朱色の瞳がギラリと輝き、夕焼けで焼けた空と海が茜色が、その睨みを際立たせる。
一方で彼女に相対するのは、水色の綺麗な髪を風に靡かせ新芽を連想させる黄緑色の瞳が彼女を見詰めていた。
傍の川蝉亭では、シェラザードが酒をがぶ飲みして爆笑し、その前でオリビエが目を回して力尽きている。
そんな穏やかな空気の中、傍でヨシュアがオロオロしているのを尻目に、彼の姉と妹は緊迫した空気を醸し出していた。
「そう……ティオ、あんた………私の敵になるのね」
「言ってなかったですね姉さん……これだけは譲れないんです……だからっ!」
仲が良かったはずなのに。
2人が姉妹になったあの日から、お互いに良き姉として、良き妹として。
だが、今この瞬間から2人は————。
「ティオ—————!!」
「姉さん—————っ!!」
キッ、と激しい殺気と咆哮と共に、2人は激突した。
◆ ◇ ◆ ◇
時間は数時間前に戻る。
特に何の問題もなくドルンを打倒したヨシュア・シェラザードのペア。何故か好戦的なドルンではなく、憑き物が落ちたかのように人が変わったドルンは、元に戻ったと喜ぶジョゼットたちに首を傾げつつ、とりあえず脱出しようと試みた。
人々を拉致した記憶もないようで、ドルンは部下やジョゼットやキールの説明に戸惑っていたが、元来の優秀さからか、すぐに行動に移行したが、そこにやってきたのはリベール王国軍であった。
リベール王国軍の軍用艇が発着場に鎮座しており、そこから大量の軍人が出てきてジョゼット達を取り囲み拘束した。
その軍を指揮していたのが、『王国軍情報部最高責任者』リシャール大佐である。
王国軍情報部とは聞き覚えがないエステルたちであったが、最近新設されたばかりのエリート組織であり、それらを率いているのが王国軍きっての若手将校、それがリシャールである。
驚いた事に、彼ら軍と一緒に同行していたのは、ナイアル・ドロシーのリベール通信コンビであり、こんな所になんでいるの!? と、ティオ達を戸惑わせたが、
「いや、実はどうも軍内部にモルガン将軍の意向とは違う動きがあるような気がしてよ。で、思い切って取材を申し入れたらこれからアジトに突入するってんでな。一緒に連れて来てもらったんだよ」
「……やっぱり鋭いな、ナイアルさん」
と、シレっととんでもない事をいうナイアルと。彼らの行動力に感心した様子のヨシュアであった。
そんなやりとりをしていた所で、皆の下へやって来たのが、噂の人物であった。
「どうかね、ナイアル君。いい記事は書けそうかな?」
「や。そりゃもうお陰さまで」
「そうか、それは良かったって、ん? 君たちは……?」
「あ、彼らは例の……」
「……遊撃士、か。私は王国軍大佐リシャールだ」
金髪の髪と凛々しい顔、きちっとした軍服が重なり、思わず身体に力が入るエステルとティオ。
この時、モルガンの時と同じように遊撃士だから、という理由で何を言われるかと警戒していたのだが、次の言葉で拍子抜けする事になった。
「今回、こうして空賊を逮捕できたのは我々王国軍の働きと、そして諸君ら遊撃士協会の協力があったからこそだ」
「へ?」
「君たちには心から感謝しているよ」
そう言って、手を差し出し握手を求めるリシャール。
その穏やかな表情のおかげか、エステルたちは身体の力が抜けていくのを感じた。
「軍の中には遊撃士を敵視する声も見られるが、本来なら軍と遊撃士協会は協力関係にある筈だ。これからもこうして互いに補える存在でありたいものだな」
「は、はい! リシャール大佐」
「……そうですね。それが叶えば素敵です」
エステルは感動して手を握り返し、ティオは口元が緩みながらも現実問題がある事を知っているので声色は硬い。とはいえ、それが最高の理想であることも事実だ。
そこでシェラザードがある事に気付いた。
「でもどうしてアジトの場所がわかったんです?」
「ああ、それは我が情報部のスタッフの分析が優秀でね。特に特務部隊のロランス少尉などが危険な任務を見事に遂行してくれたのでな」
そう言って示した方向にいるのが、看板に背を預けて腕を組んでいる男。
兜を被っていて顔が見えないが、引き締まった体躯や彼を包むオーラが只者ではなく感じる。
「あ〜! あ、あんた軍の関係者だったの!?」
「くそっ! そういうことだったのか!」
と、何故かロランス少尉をみてジョゼットやキールが喚いている。どうやら彼らへ接触をしていたらしく、雰囲気から察するに嵌められたようだ。
「いや、本当にご苦労だった。後の処理は我々軍に任せて欲しい。では」
そう言って隣にいる腹心の部下である女性を伴い去っていくリシャールは、誰が見てもかっこよかった。その証明だろうか。オリビエは気持ちよさそうに笑いながらこう言ったのだ。
「いやはや、美味しいところを根こそぎ持って行かれた気分だね、ふふふ」
「いいじゃないの」
「そーよ、オリビエ。これで事件は一件落着なんだしね!」
「エステル君は無欲だねー」
「それが姉さんの良い所です。そしてオリビエさんは欲望が多すぎかと」
「な、なんと!? ティオ君の言葉が胸に痛いよ」
胸を押さえて苦しむ仕草を見せるオリビエに、更に追撃をかけるティオ。笑っているエステルにヨシュア。ここでシェラザードは、再び何かに気付き、冷や汗をだらだら掻きながら頬をヒクつかせた。
「ねえ……そういえば、カシウス先生はどうしたのかしら?」
「あ〜〜〜〜っ!! さっきまで気になってたのに忘れてた!」
「……うっかりです」
「う〜む。この騒動ですっかり抜け落ちてたね」
シェラザードの指摘にエステルが素っ頓狂な声を上げ、ティオがポンっと手を叩き、オリビエが言葉とは裏腹にかっこよくポーズを決めつつ間抜けな事を口にする。
「…………」
その背後で、ヨシュアがロランス少尉を見て大きく目を見開き、何かに気付いたような、驚いているような顔をしていることに、エステルたちは気づかなかった。ティオを除いて。
◇ ◆ ◇ ◆
「空賊が逮捕されて、人質も解放されて、世間を騒がせた飛行船失踪事件も無事解決したのに……」
ボースの遊撃士協会、その2階の休憩所にて、エステルは液体化するほど垂れていた。
そんな彼女の前でティオは持ち運び式の端末に向かってカタカタと何かを打っていて、尋常じゃないタイピング速度に皆を感心させたが、流石に慣れる程見ていれば驚きも薄れるというものだ。
エステルは顎をテーブルに乗せたまま、ギャオーっと叫ぶ。
「うちの父さんはどうなってるのよぉぉ!!」
そう。結局、飛行船に載って拘束されている筈のカシウスの姿が、どこにも無かったのだ。
そして叫んだエステルに拳骨を落としたのが、シェラザードであった。
「うるさいわねエステル。まだ事件の事後処理でどこもバタバタしてるの。落ち着けば乗客だった先生のことは知らせに来てくれるわよ。これとかがね」
「うぅ・・・・・・痛い、って、リベール通信?」
シェラザードの言葉に痛む頭を押さえながら首を傾げるエステルと、チラリと視線だけをシェラザードが持っている雑誌『リベール通信』に目を向けるティオ。何かを纏める作業をしつつ窺うヨシュア。
…………そして何故か花の前でポーズをとって格好つけているオリビエ。
なに? と雑誌を受け取り開いてみた。
最初のページを開いて、そこに組まれていたトップニュースは、今回の飛行船事件の記事だ。
「なになに……今回の事件ではモルガン将軍指揮の国境師団が犯人の足取りを追い、情報の分析をリシャール大佐率いる情報部が担当。新旧両世代の将軍のタッグが見事捜査を成功へと導いた。作戦には遊撃士も参加……って、これってあたし達のこと!? わわわ! すごい! ナイアルかな、この記事」
自分たちの事が書かれた記事に頬を蒸気させるエステル。
それも当然だ。今まで自分たちがやってきた事件といえば、ネコ捜しや落し物の捜索、大きいもので商人の護衛がいい所だ。それは記事にはなりえるものではない。
だが今回は載った。頭では大きな事件に関わっていることは分かっていたが、記事を見て改めて実感した。今までとは比べものにならないくらい大きな事件だったのだと。
すると、オリビエが一歩前に出て薔薇を咥えポーズをとり、記事を読むエステルに促した。
「さあさあエステル君。遠慮せずに続きを声高々に朗読してくれたまえ。そこにはこのオリビエ・レントハイムの華麗な活躍を余すことなく書き記した特集記事があるだろう?」
「ないわよ」
と、エステルではなくシェラザードがそれに答えた。
「うう〜ん。シェラ君は策士だね。その冷たい物言いが逆にボクを燃え上がらせることにいつから気がついたんだい? さあエステル君。言ってくれたまえ、真実を」
「無いって」
「〜〜〜〜!?」
エステルのばっさりした言葉にガーンとショックを受けるオリビエ。
「っていうか、どうしてあんたが遊撃士協会に入り浸ってるのよ」
「ひどい言い草だな。事件に関わった者として顛末を知りたいと思うのは当然だろう? 君たちのお父上の安否は僕も気になるところなのでね」
ちょっと良い事を言い出したオリビエに、エステルは強く言い返せず、う〜、と唸っていると、一階の受付けから受付担当のルグラン爺さんがエステル達を呼んだ。
何事かとエステルとシェラザード、面白いことが起こったかと目を輝かせるオリビエ、端末を抱きかかえながらヨタヨタと重そうにしつつも降りるティオ。
一階に降りるとそこにいたのは、ナイアル・ドロシーの記者コンビであった。
「こんにちわ〜〜」
「よっ」
「ドロシー! ナイアルも!」
いつも通りタバコを吸うナイアルと、ホワワーンとした空気のドロシー。
本当にデコボココンビな2人なのになぁ、と実は息が揃っているコンビに笑顔を見せ手を振るエステル。
「よかったぜ、ロレントに帰ってなくて」
「あ、そうそう。ナイアル、リベール通信見たわよ!」
「臨場感あふれる良い記事だったわ」
「だ、だろ!? さすがエステルに銀扇のシェラザード! なんてったって今号は軍の全面協力が得られたからな! しかも!! なんと今度あのリシャール大佐がインタビューに応じてくれることになってな!! 信じられるか、あの軍がだぞ!? よっしゃああああああああああ!」
唾をバシバシ飛ばしながら拳を突き上げ、ドロシーと一緒に喜ぶナイアルに、一同は苦笑しか出ない。
そんな一同の視線を感じた彼は、恥ずかしそうにコホンと咳をし、落ち着いた仕草を見せて続ける。
「まあ、正しくは軍の中の情報部だがな。あの組織はすごいぞ。リシャール大佐を筆頭に副官のカノーネ大尉、それにロランス少尉な! とにかく若手のいい人材が揃ってる。特にあのリシャール大佐な。古い慣習に縛られた軍の中に新しい風を起こした実力もいいんがだ、なによりも一見冷静な彼の言動の奥にもリベール王国を愛する熱い心がチラっと見えたもんでな」
「へ〜〜」
「ナイアル先輩〜」
「ん? あ、ああ、そういえばそうだった」
「? なに?」
「すまん、本題はこっちなんだ。実は今朝例の飛行船の船長に会ってきたんだが、これを受け取った」
そういって差し出してくるのは、一枚の手紙。
ティオがその手紙の文字をみてピクリと眉を動かしジッと見詰める中、エステルとヨシュアが手紙を受け取ってその送り主に顔を合わせた。
「これ!」
「父さんの字だね。それも僕達宛ての手紙だ」
「先生の!?」
シェラザードも目を見開いて食いつく。
その字は間違いなく、剣聖カシウス・ブライトのもの。
一同が見詰める中、ナイアルは知っている内容を話した。
「カシウス・ブライト氏だが、乗船名簿の通り王都グランセルからあの飛行船に乗ってロレントに行こうとしていたのは間違いないそうだ」
「え……でも」
「だがな、何故かボースを離陸する直前んい突然船を降りちまったんだと。お前たちにその手紙を残してな」
何のために。
皆が不安そうに顔を合わせ、コクリと肯く。
皆の不安も疑問も、全てがこの手紙の中にある。
エステルはそっと手紙を開いて読み上げた。
『エステル、ヨシュア。そして恐らくそこにいるであろうティオへ。
そろそろ遊撃士として慣れてきたところだろうか。
最初は躓くこともあるだろうが、一歩一歩確実にこなせばいい。
お前たちなら必ず出来るはずだ。
さて。
こちらの仕事の方だが、少々困った事が起こってな。どうやらしばらく家に帰ることができない。
そうだな……女王生誕祭が終了するまでは帰れないと考えてくれ。
俺が戻るまでの間、お前達がどう過ごすかはおまえたち自身が決めるといい。
ロレントで仕事を続けるもよし、正遊撃士の資格を得る為に旅に出るのもいいだろう。
16歳という実り多き季節を悔いなく過ごすといいだろう。
そして先にも書いたが、おそらくそこにティオがいることだろう。
何故いるかも何となく予想ができる。レンは母さんの傍にいるだろうしな。
ティオ、お前は賢い子だ。
そんなお前は一緒にエステルたちに同行する危険さも理解しているだろう。
だがそれでも同行するのだ。心配だが、それでも止めはしない。
きっと母さんも同じ事を言っただろう。
だから、気を付けて旅をしなさい』
「父さん……」
「とりあえず無事のようじゃな」
「女王生誕祭か」
「三か月は先になるわね」
エステルとヨシュアはじ〜んと父の愛情に感動し、ルグラン爺さんはホッと一息つき、オリビエがクールに言いながらもどこか嬉しそうに言い、シェラザードも安心したような顔で言う。
そんな中で、ティオはホッと安堵した後、何かに気付いたように目元をスッと細くし、何かを睨みつける。そして手を伸ばし、『エステルが持っている手紙の封筒』をひったくった。
「ティオ?」
「……まだあるみたいです。2枚目が中に」
「ホントだ! 読んで読んで!」
封筒の中に入っている紙。はみ出ていたから気がついたが、本当に申し訳程度のサイズの紙だ。
おそらく後から殴り書きで書いて入れたのだろう。
開いて読んでみると、それは1枚目の手紙と違って走り書きで書かれていた。
『エステル、ヨシュア、ティオ。
書くかどうか迷いに迷ったが、やはり最後に忠告をしておく事にする。
先に言った通り、お前たちが進む道は好きにするといい。父さんの事も心配いらない。
だが。
お前たちの幼なじみである彼の事だが。
お前たちは絶対に彼を捜そうとするな。
お前たちが考える以上に、遥かに危険なものになるだろう。
だから絶対に、絶対にお前たち自身で飛び込んでいかないように。
そして『魔族』には気を付けなさい』
「…………」
「…………」
「エステル……ティオ……」
「魔族?」
「……ふむ」
シェラザードが首を傾げ、オリビエが何かを思案する。
手紙を手にしたまま動かなくなった2人に、ヨシュアが心配そうに声をかけるが、2人は反応がない。
「なあ、魔族って何だ? それに彼って、エステルたちが捜しているって言ってた幼なじみの事か?」
「あら、それ知ってたの?」
「ああ。話しには聞いてた」
「そう。でも分からないわ。魔族ってのも聞いた事がないし……魔獣とかの亜種かしら」
妙な空気になった事で、父親の行方が分かり歓喜する光景を期待していたナイアルは、焦りながらシェラザードに聞くが、彼女もよく分からず首を傾げた。
そんな空気を払拭するように、ルグラン爺さんが手を叩き、注目を集めた。
「ほれ。事件解決に導いたお前さん達も息抜きが必要じゃろう。ボース市長が君たちへとご褒美をくれておる。そこに行って英気を養い、気持ちの整理をつけるがよかろう」
「はい……」
「……そうですね」
ルグランの言葉にようやくエステルとティオが肯き返した事で皆もホッと一安心。
メイベル市長も太っ腹だな、とナイアルも感心する中、一行はシェラザードを先頭に、ご褒美の地、川蝉亭へと出発した。
ナイアルとドロシーはそんな彼女たちを見送り、自分たちも仕事に戻るかと気を入れ直し、宿へと戻ろうとしたのだが、彼の脳裏には先ほどの手紙の内容がどうしても抜けなかった。
(しかしあの剣聖カシウスの言い様……まるでC級の凄腕遊撃士シェラザードがいても敵わないかのようだったな……それにその例の幼なじみ君、ルシアと言ったか…………やっぱりどこかで聞いた事があるんだが……どこだったか)
タバコを一息吐き、真っ青な空を眺めた。
出てきそうで出てこない、そんなモヤモヤした気分とは裏腹に、天気は見事な快晴であった。
◆ ◇ ◆ ◇
メイベル市長の好意により、リベール王国のリゾート地、川蝉亭への1泊2日の宿泊というご褒美を貰った一行だったが、なんとも反応は両極端なものであった。
到着するや否や、シェラザードに対して発したオリビエの言葉、
「楽しみだよ。シェラ君。麗しの君と極上の一杯!」
「ええ、いっぱい飲みましょ!」
微妙に意味合いが違う両者の言い分を皮切りに宴会に突入し、やはりオリビエが撃沈。
エステルは父の言葉に怒ったり落ち込んだりと忙しく、ご立腹状態で魚釣りへ。
ヨシュアはエステルの魚釣りの誘いを断り、なんだか物思いに更けながら読書を。
ティオはやはり川の畔に座り、端末をガシガシ叩きながらやはり何かを悩んでいるようで。
各々は事件解決のご褒美に、とりあえずは休暇を満喫していた。
そんな中、ティオは端末を叩きつつ、池を眺めて小さく溜息を吐いていた。
予想以上に父の言葉に対してダメージを受けたらしい。
父の言葉は意味が分からずとも、これまで自分たちの行動や想いを無碍にするような言葉は言わなかった。
それだけに、ショックがあるらしい。
そして何よりも。
————こうして自分が穏やかな生活を享受している中、あの人は危険な連中に今も狙われている、もしくは関わっているということだ。
それが、何故か罪悪感を生む。
勇気付けてくれて、励ましてくれて、温かみをくれた人が、今は行方不明となって父が制限をかける程の連中も関わる程の危険な状態にあるらしい。それが、心を痛くする。
オカリナを取り出し、撫でるように包み込み、適当に穴を塞いだりして弄る。
なんだかこうしているだけで、縋っているようで落ち着く。
「決めた筈です……たとえお父さんが止めようと、もう一度会って、そしてお礼をするって……」
まるで誤魔化すように、自分に言い聞かせる。
本当の気持ちはそうではない癖に、そしてそんな自分を自分で気付いていながら、気付かないフリをし続けた。
視線の先には、魚釣りを終えたエステルが何やら難しい顔で考え事をしているヨシュアに近づいて話しかけている。
思わず立ち上がりそちらへ向かうと、声が聞こえてきた。
5年もどうして何も聞かずに一緒に暮らせたりするのか、とか。昔のことを一切喋らない得体の知れない自分をどうして君たちは受け入れるのか、とか。そんな事をヨシュアが言っている。
ティオは気付いていた。
己の隠し続けている能力により、ヨシュアの動機や鼓動が極端に上昇した瞬間を察知し、彼が『ロランス少尉』と呼ばれていた存在を見詰め大きく目を見開いていた事に。
どうやら彼が兄の過去に関係しているらしい、と当たりをつける。
(フ……こうして訳知り顔でこっそり当たりをつける……自分のことながら最低です)
自分を思いっきり嘲笑する。自分を傷つけるような、そんな笑み。
それを遮るかのように、兄の声が聞こえてきた。
「相変わらず、何も聞かないんだね」
「もう5年も経ってるのに。昔のことを一切しゃべらない得体の知れない人間なんかを」
「どうして君たちは受け入れてくれるんだい?」
彼は深刻な顔でそう言った。思わずティオも思考の渦に沈んでいた意識が浮上する。
ヨシュアの顔はどこか寂しそうで、深刻な顔をしていた。
きっとこれは、兄にとって重要な問いなのだろう。
そう思ったから、ティオは声をかけようか迷った。迂闊に踏み込んでいいものか、適当な思いつきで発言していいのか、そう迷ったから。
だがそこで全く躊躇わずに言うのが、エステルである。
「そんなの当たり前じゃない! ほら、あのカプア空賊団! あの兄妹と空賊たちもそうだったけど、たぶんあたし達と同じなの。ずっと一緒にいて、お互いに積み重ねた絆があるから、たとえどんな事があっても相手への想いは変わらないのよ」
そういったエステルの笑顔で、ヨシュアの沈んでいた気分は一発で吹き飛ばされる。
迷った心も、見えなくなった暗闇の世界も、正しい方向はこちらだと全力で叫び連れ戻される。
まさに温かな太陽なのだ。ヨシュアにとっても、ティオにとっても。
だから、ティオは自然と足が2人の所へと向く。
そういえば、あの空賊団のジョゼットは言っていた。兄は突然変わってしまったと。以前は人質などとったりしなかったと。
そしてヨシュアがドルンを殴り倒したら、彼はまたも人が変わったかのように穏やかになり、また兄弟たちや部下も彼が元に戻ったことを喜んでいた。
着目すべき点は、変わってしまった兄を信じ、ずっとそれまで付いてきた彼らの信じる力とでもいうべき結束力、絆である。
そしえてそれは姉曰く、ずっと一緒にいた時間という積み重ねがあったから。
1つ1つの交わした言葉と、日常の積み重ねが相手を理解する。
理解するから、どうするかも理解できて、相手を信じることができる。
信じ続けることができる。
「まったく……恥ずかしいセリフですね」
「ティオ、ってえぇ!?」
「ははは……まあ、そこは突っ込むのはヤボってものだよ」
「ですかね」
「ちょっと、ちょっと!!」
やってきたティオに気付いたエステルは、真面目に言ったのに急に茶化し始めた弟と妹に慌てている。
言われてみると、本当に恥ずかしいことを言った気になり、顔が真っ赤だ。
「まあ、でもそれが姉さんらしいって感じです」
「たしかにね」
「こら、褒めてるように聞こえないんだけど」
思わず突っ込むエステル。
「まあでも姉さんの言うとおりだと思います。私たち、長い事姉弟やってますからね。時間に比例するように絆も深まっていくものですし、だからこそ信じれ———————え?」
「え?」
「ん?」
唐突に、本当に唐突に言葉を切った。
それは、ある『矛盾』に気付いてしまったから。
自分で言っておいて、今まで気付かなかった。いや、気付こうとしなかった。
自分を信じるとは、それだけそこまでに反復した経過や過去の結果があるから得られるものであり、なければそれは信じる力ではなく、根拠もない慢心であり過信であり、虚構である。
他人を信じるとは、それだけ相手を理解していなければ出来ない行為である。
そして理解するというものは、あらゆるケースにおいてその人物がどうするのか、どう思っているのか、相手を理解する必要があり、理解しているから信じれるのだ。
仮に理解もせずに「誰々を信じる」とそう言った所で、それは何の根拠もない薄っぺらい言葉である。
そしてそういった人物は意外と簡単に折れてしまうものなのだ。
「長さが絆なら……ルシアの事は?」
「…………え」
故に、気付いてしまった。
自分達がまさにその状態だったことを。
長い付き合いでもなければ、言葉も多くは交わしていない。相互理解もしていない。
彼のことを、実はなにも知らないことに。
ティオの自問自答とでもいうべき言葉に、エステルですら何が言いたいのかを察し、一瞬で顔を青褪めた。
「…………」
「…………」
やめろ。これ以上口を開いたらいけない。
そう心が叫ぶが、ティオは止まらない。
声なき言葉がエステルへと伝わり、彼女もまた気付かされた。
生来からの性格からか、ただ彼女はすぐに反抗するかのようにティオを睨むように見詰めてくる。
しかしその彼女を今支えているものは、実は『私はよく知っている』という思い込みだった。
「————あたしは」
エステルが何かを言おうとした、その時だった。
「がぁぁぁああああああああああああああああ!!」
突如湖の飛沫が30メートルに渡り飛び上がり、同時に中から獣の咆哮が聞こえてきたのは。
「な!?」
「!?」
「これは……ドラゴン!?」
水の中から出てきたのは、例えるならドラゴン。
だが彼女たちが知っている物語のドラゴンと決定的に違うのは、その見た目の醜悪性である。
そして更にもう一点。
ドラゴンの上に乗っている、人間にはあり得ない身体の皮膚が青色をして、腕が6本もある金髪の女性の存在があった。
「突然で悪いけどさ—————」
女から発せられる声は、まるで虫がゴミを見ているかのような、そんな不快感がある嘲笑の声。
しかしその化け物のような容姿の女から出ているプレッシャーは、少女二人を確かに萎縮させた。
「あのお方たちからの命令だ………死んでもらうよ」
ドンっと、激しい衝撃と共に、女とドラゴンは襲いかかって来たのだった。
そしてこの瞬間、ティオの脳裏には場違いも甚だしいが、ある会話が過っていた。
それは、囚われていた乗客たちの会話を洩れ聞いたときのもの。
『ねぇあんた。ちょっと疑問があってね』
『おう、どうした母ちゃん』
『あのロウイスさんって占い師さん……初めからいたかねぇ?』
『な、なに言ってんだよ母ちゃん。いなかったこの場所にもいねぇよ』
『そう、だね。いや、なんか見覚えがなかったから気になっちゃって』
化け物女の髪が金髪で、ロウイスを連想させたからだろうか。
それとも、どこか目の前の女が似ているからだろうか。
全く容姿も顔付きも似ていない女が、あのロウイスに。
『でもなんか引っかかってんだよ、あんた』
『まだ言ってんのか』
『だって……あんな美人さん、最初からいたら覚えてると思うからさ』
『まあ、なぁ。でも事実いたんだから、俺たちも気が動転したのさ』
『そ、そうだね』
中年の夫婦の会話が、鮮明に想い出された。
そして。
化け物の女は、ティオの胸元に吊るされている『あるモノ』を見て、目を大きく見開き。
顔を歪め、憎悪と怒りに溢れた憤怒の顔でティオへと襲いかかった。
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お待たせいたしました。
冒頭のシーンは何なんだと思うでしょうが、それは次話で判明しますので、少々お待ち下さい。
閃の軌跡、まじで楽しみです。やべぇwww