第30話 過去を知る女
「みんな散って!」
咄嗟に反応できたのはヨシュアであった。
突如現れた怪物に呆然とし硬直したエステルやティオは、彼の言葉で転がるように慌てて散開した。
トカゲの面が凶悪な猛獣のように歪ませ、背から尾まで繋がる縦髪は泥に塗れた深緑の色合い、鋭い爪と牙は鋭すぎていて、万が一に噛まれたら即座に食い千切られてしまうだろう。
だがそれすらも霞んでしまうのが、凶悪な咆哮である。
獣の独特の叫び声だが、今まで見てきたどの魔獣たちより『自然界の強者』と『圧倒的弱者』の立場。
濃厚な死の香りと、刈られる側としての弱者の立場。
訓練などではどうにもならない、絶対的に埋められない差。
咆哮は水面を揺らし幾重にも波紋を発生させ、木々が激震と共に小刻みに揺れ動く様は、小さくだが小刻みに衝撃波が派生している。
3方向に散った姉弟たちは、その衝撃が地震であるかのように揺れを錯覚し、思わず地面に蹲る。
「な、な、なっ!?」
「これは———っ!」
ケタが違う。それを本能に悟った3人ではあるが、戦わないと殺される———あの化け物の言った通りに。
明らかに感じる敵意と殺気に反射で身構える。
「ティ、ティオ!」
「こ、こっちは、だ、大丈夫で————っ!?」
結果的に別れた方向、それがエステルとヨシュアが同じでありティオが1人。その結果が焦りを生む。
妹の初実践、それも外見は魔獣とはいえ規格外の相手とそれを従える女が相手。
焦って自分の所へ駆けつけようとする姉と兄へそう返そうとしたティオであったが、それは断念せざるを得なかった。
何故なら完全に分断された姉達の間に、巨大な化け物とそれを従える女が割り込んでいたのだから。
さらに、悪い事に女の化け物が、ティオへと襲いかかっていた。
「ひゃっはあああああああああ!」
「っ!!」
人間ではあり得ない、背から計8本の腕を生やす女は、その腕の尺に合わない広さまで腕を伸ばし、また振りまわしながら襲いかかる。
ティオはそちらに目を奪われ、エステルたちへと返答も間々ならないまま自分専用の導力杖を慌てて構え————。
ゴッ——、という鈍い音を杖が上げたかと思った瞬間には、ティオの身体は湖を飛び越え転がるように草木の中に突っ込んだ。
「ティオ———!」
「!! って、エステル!」
「はっ————!?」
吹き飛びゴミのように転がりながら林の中へと消えていった妹に、悲鳴のような声を上げて名を叫んだエステル。ヨシュアも思わず叫びかけたが、彼の視界の片隅に入った影が、彼を現実へと引き戻した。
ヨシュアの声でエステルは辛くもその影を避ける事が出来た。転がりながら顔を上げると、自分がいた場所には巨大な爪が突き刺さっており、そこには湖の水を滴らせながらこちらを威嚇する、ドラゴンが。
「ヨ、ヨシュア! は、はやくティオの元へ行かないと! あの女、なんだかティオを狙ってる!」
「分かってる! けどこいつ、想像以上に素早い!」
言いながらもヨシュアはなんとか迂回してティオの下へと駆けつけようとするのだが、早さが自慢のヨシュアの速度に目も巨体も付いてきている為、迂闊な行動に出られず、放置することも出来ない。
「エステル! 一刻も早くこいつを片付けよう!」
「わ、わかった!」
そう言って、2人は戦術オーブメントを起動させ、ドラゴン———正確には水竜獣と呼ばれる水中に住むトカゲの亜種へと襲いかかった。
◆ ◇ ◆ ◇
「……あ……っ」
気が付けば空を仰いでいた。空は夕焼けで焼け、一部が夕暮れで暗い。
夕暮れ時の所為で少し寒く、肌に感じる草木はどこか湿っている。
(なんで……ここは……地面?)
何故倒れているのか、そもそも何故空を仰ぎ見ているのか、頭がぐるぐると周って碌に思考が働かない。
しかし一呼吸後、ハッと意識がクリアになり、身体を捻って起き上がる。
だが起き上がり顔を上げた瞬間、視界が混ざった絵具のようにぐにゃりと歪み、身体が崩れ落ちる。
「あっ……こ、これは」
震える腕を押さえつけて必死に身体を起し、身体の間に膝を入れて無理やり身体を起こす。
——————そんな、たった一撃で!
「くくく。驚いたか?」
「っ!?」
背後から聞こえてきた声に驚いたティオは震える身体を無視し、無理やり前方へと転がり、身体を反転させて対峙した。
豹のように身体をしならせて体勢を低くし、声の主へと睨みつける。
「私たちに、いえ、私に一体何の用です?」
「へぇ……よく気付いたね。人間ごときでそこそこ頭が回るみたいだ」
「そんなに睨みつけて殺意と言うものを撒き散らし、私より戦闘能力が高い姉さんたちをあのペットに任せて主人自らが私のところに来ているのです。そこに辿りつくのは自明の理でしょう」
「ククク……なぜあの水竜獣『ウォータージェノスドラゴン』が私のペットだと?」
「簡単です……貴方の方が強いからです」
「! ……ああ、なるほど。そういえばアンタは人間の分際で我々並みに感覚が鋭いんだったね」
「どこでそれをっ」
クククッ、と不愉快な笑みを浮かべる化け女に、ティオは一層睨みつける。
一歩ずつ後退しつつ女を睨み、女が一歩ずつ距離を詰めてくる。
どうやらティオの疑問に応えるつもりがないらしく、女は不愉快な笑みしか返さない。
(なんとか時間を稼がないと……そうすればシェラ姉さんやオリビエさんにも増援として来るはずです)
「増援を期待してるんだろう?」
「!」
「だがそれも諦めな。あの水竜獣はあの程度の実力のやつらに勝てるほど簡単じゃない。増援の奴らがどれだけの腕の持ち主でも、あの硬い表皮は貫けない。あいつの表皮は腕力や刃物で斬れるものじゃないからねぇ」
「くっ…………」
「だから無駄だから————その首飾りをぶっ壊させろおおおおおおおおお!」
女の雄たけびと同時に、ティオは反射的に『戦術オーブメント』を取り出す。
遊撃士や軍人など、闘う者なら誰もが持っている戦いの道具。
クオーツと呼ばれるある結晶体をオーブメントに埋め込み、その式次第ではアーツと呼ばれる魔法を使えたり、身体能力を飛躍的に向上させたりできるもの。
ティオの懐から取り出したものはその戦術オーブメント。
しかし、形がエステルたちが持っているオーブメントとは違う。
「ハッ!」
「ぉおおおおおおおおおお!」
ティオの身体に纏わりついた青い光は、彼女の身体能力を底上げする。
女の左側の腕4本が真っ赤に燃え上がり、裂帛の気合と共に振りおろされた拳は地面へと直撃し、地面が陥没、拳が当たった周囲からは炎が巻きあがった。
恐るべき攻撃を、ティオは辛うじて後方へと回転する事で回避した。しかしスカートの裾と外套の裾が焼け焦げ、ブスブスと黒い煙りを上げている。
「チャンスっ!!」
ティオは導力杖を取り出し、備え付けられたボタンを押す。
すると杖は先端から分かれ、機械が擦れる音と共に変形を始めた。
細く長く、先端だけ扇状に分かれて、導力演算装置としての役目も果たしていた杖だが、先端が変形することでまるでひとつの銃のように、重厚な外装へと変わる。
それは、ティオが持っている中でも、最大の威力を誇る切り札とでもいうべき、強力無比なアーツを変換し、収束して打ち出す攻撃手段。
「エーテル――――」
青と白の光が集まる。
周囲の草木を揺らし、靴が地面に陥没するほどの圧迫感が全身を襲い、円を描くように式が描かれていく。
導力魔法だけでは到底出すことができない威力を誇るその攻撃。
「――――バスター!!」
耳をつんざく音と共に、ついにソレは放たれた。
前にいた女は驚愕の表情を浮かべて回避しようとするが、あまりにも接近していた為にそれは叶わず。
女を直撃した光はその背後にいた化け物に到達し、巻き込んで直撃した。
「はぁ・・・・・・はぁ」
土埃が巻き上がり、視野がよくないが、ティオは確信する。
完璧な程の直撃だった。そして至近距離で回避も、シールドらしきものも感じ取れなかった。
だから勝った、そう確信して――――
「・・・・・・そん、な・・・・・・」
「―――驚いた。少々痒かったぞ」
煙の中から、何事もなかったように出現した女に、ティオの心は完全に折られた。
「舐めた攻撃しやがってよおぉぉおおおおおおおおおお!」
激傲した女は本気で駆ける。それは姿がブレて、ティオにとっては消えたようにしか見えなかった。
しかしティオには鋭敏な感覚がある。反射で振り返った—————目の前に。
(はや———)
「遅いんだよぉぉぉおおおおおお!」
「あ————」
ゴキっと、鈍い音が響いた。
「ティオおおおおおおおおお!」
「よけろぉおおおおおおおお!!」
姉と兄の声がやけに遠くから聞こえて、世界が回転した。
◆ ◇ ◆ ◇
ガン、と鈍い音が聞こえたと思ったら、少女は甲高い声を上げた。
「いったぁ〜〜!」
水竜獣の身体に武器である棒を叩きつけたエステルだが、獣の表皮が硬過ぎて、ダメージを与えた気がしない。ジーンと痺れる手に思わず止まってうめき声をあげてしまった。
そこに水竜獣の尾が高速旋回で追撃する。
「やばっ!」
「エステル!」
直撃すると思われたが、ヨシュアが即座にエステルの襟を掴み引っ張った事でギリギリで回避に成功。
ヨシュアの腕力で放り投げられたエステルは空中で身体を捻って着地する。
「どんだけなのよ!硬すぎるのよ!」
「エステル、僕がいく!」
エステルの突っ込み、というか文句を尻目にヨシュアは素早い動きで相手の懐に潜り込み、足、膝、肩と蹴りあげて跳躍。
眼の高さまで舞いあがり————身体を一回転させて化け物の眼球を切り裂いた。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「やった! さっすがヨシュア!」
「エステル、この隙にティオの下へ増援に! こっちは僕が抑える!」
「わかった———って、ヨシュア後ろ!」
それは完全な油断。
眼球を片方潰されたヨシュアは、着地するまでの間、空中で無防備に。
そして化け物は————口を大きく開き、そこに白く輝く光を収束していた。
(しまった————やられる!!)
思わず目を瞑った瞬間。
彼の片足に何かが巻き付いて力一杯に引っ張られていた。ヨシュアは体勢を整えられないまま地面へと引きずりおろされ身体をしこたま打ちつけ、服には土と草で汚れていたが、なんとか生きていた。
そして化け物が放った白い光の怪光線は、湖に着弾し、湖の水が一瞬で凍りついていた。
ヨシュアは身体への衝撃に咽ながらも立ち上がり、自分を助けたソレを解く。
彼の窮地を救ったのは、足に巻き付いていた鋼鉄の鞭。
その鞭の主に、エステルはホッとして叫んだ。
「シェラ姉!」
「危なかったわねヨシュア。でも教えた筈でしょ、油断するなって」
「う、うん。でも助かりました。ありがとう、シェラ姉さん」
「ま、いいけどね。いきなり化け物の雄叫びが聞こえたから飛び出してきたら、あんた達が戦ってるんだから…………で、これ、何?」
「いや、わからないからあたし達も困ってるのよ! それにティオの方にこの化け物の親玉らしい奴が!」
「なんですって!? ……あんた達、ここは私とオリビエに任せて、ティオの救出に行きなさい!」
「わかった! って、オリビエは?」
「オリビエ! こっちを手伝いなさい———って、いつまで吐いてるのよ!」
「シェ、シェラ君。ちょ、ちょっと待ってくれ!」
オリビエの姿が見えないので彼を捜すと、シェラザードの後ろで草むらにゲーゲー言いながら吐き続ける彼の姿が。
思わずオリビエを殴りつけたくなったのは、エステルだけじゃない筈だ。
とは言っても、シェラザードにガンガン飲まされ潰された彼が駆けつけてくれただけでも大したものなのだが、お酒を嗜まないエステルにはまったく理解してもらえなかった。
シェラザードが湖を凍らせるなんてケタ外れの化け物に向き直り、零れ落ちる汗を拭うことなく睨みつける。オリビエは吐き終えたのか、口元を拭って、フサっと髪をかきあげてポーズを決めながらシェラザードの横に並んだ。
その時だった。ティオがいると思われた先から突如発生した、青白い光のエネルギーが森を破壊しながら突き進み、化け物に直撃したのだ。
「な、なにごと!?」
「これは……っ!」
「これは、すごい攻撃だね。おそらくティオ君が放ったんだろうが・・・・・・」
「そりゃ自分の仲間に攻撃は当てないだろうけどっ! こんな攻撃をあの子が?」
まるで上位の正遊撃士の、しかも必殺技「クラフト」に値するほどの攻撃力をティオが有していると思わなかったのだろう。
シェラザードは思わず信じられない、と漏らしてしまう。
しかし化け物はその攻撃に痛がっているようだが、それでも倒すには至らなかったようだ。
傾いた態勢を整えようとしている。その隙を見たエステルが我に返り、ヨシュアへと声をかける。
「ヨシュア! いくわよ!」
「わかった!」
エステルとヨシュアが化け物から大きく迂回し、ティオの元へ駆けつけようとした、その瞬間に飛び込んできた光景に反射的に叫んでいた。
「ティオオオオオオオオオ!」
「よけろぉぉおおおおおお!」
———————視界の先の茂みから、ティオが転げ出てきた姿と、女の化け物の頭蓋骨サイズの巨大な拳がティオを殴りつけ、鈍い音と共にゴミのように吹き飛び、湖に沈んだ姿が。
「あ、あ……あぁっ」
「ティオ……」
やられてしまった、ただそれだけの事実が頭をもたげ、言葉にならない言葉が洩れる。
呆然となり、脱力したかのように武器を落としてしまうエステルと、ヨシュアは顔を青褪め呆然となった。父の警告が、二人の脳裏を過って、それが一層拍車をかける。
「エステル、ヨシュア!」
「後ろだ!」
背後からのシェラザードとオリビエの声。
しかしエステルもヨシュアもその声に反応できず、巨大な影が彼らに襲いかかったのだ。シェラザードとオリビエは化け物の前面で相手になっていたが、彼女たちが相手にできたのは前面だけ。水竜獣の尻尾などの後方を相手には出来ていない。
すると遠回りして自分を抜いたエステルたちを見ていた水竜獣は、獣なのに恐るべき賢さをみせる。
シェラザードたちを相手にしつつ、尻尾のみで視覚から攻撃を放ったのだ。
その効果はてき面。右払いの攻撃はエステルとヨシュアを的確に捉え、エステルの武器、棒の上から強烈な衝撃と共にヨシュアを巻き込んで彼女たちは地面に転がった。
「エステル! ヨシュア! 無事なの!?」
「だ、大丈夫……それよりも、ティオが!」
転がった位置が丁度シェラザードたちが居る位置付近という、振り出しに戻されてしまったのだが、エステルたちのダメージは決して浅くない。
起き上がれずに2人仲良く地面に倒れ伏すのを横目に、シェラザードは歯を食い縛って声をかける。
自分が眼の前の化け物を相手にしない限り、妹を助けにはいけない事を彼女は悟っていた。普通ならトップスピードに乗って翻弄すれば自分でも助けにいけただろう。だが眼の前の化け物は本当に獣かと疑うほど知能が高く、隙がない。オリビエと2人でようやく互角に持ちこめている現状、オリビエを救出に向けたとしても成功の見込みは低く、また彼自身も万全の体調とは言えないのだ。そして最終的に隙を見せたが最後、後ろの2人のように先頭不能に追い込まれる。
しかし現実問題として—————頼みの2人も身体のいう事が効かなくなっている。
(最悪の展開よコレはっ!! でも仕方ない。ここは分が悪すぎるけどオリビエを————)
シェラザードは思わぬ展開に、僅かな可能性に賭けるべく、オリビエへ声をかけようとした、その時であった。
妹が沈んだ湖の位置から、ずぶ濡れになった彼女がゆっくりと岸へと上がって来たのが見えたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「ゴホッ、ゴホッ」
急に意識が覚醒した瞬間は水の中で。
思いっきり水を呑んでしまって、慌てて息を吸うために水上へと急浮上。息が吸えたと思ったら、今度は激痛が腕から発して再び溺れかけて、なんだかカナヅチの人のようにいっぱいいっぱいの泳ぎで陸へとティオは上がった。
水を呑んでしまった為に咳が出て咽せ、しかし腕が変色して明らかに折れているところを抑えている為、口を手で覆うこともできない。結果、唾が口からボタボタと落ちるという、普段なら絶対にしない醜態をティオは晒していた。
しかしそれも今は気にならない。
ずぶ濡れになった所為で身体に纏わりつく服の感触も気にならない。
今、ティオの全ては眼の前の人物に向けられていた。
「おやおや、随分と痛そうじゃないか」
「…………ゴホッ…………お陰さまで」
「殺ったと思ったけど、激突の瞬間に僅かに身体を捻ったわね? おかげで殺し損ねたわ」
「…………」
「ああ、そうそう。先にソイツを壊させて貰おうか。なんでアンタがソレを持ってるか知らないけど、あたし達魔族にとって、ソレは忌むべき品だからね」
半殺し、という状態にまで持って行けたからだろうか。ティオのボロボロな状態を見て少し留飲が下がった事で冷静になったのだろう。女はティオが首から提げているオカリナを指して命令してきた。
ティオは女の中で自分達の抹殺よりもこっちが無意識にしろ勝っている事に気付き、思わず眉を顰める。
だが、はいそうですかと渡せる訳もなかった。
「……お断り……します。これは……私の知り合いの、物なんです」
「……知り合いだと?」
「そもそも……貴方は何故これの破壊にこだわるのです」
「当たり前だろうが!! ソレの本来の持ち主のおかげであたし達魔族はなぁ!!」
女の怒気にティオは怯みながらも、頭を必死に働かせながら問い続けた。
「……ルシアが何をしたというのですか」
「…………」
「?」
「クククッ……そういうことか。あの方が何でこんな奴らを殺せと命じられたのか、これで糸が繋がったよ」
「……どういう事です」
「さぁ? これから死ぬ奴に教えるなんて、労力の無駄だろう?」
「っ!」
武器を構えようとして、手に杖が無い事に気付く。おそらく湖の中に落としてしまったのだろう。
オーブメントも見つからない。
濡れた髪から水が滴れ落としつつも一歩ずつ後退し、足が湖に再び浸かる。遠くから兄や姉の声と男の人の声が聞こえるが、何を言っているか聞こえないほどに精神的にも追い込まれた。
女がニヤニヤ笑いながら拳に巨大な炎を纏わせ、一歩ずつだが確実に距離を縮めて————————。
「—————死ね」
炎の拳が電光石火の速度で振るわれ、その拳がティオの身体へと吸い込まれる、が。
「――――アンタがね!!」
突如ティオの眼の前に割り込んだ何かが、超至近距離で女へ巨大な火炎放射を放っていた。
「なっ!? お前は—————ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「!!」
その瞬間、ティオは確かに見た。
火炎放射にしてはあり得ない、直進する程の力強いレーザーのような炎の攻撃と。
その攻撃の所為で、夕暮れで暗闇に包まれつつあった一帯が、昼間のように明るくなったのと。
消滅していく化け物の女と、口もとから火の粉を散らす、ピンク色の髪が特徴的で目の輝きが太陽のような10代後半の可愛い女の子が立っていたのを。
そしてその人物が、自分が気を失って倒れていく瞬間に抱えてくれたのを、確かに見た。
◆ ◇ ◆ ◇
微かな喧騒と電気の灯りで意識が浮上した。
目をゆっくり開けて、眼の前の天井が泊っている宿の天井だと気付き、周りに包帯を巻いた姉や兄たちがいることに気が付いて、声を出そうとしたのだが、掠れてしまって変な声がでた。
「ぅあ……あ……」
「あっ起きた! ティオ大丈夫!?」
「姉、さん?」
ヌッと覗きこんでくる姉。心底心配したという顔がその表情から窺えて、それが嬉しい。
ゆっくりと身体を起し、シェラザードにオリビエ、ヨシュアにエステルといった面々が全員揃っていることから、あれから助かったんだと理解した。
だが、どうやって? と思いながら乱れた髪を整えようとして、そこで気付いた。
「え……腕が、治ってる……」
自分の腕が、あり得ない方向へ曲がっていたのを覚えている。激痛が走っていたのも、もちろん覚えている。
だが今はどうだ。折れていた腕は何事も無かったように完治しているではないか。
「なんで腕が……」
「ああ、それは……えっと、何ていえばいいんだろ」
「エステル。正直に言えばいいんだよ」
「うん、そうだよね。えっと……ティオ。どこまで覚えてる?」
「それは…………殺されそうになって……誰かが飛び込んできたのを」
「うん、そう。そしてあたし達を助けてくれたのも、あの人たち」
エステルが指さした方向を見ると、窓の外。
さっきまで姉と兄と自分がいた場所に佇む、二組の男女。
1人がピンク色の鮮やかな長い髪の女性と、真っ白な髪をツンツンさせた男性がいた。
どちらも遊撃士のように動きやすい格好をしていて、どちらかといえば冒険者といえばしっくりくるような格好をしている。
ティオはゆっくりとベッドから降りて靴を履き、無理をしない速度でゆっくりと歩いて外へ出る。
そんな彼女に続く、エステル・ヨシュア・シェラザード・オリビエ。
彼女たちも未だに詳しい話は聞いていない。助けられてお礼を言って、詳しい話はティオが起きたときに、という流れになっていた。
何やら彼らも話しが聞きたいことがあるらしい。
心配してくれていた宿のオーナーへ安心するように笑いかけ、川蝉亭の扉を開けて裏へと出る。
湖の浜へと出て、助けてくれた男女の下へと辿りついた。
エステルたちが近寄ると、2人は同時に振り返る。容姿が全く違う2人なのに、どこかが似ている、そう全員が感じた。
「起きたみたいね」
「良かったな、大した怪我じゃなくて」
ティオの顔を見て、ニッと笑いながら話しかけてくる男女の2人。
ティオは戸惑いながらもとりあえず頭を下げる。
「あの……助けて頂いたみたいで、ありがとうございました」
「いいのいいの。あたし達にも事情があるからね」
「事情、ですか?」
「そうそう。大きな理由はまぁ……置いといて。とりあえず気になったのは、ソレ」
女性が言っているのは、ティオの首からぶら下がっている笛。
「貴方も、これですか」
少しティオはうんざりする。あの魔族という女性もこの笛を破壊したがっていたし、助けてくれた女性も笛に関係するらしい。
そんなティオの言葉に男性は笑いながら言った。
「いや、別にあいつらみたいに壊そうとしてる訳じゃないぜ? その笛はとある人物の持ちモノだからさ。俺たちもその持ち主を捜して旅してるんだ」
「え?」
「本当?」
意外なところから出てきた、大切な幼なじみと繋がる人物の登場に、エステルとティオは思わず反応する。そんな2人を諌めるようにシェラザードが一歩前に歩み出た。
「その前に自己紹介しましょう。お互いに名前を知らないと不便だしね」
「あ、そっか。あたしはエステル・ブライトです。妹を助けてくれてありがとう」
「僕はヨシュア・ブライト。危ない所をありがとうございました」
「あたしはシェラザード・ハーヴェイ。ちなみにあたしを含めたこの3人は遊撃士よ」
「僕は愛を振りまく旅の「オリビエ・レントハイムね」……よろしく頼むよ」
「私は……ティオ・P・ブライトです」
シェラ君の愛が痛いよ、とか喚いているオリビエは放っておき、とりあえず自己紹介を済ませた5人に対して、白髪で中央が赤い髪という特徴的な髪の男性から挨拶がされた。
「俺はナル。ナル・ノアだ」
「あたしはルビィ。ルビィ…………ノアよ。っていうかナル。あんただけズルイわね!」
「うっせーよ! いいじゃねーか! この名は俺の名だぞ!」
何がズルイのかエステルたちには察することはできなかったが、とにかく何かズルイことをナルという男性はしたらしい。
ガルルル、と擬音が聞こえそうなほど威嚇するルビィという少女は迫力満点だった。
「えっと……ナルさんとルビィさんでいい?」
「呼び捨てでいいぞ」
「そうね。呼び捨てにして」
「そう? じゃあ、ナルとルビィはこの笛、というか…………うん。ちょっと緊張するわね」
「緊張してどうするのよ。ほらちゃんと聞きなさい」
「うん……よし! 2人は、ルシアを捜してるって言ってたけど、どうして? というかルシアとの関係は?」
ようやく見つかった手がかり。その事実に大きく唾を呑みこみ緊張するエステルとティオ。そんな2人に苦笑するヨシュアとシェラザードと、興味深そうに彼女たちを観察するオリビエ。
「…………」
「…………」
ナルとルビィは彼女たちの視線を受けて目を細め、ティオのオカリナとエステルのネックレスに視線を落とし、2人は顔を合わせて小さく肯く。
「あ〜、俺たちはルシアの……まあ、後見人ってところだ。他にもいろいろあるけどな」
「そういう事。あの子が行方不明になっちゃったから捜してたんだけど……そしたら、あの子の持ちモノを持っている貴方たちを見つけたから、こうして今回助けたって訳」
「後見人、か。なんというか随分と微妙な、というか含みがありそうな立場だね?」
オリビエがフフンと鼻を鳴らして問いかける。正直に話せと、彼は言外に言っている。
「いや後見人というは間違ってねぇ。とはいっても、もう1つの立場が大きく占めてるから嘘臭く聞こえるのかもしれないが……まあ、どっちも大した差はないからな」
「そうね。そして今度はこっちが質問する番。貴方たち……それをどこで、どうやって手に入れたの?」
その瞬間、ルビィという少女の目が、紅蓮の炎に包まれるのを幻視した。
強烈な業火に焼かれるような、絶対に嘘は許さない、と言わんばかりの真っ赤な裁きの炎。
全員がその視線に冷や汗を掻き、思わず身構えてしまう。
しかしその冷や汗は、化け物の女や竜の時のような恐怖からくるものではなく、まるで審判を待つ罪人のような、そんな心境に陥らせた。
「これは、お母さんが、ルシアが残した品を預かってたって……それを私達が捜す時に、渡してくれて」
「…………ティオとエステルって言ったわね。貴方たちとルシアの関係は?」
「あたしとルシアは幼なじみなの。それでティオは……?」
「私は……彼にむかし————」
言おうとして、一旦口を閉ざす。
チラッと後ろにいる姉や兄たちを見て地面へ俯き、ギュッと眼を瞑って黙り込む。
彼女の何かを察したのか、ルビィは「ふーん」と唸った後、ティオへ近寄りしゃがみこんで耳を向けた。それだけで、ティオは彼女の気遣いを感じ、小さく感謝したのだ。
ありがとう、と。
ティオはそっとルビィの耳元で、聞こえないように小さく、過去に何があったかを説明した。
「———————」
「…………なるほどね」
説明を受けたルビィは目を閉じて小さく肯き、立ちあがってナルの下へ。
ナルに同じ説明を彼らに聞こえないように小声で説明すると、ナルも眉を顰めた後、小さく肯いた。
しかし説明したティオも思わず説明した後に自分の行動に茫然とする。
散々隠してきたことを、事件関係者でもない人に話してしまったのだから。
ルシアの関係者だから? 自分を助けてくれた人だから?
違う――――“彼に雰囲気が似ているから、だ。
「あ〜、わかった。あんた達がルシアのものを何故持っているかも納得できた。疑ってすまなかったな」
「いや、それはいいんだけど……」
「うん……でも」
ティオの内緒話が気になる、そういう空気だった。
彼女と彼の繋がり、それだけでナルたちが納得したのだから、何があったかより一層気になってしまっても仕方がないだろう。
エステルとヨシュアは特に知りたそうにしていた。
「だがしかし……そういうことになってたとはね。だから気配を感じれない訳だ」
「ええ。それに“命令”もこない事から、記憶にも欠損があるかも」
この状況にようやく納得いった、と腕を組んで何度も肯くナルと「あ〜ルシア〜〜」と何やら奇声を上げながら名を叫び続けるルビィ。
少し場がカオスになってきた所で、エステルが2人に尋ねた。
「あの、ルシアの居場所はやっぱり知らない、って事よね?」
「あ? ああ、居場所は分からない。俺たちも捜してる真っ最中だからな」
「そっか……」
せっかく手がかりが見つかったと思ったのにと肩を落とす。そうですね、とティオもガックリとする中、不意にナルとルビィが自分達をジッと見詰めていることに気がついた。
「えっと、僕らに何かまだ聞きたいことが?」
「…………あ〜〜いや、まあ、なんていうか」
「そうねぇ。用は無いんだけど……ねぇナル。この子、ひょっとしたら……」
「いや待てよルビィ。それを言ったらこっちの子も」
「え〜? そう? あの子が肝心な事を何も言ってない所を見ると、あまり重要じゃないんじゃない?」
「いや、違う。忘れたのかルビィ。そもそも皆だって、最初はそこまで重要な関係じゃなかっただろ」
「……そうね、確かに。でもそうなると……期待して良いってことなのかしら?」
「う〜ん。その断言もできないところが苦しいんだが……」
と、ティオとエステルをジロジロと見て、またもや訳の解らない会話を初めた2人に、少し呆れる一同。
だがここで、ナルはある事に気がついた。
(ん? あれは…………オカリナに魔力が籠ってるな。それもこの魔力の種類は……『あの歌』の)
そう。それは、よく見ないと気付かないほどの、今にも消えかけの魔力反応。
だがナルはそれに偶然気が付き、そして『このオカリナ』に『魔力が溜まる』ことの意味を知っている。
ナルがオカリナを凝視することに気がついたルビィもその視線でようやく気付き、ハッとなった。
(ナル)
(ああ。この世界の住人はあの歌を知る筈がねぇ。だが……)
(そうよ。このオカリナにはあの祈りの歌しか反応しないんだから)
(とすると、教えたのもただ1人)
(……じゃあやっぱり決まりね)
コクンと同時に肯いた2人。ルビィは一歩前に出て、ティオへと話しかけた。
「ティオ。あなた……これからどうする気?」
「え?」
「そこの後ろの4人は戦闘訓練を積んでるみたいだけど、あなたは素人でしょ? それであの子を捜すのかって言ってるの」
「それは…………」
キツイ言い方にエステルが突っかかろうとするが、シェラザードが制止をかける。
彼女も実際にティオに言おうと思っていたことだった。いろいろな要因があるし、自分達の実力が足りないという事実もあるが……それでもティオが素人すぎる、という点が一番の問題点であることに変わりはなかったのだ。
「ハッキリ言うわ。あの敵は『魔族』っていう種族なの。人間なんかとは比べるのもおこがましい程の基礎ポテンシャルの差。不可思議な能力。最低でも訓練をしっかり積んだ人間じゃないと、まず勝てない」
「……なるほど。だからカシウス先生は魔族には気を付けろ、って仰ってたのね」
「へぇ。魔族を知る人間が他にもいたのか。やるなぁ……って、まあそんな訳で危ないって俺たちは言いたいんだ」
「…………」
「ティオ……」
「ふむ。余計なお世話、とは言えないみたいだね」
ヨシュアとオリビエは落ち込むティオへ上手くフォローができない。
なんとなく、このままティオは一旦は実家へと帰らせる流れになるのだろう、そう感じていた一同だったのだが、それは更にルビィによって砕かれた。
「だから—————私が鍛えてあげようかしら?」
「…………え?」
突然の提案に唖然となるティオ。
そんな彼女の様子を楽しみながら、ルビィは続ける。
「もちろん、無理強いはしない。けれどこれはある意味で、運命かもしれないわ」
そう。
事情を知るものなら、ルビィの提案はこう聞こえるだろう。
あの伝説の————————『〇の試練』と。
「何故……私なんかに、初対面の私にそこまで」
「ああ、それはね…………うん。まあ、これは言ってもいいかな」
「?」
「ルシアは……近い内にきっと『変わって』しまう。自分の真の使命に気付いた時、私やナルじゃああの子を助けることはできないから。本当の意味で、あの子を助けることは……できないから」
そう言うルビィは、どこか悲しそうで。
辛い、という訳ではない、何かを想い出し、現実とのジレンマに苦しんでいるような、そんな顔。
「なら、助けれるのが私だと、言うのですか? 姉さんじゃなく?」
ティオはチラリとエステルを見た。
エステルの顔は—————————彼女自身が初めて見るほど、強張っていた。
「ええ。だってその可能性は高そうだし。まあ、あくまで可能性の問題だから違うかもしれないけど」
「…………」
「何よ、その顔。未来のことなんだから私たちが分かる訳ないじゃない。だから勘よ。勘」
「はぁ……期待して損した気分です」
「うぐっ。でも貴方知ってるんでしょ? アレ。アレを知ってるのがこの中であなただけなら……」
そう言ってルビィは、両手を広げて月の光を浴びながら、ある歌を奏でた。
とても短い、譜に記すと一小節分だけ。
————————ラ〜〜〜、ラ〜ラ〜ララ〜
「それはっ!?」
ティオがハッとなって声を上げる。
他はティオの過剰反応に疑問が出て、なんで歌? という突っ込みしかできない。
だが、ティオにとっては大問題。
この歌は、ずっとティオが心の支えにしてきた、彼への祈りの歌なのだ。
ずっとオカリナで吹いてきた、不思議と『彼を表している』かのように感じた歌なのだから。
「……この歌の意味を知ってるなら、それは誰よりもあの子の―――アルテナの近くにいける資格がある。私たちに付いてくる?」
私たちを信じる? と。
ルビィは楽しそうに笑い、ナルはどこか儚げな顔をして月を見ている。
こんな事で乗るなんて馬鹿げている。そう理性が訴えかける。だが、心が叫ぶ。
彼女たちに付いていけ、と。
だって、あの歌を知っていたとしても、アルテナという単語すら知っていたのだから。
そもそもこれはティオにとっては渡りに船。今回の事で力不足を痛感したから、彼女は別行動してとある場所へいくつもりだったのだから。
ティオにとっては、それだけで十分だった。
「本当に貴方たちに付いていけば、私は強くなれるのですね?」
「それは貴方次第。強くなれるかどうかも、あの子に会えるかどうかも、その資格を手にするかどうかも。そもそも貴方自身もどこかへ行こうと思っていたんでしょ? 私たちは貴方を護衛しつつ戦う術を教えてあげる。そして私たちは基本的にあなたの行動を束縛しない」
どこまで見抜いているのだこの人は、そうティオは内心で冷や汗をかきつつ、
「……その提案、乗らせてもらいます!」
姉たちの制止も聞かずに、そう高らかに宣言したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
元々姉さんたちとこのまま分かれてツァイス中央工房にいくつもりだった、そうティオは姉たちへ説明していた。
短慮な妹へ怒った姉たちであったが、そう言われては何も言い返せない。
ティオの言葉にルビィやナルも、ティオの行きたいところに行けばいいさ、と言った。
命の恩人とはいえ会って間も無い人達と共に行くなんて正気か、そうシェラザードにも言われたが、ティオにはそんな当たり前の理屈を吹き飛ばす、説明ができない納得感のようなものがあったのだから、彼女は少し説明し辛そうにしていた。
とはいっても、オリビエは「この2人は信頼できると思うよ。とても愛の力を感じるからね」と訳の解らないことを言って、シェラザードとエステルにブッ飛ばされていた。
そして何より、場所が以前よりティオが通っていたあの国外まで名をとどろかす『ツァイス中央工房』であることが、「まぁ……あそこなら」と、渋々了承することに賛成させたのだった。
そもそもそこで反対するのなら、なぜ普段から通わせたんだと、そうなってしまうのだから、反対などできるはずもない。ツァイスまでは定期便も出ているのだから尚更だ。
とは言っても夜分遅かったこともあるので、とりあえず今日はゆっくり休むことにし、翌日も静養して明後日に出発することにした。
皆はナルやルビィにいろいろと話を聞きたかったが、戦闘で疲れ果てていた一同はとりあえず仮眠をとり、その翌朝。
お昼前にようやく起きてきた一同。遅めの朝ごはんを食べて、そこでゆっくりと話が始まった。
主に会話の主導を握っていたのはシェラザードであった。
「———じゃあ魔族っていうのは人間の敵であり、人間ではない種族の知的生命体ってこと?」
「ああそうだ。『ほぼ』全ての魔族は人間を忌み嫌い、根絶しようとしている。それは人間が家畜などを殺して食物を得るのと同様で、魔族にとってもソレと同じ感覚と捉えていい」
「なるほど……じゃあ対話や話し合いによる平和的解決は難しい、いえ、無理ってことね」
「まず無理だろうな。そして何より、魔族は人間とは根本的に潜在能力から身体能力まで違う。人間も一緒だが、弱者を虐げることは、生物として普通の本能的行動だからな」
「そんなっ! そんなこと……」
エステルはナルの言葉に思わず声を荒げるが、それも次第と消えてしまう。
彼女も知っているからだ。人の歴史を鑑みても、それは否定できない事実だと。
「じゃあ、あの魔族の女が使った炎……魔法って言ったわね。アーツと違うの?」
「違う。お前らのいうアーツとは、そこの機械を媒介としなければ利用できない。アーツを魔法といっている者もいるみたいだが、魔族たちの概念からすれば、アーツの理屈は銃などの兵器となんら変わりはないからな」
「ま、そういうこと。それで〜、魔族のいう魔法ってのは何も媒介として使わず、己の精神力や大気の魔素のみを使って起こす超常現象。ね? 違うでしょ」
「まるで本や絵本の魔法のようだね。だが実にロマン溢れるじゃないか」
なんて感動しているオリビエは放っておき、いろいろと魔族の手段や生態を聞いていく。
実はルビィやナルも当たり障りのないことしか言っていないのだが、魔族という単語しかしらなかった一同にはとても有益な情報であり、シェラザードは後にその情報を遊撃士協会へ報告する事になった。
会話がひと段落する頃には昼も過ぎていて、エステルやティオやヨシュア、そしてルビィの4人は浅瀬で釣りをすることになった。
釣りという遊びの為か、自然と会話は少なかったのだが、やはり両者の会話は共通の知人のことになり、会話はルシアの事に。
「それで、ルシアったらイチゴを知らなくて、あたしが食べ物だって教えてあげたらその場で食べ始めたの。お店の人もお母さんもびっくりしたのよ! まだ未払いのものだってのに!」
「へ〜〜〜」
「ふふふ……なるほどねぇ」
幼馴染の奇行にヨシュアは感嘆の声をあげ、ルビィはなんだかとても嬉しそうで幾度となく頷いていた。ティオは……その奇行っぷりに目を丸くして驚いていた。
「ルビィさんは? 何か思い出ってない?」
「あるわよ、もちろん」
「ぜひ教えてほしいです!」
ティオの食いつき具合が半端ではなく、ヨシュアは苦笑しか出ない。
ルビィは真っ赤な髪を弄って、まるで遠い昔を思い出すかのように、遠くを見つめる。
「そうね〜。あんたたちの話を聞くとルシアは世間知らずの無感情人間みたいだけど……あたしやナルにとってあの子は……」
「あの子は?」
「ゴクリ……」
「……周りにいた大人の真似をよくする、まっすぐの眼をした、春の陽だまりのような笑顔を浮かべる子ね」
「「「え?」」」
まるで真逆。
まったく正反対の彼を伝えるルビィに、誰それ、とその場の誰もが疑問を浮かべる。
ヨシュアなど、実はこの人って彼とは全く無関係の詐欺師なんじゃ、と思ってしまうほどだ。
「本当よ? あの子はヒイ——————父親のまっすぐな性格とその瞳と心を、母親の優しい心と博愛気質と才能を、あますことなく引き継いでた」
「……じゃあ、何があってああなっちゃったというのよ」
エステルの瞳はどこか攻撃的で、口調もぶっきらぼうだった。
自分が知っている彼とは違う人物像をよく知っているかのように語る彼女へ、適当に嘘をいっているのなら許さない、そういう目だった。
それはエステルの中に芽生えたルビィに対する嫉妬心なのかもしれない。
「……それは教えてあげな〜い」
「なっ!?」
「だって意味ないでしょ? 今のあなた達にはなんら必要のないことよ」
「ぐぐぐ……」
「まあ、ティオちゃんなら条件次第で教えてあげてもいいかもね」
「私?」
「そう。あの子にとっては無意識だったのかもしれないし、そこに大した意味はないんだろうけど……でもあの歌を知ってるってだけで、この場にいる誰よりもその可能性はあるのかも、って思うのよ」
「?」
あの歌ってのは『アルテナの歌』のことだろうとティオは気づくが、それが何の関係があるかわからない。そもそもあの歌を知っているのは自分だけではない。
幾人もの生存者たちが知っているはずだ。
————たぶん。
「ま、そこら辺もあの子を見つけたら本人に聞いてみればいいんじゃない?」
あ〜眠い、と呟いたルビィはゴロンと寝転がり、あっという間にグーグー寝に入ってしまった。
なんか猫っぽい寝方だな、と寝姿を見て全員が思った。
「ねえ、ティオ」
「なんです?」
「ルビィさんが言ってた『あの歌』って何のこと?」
「…………」
「ちょっと教えてよ」
(何でしょう……そこはかとなく、私がリードしている感じがするですね)
「ちょっと」
「お断りします。これは私とルシアの思い出のものです」
「ルビィさんたちにも知ってるから、あんた達二人だけのものじゃないわよ」
「いえ、私とルシアの特別な思い出です。エステル姉さんには関係ないじゃないですか」
「教えてくれないなら……敵よ?」
「そうですね。ではお断りします」
「そう……ティオ、あんた………私の敵になるのね」
「言ってなかったですね姉さん……これだけは譲れないんです……だからっ!」
突然始まった姉妹喧嘩。
お互いの口から出てくる言葉はすべて攻撃的なもの。
2人は夕日をバックに相対し、真ん中にオロオロするヨシュアがいて、傍でルビィがグーグー寝るカオスな空間。
額には青筋が浮かび上がり、
「ティオ—————!!」
「姉さん—————っ!!」
キッ、と激しい殺気と咆哮と共に、2人は激突して—————、
——————————ムギュー!!
っと、顔面の頬を引っ張り合う姉妹。
「ほ、ほしえなふぁいよ〜〜〜〜!」
「いやえふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「ケフィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「ねえふぁんの、ふぉーふぉふおんな〜〜〜!」
ぐいぐい引っ張り合ってお互いの頬は真っ赤だが、お互いに一歩も引かない。
そう、これは女の戦いなのだ。
「なんれ、そんなにこだふぁるんでふ!? ふぁふぁのおふぁななじみでしょう!?」
「ふぇ?」
ティオの突っ込みに、エステルの手は緩んでスルッと離れた。
ヨシュアもティオの突っ込みに思わずエステルを凝視してしまう。
「なんでって…………そりゃあ」
「それは、何です?」
ゴクリ、とヨシュアの喉が鳴った。
「…………何でだろ?」
「…………」
「…………」
その回答に大きなため息をつくティオと、安堵の溜息を吐くヨシュアがいたという。
◇ ◆ ◇ ◆
翌朝、ティオはエステル・ヨシュアペア、二日酔いでつぶれたオリビエ、シェラザードと別れ、ルビィ・ナルコンビの2人と共に、学術都市『ツァイス』へと旅立った。
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