その日は、世界情勢からいえば不釣り合いな位、気持ちよすぎる程の快晴であった。
春も麗らかなこの頃、ゼムリア大陸西部に位置する街、リベール王国。
千年以上の歴史を誇る小国で、君主制を布いているが貴族制は廃止されている国家であり、2つの大国『北のエレボニア帝国』と『東のカルバード共和国』と国境を接している。
小国でありながらも豊富な七耀石資源と高い導力器技術、そして現在の国王・第26代目となる女王アリシアⅡ世の巧みな外交によって両大国とも対等な関係を保っており、緊張感の高い両大国の間に位置する緩衝国として働いている二つの大国に挟まれていた。
導力器「オーブメント」と呼ばれる技術が発達した世界。
そんなゼムリア大陸西部の情勢は今、緊張状態であった。
「エステル! こっちよ!」
「お、おかあさんっ!」
随所であがる悲鳴。銃声が響き、爆発が起こる。
人々は逃げ惑い、所々で倒れている人はその身を赤く染めていた。
リベール王国の一都市・ロレントの街は。第一次産業、つまり農業・鉱業が産業の中心となっており、 揶揄的に田舎と呼ばれる事もあるが、導力器に欠かせない七耀石を産出する鉱山を擁するなど導力器産業にとって非常に重要な都市。
その都市が襲撃され、綺麗な時計台を擁する街並みは破壊の一途を辿っていた。
「ここで一旦やり過ごしましょう」
「う、うん」
そんなロレントの象徴ともいえる時計台の物陰に隠れた1人の女性と小さな女の子。
2人の名は、女性の方を『レナ・ブライト』と云い、女の子の方を『エステル・ブライト』と云った。
レナやエステルは茶色の髪をしていて、瞳は綺麗な紫。
特にレナは綺麗な長い茶色の髪を腰まで伸ばし、穏やかな雰囲気も相なってなんとも優しい雰囲気を纏っていた。
そんなレナの血を色濃く受け継いでいるのか、エステルもまたレナに近い容姿をしている。
レナの旦那にしてエステルの父親はカシウス・ブライトと云い、このリベール王国においては大佐の肩書きを持ち、また『剣聖』と称されるほどの腕前を持つ、まさにリベール王国において重要且つ最強の軍人であった。
そのカシウス・ブライトの空からの攻撃、もとい反撃により孤立したロレント襲撃の部隊。
半ばヤケになってロレント襲撃した部隊で、それは大局的にはこの戦争では大した意味はもたない。だが現地住民にしたら大災害だ。
その身を追われ、害され、殺害される。
「何処にいった!」
「探せ! カシウス・ブライトに対する重要な人質だ!」
「市民も皆殺しだ! 殺せ!」
軍人の罵声と共に幾人もの足音が時計台を通り過ぎて行く。
レナはホッと溜息を吐き、己の腕の中にいるエステルを見遣る。
「エステル大丈夫? 怪我はない?」
「うん。大丈夫だよお母さん」
「そう、良かったわ」
レナは緊迫した状況の中でも優しく微笑み、周囲を警戒した。
(それにしても、エレボニア帝国はこんなにも大胆な作戦を成功させるなんて…………)
後に『百日戦役』と呼ばれるこの戦いにおいて、エレボニア帝国は突然の攻撃を仕掛けてきた。
……いや、正確には エレボニア帝国南部にあったハーメル村を突如武装集団が襲い、村人がほぼ全滅した事件。 思い出せばあれからエレボニア帝国はきな臭い動きはあった。
夫・カシウスがそうぼやいていたのも記憶に新しい。
だが、完全に攻め込んできたのは不意打ちだった。
駐留していたわずかな軍と現地の『遊撃士』たちが応戦した事により戦闘が勃発していた。
そのわずかな軍と遊撃士はその未熟さと数的不利により敗北したようだ。
(どちらにせよ、ボースもルーアンも攻め込まれていると考えていいわね……)
夫のいる王都グランセルまで、どうしても導力飛行船や船に乗る必要があり、それもエレボニア帝国により近い都市であることから、ここよりも先に襲われているだろうし、船が無事だとは戦略上且つ移動価値から思えない。
より安全かつ無事、迅速なルートを考えているレナ。
だが、それがいけなかった。
———————ドォォォン!
激しい閃光。一瞬だけ辺りが闇に包まれ一瞬で切り替わり白い世界に。
つんざくような爆発音と共に、ソレはレナと愛娘に襲いかかった。
「エステル————————!」
「きゃぁ〜〜〜〜〜〜!」
爆破され崩れ落ちる時計台。
レナは力の限りに必死でエステルを突き飛ばした。できるだけ遠くへ。母親として愛娘を守りたい一心で。
それは己を顧みない助け方であった。
「おかあさん!!」
地面に転がったエステルは起き上がり母親がいるはずの方へと目を向けた。
エステルの目に飛び込んできたのは、あった筈の時計台が半ばから無くなっていて、瓦礫となって崩れ落ちている光景と。
その瓦礫の下敷きになっている母親の姿であった。
エステルは必死に駆け寄り、母へと泣き縋った。
「おかあさん! おかあさん!」
「…………エス…………テル…………怪我は、ない?」
意識が飛んでいたのか、エステルの声でようやく目を開け、弱々しい笑みを向けるレナ。
そんなレナを見て、なんの知識もない子供であるエステルも本能で悟ったのだろう。
母は死んでしまうと。
「おかあさん! しっかりして!」
「……エステル……逃げなさい」
「いやだぁ!」
「お母さんの事は……いいから……早く……逃げなさい……」
爆破されたのはエレボニア帝国の兵士。おそらく取り残された事からリベールに対して腹いせまがいに、ロレントの象徴の時計台を破壊したのだろう。
そう予測したレナは、エステルを一刻でも早くここから逃がそうとする。
(早くエステルを逃がさないと……帝国兵が来てしまう)
これだけ派手に崩れ落ちたのだ。遅かれ早かれ帝国兵士はやってくるはずだ。
「だれかぁ! おかあさんがたいへんなの! だれかたすけて〜〜〜〜〜!!」
逃げ惑う人々に助けを求めるエステルだが、人々もそれどころではない。
自分の身が危ないのだ。一刻もはやく逃げ出したいのだろう。誰もエステルに取り合わないし、目も向けない。
「だれか〜〜〜〜〜!」
「エス……テル……」
全く逃げようとしないエステルに、レナは全身に走る痛みに必死に耐えながらエステルに話しかけようとしていた。
自分が死ぬ前に、早く逃げろと云うつもりだった。
だが事態はさらに急変する。
突如、恐るべき速度で空が暗雲に包まれ、昼間の快晴があっという間に夜のように暗くなった。
雨雲ではない。
まるで雷雲。真っ黒な雲が天を多い、目に見えるほど雷が天を走っていた。
それは、まさに10秒に満たないあっという間の出来事。
その異常事態にレナはただならぬ嫌な予感を感じ取り、エステルへ叫ぼうとした。
「! 〜〜〜〜!」
だがついに声すら出なくなったのか、掠れたうめき声しな出ない。
「おかあさん!」
そんな母の様子に気づいたエステルが再び駆け寄ってきて、岩を退かそうと必死に押した。
びくともしない岩でもエステルはひたすらどかそうと必死に力を込める。母を助けて逃げようと必死だった。
そして、ついに『ソレ』は来た。
「きゃっ!」
数メートル先に、天から一陣の光が降ってきたのだ。
青い光。
青の光が暗雲から打ち降ろされるように降ってきて、エステルたちの目と鼻の先に舞い降りた。
エステルは悲鳴を上げてレナに抱きつき、レナもその事態に意識が朦朧としながらもエステルを庇おうと抱き寄せる。
ゆっくりと青い光は収まりを見せ始めた。
そして青い光が完全になくなった時、何時の間にかそこにいた。
「…………」
真っ赤な外套、つまりマントを身に纏い、赤い烏帽子のようなものを被り、黒いブーツがコツンと地面に触れ音を立てた。
その人物はレナの身立てでは、エステルと歳が変わらない幼い少年だ。
だが重傷の身であるにも関わらず、全身が鳥肌が立つほどの圧迫感。
その気配から訳の解らない神聖さすら感じる程。
目を瞑っていた少年はゆっくりと目を開け、辺りを見回す。
エステルたちとも一瞬目が合ったが、すぐに興味無さそうに周囲へと目を向けた。
暗雲が弾けるように飛び散り再び真っ青な空を映しだすと、その少年は空を仰ぎ、ジッと見つめる。
「ここは、ルナでも……青き星でもない」
ポツリと呟く。
不自然なほど、辺りに浸透する声。
「ゾファー……」
声に抑揚がなく、まるでロボットかなにかが喋っているかのような、そんな声だった。
エステルはハッと我に返り、その少年に駆け寄った。
「ねえ、おかあさんが大変なの! あの石どけるの手伝って!」
「…………」
「ねぇったら!」
外套を掴んでひっぱるエステルに、ようやく目を向ける少年。
必死に助力を請うエステルに少年は云った。
「何故、それをする必要がある?」
「え…………」
「私にその義務はなければ義理もない。ここはルナでも青き星でもない。なら私が人々を助ける必要はありません」
「だって、おかあさんが死んじゃう!」
「時間の無駄です」
「手伝ってよ!」
少女の悲痛な叫びにも、少年は顔色ひとつ変えずに切って捨てる。
興味を無くしたようにその場を去ろうとする少年にエステルは必死に追い縋った。
まともに考えれば、エステルと同じくらいの子供に助力を求めたところで事態は好転しない。だがエステルは母を助ける為に必死だった。誰でもいいから助けてほしかった。
「お願い! おかあさんが死んじゃったら、わたしっ!」
「…………」
「大好きなおかあさんなの!」
背を向ける少年にエステルは叫んだ。
コツコツと音を立てる少年はようやく立ち止り、無機質な、なにも感情を灯さない目をエステルへ向け、そして後ろで虫の息になりつつあるレナを見た。
「…………」
少年は空を見上げ、そこに何もない事に目を細め、そして小さく溜息を吐いた。
ゆっくりと手を挙げ、手の平をレナへと向ける。
ブンっと青い光が少年に集ったかと思えば、次の瞬間には瓦礫の山の『全て』が一斉に持ち上がり、街を囲う塀へと押しやりそこに落とす。
ドシンっと音を立てる、何重トンにも及ぶ瓦礫の山。
瓦礫の下敷きになっていたレナの身体は真っ赤な血に染まり、岩に潰されたと思える足は紫色へと変色していた。
「おかあさん!」
そんな母を見て涙を零しながら駆け寄るエステル。
ついに返事をしなくなった母に、大粒の涙を零しながら何度も何度も呼びかけ続けた。
「…………」
少年はそんなエステルとレナを見詰めていた。すると小さな、ほんの小さな頭痛が走る。
自分の頭を撫でる、綺麗な白い手。
誰の手か、分からない。ただ何かを語りかけていた、そんな記憶の欠片。
「…………」
すぐに去るつもりだった。訳の解らない場所に出て、仕方なしに力を貸した。
だからあの人間の女性が死のうがどうでもよかった。瓦礫をどかしたのも耳触りだったからだ。
しかしそんな少年は、刹那に過った知らない光景の後、僅かながら沈黙し、そして再び手をかざした。
「…………ヒール」
途端、レナを包む青い光。
時間が逆行するように強制的傷口が塞がっていき、レナの顔色は再び血行の良い色へと戻る。
欠損した肌ですら復元するそれは、まさに奇跡。
とある魔法をかけた少年は、己の手の平をジッと見詰めて目を細めた。
するとバタバタと響く足音が聞こえ、あっという間に時計塔の周りは武装した帝国兵に囲まれてしまった。
「さっきの光はなんだったんだ!」
「貴様か! 武器を捨てろ!」
銃を向けてくる人間に、少年は光のない瞳を向けた。
「おい、ここに女が倒れているぞ!」
「これはこれは。英雄カシウスの婦人じゃないか」
「連れて行こうぜ、ヒヒヒヒヒ」
血まみれのレナを見て、ニタニタ笑いながら近寄ってくる兵士たち。エステルはそんな兵士たちに怯え、母を守ろうと覆いかぶさる。
「やはり人間の所為でゾファーは……」
少年はポツリと呟いた。
感情が見えないその瞳のまま帝国兵を眺め、そして————。
「愚かな……」
その瞬間、ロレントは閃光に包まれた。
「う、う〜〜〜ん。ここは……」
レナは鳥の囀りと風で擦れ合う木の葉の音を聞き目を覚ました。
ぼんやりとした頭で周囲を見回し、そしてハッとなる。
(私は死んだはずじゃ……って、エステル!)
自分の身体を触り、怪我がどころか痛みすらないことに驚愕し、そして愛する娘を思い出す。
探そうとして、自分の足元に娘が倒れていることに気がついた。
慌てて怪我がないか確認し、無事であることに安堵のため息を吐いた。
「いったい誰がここまで……」
長年住んでいたレナだから解る。
ここはロレント郊外の、森の中だ。
間違いなく先ほどまでロレント市内の時計台にいたはず。そこで致命傷を負い、エステルを逃がそうとして、不思議な男の子が現れたところまで記憶にあった。
そこから先が記憶にない。
レナはエステルを抱き上げるとロレントを眺めれる丘に上がった。
「あの子も無事だと良いんだけど」
レナと同じ年齢くらいの子供。おそらく母親と逸れたんだろうと予想したレナは、同じ歳の子供を持つ親として、少年の無事を願った。
そしてようやく丘に着き、ロレントがある方角を眺め、
「えっ!?」
驚愕するレナ。
それも当然だった。
銃声や怒声が響き渡っていたロレントは、まったく音がせず、火事などの音しかしない。
さらに時計台周辺は導力器のダイナマイトを何十個も爆破したかのように、真っ平らの更地に化していたのだから。
この日。
ロレントにいたエレボニア帝国兵は全滅。
ロレント市民は何故か郊外へと飛ばされていて、救助にきた王国軍や各地に散らばっていた遊撃士たちがそれを発見し驚愕し、首を傾げる事になった。
エレボニア帝国は遊撃士とリベール王国軍により殲滅されたのだと解釈し、引き続きリベール王国を攻める決意を新たにしたである。
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