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No.34730の一覧
[0] 【短編】水晶の町(ファンタジー)[烏口泣鳴](2012/08/20 23:26)
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[34730] 【短編】水晶の町(ファンタジー)
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:23aab98e
Date: 2012/08/20 23:26
 眼を覚ます事が出来るか死んでしまうかは半々だと考えていた。
 だから起きてまず、俺はまだ生きていたのかと思った。

 あくびをしながら辺りを見回すと、視界の動きに合わせて片っ端から辺りが水晶に侵食され、ここが自室だと思い出した時には、全て水晶に埋もれてしまった。四方八方に枝を伸ばす水晶は電灯の光を反射させてちらりらと瞬いている。それは美しいけれど、何だか別の世界に来てしまった様な居心地の悪さを感じた。昔深海に潜った時と同じ様な心地だった。暗く冷たい気分になった。

 俺は起き上がろうとしてとても体が動かしにくい事に気が付いて、難儀しながら自分の体を見てみるとごわごわと硬い防護服を着込んでいた。これでは体が動かしにくい筈だと、分かりきった事を納得しつつ、防護服から生え出した水晶を手で払い、枕元のペンライトを手に取ってベッドの上から降りる。すると足元から水晶を潰すじゃじゃりとした固く心地良い音が聞こえてくるので、楽しくなってしばらく水晶を踏みつぶして遊んでいる内に、妙に清々しい気分で、何か過去の、ずっと昔の事を思い出した様な気になったけれど、はっきりとどんな過去なのかは分からなかった。それが思い出せないと分かるとまた一層心が重たくなった気がした。

 水晶を踏み潰し終えて俺は壁際に立ち並ぶ本棚に近寄って本の背表紙達に張り付く水晶を払ってみた。本棚には本が敷き詰められている。だが水晶に情報を溶かし崩された所為でそれが何の本なのかは分からない。ただ綴じ合わせられた紙の束が詰まっていて、それぞれに何か虫に食われた様な模様が描かれている。

 今この部屋には、子供の頃に遊んだ記憶も父親から譲り受けた書斎の面影も二十年来慣れ親しんだ自室の残り香も全く無い。単なる水晶の詰まった倉庫だ。水晶に覆われた部屋は綺麗で、とても美しくて、均された生活も黴の生えた過去も感じさせない本当に透き通った、だからこそ居心地の悪い空間だった。自分が妙に黒々と汚れている気がした。

 情報を食らう水晶はもう町を覆っているだろうか。養殖場と定められたこの町は数万の人と共に水晶と化して、高効率のエネルギー資源として利用される。一握りで都市一つ分のエネルギーを一年間賄える水晶は、たった一つの町を犠牲にする事で全世界にエネルギー革命を起こす。きっともう水晶は全ての人と物を飲み込んでいる。その煌めく美しい町を見たい。だから俺はこの町に残った。水晶に覆われた町を見たかった。

 家の外に出ると、マンションの廊下も水晶に覆われていた。マンションの階段もまた同じ。マンションのエントランスも水晶で一杯。マンションの外に出ると町中を水晶が覆い尽くしていて、水晶の塔が幾つも立ち並んでいた。建物の輪郭から、空に大地にあるいは他の建物へ向かって伸びる水晶は月の光を幾重にも通していた。月の光の閉じ込められた水晶が頭上に溢れ、今日の夜をやけに明るくしていた。水晶に透かされて歪んで膨張した月が俺の視界を覆い尽くそうとしている様だった。あまりにも眼を奪われすぎて、水晶に足を滑らせて転んだ。転んで仰向けになって頭を打って空を見上げても、水晶に輝く美しい月夜が広がっている。

 起き上がって、さて何をしようかと考えた時、突然ペンライトが瞬いた。もうすぐエネルギーが切れそうだ。ペンライトの光が途切れた時に俺の体は水晶に包まれる。後一時間か二時間か。俺の体は水晶に包まれ、そうして何も考えられなくなって止まる。それは恐ろしい事なのだろうと思った。何だか手の先が既に冷たくなっている様な気がした。怖いのだと思う。怖い。確かに怖いのだが、何か諦めの加わった恐ろしさは、仄かな胸の高揚と共に、僅かではあるが死の先に希望を感じさせてくれる。

 道端に並ぶ水晶を覗きこむと、表面に無数の俺が映り込んだ。俺が顔をしかめると無数の俺も顔をしかめ、俺が笑顔を作ると無数の俺も笑顔になる。どうにかして水晶の中の俺が作れない様な表情を試そうとするが無数の俺はどんな顔にでも対応してみせた。俺がどんなに早く表情を変えようと無数の俺は全く同時に表情を変えた。しばらく続けたが無数の俺を越える事は出来なかった。そんな風に水晶を覗き込んでいる内にふと背後から気配を感じた。振り返ると誰も居なかった。

 水晶は脆い。張り出た水晶を強く押すとすぐに折れる。足元に敷かれた水晶の棘を踏めば軽妙な音と共に潰れてしまう。誰もこの物質の正式名称を知らない。知っている人が居たとしても知らない事になっている。町を覆っているのは水晶であり、水晶に覆われているから水晶の町だという事になっている。もうこの町には誰も居ない事になっていて、残された人々と一緒くたに水晶の中に沈められ、廃墟と化したこの町は、エネルギー革命の旗頭であり、革新と繁栄を象徴する美しい資源に変わるのだと信じられている。

 何処からか声が聞こえた。
 微かな声だった。風の音かと思える様な響きが何処からか聞こえてきた。もしかしたら本当に風の音かもしれない。何故ならこの町にはもう生きている人等居ないはずだから。

 俺は音の聞こえた水晶の塊の中に入った。水晶を折り砕き、踏み砕きながら歩くと、段差が幾重にも重なる一角があり、それを十幾段か上ると右へ曲がり、曲がるとそこにまた段差が折り返す様に上へと続いている。

 更に上ると右と左に分かれている。右はまたすぐに段差が折り返している。左には、狭くなった水晶の囲いが口を開けていて、その先に広い空間が見えた。広い空間に入ってみると、沢山の水晶が生え出ている。そしてその水晶の林の中に、人だったものが居た。

 人だったものは、眼鏡を掛けた青年の形をしていた。血の気の引いた肌以外は生前の姿そのままに、口から頬にかけて一筋の血がこびり付いていた。大きな水晶の柱に身を預ける様にして前のめりに倒れ掛かって、満足そうな顔だけをこちらに向けている。そのぼんやりとした眼を見た瞬間、自分もまたぼんやりと一つの物質になった気がした。

 青年の穏やかな表情を見るに恐らく自分の意志でこの場に残った者なのだろう。確か甲高い声の団体が美しく死のうと言ってこの町に残ろうとしていた。もしかしたらこの辺りの水晶の下には沢山の人だったものが埋まっているのかもしれない。もう水晶に覆われた為に意味を失って認識する事は出来ないが、見えないだけでその美しい死というのが水晶の下には埋まっているのかもしれない。今にも足元から無数の真っ白な手が伸びて、俺を水晶の下に引きずり込もうとしている気がする。

 そういえば俺の友達もその団体に参加していた。友達といっても大学以来十数年会っていない。十数年前この町へ戻って来て出来た初めての友達であり、大学で出来た初めての友達でもあり、俺の書斎にやって来た初めての友達であった。お互い連絡を取り合う事がなくなるなんて思っていなかった。燻る様な平均的な大学生活を毎日の様に続け、それがずっと続くものだと思っていた。共犯者としてずっと片棒を担いで生きていくのだと思っていた。結局大学を出た後はほとんど連絡が無くなり、久しぶりに掛けてきた電話で、その友達は昔ながらの口調で美しく死のうと誘ってきた。大学を出てからどんな人生を歩み、どんな思いを巡らせたのかは全く分からないが、きっと今は俺の足元の水晶の下で、楽しかった頃の記憶と共に全ての意味を失って横たわっているのだと思う。

 水晶に寄りかかっていた青年も、俺に認識された事で段々と水晶に侵食され始め、彼が抱きかかえていた意味を全部溶かして、やがて水晶の中に埋もれて見えなくなった。完全に水晶に埋もれる寸前、何故だか彼の眼が突然に開いて俺に何かを語りかけようとしてくる気がしたけれど、結局彼は目も口も開かず、黙々と水晶を受け入れて消えた。沢山の水晶の中で俺は一人になった。急に寂しい心地がして、一瞬前に消えた青年の温かみがまだ残っているかもしれないと、俺は辺りを見回したけれど、何処を見ても美しく透明な冷たい水晶しかない。

 急に手に持つペンライトが瞬いた。もう今にも消えしまいそうなか細い瞬きの後に、再び力強く灯る。けれどもうそろそろ力が尽きるのは目に見えていて、それを思うと悲しかった。灯が消えれば、俺も水晶の中に埋もれてしまう。

 外に出ようと踵を返した時、視界の端に小さな箱を見つけた。箱はすぐさま水晶の中に埋もれたけれど、その辺りの水晶を払って箱のあった辺りを手探ると硬い感触を感じた。ひっくり返すと中の物が舞い落ちた。

 拾い上げてみるとそれはフィルムで、文字が記されていた。この町が水晶に覆われ始める前から、記録者自身が水晶に覆われて死ぬまでの記録だった。いずれ再びみんながこの町で暮らせる様になった時の為に、という序文で始まるその文章は、俺が寝ている間にこの町に残された人々が怯え悲しみ喜び楽しみ暴れ宥め泣き縋り笑い手を取り逃げ死に諦める様子が事細かに書かれていた。色褪せる事無く教訓として活かされる様に、と締め括られた文章は、俺が目を通した事で水晶に消えていった。その、恐らく女性の、某かへの願いの込められた記録は意味をなくして色褪せ消えた。俺が消してしまった。けれど何を消したのかも思い出せなくなった。

 何かとんでもない事をしてしまった気がした。しかし何が悪いのか良く分からない。今自分が何をしていたのかも良く思い出せない。自分の仕出かした事が何なのか分からぬまま、戦いて辺りを見回すと、急に光が瞬いた。手元からだった。見ると、ペンライトの光が死にかけている。死にかけのペンライトはすぐに一際の光を発して死んだ。辺りが一段暗くなる。幾らペンライトを振っても、叩いても、俺を守る光は二度と灯らなかった。明確に死が漂いはじめた。俺の未来は足元の水晶の下に沢山埋もれている。足元や頭上を覆う水晶が手招いている様な気がした。下を見るのが怖かった。じっと留まっている事すら恐ろしくて、俺は外へと逃げた。

 外へ出ると、辺りの水晶という水晶を地平から登る日の光が通り抜けて、あまりの眩しさに俺は視界を手で覆って倒れこんだ。手をどけると、落ちてきた水晶の欠片が俺の頭に当たって、俺の口から呻き声が漏れた。

 立ち上がると暁光の中で道は何処までも続いていた。幾つもの水晶の塔から伸びる幾つもの水晶の枝は、月明かりの中で見たよりも更に増えていて、張り巡らされた枝によって光のアーチを何処までも向こうまで作っていた。

 何かその光の続く先には希望がある様に思えて、残りの僅かな時間の中でせめてその何かを見たくて、俺は道の先へと足を踏み出した。


 そこでカット、オッケーの声が響く。

 男は歩き出した足を止めて、大きく伸びをした。
 辺りから労いの声がかけられる中、男は町の中のほんの一区画分だけの水晶の町を出て、貼られたテープを跨ぎ、撮影用に貸し切られた古びた町に踏み入った。監督がにこやかに男を迎える。

「完璧だったよ」と監督が言った。
「きっとこの映画を見れば安全な場所に逃げていった人達も何か感じてくれるだろう」

 監督は悲しそうな表情で、急拵えの水晶の町を眺め回した。
 男は興味無さそうな顔で監督の視線を追った。

「さあ、僕はコメディアンですから人が笑ってくれるなら何でも良いです」
「水晶に沈むまでもう僅かだね。町が水晶に沈む時、人々は笑っているのかな」
「さあ、僕はとにかくこの映画で多くの人々を笑わせたいです」
「この映画も撮り終わった。皆が見てくれると良いんだけれど」

 それから七日経って、撮影場所から遠く離れた地球の裏側のある町が、数万人の選ばれた人々と共に水晶の中に埋もれていった。

 一ヶ月経って、映画は封を切られ、監督が舞台の上で社会と人と犠牲とエネルギーについて語り、主演は集まった人々を笑わせ様と笑顔を振りまいて声を張った。

 映画が公開された次の日に、人工衛星から町の映像が届いた。水晶に沈んだ町を映した映像は世界に向けて公開され、映された水晶世界は人々をあまねく魅了し、水晶化した町は保存される事が決まった。未来永劫その美しさを留める事が出来る様に。





 この作品は『小説家になろう』にも掲載させていただいております。


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