ロレント郊外のとある民家。
百日戦役と名付けられた戦争が無事に終結したリベール王国。
リベール王国軍を指揮し、エレボニア帝国の撤退に大きく貢献した、リベール王国軍所属のカシウス・ブライト大佐。
彼は戦後処理が本格的になる前に、大慌てでロレントの自宅へと帰ってきていた。
もちろん軍の中枢に携わり、そのような戦功をあげたカシウスが戦後とはいえ一時でも帰ってこれたのは、周囲の協力と、とある情報からによるものが大きい。
それは『レナ・ブライト重傷』の悲報。
帝国兵を幾名か拿捕した際に、敵の無線に入った一つの情報。
厄介な敵、カシウス・ブライトの妻を発見。時計台を爆破する事により生き埋めにしてやった、とのこと。
精神的攻撃を狙った一将兵の狙いは、実に効果的だった。
顔を真っ青にしたカシウスは動揺が酷かったが、リベール王国軍の最高位のポジションにいるモルガン将軍、彼もレナをよく知る人物であり、カシウスの面倒をよく見ていて、自分の後継者にしようと画策もしていたモルガンがカシウスの為に融通を利かせて、彼を妻の元へと遣った。
この事態にその対応は部下に反感を買いそうなものであるが、なによりもカシウスの功績を知っていたし、この戦争では彼のお陰で戦死者が減り、早期終結した事は誰もが理解していた。
だから誰もがカシウスを心から送り出した。
そういった『人徳』も、カシウスのカリスマ性を表しているといえよう。
そうして大慌てで戻ったカシウスだったが、家の扉を蹴破るように開けると、そこにいたのは怪我ひとつ負っていない愛する妻の姿であった。
呆然としたカシウスは、笑顔で「おかえりなさい、あなた」というレナの言葉で我に返り、矢継ぎ早に無事かどうか尋ね、ペタペタと体中を探り怪我がないか診る。
レナ自身も驚くほど取り乱しているカシウスを落ち着かせ、事の顛末を説明した。
瓦礫の下敷きになったのは本当。
怪我もした。
死にかけていたのも本当。
そこに現れた、1人の少年。
気がつけば、ロレント郊外にいたこと。
レナは全て説明した。
「それは……気になるな」
「ええ。私もあの子がどうなったか、気になって気になって」
いや、まあそれもあるんだが、とカシウスは心の中で呟く。
当然その少年に改めて礼をしたいという感情はある。むしろ感謝の気持ちでいっぱいだ。
レナの意識が朦朧としていた所為か、いまいち話に要領が得ない。
するとレナの膝の上でデザートを頬張っていたエステルが父に言った。
「あのねぇ、真っ赤な服を着た男の子だった! あとあと、青い光が手から出て、石が浮き上がってドシーンって!」
「…………」
「そしたらお母さんの体も青い光でブワ〜〜ってなって、そしたらそしたら———」
エステルの説明は拙いものであり、他人が聞けば意味不明だったろうが父親のカシウスやレナはその意味を悟っていた。
「あなた」
「ああ。どうやらその少年のお陰、と考えるのが妥当だが……だがどうやって」
アーツの力ではない、そうカシウスは予想する。隣ではレナがエステルに紙を渡し、その少年の似顔絵を描いてもらっていた。
そもそもアーツにそのような力はない。
破壊系のアーツ、補助系のアーツ。回復系のアーツ。
どれも大体知っているが、岩を『浮かして除ける』アーツなどないし、それは『エネルギー保存則』に反している。
回復系にしても同じであり、瀕死の致命傷を塞いで回復させる力など聞いたことがない。
ロレント郊外にいたというのも可笑しな話であり、さすがにそれは少年の仕業ではないだろうと踏むが、カシウスはロレントの一部が荒野と化した事も踏まえて、一連の流れはその少年の仕業ではないかと、勘がそう告げていた。
「とりあえず、レナ」
「はい」
「大丈夫だと思うが、一応念のために王都の病院で検査はしてもらおう。念の為にな」
「ええ、分かったわ」
「それから……」
「?」
「今回の事で私は痛感した。軍にいては大切なものは守れない。私の一番守りたいものは、守れない」
「…………」
レナは黙ってカシウスの言葉を聞いた。
リビングが静まり返り、エステルの似顔絵を描いている鉛筆の音だけが響いている。
「私は軍を辞め、遊撃士になろうかと思う…………どうだろうか?」
一家を預かる男として、職を手放すのはそう簡単な問題ではない。
カシウスは愛する妻へとそう問いかけ、
「あなたの望むようになさって下さい。夫を支えるのが妻の役目ですから」
レナの温かな笑顔にカシウスは口元を緩める。
「ありがとう」
2人はテーブルの上で手を繋ぎ、コクリと頷き合った。
それから温かな空気が漂い、エステルの元気は鼻歌が響く中、カシウスは続けた。
「実はそれ以外にも気になっていることもあるんだ」
「それ以外?」
「ああ。最近、エレボニア・カルバート・クロスベルで奇妙な事件が起こっている」
「…………もしかしてクロスベルタイムズに載っている、子供が謎の失踪を起してる事件ですか?」
「ああ。まだ数人だが……どうにも嫌な予感がする。まだ始まりに過ぎないような、そんな気が」
「そんな……」
「妙な組織もあるようだ。それらを探るには、軍人ではしがらみが大きすぎる」
「そうですね」
エステルほどの子供が行方不明になっている、その事実は子を持つ親としては不安だ。
レナはエステルをギュッと抱きしめた。
「将軍には申し訳ないが」
「ええ。そうですね」
「できた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
と、そこでエステルの元気な声があがった。
エステルは嬉しそうに両親に、自分が描いた少年の似顔絵を見せる。
「ほう……」
「あら、エステル上手ねぇ」
「えへへへ」
なんとも子供らしい子供の絵だが、特徴をよく掴んである。
赤い帽子を被り、赤いコートを羽織り、下は全身黒い服装の少年。髪は青色。瞳は緑色。
エステルの絵を見て、レナもおぼろげながら少年の姿を思い出したらしい。夫を見てコクリと頷いた。
カシウスはその絵をジっと見詰めた。
それから2ヶ月後。
カシウス・ブライトはリベール王国軍を退役。
『剣聖』と謳われた剣を振るうことはなかった。
一方、海岸線を歩いていた『渦中の少年』こと、ルシアは己の手をジッと見ていた。
砂浜に佇み、紅い夕日を浴び、波の音が響く。
「…………」
力が、弱くなっている。
完全な弱体化が起こっていた。
ゾファーとの戦いの代償か。そして『アルテナの力』を使った代償か。
今の自分に、少し前までの力はない。
数日前の人間を助け、攻撃し、魔獣と呼ばれる獣を倒している内に、己の力がどんどん弱まっている事に気づいた。
「…………」
ここは異世界。
アルテナの加護もなければ、青き星のルシアとしての命令が、星に通用しない。
さらに青き星での結晶体の中にいない為、己の身体は歳を重ねるようになってしまう。
青き星を司る者としての使命。
それは滅んだ青き星の再生。
その為には女神アルテナに会う必要があり、またその為には異世界から元の世界へと帰る必要があった。
そもそも大前提の話として、
「ゾファー……貴方は本当に滅んだのですか?」
一番の問題はそこだ。
確かにアルテナの光は直撃した。あれでは無事ではすまない。
だが『封印』もしていない。
もしかしたらルナの星に降り立ち、破壊の限りを尽くしているのかもしれない。
「まずはこの星を探り、異世界へ渡った原因と、青き星への帰り方を探さなくては」
青き星やルナであれば星が回答を教えてくれる。だがここではそれは無理だ。
面倒だが、今後は自力で探し回らなくてはならない。
この広大な空の下で、どこまでも。
砂浜に、一つずつ、確かに足跡を残して歩き出した。
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ルシアに仲間はいません。
それを苦にもしません。なぜならそれが理解できないからです。