ザビエラ村。
この小さな村に吸血鬼が出始めたのは2ヶ月ほど前のことでした。
小さな少女が犠牲になったことを皮切りに、すでに十人近くの人間が犠牲になっています。
しかし、吸血鬼に立ち向かえるような、知恵と実力のあるものはその村にはおらず。
結局村は、騎士を呼び退治をお願いしたのですが…
その騎士も、村に到着後3日目に、死体となってしまいました。
そして今、代わりに別の騎士が吸血鬼退治をしにこの村にやって来ました。
やって来たのは大きな杖を持った青い髪の女性。
年の頃は20くらいで、傍らに従者を連れています。
何を隠そう、彼女こそはタバサの使い魔、シルフィードが幻影の魔法で人間に化けた姿でした。
そしてその傍らに立つ従者、それはタバサでした。
なぜ二人がこんな辺鄙な村に吸血鬼退治に訪れたのか。
それはタバサの裏の顔に理由があります。
北花壇警護騎士団。
ガリア王家の汚れ仕事を一手に引き受けている組織です。
タバサはそこに所属していました。
勿論タバサ自身がそれを望んで所属しているわけではありません。
毒によって心を壊された母を救うまでは、王家の命令には従う以外の選択肢をタバサは持ちあわせては居なかったのです。本人が望まなくとも、タバサは王家の手先として北花壇警護騎士団に所属し汚れ仕事を担う身の上なのです。
そして今、タバサは北花壇警護騎士団七号として吸血鬼退治をするためにこの村を訪れたのでした。
しかし、如何に優秀で才能豊かなタバサとは言え、吸血鬼に対して無策で挑むほどに、自身の才能を慢心してはいませんでした。
相手は人間を騙す生き物です。
馬鹿正直に正面から挑んで勝てるはずもありません。
そこでタバサは一計を案じました。
自分の使い魔であるシルフィードに人化の魔法を使わせ騎士のふりをさせて、自分はその従者のふりをする。
吸血鬼の注意はシルフィードに向き、その間に自分は吸血鬼を見つける。
そういう計画でした。
とは言え、その計画はシルフィードには知らされていません。
ただ、人間に化け杖を持って騎士のふりをしろと言われただけです。
一体どうすれば良いのかわからないシルフィードは、キョドキョドとどこか怪しく頼りない雰囲気を振りまいています。
コレもタバサの策の内でした。
頼りないメイジほど、囮としては最適です。
下手に達人に見せて、吸血鬼に警戒されては元も子もないのです。
とはいえ、囮にされるシルフィードはたまったものではありません。
どうすれば良いのかわからず、兎に角人間の動きを意識しながら、不自然にならないように精一杯気張りますが、それがかえって怪しさを増していきます。
「ガリアの花壇騎士のシルフィードなの」
扉の向越しにシルフィードはそう名乗りました。
「コレはコレは、騎士様、ようこそおいで頂きました」
そう言いながら村長は扉を開けました。
そしてシルフィードは緊張しながら、タバサは冷静に辺りを観察しながら、村長の部屋に入り…
「おぎょん!?」
シルフィードはつい叫んでしまいました。
だって、目の前に見知った顔があったからです。
即ちテオとエンチラーダです。
ただでさえ、人間に化けて、それがバレないかと不安になっているところに、そんなイレギュラーがあったものですから。つい叫んでしまうのも無理からぬことです。
北花壇警護騎士として、何度か修羅場をくぐり抜けたタバサですらうっかり叫び声を上げそうになったのですから。
「騎士様?どうかしましたかいの?」
心配そうに村長がシルフィードに訪ねます。
「な、な、な…なんでもないのね!」
シルフィードは慌てて取り繕います。
シルフィードはテオの事もエンチラーダのことも知っていました。
というのも一度タバサがキュルケと共にテオに会いに行った際、テオにこれが自分の使い魔であると紹介されているのです。
勿論、その時のシルフィードは竜の姿で、今のシルフィードは人間の姿ですから、テオが気づくはずもありません。
しかし、その隣にいるタバサは違いました。
「おや?」
テオはシルフィードと名乗るメイジの後ろに、魔法学院で何度か見たことのある青い髪をした女の子が居ることに気がつきました。
「む?貴様は…ええっと…メガネ?」
「タバサ様ですご主人様」
エンチラーダがテオに耳打ちします。
シルフィードのように取り乱しこそしませんでしたが、タバサも混乱していました。
なぜ目の前にこの二人が居るのか全くわからなかったのです。
「ああ、そうだった。タバサメガネ…何故この村に?」
「そっちこそどうして?」
「ふむ質問に質問で返すとテストでは零点なんだが…まあ良い。寛大な吾はその問いに答えてやろう。吾が此処に来た理由それはここが、エルザの故郷であるからだ」
何たる運命のイタズラでしょう。
エルザの事はタバサも知っていました。
シルフィードをテオに見せた際、彼の隣に居たのがエルザです。
確かその時に、一度帰郷するという話をしていたような気もします。
しかし、そのエルザの故郷が、このザビエラ村だとは。
星の数ほどある村々の中で、よりによって自分が吸血鬼退治に訪れたこの村だとは。
まさに天文学的確率で、タバサにとって不利な方向に物事が進んでいます。
タバサは何度も恨んだ神に対して、更に恨みを強めました。
「あの、お知り合いでございますか?」
二人のやり取りを聞いていた村長がそう訪ねました。
「ふむ…まあ、そちらの青髪メガネとは、顔見知りではあるが…改めて聞くが、なぜここに?」
それは当然の質問です。
遠く離れた地で、魔法学院の同級生と出会えば当然こう聞くでしょう。
しかしタバサはそれに正直に答えるわけには行きません。
学院での自分と花壇騎士としての自分。
村人に自分が魔法学院の生徒だとはバレたくはありません。
しかし、同時にテオには花壇騎士であることはバレたくありません。
吸血鬼を含んだ村人、そして魔法学院の生徒であるテオ。
その両方を納得させ、かつ、自分の立場を秘密にするにはどうしたら良いのか、タバサは必死に考えました。
どうする?
どう言い訳をする。
グルグルとタバサの頭の中を色々な考えが駆け巡ります。
表情こそいつも通りの冷静なものでしたが、その頭の中は大騒ぎでした。
そして、そんなタバサをあざ笑うように、テオが言います。
「…ふふ、実はな、吾はもう察しがついておるのだ」
「!!」
タバサは驚きましたが、それは十分考えられることでした。
テオは馬鹿ではありません。
学院では座学の成績も常に上位です。
この状況を見ただけで、タバサの真の姿にある程度の察しがついても何らおかしくは無いのです。
タバサはゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めました。
そして。
「アレだろ?花壇騎士入隊の為に見習いをしておるのだろう?」
「「は?」」
テオの的はずれな言葉に、タバサもシルフィードもつい間抜けな声をあげてしまいます。
「わかる。わかるぞその気持ち。騎士は皆の憧れで有るからな。英雄願望は誰にでも有るものだ。騎士になりたいという気持ちは起きて然るべきなのだ。しかし騎士は実力社会。どんなに高貴な出身であっても実力が無ければ決して入隊はできん。タバサメガネは確かに優秀なメイジのようだが、騎士としては若すぎる。こうして現役の花壇騎士の従者をしながら、花壇騎士入隊の為にその仕事を覚えているところなのだろう?」
言い訳するまもなく、テオはそう行って勝手に納得をしてしまいました。
ハッキリ言ってタバサには全くもって英雄願望はありませんでしたが、此処でその誤解を解くことは帰って良くないと判断してタバサは、
「そのとうり」
と言ってその言葉を肯定します。
テオはふむふむと、満足そうに数回頷くと、今度はシルフィードの方に振り向きます。
「ええっと?ガリア花壇騎士…のシルフィード殿と言ったかな?」
「きゅい!?」
突然声を掛けられ、シルフィードは慌てた声を出します。
「ふむ、一見隙だらけではあるが、逆にそれこそが達人の証拠。さぞ腕に自信のある御仁と見受けする、なるほどタバサメガネが尊敬するのも頷けると言う物だ…何せ、タバサメガネは自分の召喚した竜に貴殿と同じ名前をつけるほどだからな。相当に好かれているのでしょう」
「え?ええ」
シルフィードは内心でガタガタ震えながらも平静を装いそう答えます。
「ふむ、面白い。村長、吾はもう数日ココに泊まることにする。吸血鬼退治なぞ、早々見れるものではないからな。何、部屋は要らん。エルザの部屋に泊まる。家具も要らんぞ、錬金ですぐに作ってやろう。ははは。狭いのも気にするな、狭い場所には慣れておるのだ。」
そう行ってテオは何時もの楽しそうな調子で話します。
どうにか最悪のケースは免れたと、タバサは安心しました。
自分がメイジであることは知られてしまいましたが、騎士になるための見習いメイジという、然程実力のないメイジと認識されそうです。
タバサの策は殆ど崩壊すること無く、進行することができそうです。
あとは、学院の方に、今日のことが伝わらないようにすれば万事解決です。
楽しそうなテオに、タバサはそっと耳打ちしました。
「学園の皆には秘密」
「なあに、判っておる。英雄は人知れず正義を行うものだからな」
そう言ってニヤリと笑うテオに。
タバサは一先ずの安堵と、これからについてのちいさな不安を感じるのでした。
◇◆◇◆
テオたちがそんなやり取りをしている頃。
エルザは部屋で一人考えていました。
恐らく自分はテオの使い魔として正式に、テオの庇護者となるのだろうと思っていました。
ただ、自分はどうしたいのか。
そう自問します。
確かにこの村で暮らすよりは貴族の下で生活をしたほうが良いのは明白です。
でなければサモンサーヴァントの門をくぐりなどはしません。
しかし、自分は吸血鬼です。
果たしてテオと共に生きて行くことが出来るのか、
そこまで考えてエルザは自分の考えの違和感に気が付きました。
テオに出会うまで、エルザは全ての人間を食料としてしか認識していなかったはずなのに。
なぜ、なぜ今、自分がそんな考えに至っているのか。
テオに出会ってすぐの頃も、テオをグールにしようと思っていました。
そんな自分がどうして今、テオと共に生きることを考えてしまっているのだろうか。
確かにテオは優秀なメイジです。
敵にまわすよりは味方にしたほうがよっぽど自分の利益になるでしょう。
しかしメイジなのです。
エルザはメイジが嫌いでした。
それはエルザ自身が一番によく理解していることです。
その自分がメイジを殺すでも、食べるでも、騙すでも、利用するのでも無く。
一緒に生活したいと思っている。
確かに大抵の使い魔は主人のことが大好きです。
しかし、それは殆どの使い魔が知性の低い幻獣だからとも言えます。
別に使い魔でなくても、ペットは主人の事を好きになるものです。
たとえ鎖につながれようとも犬は飼い主にじゃれつきます。
たとえ首に鈴を付けられようとも猫は飼い主に擦り寄ります。
大抵の動物は、自分に好意的な飼い主を好きになります。
しかしエルザはそのような畜生とは違います。
自分と人間の明確な違いを理解し、自分が人間とは違う異質の存在であることを理解しています。
なのに。
何故に自分はテオを好きになっているのか。
考えられる最大の可能性はコントラクトサーヴァントの際に自分に押し付けられたルーンです。
このルーンが自分の心を書き換えている。
だとすればこの気持ちは偽物です。
ルーンに無理矢理作られた、偽物の気持ちなのです。
其の考えに至った時。エルザの心には小さな恐怖と同時にある感情が湧き上がります。
それは怒りでも、不満でも、混乱でも、ましてや殺意でもありません。
納得でした。
エルザは、自分に偽物の気持ちが植え付けられたことを、ストンと納得したのです。
偽物。
それ程に自分に相応しいものはないとエルザは思います。
なにせ、エルザは、その生き方全てが偽物だからです。
偽物の姿で偽物の家族を作る、偽物の言葉を投げかけ偽物の信頼関係を作る。偽物の立場を持ち最後はそれらを利用して食事をする。
人間の偽物。
なるほど、自分は偽物の感情を得るにふさわしい存在だ。
エルザはそう思いました。
自分の感情を無理矢理に作られたことに対してさしたる不快感はありませんでした。
別にその感情が自分に対して何か不利益になるのならばまだしも、
少なくとも、現状では自分にとってマイナスになる部分が見当たらないのです。
それどころか、利点すら見出しています。
テオの庇護下に入る際、メイジ嫌いの自分がその感情をテオに対して抱くことは、テオにとってもエルザに取っても不幸なことです。
身の安全の為に嫌いなメイジの庇護下に嫌々付くのと。
好きなメイジと共に一緒に居ながら、同時に保護もしてもらえる。
どちらが良いか…勿論後者です。
エルザは自分の中に湧き上がるテオに対する好意を肯定します。
しかし、一つだけ問題がありました………
「おおい、エルザ…話は終わったぞ!」
そう言いながらテオが部屋の中に入ってきました。
エルザは突然の事にビクリと体を震わせました。
「ははは、いやあ、面白いことになったのでな、数日はここに泊まっていくことになった」
「すぐに帰らないの?」
「まあな、ちょいと面白いことになってなあ」
「面白いこと?」
「ああ、何でもこの村には吸血鬼が出るそうだ」
「!」
その言葉に、エルザは心臓が凍りつくような感覚を覚えました。
「それで、先程吸血鬼退治に騎士が訪れてな…その従者が…誰だと思う?あの青髪メガネだ!ほら、エルザも魔法学院で会ったろう?竜を連れた青髪無口な子供だ。ふふ、あいつは吾の占いのファンでなあ、数日に一回は吾の部屋を訪れ占いをしていくのだ。まあ、その気持ちはわからんでもないぞ…何せ吾の占いは百発百中であ…………
テオはまくし立てるように言葉を続けましたが、その殆どの言葉はエルザの耳を素通りしていきます。
そう。
コレこそが、最大の問題。
自分が吸血鬼であるということです。
先刻この感情が、呪いによるものだと思った時。
恐怖が湧き上がったのは。
ルーンが使い魔にしか付けられないと言うことに対してです。
コントラクトサーヴァントの際に、ルーンが押し付けられるのはあくまで使い魔の側。
言わば、この感情は使い魔にだけ適応される一方的なものです。
つまり。
つまりテオは自分に対して、自発的な感情しか持ちあわせては居ないのです。
テオはエルザを嫌いになるかもしれないのです。
いえ、当然嫌いになるだろうとエルザは思いました。
吸血鬼は人間の敵です。
それを嫌わずに何を嫌うと言うのでしょう。
「しかし、吸血鬼であるからな。我々もも気をつけねばな」
「そのことですが、ご主人様、その心配は不要かと思います」
エンチラーダの言葉。
その言葉に、エルザはとうとうこの時が来たのだと思いました。
「…何故だ?」
テオがエンチラーダにそう問います。
何時かこの時が来ることは判っていました。
いつまでも隠せるものではありません。
しかし、しかし、出来ることならば。
もう少し。
もう少しだけ、テオに優しい笑顔を向けて欲しかったのです。
もし、自分がテオに対して好意を持っていなかったなら。
こんな悲しい気持ちも産まれなかったでしょう。
もし、テオにもルーンの呪縛がついたならば。
こんな不安も感じなかったでしょう。
自分の正体を知られても、自分が殺されるようなことはないと言う確信がエルザにはありました。
自分の使い魔を殺す事は、メイジとしてはまずありえないことですから。
しかし、自分の正体をしられ、今まで通りにテオが笑いかけてくれるとは思えませんでした。
侮蔑か、嫌悪か、それとも不快感か兎に角、自分に対して悪い感情を向けられる。
テオの笑顔がもう自分に向けられることはなくなるでしょう。
しかし何故かエルザの中には安堵もありました。
もう、これで、テオに嘘をつかなくていい。
自分はテオにやっと本心をさらけ出せるのだと。
そんな平穏な感情もまた、同時に生まれていたのです。
だから、彼女は。
エルザは、エンチラーダが口を開くより前に。自らそれを口にしました。
「あのね…私が…吸血鬼だから!」
妙に明るい声だと。エルザ自身。そう思いました。
そしてそんなエルザに対して。
「ふむ」
テオは眉間にシワを寄せ、目を瞑り考えこんでしまいました。
辺りを沈黙が支配します。
それはエルザにとって永遠のように感じられました。
果たしてテオは何を考えているのか。
後悔してるのだろうか。
怒りを押さえつけてるのだろうか。
冷静に今後の自分のなりふりを考えているのだろうか。
吸血鬼を監禁し自分に害が及ばないような処置を考えているのだろうか…
そんなエルザの想像が、ある程度出尽くした時。
テオは目を開き、おもむろにこう言いました。
「実は今までの一連の騒動はドッキリでしたというのはどうだろう」
「無理があります、死人が出るレベルのドッキリサプライズなんて聞いたことがありません」
「へ?」
突然ワケの分からないことを言い出したテオと、それに対して当たり前のように返答するエンチラーダ。
その光景に、エルザは間抜けな声を上げます。
「では、実は吸血鬼ではなくて、でっかい蚊でしたというのは…」
「無理があります、そんなでっかい蚊なんて、見たことがありません」
「え?え?」
「実は吸血鬼は本当は、皆の心のなかにだけ存在する…」
「無理があります…」
突然始まった二人のやり取りに、エルザが割りこむように言いました。
「あの!ちょっとお二人とも…ええっと。なんの話をしているの?」
「何って…どうやってコノ状況を切り抜けるのかの話だが?」
「ええ、勿論」
二人は当然と言った様子で答えます。
テオはエルザに対して何をするでもなく、ただエルザが吸血鬼であることをどう隠すかの算段を始めているのです。
「あのさ、テオは、その、何とも思わないわけ?」
「何とも?すまんが会話としては主語述語が不足しているので理解が出来ないぞ?」
「だから、ほら、私が吸血鬼だと知って、怖いとか、危ないとか思わないの?」
「?…エンチラーダ、こいつは何を言っているんだ?」
意味が全く理解出来ないといった様子でテオがエンチラーダに訪ねます。
「恐らくですが…人間は吸血鬼を怖がるというステレオティピカルな観念がございますので、彼女はご主人様もそのような考えを持っていないかと考えているようです」
「…つまり、アレか?コノ小さな幼女は吾が吸血鬼コワーイと思ってるって思っていると思っていいのか!?」
「恐らく」
エンチラーダの肯定にテオはヤレヤレといった様子でため息を一つつきました。
「良いかエルザ。いま大切なのはこの状況をどう切り抜けるかだ」
「でもアレだよ?私人間をたくさん殺してきたし」
「だから?」
「え……っとですね…?あれ?これ私がオカシイの?」
よもや「だから?」と返されると思っていなかったエルザは戸惑うばかりです。
「エルザ、諦めなさい、ご主人様の価値基準に種族というものは含まれていませんよ」
エンチラーダが諭すようにそう言いますが、エルザは今ひとつ信じきれませんでした。
「あのさ、でもさ、ほら、吸血鬼って言ったら、人間の敵なわけでしょ?その、なにかほら、思うところないの?」
「敵…のう、エルザよ、お前は人間の天敵はなんだか知っているか?」
「え?そりゃあ吸血…いや、ひょっとしてエルフ?」
たしかにエルザの言うとおり、エルフに比べれば吸血鬼が殺した人間の量は微々たる物かもしれません。
なにせ人間とエルフは何度か戦争をしてはその度に人間はたくさん死ぬのですから。
そういう意味では、吸血鬼はエルフよりかは少しばかりマシな存在とも言えるかもしれません。
しかし、エルザの回答に対し、テオは不満げな表情を返しました。
「違うな。人間の一番の天敵はなあ、他でも無い人間だ。なにせ古今東西一番人間を殺してきたのは人間だからな、お前の理屈で言えば吾は人間に怯えなくてはならなくなるぞ」
そうなのです。
この世界において、いえ、如何なる世界においても、人間を一番殺した生物は、他でもない人間自身なのです。
「人間に比べれば吸血鬼なんぞ可愛いものだ。まあ、その通りに可愛い見た目をしておるしな。そしてな、目の前の可愛い幼女に怯えるほど、吾は臆病では無いつもりだぞ?」
そう言って、テオは笑いました。
それは先刻までと同じ、眩しい笑顔でした。
「…」
そのテオの笑顔にエルザは何も言い返せなくなってしまいます。
「じゃあ、作戦会議を続けるぞ?…実は伝染性の奇病だったというのは…」
「無理があります」
「じゃあ…」
「む…」
今まで自分に笑顔を向けた人間はそれはもう沢山いました。
しかし、「吸血鬼であるエルザ」に笑顔を向けたのは彼が初めてでした。
さらに、彼らは当たり前のように自分を助けようとしてくれているのです。
そしてエルザは悟ります。
ああ、そうか。
使い魔だからとか、庇護者だからとか、そういう問題ではないのだ。
この感情が本物だとか、偽物だとかは関係ないのだ。
自分は、ただ単純に、この目の前の人間を好きになるべくしてなったのだ。
テオフラストゥス。
彼こそが、自分の主人なのだと。
エルザは涙がこぼれそうになるのを必死に押さえながら言いました。
「あの…あのね、この状況を切り抜ける方法ならば、私が考えたのがあるんだけど」
それは吸血鬼らしい、方法。
人間であれば残酷であると断される方法でした。
しかし、目の前の二人ならば、この方法を提案しても。
きっと自分を嫌いにならないでくれる。
そう確信してエルザはそれを口にします。
◆◆◆用語解説
・おぎょん
群馬県沼田市で毎年8月に行われる400年の歴史を誇る伝統あるまつり。
世界を越えてシルフィードがこの祭りの存在を知っていたとは思えないので、この「おぎょん!」はたまたま口から出ただけだと思われる。
・質問に質問で返す
疑問文には疑問文で答えろと魔法学院では教えていない。
・コントラクトサーヴァントの呪い
原作において特に言及は無い。
そもそもそんな呪いは存在していない可能性もある。
エルザは有ると考えたようだが、果たしてエルザの心の中のその感情が本当にコントラクトサーヴァントの呪いなのかは不明。
・ドッキリサプライズ
実はドッキリでしたと言ってプラカードを持ってタバサの前に出るテオ。
実は吸血鬼なんて居ないんだ、全部君を騙すために仕組んだのさ。
吸血鬼がやったように見せるために、皆をヌッ殺した後に魔法で血を抜いたんだ。
どうだい?驚いたろう?本当に吸血鬼が居たみたいだったろう?
でも実はドッキリだったのさ!
…というプラン。
死人が出ている時点でたぶん笑って許してはくれない。
・でっかい蚊
人間の血を吸い尽くすレベルの蚊。
本当に存在したら、むしろ吸血鬼より怖い。
・ステレオティピカル
ステレオタイプ的という意味。
判で押したように同じ考えや態度や見方が浸透している状態を言う、偏見的と言い換えても良い。