テオたちが居る場所から少し離れた森の中。
自分のゴーレムが破壊される様を遠くから見ていたロングビルは驚愕しました。
運良く破壊の杖を手に入れたまでは良かったものの、ロングビルにはその使い方がわかりませんでした。
何度か振ったり、魔法をかけたりしましたが、破壊の杖は一切のアクションを起こしはしませんでした。
使い方のわからない武器を売れば買い叩かれるのは必死。
そこで魔法討伐隊を組織させ、それを使わせようと思っていました。
討伐隊の前にゴーレムを出せばその破壊の杖を使う事になるでしょうし。
なまじそれ以外の方法でゴーレムを倒されても、偽物とすり替えられていないか使ってみようとささやけばその場で使い方を知ることが出来ると考えました。
討伐隊が生徒達だけで結成された時、ロングビルは心のなかで大きく落胆しました
とりあえず、その討伐隊はゴーレムで踏みつぶしてしまい、次の討伐隊に期待をしようと考えました。
しかし、その予想に反して、使い魔の少年がその杖の使い方を知っていたらしく、杖を変形させそれを使おうとしているようでした。
あのまま行けば、あの少年は『破壊の杖』を使用していたのでしょう。
じっさい、最初自分のゴーレムはあの破壊の杖の力で壊されたのだと思いました。
しかし、良く見れば自分のゴーレムを崩したのはテオと言う生徒の放ったヴレットの魔法です。
極々一般的な、むしろ初歩の魔法だったのです。
城壁よりも硬いと自負するゴーレムは、その初歩の魔法で粉々です。
確かにロングビルはテオが魔法に長けているということを理解して居ました。
ゴーレムの魔法では自分と同等か、其れ以上で有るとも知っていました。
しかしまさか、本来ならば牽制や弾幕として使う程度の魔法でゴーレムを粉々に出来るとは思っても見なかったのです。
ロングビルは思案しました。
今あの破壊の杖を奪い取ることが出来るだろうかと。
このまま何もせずあの杖を諦めて逃げたり、或いは学院に戻って次の機会を狙うというのも一手ですが、フーケは脳内でそれを却下しました。
アレだけ苦労して手に入れた破壊の杖を簡単に手放す手はありません。
今回、あの破壊の杖を手に入れられたのはロングビルにとって奇跡のような幸運でした。
運良くルイズの魔法で塔にヒビが入り、更にはテオのゴーレムという、塔を壊す手伝いまで得られたのです。
ロングビル一人の力だけでは破壊の杖を盗み出すことは出来なかったでしょう。
それほどに、魔法学院の警備は厳重なのです。
さらには、一度盗まれた状況で、全く同じ警備をしくほどには魔法学院の面々は無能では無いでしょう。
帰ってきた『破壊の杖』には、今までよりもさらに厳重な警備がつくことは間違いありません
再度アレを手に入れることはまず不可能になってしまいます。
つまりこれはあの杖を手に入れるラストチャンスなのです。
このチャンスをムザムザと捨て去る選択肢は彼女にはありませんでした。
しかし、ではどうやったらあの杖を持って逃げることが出来るでしょうか。
いま破壊の杖はルイズの使い魔であるサイトの腕の中にあります。
サイトがかなりの実力者であることをロングビルは知っていましたし、さらにはそのすぐとなりにはテオが居るのです。
正面きって力ずくであれを奪うのは無理でしょう。ぶち殺されます。
では隙を見て奪ったら?奪うこと自体は成功するかもしれませんが、そのあとサイトとテオから逃げおおせる手が見えません。
破壊の杖のパワーが強ければそれであの二人を倒せるかもしれませんが、今のところその力は未知数です。
果たしてあの杖を奪った所でテオに打ち勝てるのか、少々賭けにしては無謀です。
ロングビルは其の場で少し思案して、一つの結論を出しました。
◇◆◇◆
「あれ?ミス・ロングビルは何処に行ったのかしら」
キュルケがそういったとき、ミス・ロングビルは姿を表しました。
ガシッ
「きゃあっ!」
ロングビルはおもむろにルイズの腕を掴みました。
「なんだ?!」
サイトが驚いた声を上げます。
「動くなっ!」
「ミス・ロングビル、一体何を……!?」
そこにはルイズを後ろから羽交い締めにし、杖を握るロングビルの姿がありました。
そう、それがロングビルの出した結論でした。
正面から戦えば負ける。
ならば正面から戦わず、人質をとり、相手に要求を飲ませる。
丁度孤立するように一人だけ誰とも隣り合わず立っていたルイズに杖を向けて、ロングビルは大声で叫びます。
「破壊の杖をこっちに寄越しな!」
その言葉に、サイト達の体が硬直するのを見てロングビルはほくそ笑みました。
ロングビルは知っていました。
テオという人間を。
学院で秘書として働いている彼女にはテオの情報は常に入ってくるのです。
つらい過去があることも。
かつて孤独であったことも。
そしてそこから解放されたことも。
彼がいつも口では辛辣なことを言うくせに、その反面で優しい心を持っていることも。
使用人たちに大鍋を作り、
サイトに無償で秘薬を与え、
態々平民の使い魔のために里帰りまでし、
ワガママを言うくせにその全てが理不尽ではない程度のものであること。
そしていまこうして捕まえているルイズが彼が魔法学院に来ることで初めて出来た、大切な大切な友人だということも。
心の優しい彼が、生まれて初めて手に入れた友人。
その友人を見捨てることは絶対にしないだろうと、ロングビルは確信していました。
「どういうことよ?!」
「そういうことか、あんたが土くれのフーケってわけか?」
サイトのその言葉にロングビルは不敵に笑いました。
「……どうりで昨日の今日で情報を掴んでくるわけだ、いくらなんでも早すぎると思ったよ」
「まぁね、しかし、あんたのおかげで助かったよ。破壊の杖の使い方がわからなくてねぇ。どうしようかと悩んでいたんだけど……。おかげで高く売れそうだよ。さぁ、早く破壊の杖をこっちへよこしな。じゃないと、コイツの頭に風穴が開くよ」
そう言ってロングビル、いえ、フーケがルイズの頭に杖を押し付けます。
その行為に、その場の一同は凍りつきました。
ただ一人。テオを除いて。
「構わんよ?殺したければ殺せば良い、別に吾は構わんぞ?」
「なっ!」
その一言に、フーケは勿論、それ以外のメンバーも驚愕しました。
それはあまりにも予想外の言葉でした。
とはいえ、
テオの言葉は効果的ではありました。
なにせ、ルイズが人質として機能して初めてフーケには勝機があるのです。
言い換えれば、フーケはルイズという人質が居なくなってしまえば万事休すなのです。
テオの言うとおりにルイズを殺してしまえば、一番困るのはフーケ自身です。
しかしだからと言って、フーケがルイズを殺さない保証はありません。
効果的であると同時に危険すぎる言葉。
その場で放つべき言葉としては、あまり良い選択とは言えなかったのです。
それもそのはず、それはハッタリのたぐいではありませんでした。
なにせテオはルイズが死んでしまっても別に構わないと本気で思っていたのです。
それはフーケにとって大いなる誤算でした。
ルイズに杖を押し付けながらフーケは混乱します。
なぜだ?テオフラストスは情に厚い貴族ではないのか?
口では偉そうなことを言いながら、その心は慈愛に満ちた、甘い男ではなかったのか?
しかしどうだ?眼の前の男は。まるで死んだ魚のような、あの冷め切った視線はなんだ?
アレは貴族がしていい目付きではない。
アレは、アレは、自分、いや、自分なんかよりも更に世の辛酸を嘗め尽くした人間がする、
人形のような目。
「そいつが死んで特に困ることもないし」
そう云うテオの表情は楽しげでした。
視線は冷徹なまま、口元だけは満面の笑みでした。
事実としてテオは楽しんでいました。
フーケ、ルイズ、サイト、キュルケ、タバサ、それぞれが戸惑い、焦るその姿を見て、その反応を楽しんでいたのです。
フーケには焦り、
ルイズには絶望、
サイトには怒り、
キュルケには困惑、
タバサには達観した諦め、
エルザにはこれから起こることに対する期待。
そしてエンチラーダはいつもどおりの無表情です。
それぞれの反応を見てテオは実に楽しそうに顔を歪めました。
テオは皆の表情を楽しんでからフーケの足元を指さして言葉を続けます。
「まあ、お前のそのそれで出来るのならばな」
その言葉に。
その場にいた全員の視線が彼の指の指し示す方向に向かいました。
そこには。
杖を握った腕が落ちていました。
一瞬それはテオの創りだした作り物では、と一同は思いました。
しかし、その腕にはたしかに杖が握られていましたし、洋服の生地が付属していましたし、そしてなにより、端から赤い液体が滴り落ちていました。
そしてなにより、見覚えがある腕でした。
そう、それはたしかにフーケの腕だったのです。
「ギャ………GYAaああああAAあAAあAAWAAああ∀ぁァ唖々あ!!!!!」
その事実を理解した瞬間、フーケは叫びました。
彼女の右腕には今頃になって激痛が走ります。
「コレで魔法は使えまい?」
そう言ってテオはけらけらと口を開けて笑いました。
フーケは突然腕に走った激痛に悶え、
そこにいた他のメンバーは突然の出来事に混乱するばかりでした。
一同、今起きたことが信じられませんでした。
テオが魔法を使った様子がなかったのです。
それは、まさしく”マジック”のように不思議な出来事でした。
気がついたときにはすでにフーケの腕が落ちていたのですから。
しかしそんな中でテオとエンチラーダとエルザだけは、特にいつもの調子を崩しませんでした。
エンチラーダはいつものごとく、無駄のない動きで以て、のた打ち回るロングビルの腕を布で縛って止血をすると、今度は紐でもってその体を縛り上げていきます。
エルザは純粋に目の前で起きた出来事に感心してピョンピョンと跳ねながら「すごいすごい」とはしゃぎます。
テオもいつものごとく、高圧的な態度で口を動かします。
「全く、腕がなくなったくらいで大騒ぎだ。吾なんぞかなり長いこと足が無いが、別に騒いだりせんだろう。良いメイジというのは体の欠損なんぞ気にしないものなのだ、別に首が飛んだわけではないのだから」
とても異常な状況で、その三人だけが正常な様子で、そしてそれこそが何よりも異常でした。
そしてサイトもルイズもキュルケもタバサも、フーケも気づくのです。
「こいつらは完全に異常である」という事実に。
こと、テオたちが普通でないことは既に皆認識していたことでした。
正確も能力も平凡の其れとは大きくかけ離れていました。それでもテオという存在は一応『変わり者』の範疇で収まっていると、何処かで思っていたのです。
しかし、いまこうして、躊躇なくフーケの腕を切り落とし、笑っていられるテオを前にして。
何か冷たい、恐怖にも似た気持ちを抱くのでした。
「さて、これで目的は果たしたわけだ、そろそろ学園に戻ろうではないか、正直お腹が空いた、ペッコペコである、舞踏会まで時間もあることだし、早めに帰って間食でもするとしよう」
意気揚々とそう言うテオに未だ混乱する一同は、
従う以外の選択肢を思いつけませんでした。
◇◆◇◆
学園長室で、オスマンは戻った7人からの報告を聞いていました。
正確には、ペラペラと要点のズレたことを語るテオを無視して、残りの6人の話を聞いていました。
「ふむ…。ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとは」
「君たちの『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。と言ってもミス・タバサとミスタ・テオフラストスは精霊勲章の授与を申請中じゃ」
「…?タバサはわかりますけれど何でテオも精霊勲章なんですか?」
キュルケがオスマンに尋ねました。
タバサはすでにシュヴァリエの爵位を持っているので、それに変わる名誉と言う意味で精霊勲章が与えられるというのはわかります。
しかし、テオはシュヴァリエの資格を持っていません。にも関わらず、その資格申請がなされないことをキュルケは不思議に思いました。
「いや…オホン。ふむ。まあ、そうじゃな、申請をするぶんには…」
キュルケの質問に、オスマンは言いにくそうに言葉を続けますが、その言葉をテオが遮りました。
「オールド・オスマン。別に吾は気になぞしておりませんよ。たとえ申請をしたとしても吾がシュヴァリエの爵位を得られないことくらい、吾自信が一番良く理解しています。いや、精霊勲章ですら得られるか怪しいでしょうな」
「何よテオ、何で爵位が貰えないって決め付けるのよ」
「ゲルマニアではどうか知らんがな、少なくともこのトリステインにおいて、吾のような体をしたものが爵位を得るなんてことはありえんのだよ」
笑顔でテオはそう言いました。
その場にいたキュルケとサイト、そしてエルザはその言葉にショックを受けます。
しかしそれ以外のメンバーはその事実に驚くことはありませんでした。
なぜならそれが当たり前だからです。
トリステインにおいて足が無いという事は、ある意味で平民以上に立場が低いのです。
そんな人間が爵位を得るなんてことは平民が貴族になる以上にありえないことでした。
「というわけで、オールド・オスマン。別に何も得られなくても吾は文句なんぞ言いませんぞ?そもそも、勲位を目当てとしての行動ではない。貴族として当然の事をしたまで、そして、当然の事に報酬など不要でしょう?」
そう言ってテオは笑いました。
「う…うむ。立派じゃの」
オスマンは心の中で嘆きました。
この目の前の青年は、ここに居る誰よりも貴族的です。
ある意味彼こそ爵位を得るのにふさわしいのに、それを与えられないもどかしさを感じたのです。
「さてと、今夜は『フリッグの舞踏会』じゃ、このとおり杖も戻ってきたし、予定通り執り行う」
その言葉にキュルケの顔がパッと輝きました。
「そうでしたわ!フーケの騒ぎで忘れていました!」
「舞踏会の主役は君たちじゃ、用意をしてきた前、せいぜい着飾るのじゃぞ」
そう言われ、一同は部屋をあとにしました。
サイトが一人残り、何やら学院長と話をしているようですが一同は、特にその内容を気にすることなく、舞踏会の準備を始めるのでした。
◇◆◇◆
チェルノボーグの監獄。
そこは城下において一等に監視と防備が厳重な場所でした。
フーケは魔法衛士隊に引き渡されるなり、直ぐにこの監獄に入れられました。
魔法の障壁を幾重にも張り巡らされたその監獄は、フーケに脱獄を諦めさせるには十分な厳重さでした。
そんな監獄の中で、疼く右手を押さえながらフーケはぼんやりと、昼間の事を思い返していました。
テオフラストス。
フーケは完全にテオフラストスと言う人間を見誤って居ました。
心優しいなんてとんでもない。
いえ、確かにある一面において、彼は確かに心優しいのでしょう。
自ら他人に害なすようなことせず、誰かに助けを求められればそれに答え、そして誰かのために行動する。
それは打算ではなく、彼は優しき心によってそれらを行っているのでしょう。
しかし、その反面で、彼はまるで機械のように、それらを打ち捨てられる人間でもあります。
極稀にですがああいった、人間として欠落した輩が居ることはフーケも知っていました。
世の中には、好きな人間や、愛した人間を、なんの理由も、更には躊躇もなく殺せるような人間が居るのです。
フーケは過去に何度かそういった人間を見てきました。
そういった人間がまともな人生を歩めるはずもなく、たいていはフーケでさえ怖気のするような人生を歩むのです。周りの人間を巻き込みながら。
フーケは出来るだけそういった人間とは縁を作らないようにしていました。
そんな人間が、まさか貴族に居るとはさすがのフーケも思いもしないことでしたが。
フーケの敗因はテオと言う人間を見誤ったことです。
もし、テオという人間の内面を知っていたのであれば、たとえ苦労して手に入れた『破壊の杖』であったとしても躊躇なく諦めたことでしょう。
あの自分に詰め寄るときのテオの表情は今思い出しても恐ろしい物でした。
あれを敵にまわすべきではなかったと、フーケは自分の判断を後悔し、自嘲を込めたため息を一回小さくつきました。
そして、ふと、格子をみて。
その向こう側にいる人影に気が付きました。
「…!!!!!」
フーケは叫び声を上げそうになるのを寸前の所で堪えました。
鉄格子の向こうには、今日まで何度も見た顔が、さも当然のように立っていたのです。
「なんでアンタが…ここに…」
それはフーケがロングビルとして仕事をしていた時に毎日のように見ていた顔、そして、つい数時間前まで一緒に居た人物。
エンチラーダでした。
「ロングビル女史、先刻ぶりですね」
まるでいつも通りの挨拶をするかのような調子で、エンチラーダはそう言いました。
「どうやって入ったんだい?牢番がよく入れてくれたね?」
チェルノボーグの牢獄は出るのは不可能であると同時に、入るのも難しい場所です。
特に脱獄の手伝いなどされないように、一般の人間が面会に訪れることすら許可されないほどなのです。
そんな場所に、監視も付けずただ一人で現れたエンチラーダに、フーケは只々混乱してしまいました。
「私がどのようにして此処に来たかは別にどうでも良い事にございます。問題なのは、なぜ、何をしに私がこの場に来たのかということです」
エンチラーダの言ったその言葉に、
フーケは自分が殺されるのだと悟りました。
態々エンチラーダがこの場所まで挨拶に来ただけのはずがありません。
この場所に来るからには何か目的があって来ているはずです。
そうなれば思いつくのは暗殺です。
なにせ、フーケには自分が殺される理由に沢山の心当たりがありました。
今までに散々国中の貴族をコケにしてきました。
盗んだものの中にはそれが明るみに出たらマズイ品も沢山ありました。
恐らくその中に、テオにとって知られると不利益な物があったのだとフーケは思いました。
あるいはテオに対して杖を向ける行為をしてしまったからかもしれません。
エンチラーダのテオに対する崇拝ぶりはフーケもよく知るところでした。
ただ、テオに敵対した。
それだけでこの眼の前の女が自分を殺す理由としては十分なのです。
普通ならば必死に抵抗するのでしょう。
例えば油断させ、鉄格子に近づいたところを体術で返り討ちにしたり、
或いは相手の話に調子をあわせて取り入るフリをしたり。
しかし、フーケはそれが無意味であることを知っていました。
学院での短い付き合いで、エンチラーダが絶対に油断しない事を知っていたのです。
短い付き合いですが、フーケはロングビルとして働いているときに、何度かエンチラーダと言う人間に関わることがありました。
その上で、エンチラーダが、決して油断をしたり、手心を加えたり、ヘマをしたりするような人間ではないということを知っていました。
エンチラーダは、まるで機械のようにテオに言われたことを忠実に、そして確実に行う人間だということを、フーケは嫌というほどに知っていたのです。
それは屡々ブリミル教の狂信者などが見せる異常さに似ていました。
つまり、文字通り彼女はテオを信仰しているのです、
まるでテオという悪魔を信仰する狂信者。
最早此処で自分の命運は尽きたのだと、フーケは悟りました。
「出来るだけ苦しまないようにやってくんな」
そう言ってフーケは目を瞑りました。
はかない人生を少しばかり悔やみながら。
「…あの、ミス・ロングビル、貴方がどのような事を考えているのか、なんとなくでしかわかりかねますが、恐らくその予想は間違っていると思いますよ」
「は?」
「べつに私は貴方を害そうとしてきたのではありませんから。むしろ私は貴方にとって有益な物を持って来てすら居るのですから」
そう言ってエンチラーダは小さな小瓶をそっと格子の近くに起きました。
「なんだいそれは?」
「秘薬です。ご主人様が大量に作ったうちの一瓶ですが、効果は折り紙つきです。今貴女の右手にかかる痛みや不快感はウソみたいに消え去るでしょう」
「!何で私にそんなモノを渡す」
「あなたの協力が必要なのですよ、まあそれは交渉に対する報酬だとでも思ってください、勿論協力していただけるのならば貴方の身柄は私が保証いたします」
「は!協力?私があんたらに協力すると思ってるのかい?」
「無理にとは言いません。もし貴方がこの申し出を断るのでしたら、私はこのまま帰ります」
そう言ってエンチラーダは踵を返します。
「待った、待った!やるよ、やりますよ、全く、駆け引きもなにもあったものじゃないわ」
そう言ってフーケはエンチラーダを止めました。
なにせフーケはこのままならば縛り首です。
生き残るためにはエンチラーダに協力するしか無いのです。
「…で?坊主は私に何をさせたいんだい?」
フーケは真面目な表情でそうエンチラーダに問いかけました。
その言葉に、エンチラーダは静かに首を振って答えました。
「あのお方は…知らないことです」
その言葉にフーケは違和感を感じました。
御主人様絶対主義のエンチラーダが、なぜ主人に対して秘密を持つのか。
そこまで考えてフーケは自分の考えを笑いました。
その固定観念こそが、間違いだと。
他人の内面なぞ理解できるはずも無いのです。
事実、フーケはテオという人間を測り間違えた結果、こうして牢に入れられているのです。
エンチラーダのテオにたいする忠誠ぶりだって、ただの演技である可能性だってあるのです。
「は!主人の居ないところで悪だくみ?なにかい?あの坊主を裏切る算段でもしろってかい?」
フーケは悪態を付きました。
「…この行動にどんな意味があるのかまでは…貴方が知る必要の無いことでしょう。貴方にはただ私の指示通りに動いていただきたいのです」
エンチラーダの表情は、やはり無表情で、そこから感情を読み取ることは出来ませんでした。
「私に何をさせようってんだい?」
「なに…私の手のひらの上で踊るだけの簡単な仕事ですよ」
そう言ってエンチラーダはニヨリと笑いました。
それはフーケが見た初めてのエンチラーダの笑みでした。
そして、そして、そのエンチラーダの笑顔に。
フーケはテオ以上の恐怖を感じました。
◇◆◇◆
美しい音楽と、着飾った人々、そして美味しそうな料理。
アルヴィーズの食堂の上の階で、それはそれは華やかな舞踏会が行われていました。
テオは壁際に座りながらぼんやりと会場を見ていました。
眼の前のテーブルの前ではエルザとタバサが何やら話をしています。
「それは私が最初に狙っていた鴨肉のソテー」
「悲しいけど、これは私がテオに取ってくるように言われたものなの、早い者勝ちよね?」
「悪いことは言わない、この豚肉とトレード」
「そっちの料理なら考える、テオが好きなやつだし」
そう言ってエルザはタバサの持っている皿の上のある料理を指差します。
「!!コレはコノ広い会場内にも少ししか存在しないマタデー料理、流石に暴利をむさぼりすぎ」
「交渉決裂!!」
「まって、三分の一なら…」
騒がしい二人の喧騒を背景に、テオは気怠げに、ホールのダンスを見ていました。
ふと横を見ると、黒髪のメイドが料理を持ったまま、ホールの一点を凝視しているのが見えました。
一体何を見ているのかとテオがその視線を追うと。
その目線の先では、サイトとルイズがゆったりとした曲に合わせて踊っておりました。
「ガン見だな、あれか?あの男に惚れたか?」
シエスタに向かってテオがそう言うと、シエスタはわかりやすく狼狽えました。
「そそそそ、そんな!」
その過剰とも言える反応は、テオの質問に対して肯定をしている以外の何ものでもありませんでした。
「お前は解りやすいなあ」
そう言ってテオは笑います。
「テオ様は踊られないんですか?」
シエスタが不思議そうにそう言いました。
「それを嫌味じゃなく言えるお前という存在に、吾ビックリ」
「え?」
何故そんな返答をされたのか意味が理解できずにシエスタは戸惑った声を出しました。
そして次の瞬間。
シエスタはテオが座るその椅子が、舞踏会のために用意されたそれではなく、テオ御用達の『車椅子』だと言うことを思い出しました。
「スススススス!スイマセン!!」
足のない貴族に踊らないのか?なんて質問。
それこそ挑発ダンスを目前で踊る以上に不敬です。
その場で首り殺されても文句はいえません。
しかし、テオはシエスタの言葉に別段気を悪くした様子もなく、淡々と答えます。
「まあ吾としてもダンスなんぞに興味が無いので構わんのだがな、何、どのみち此処には食事に来ているだけだ」
そう語るテオの表情は何処か達観したような、何かを諦めた物のように思えました。
シエスタはそんな彼にどんな言葉をかければ良いのかわからず、言葉につまります。
「ホラ、とっとと仕事に戻れ、早急に料理を運ばないと、あのメガネと吾に食いつくされるぞ」
そう言って彼が指さした先では、タバサによって瞬く間に料理が消えていく光景が見えました。
「た‥大変。すいませんテオ様、私すぐに仕事に戻ります」
そう言ってシエスタは慌ただしげに厨房に向かいました。
その後姿を見届けたテオは、再度視線をホールに戻します。
彼の視線の先では、未だルイズとサイトが踊っておりました。
「しかし何だ、あの男…踊りが下手だなあ」
テオはそうつぶやきました。
彼の言うとおり。サイトの動きは見るからにぎこちなく、社交場に慣れていないテオから見ても、無様なものでした。
しかし、その表情は何処か楽しげで、まるでお伽話から抜け出たように幸せそうにも見えました。
「踊る阿呆に見る阿呆か。ふん、踊れぬ吾は如何なる阿呆になるのかな」
そう自嘲気味に語るテオの言葉は、部屋に響く音楽に消され、誰の耳にも届くことはありませんでした。
◆◆◆用語解説
・爵位
現状ルイズ達は貴族の子息であって厳密な意味で貴族ではない。
爵位は親から引き継ぐか、国から正式に爵位を得ることで初めて正式な貴族の仲間入りをする…んじゃないかなあ。
実際の歴史でのそのへんにおいて、詳しいことはよく判らん。
・シュヴァリエ
実力主義のゲルマニアにおいては成果を上げた物に報酬を与えるので、テオが報酬を得られないということをキュルケは信じられなかった。
一方でトリステインでは足が無い人間〈平民以上に下賤な人間〉に爵位など間違っても与えられない。それは明文化されていることではないが、暗黙の了解…と言うよりは、言うまでもない常識なのである。
・腕
地面に落ちた腕は、後でスタッフ〈エルザちゃん〉が美味しくいただきました。
・マタデー料理
もちろん材料はマタデー
別世界の料理とか出して。とうとう世界観をぶち壊し始めたか…と思わせて…
じつはこの話におけるマタデーとは、マタデつまり真蓼、別名ヤナギタデのこと、
俗に言う蓼食う虫も好き好きのあの蓼のことである。薬味、香辛料として利用されている。
ちなみに英語ではWaterpepper。ヨーロッパでは一般的に食べられることはないが、胡椒の代用品として使われたこともあるらしい。貴重と言うよりは安価な代用香辛料なので、貴族の料理には少量しか添えられていない。
・挑発ダンス。
足はマイムマイムの動きを左右に対して行い、左手は水平に、右では心臓の部分に当てる。
「足が無いってどんな気持ち?ねえ、どんな気持ち?」と言いながら踊る。
・踊る阿呆に見る阿呆
このての考え方は世界共通のようだ。
その風土に合わせ、其れと同じような意味合いの格言が世界中にある。
筆者が個人的に好きなのはドイツの格言
「ビールを飲むと死ぬ。飲まなくても死ぬ」