後に、この場所はルシアにとって因縁深い場所となる。
人間の欲望と狂気が凝り固まった、事件発祥の地。
月の僧院。
最初に感じたのは、鼻を刺す異臭だった。
何かが腐ったような、でもそれは生の状態のような。
薬品の臭いと半々に混じり合った臭いが建物内部に染み込み、石造りの壁が何かで染みのように染まっていた。
ルシアが扉を開け中へと進むと、あちこちに白衣を着た男や女たちがいて、彼を観察するかのようにジロジロと見ていた。
聖堂の扉を開けるとその瞬間、四方八方から銃口を向けられる。
「ようこそ、可愛い侵入者君」
「…………」
「A級遊撃士すら余程の事がない限り見抜けぬ結界に守られたこの研究所を、よくぞ見つけた。子供ながら見事だ」
その中央。
本来なら教会の神父が立つべき教壇の位置に、その男はいた。
髪は黒。
病的なまでに色白い肌が妙に印象的であり、線が細い顔つきや身体つきはどこか頼りない。
だがその細い眼やニヤニヤと歪む口元はどこか邪さを感じさせる。
「結界を壊したのは……先程、上の階に侵入した若い男かな?」
「…………(男?)」
「君の仲間の男は魔道騎士人形が相手をしている。かなり強いようだが……降すにも相当な時間がかかるだろう。その間にこちらは」
ギラリと好色そうな色が目に浮かぶ。
唇を舌で一舐めし、背後の扉を開け放った。
「君に特別なものを見せようじゃないか! これが目的で侵入したのだろう?」
扉の先、男の眼下には、とある広間が見える。
二階から数多の銃口を向けられ、一階を埋め尽くす程の戦闘者らしき凶器をぶら下げた男たちに攻撃的な視線を向けられながら、ルシアは一歩ずつ前へと向かう。
そして開けられたその先が見える位置までやってくると……。
「…………これは」
思わず言葉が漏れた。
そう。
その先にあったのは、子供たちの死体の山であった。
血が飛び散り、床を血で染め、何かの破片らしきものがあちこちに飛び散っている。
その中央に、人間ではない、何かもいる。
(あれは…………魔族の卷族)
遺体には目も繰れず、魔族を凝視するルシア。
「どうだい? 目的の子でもいたのかな?」
「…………」
「ああ、原型が留めていないものばかりだからね。これを見せてあげよう。そのリストの赤いラインから下が役立たずな滓ばかり。白が上の階に閉じ込めてある実験体だ」
「…………」
どうやら男は、ルシアが知りあいを取り戻しに来たと勘違いしているようだった。
当然、ルシアにそのつもりはなかった。
誰がどうなっていようが、今は関係ない……はずだった。
「目的の実験体が生きているなら返してあげよう。ただしここの事は当然黙っていてもらうがね」
「…………」
「永久に」
目の前に、今までにいなかった実験体がある。
それだけで、ここの部署の責任者である彼の興味を引くだけで十分だった。
不気味な静けさと聡明さを纏う不思議な少年。
上の階で暴れている男も、なかなかおもしろそうな結果をもたらしてくれそうだが、それでも目の前の少年の方が気になった。
きっと恐ろしいほどの感応力・適応力をみせ、薬品などにも耐えて新たな結果を出してくれるだろう。
そう確信していたのだ。
(つまり交換という訳ですか…………別に助けに来た訳でもなければ、助けなくてはならない訳でもないのですが)
幾多の死体を前に、ルシアはそう考える。
そもそも自分がここに来たのは遺跡調査の為で、その遺跡を発見してみれば結界が張られていたから破壊しただけ、更に破壊してみれば———。
(ゾファー……貴方はこの遺跡のどこかにいる筈。人間に憑いているか、それともまだ形に出来ない程度の侵攻具合か……どちらにしろ、このまま放置していれば未来において大変な事に……)
それがどういう意味を指すか知っているルシアは、目の前のタンパク質になり果てた子供などどうでもよかった。
いや、引っかかりはしたが・・・・・・それよりもゾファーの方が重要だった。
筈なのに。
ある項目で目が止まる。
「————————え?」
不意に、漏れた声。
リストの表紙から七枚目。
5歳前後の子供たちが多いなか、一番若い子供。
0歳未満の乳幼児といえる赤ちゃん。
(拉致した場所…………リベール王国・ボース地方近郊ラヴェンヌ村。名前……セラ・クリスティ)
見覚えがある、この顔。
(この子は……歌を教えてくれたあの女性の……)
自分の両手で抱きかかえた。
自分の両腕に、その温もりは今も覚えている。
初めて感じた人の温もり。
「…………」
「おや、その子かい?」
「…………」
「でも残念だ。その子は既に死んでいる。その子は適正値も低くてね。やはり赤子とはいえ有象無象は困ったものだ」
「…………」
「まだどこの部署にも良い検体はいないみたいだしね。だがこれからは違うだろう。君と言う————」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
俯き加減のルシアに延々と口上を垂れていた男の背後から突如、上がった悲鳴。
男は後ろを振り返った。
すると2階席で銃を構えていた暗殺グループの一員と思しき男の1人の首が無くなり、血しぶきを噴水のように上げていたのだ。
悲鳴が上がり喧騒が起こると銃口は一斉に死体の後ろの人物へと向けられた。
そこにいたのは、銀髪の男。
成人に近い年齢の、憤怒の表情を浮かべる青年だった。
「ここもまた、第1・第2のカリンを生んでいく……」
「貴様! さっき上の階に侵入した奴だな!」
「これが人が至る結果だというのか? いや……そんなの認めない。貴様らのような奴の為に、カリンが、ハーメルが滅ばねばならないなんて」
「何を言ってるんだか。まあいい、殺せ!」
怒号と共に休む間もなく響き続ける銃声。雨のように降り注ぐ銃弾の隙間を縫って次々と首を刎ね、心臓を突き刺し、抹殺していく。
心臓を狙った銃弾を、手に携える剣で防ぐ。
「何をしている! さっさと殺せ!」
「この屑が!」
唾を飛ばして叫ぶ男に、青年は殺意に満ちた瞳を向け、彼に襲いかかる。
だが、男は手に一振りの杖を取りだす。
「ぐっ!」
「フフフハハハハハハハハハハハハ」
ぶつかり合った瞬間、その杖から激しい雷撃が落ち、青年の身体を焼いた。
青年は痛みをこらえて杖を蹴り、手を付いて距離をとった。
「中々の強さだ。完成されればかなりのものになるだろう。だが残念だったな」
男の身体から、黒いエネルギーが放出され始める。
それは、これまでの実験結果により得た力。
服用者に力を与える、最高の薬物であった。
「ふざけるな…………」
「お前のように歳いった男はいらんのだよ。私が滅してくれる」
「はあぁあああああああああああ!」
男が杖を振りかざし、4か所へと落雷が落ちる。
青年は素早く身をかわし、己の懐にあった鞘へを握る。
鞘を片手に携えた彼は、それを空へと放り投げ、落ちてきた落雷にぶつけた。
「なに!?」
そしてそれを素手でつかんだ。当然電流が青年の身体を流れるが、青年はそれを我慢して男へと投げつける。
「クソッ……っがぁっあああああああああああ!」
咄嗟に避けた男だったが、それに意識を取られすぎた為に青年への意識が一瞬逸れた。
そして生粋の戦闘者ではないが故に生まれた最大の隙を、青年は見逃さずに懐に飛び込み、一瞬にして切り刻んだ。
男の腹部からおびただしい血液が流れ、臓物が零れおちた。
統括しているトップがやられた事で、研究者たちは顔を真っ青にした。
青年は休まずに身体を捻り宙への跳躍、柱を一蹴りして地へと迫る。
前には研究者たちの男・女たち。
「きゃああああああああああああ!」
「に、逃げろぉおおおおおおおお!」
自分たちの身が危うくなったと悟ったのだろうか、悲鳴が上がって次々に我先にと出口へと逃げ惑う。
白銀の刀が武装兵たちの息の根を止め、科学者たちへ向けられた瞬間だった。
「!」
「ふっ!」
2振りの刃が激しく衝突し、火花をまき散らした。
一閃、二閃と刃が縦へ横へと振るわれ、その全てが引き裂くことなく刃によって止められる。
銀髪の男の斬撃を止めたのは小さな一人の少年、ルシア。
裂ぱくの気合によって振るった青年の斬撃を、ルシアは受け止めるのは不可能と判断すると、しゃがんで回避する。
そのまま身体を捻って回し蹴りを入れると、青年の腕によって止められていた。腕を踏み台にして蹴りあげ、距離を取る。
「…………」
「やはりこの連中の手先か。あの強固な結界に守られていたここに簡単に入っていけたんだ。子供とはいえまさかと思っていたが」
「…………」
「しかし些か遅かったようだな。戦闘要員も魔道人形も全て破壊した。後はここの化学者たちだけだ!」
青年は懐から取り出したナイフを逃げる化学者たちの1人の背に投げる。
「…………っ!」
「クッ!」
投擲ナイフを剣で弾き落とし、ルシアは前へ踊り出た。
風を裂くような一撃を振るうが、青年の腕を浅く切り裂いただけだった。
青年は地面を蹴り、石を砕く事で視界を悪くし、ルシアが怯んだ瞬間に剣を付きだし、連続突きを繰り出した。
「くっ!」
「はぁああああああああああああ!」
必死にルシアはそれを防ぐが……リーチの差とそもそもの年齢差からくる基本的な運動能力の差から、僅かに手数が勝った。
右の二の腕、肩を深く突き、首筋を浅く切った。
「……勝負アリ、だな」
「…………」
手からドクドクと流れる血で地面が染まる。
無事の左手で剣を持ち、腰を深く落として青年を見る。
その瞳が映す色は、怒りの色だった。
「これまでに逝った者たちに懺悔して死ぬがいい」
「…………戯言を」
ここで一つの擦れ違いが起こっている。
青年は、少年がここの関係者だと思っている事。
ルシアは————。
「止めておけ。片腕に致命的な傷を負っているんだ。子供の片腕の腕力なんて、たかが知れている」
「…………」
「先ほどの男のように薬物で身体増強を図っているんだろうが……剣士が腕と肩に負傷を負ったんだ。もう……終わりだ」
青年は武器を振り上げ、ルシアへ振りおろそうと構えた。
「…………」
「?」
ゆらり、と立ち上がるルシア。
「…………覚えています、あの時の事を」
「命乞いか」
「…………あれはたしかに、あの人の声は魔法だった」
母親の女性は、今は何をしているだろうか。
「…………あの温もりも」
泣いていた子が泣き止み、安らかに眠る寝顔を覚えている。
「…………あの笑顔も」
「それを奪ったのが貴様らだろうが!」
必死の形相で剣を振り上げ振りおろす青年。
ルシアは剣を投げ捨て、踊るような動きで青年へ飛び込んでくる。
その動きは、今までとは一変した動き。
これまでのが稲妻のような激しい動きだったのなら、今度の動きは蜂や蝶のような、舞う動き。
鋭い刃に合わせるようにルシアは掌を刃へと向ける。
刃が掌を真っ二つに斬り裂こうとする瞬間。
「————竜神掌—————!!」
裂帛の気合と共に、痛みで顔を歪めるだけだったルシアの顔が、気合に染まり、空気が引き締まる。
振動のように辺りが震え、青年は目を見開いた。
まるで、掌底のようにむけた掌から竜が飛び出すように叫び声があがったように聞こえる。
「ガッ——————!!」
バキィンと刃が砕け散り、青年の腹部に直撃した。
削岩機のように突き進む『衝撃派』に、青年の肋骨が砕ける音が響き渡った。
青年は地面に転がり、蹲りながらルシアをジロリと見詰めた。
「くっ!」
「……ハァ……ハァ……今……のは」
悔しさを滲ませる青年と、自分が行ったこと、口走った事に驚愕している少年。
2人は地面に蹲りながら口元から血を流して相対していた。
「……くっ。今日の所はここで引かせてもらう」
「…………」
「あの日から自分自身を鍛えてきたつもりだが……まだまだという事か。薬物使用者に引き分けるとは。こんな事ではまだ目的を達成できないか」
「…………」
「次に会った時、必ずお前の首を取る。覚悟しておくことだ」
そう言って、青年はお腹や胸を抑えながら去って行った。
化学者たちも皆逃げ出したのか、この建造物は無音の世界へとなっていた。
ルシアはゆっくりと立ち上がる。
腕や肩から零れ落ちる血液を気にせず、ルシアはヨロヨロと立ち上がり、地面に落ちていた被験者リストの紙を拾い上げる。
「…………」
白い紙が赤く染まっていくのを見ながら、ルシアはジッとその紙を見続けた。
見知った顔を。
「…………」
これだから人間は、そう呟く。
ゾファー復活も人間の欲望・憤怒・殺意・金など、あらゆる人間の性質が原因だ。
だから、青き星も滅ぶ原因となった。
ここの建物から漂ってきたゾファー復活の気配。
どうやら既に逃げ出したか、どこかへ移動したのか。
少なくても、ここの連中がゾファー復活のきっかけになったのも間違いはない。
また自分に滅ぼさせるのか。
また繰り返すのか。
これが人間だ。
こんな醜い事件を起こす元凶。
今回死亡した被験者たちも、いずれこんな事を起こしただろう。
人間同士の因果応報。必然の現象だ。
「?」
不意に、目から『何か』が零れおちた。
次々に零れおちていく『何か』。
「これ…………は…………」
上手く喋れない。
歯が小さく音を立てて振るえた。
「ぅ……ううぅ…………」
止める事ができない小さな声が漏れ続け、ガクリと膝を付いて地面に爪を立てる。
ガリっと音を立てて、爪と地面に血が滲む。
「な、なんで、私は…………」
こんなに動揺している?
こんなに目から零しているのか?
男から紙を渡された時と同じ何かが、胸に再びこみあげてくる。
何もかも無くしたくなる、この衝動。
初めて『睨む』という程目つきを悪くしたルシアは、その衝動に流されるがまま、全方向にその力を振るった。
「———————サテライトボム!!」
その瞬間、建物内部は激しい閃光と共に全てを滅され、死体も悪魔も、実験資料も全てが消え去った。
「エステル、そろそろ帰るわよ〜〜〜!」
「帰るぞエステルー」
「は〜〜〜い!」
母と父の声に反応した、元気印の少女、エステル・ブライトはロレントの出入り口にいる両親の元へと駆け寄った。
晩御飯の買い物を終えた母と父の手には食材がたくさんあり、父の遊撃士の仕事の都合で遅くなってしまった夕食が、今ではすっかり楽しみだ。
あちこちの民家から漂ってくる夕御飯の匂いにエステルはお腹の音を鳴らしながら、両親の両手につかまりながら帰宅する。
「ねぇねぇ、お母さん」
「なに、エステル?」
「今日のご飯何?」
「今日は美味しいシチューよ。パンと一緒に食べるハムとブロッコリーのソテーも美味しいわよ〜〜〜?」
「わ〜〜い!」
「ふむ。それは旨そうだな」
はしゃぐエステルに、ひげを触りながら期待するカシウス。
レナはそんな2人に嬉しそうに笑い、前を見た。
こうして笑っていられるのも、旦那とこうして一緒にいられるのも、生きているから。
本当に幸せだと、レナは思う。
これから愛娘のエステルは自分と同じで、どのような人生を歩んでいくのだろうか。
女の子らしく育てているが、いかんせん趣味がどうも男の子っぽいものばかりで心配だ。
(大丈夫かしら……?)
良い人生と、女にとっての幸せの人生は、また別だとレナは知っている。
チラっとレナは娘を見ると、
「?」
アイスを食べた痕を頬につけたままニンマリと笑う娘に、母として心配になったレナであった。
その直後。
「!?」
「2人とも下がれ!」
「ふぇ?」
突如、夜空から落ちてきた一陣の光。
その色は青。
爆風のような風が光の落下地点から吹き荒れ、カシウスは2人の前に立ち庇い、懐から出した警棒のようなものを構えた。
しかし険しい表情のカシウスとは違い、レナとエステルは目を見開いていた。
「この光は……」
「ねぇ、ママ。これって」
その言葉にカシウスは眉を顰めるが、その言葉の意味が分からない。
しかし意外と簡単にその答えは分かったのだった。
自宅近くの林の森。
そこが光の落下地点。
そこにカシウスが警戒しつつ向かう。
「…………! おい、君!」
そこにいたのは重傷の傷を負い、血を流し、焼け焦げ汚れた身体の1人の男の子。
「! あなた、その子は!」
「エステルに見せるな!」
「は、はい!」
カシウスは咄嗟にそう叫び、娘の目を塞ぐ。
そう。
カシウスにとって最愛の妻の命の恩人にして、娘の憧れの存在、友達になりがっている、女の子のように美しい子供。
重傷を負ったルシアが、そこにいた。
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レーヴェはまだ実力的には未熟なレベルです。修行中。原作ほどは強くなってない。その位。
まだ原作のような考えはしておらず、現状は強くなるために修行している状態です。