルイズが言う。その酷く見下したイントネーションの声に、忘れかけていた感情に再度火がつく。種火が猛火になるのは一瞬で十分だった。
止められない。もう止められない。止めたくない。
そう理解して、俺は心の中で泣きながら笑っていた。
嵐の前の静けさ。
そんな格言を表すかのように音も立てずに起き上がる。そして他のガキどもの方へ歩いているルイズの肩に手をかける。
「なによ?」
不遜な態度でルイズは振り向く。
そんなガキの面に、
俺は手加減抜きに拳を叩き付けた。
「ぶっ!?」
まともに食らい仰け反り倒れようとするルイズ。だが俺はそれを許さない。桃色の髪を掴み引き寄せ、今度は膝蹴りを顎に叩き込む。
「がっ、う!?」
白い歯が幾つか地面に落ちた。それを踏み躙り、次は腹につま先をめり込ませた。
「っ! おええぇっ!!」
軟らかい腹筋を蹂躙し胃にまで達したダメージは、嘔吐という当然の結果を招く。
「き、君! なにをしているのかねっ!!」
「放せ! 放せよこのハゲ!!」
突然の俺の行動に呆気にとられていたコルベールが正気に戻り羽交い絞めをして止めるのを、俺は渾身の力でもがき抜け出そうとする。
俺はもう完全にキレていた。
許せなかった。
ひとを拉致しておきながら少しも悪いとも思わず、それどころか罵倒し、使い魔のルーンなんて烙印を刻んだこのガキが。憎しみが胸の奥からどんどんどんどん湧き出てくる。殺しても殺したりないとはまさにこの事だ。
「ぐ……あ、あんひゃ! わらひをられらと……!!」
「黙ってろクソガキが!!」
ふらふらと起き上がり射殺さんばかりに睨みつけてくるルイズの顎を更に蹴り上げる。そして振り上げたその足を戻しざまにコルベールの脛を踵で痛打した。
「ぐうっ!?」
両腕の拘束が緩んだ隙を逃さず、俺は学園とは反対の方向に全力で走り出した。忘れずにバッグを拾ってきたのは自分でも驚きだった。
もういやだ。
なにがライトノベルの世界だ!
ふざけるな!
早く帰ろう!
今日中にレポートを提出しないと実験の単位を落としちまう。
親の金で学校行かしてもらってるのに、それじゃあ面目ない。
だがその逃走もすぐに終わりを告げた。2メートル以上もある炎の壁が突然目の前に現れたからだ。
「熱っ、くそっ!」
慌てて足を止め右と左、どっちに行くか迷った、それがいけなかった。
後頭部にはしる衝撃。途端に遠のいていく意識。
なんとか振り向くと、そこには杖を振りぬいた体勢のコルベールの姿があった。
そこで、俺の意識は途絶えた。