———————————————ルシアが変わった。
それが、シスター・マーブルの言葉であった。
幼いノエルや生徒たちは気付かない。
エリィのように賢すぎる子なら気付いたかもしれないが、まだ2人は会った事はない。
歌が上手い子がいる、くらいならエリィやロイドも噂で聞いてるだろうが。
どこら辺が変わったのか、そう問われればマーブルはこう答えざるを得ない。
どこかが変わった、と。
何時もなら、毎朝早く出かけ、大体夕方頃に戻ってくるのが基本だった。
それが、毎朝早くから深夜まで、下手したら帰ってこない日もあるくらいだ。
故に会話が減ったので、顔を見る機会が減り笑顔を見ていない、が正しい表現なのだが。
何時からだろうか。
そう問われれば、マーブルははっきり答えることができる。
(一月前のあの夕方の時。あの後から、様子がおかしくなった)
服が一瞬で変わった事、光に包まれた事、一瞬で消えた事など、不可解な事はたくさんあった。
だがおよそ、あの場にいたのは小さな子供たちしかいなかったし、大人は自分だけであった。
子供たちは単純な手品だと思ったし、勘が良い子はその話をバラまき、だが冗談として一笑されて終わったのだ。
マーブルは日記を片付け、溜息を吐く。
ホットミルクを一口飲んで窓から外を眺めた。
分かっていた。
あの子は普通の子ではなく特別な子だと。
自分にしてやれるのは、普通の子への対応だけだと。
笑うようになったルシアだったが、最近は笑わなくなった。なんだか振り出しに戻った気分だ。
いや、本当に笑わなくなったのかは分からない。そもそも極稀に口元を緩める笑みを、笑うと言っていいのか、それは疑問だ。
子供はすべからく満面の笑みが似合い、それが子供の当然の権利だからだ。
このままでいいのか、そう自分に何度も問うが答えは出ない。
ふと、本棚にある1つの童話が目に入った。
その話は1人の青年が復讐の為に人生を駆け抜け、だがヒロインたる女の子のお陰で最後の最後でようやく凍てついた心が溶けて開放されるという話だった。
この話で重要なのは、思いやる心だとかそういう模範的な解答ではない。
マーブルにとって今着目すべき点は、数多くの魅力溢れる人物たちがいたにも関わらず、誰にも主人公の青年を変える事はできず、結果的にヒロインという、一番ストーリー上で役に立たなかった女性が唯一、主人公を変えれた存在だったというところだ。
謂わば、運命の相手。
ロマンチックな言い方だが、結局はそういう事なのだろうとマーブルは思う。
ルシアへの大きな影響を与える事ができるのは、果たして誰なのだろうかと。
今はまだ現れない現状に溜息を吐き、傍らのクロスベルタイムズ新聞に目をやった。
「あら……また現れたのですか」
それは、正体不明の『仮面』の事であった。
クロスベル警察が出動する前に、またも『仮面』のお陰で未然に犯罪が防がれたという。
文面は警察の無能さに対する弾劾から始まり、件の人物像を予想した、酷く下賤な言葉で書き立てられた文末で終わっていた。
白いグレイマスクとはいえ、奇妙な仮面を顔に付けて颯爽と空を駆ける姿はどこか変態的である、とも書かれている。
記事の精度はさておき、まるでヒーローのような活躍ですね、とマーブルは零したのであった。
『依頼は完了しました』
その旨を一枚の紙に記し、依頼主の自宅へと投げ込む。
全身を紅い外套で覆い尽くし、白い仮面で顔を隠したその人物は、手紙が無事に投げ込まれた事を見届けると、ビルの屋上からその身を舞い、漆黒の闇へと消えていった。
ルシアが始めた『何でも屋』稼業。
仮面をつけたのは、最近多い、正体不明の襲撃者に対する対抗措置だ。
素顔で歩いていると襲撃が多く、対応が面倒だった。
そこで顔を誤魔化したらと思ったのだ。
———何故か仮面を思いつき、しかも白騎士なんたらと高笑いする見知らぬ人物が過ったのは妙だったが。
そういう訳で、購入しようとアンティークショップにいったのだが、売っていたのが『蝶仮面』『宇宙人仮面』などどうにも妙なものばかりだったのだが、ルシアは宇宙人仮面——グレイマスク——を購入し、それを付けて何でも屋を運営していた。
現状、マーブルから教わった文字において、基本的な文脈しかルシアは書けない。
専門用語になると流石にまだ覚えていないのが現状だが、依頼の完了、という文字だけを覚えて手紙に記せば問題なかった。
基本的に護衛任務などは遊撃士に依頼が行くので、ルシアに回ってくる依頼は、誰かと誰かの喧嘩を止めろとか、魔獣がいきなり現れて遊撃士に討伐を依頼する余裕がない、など緊急性を要するものだけだ。
つまり手紙に詳細を書く必要はなく、依頼者が自らの目で確認できるという点で不必要な言葉を並べる必要性もなかったのだ。
料金システムは、前金を貰い、完遂の旨が来れば所定の場所へ金銭を放置する。
完全に後者は依頼主の心ひとつであるが、今のところは金銭の支払いに関しては滞りなく行われている。
一応、人の良い依頼人は前金で全額払うのだが、そこはルシアにとって問題ではない。
「こんな事をしている時間などないのに……何故私は……」
ルシアは道を歩きながら思わず呟いていた。
こんな事などしている暇などない。
自分は一刻も早く青き星へと戻り、ルナの世界へと降り立ち、アルテナにゾファー復活の旨と自分と相討ちになった事、青き星が滅んだ事を報告せねばならない。
そしてアルテナと一緒にゾファーを完全に滅ぼし、青き星への再生の手がかりを。
なのにこんな事をしている自分に戸惑いと苛立ちすら感じてしまう。
ぶっちゃけ…………やっている事は遊撃士となんら変わりがないのだ。
「何を私はやっている…………」
理性が訴えるのは分かる。異世界に来て力も弱り、四龍の力も使えない自分が異世界の青き星へと戻るには、ゆっくりと確実に方法を探さなくてはならないと。
だが心が訴える。
早く……早くと。
凍てついた青き星。
死体となった青き星の命たち。
この世界で感じた、赤ん坊の温もり。
緑溢れる大地。
そして、元気なひまわりのような笑顔の茶髪の少女と女性。
「…………」
訳の解らない気持ちが胸に渦巻き、歯噛みする。
すると、
「おい、そこの君!」
「…………?」
「君! 以前会った、ルシアじゃないか?」
「……貴方は」
そこにいたのは、クロスベルに来た当初に出会った男性、セルゲイ・ロウであった。
隣にいる、ブラウン色の理知的な女性が誰かは知らないが……セルゲイは少し驚いた顔をしつつも、慌てて駆け寄ってきたのだった。
数分前に話は戻る。
その日。ソーニャ・ベルツはセルゲイ・ロウと共に街を歩いていた。
別に色気のある話でも何でもない。
ただ、セルゲイの愚痴に付き合っていたという事と、『今回の騒動』の概要を説明してもらう為でもあった。
「それで、結局捕まえた少年は直ぐに釈放されて書類送検も無し。被害者への示談金を支払って口止めで終わりってこと?」
「ああ…………くそっ。何度やっても慣れる事はねぇな、このクソったれな対応はよ」
「そうね。それに慣れてはいけないと思うけど」
窃盗犯が帝国派議員の息子という立場であった為、有耶無耶の上にお咎めなしで釈放されてしまった今回の騒動。
自ら捕まえ、逮捕したセルゲイとしては遣り切れない思いがあった。
「まあ、それとどう向き合って、どう対処していくか。それがこのクロスベルで上手くやっていく秘訣だと思うわ」
「そりゃそうだ…………あ、そういえば」
「どうしたの?」
中央広場の椅子にインスタントコーヒーを持って座ると、セルゲイは思い出したように口を開いた。
「いや、そういえば警察学校の生徒でひとり、かなり優秀な奴がいただろ」
「アリオス・マクレインのこと?」
「いや、そっちじゃない。確か…………」
「妙に軽くて煩い坊やの事?」
「そう、それだ。かなりのお調子者でもあるって感じだった……ええっと、確か……ああ、思い出した! ガイ・バニングスか」
「そうそう。そんな名前だったわ。かなり手柄も立ててるみたいだから優秀のようね」
「ああ。そいつが中々面白いこと言っていてな」
「どんな?」
ソーニャはコーヒーを飲みながら窺う。
するとセルゲイもコーヒーを一口飲み、こう言った。
「クロスベル警察には、自治州のしがらみに捕らわれない部署が必要だ。遊撃士協会ではない、だが似たような類の部署が、だそうだ」
「それって警察官に遊撃士の真似をしろってこと?」
「さあ? それは詳しく聞いてないから知らないが……まあそんなもんだろ」
「……流石にそれは無理ね。上が認めないわよ」
「……だな」
そもそも警察官にもプライドというものがある。
市民の味方———悪い言い方をすれば、人気取りだけの立場であるここの遊撃士の真似など、できるはずもない。
「悪かったな、愚痴聞いてもらって」
「いいのよ。私の時に付き合って貰うから」
「ああ……その時は喜んで」
理知的な横顔が優しく染まったソーニャの言葉に、セルゲイも小さく笑って頷く。
クロスベルという、特殊な街で警察官という立場にいる彼らは苦労も多い。
そんな中で警備隊所属のソーニャと警察官のセルゲイはお互いに親交もあり、仲も良かった。
「さて、じゃあ行きますか……って」
「ええそうね。ん? どうかしたの?」
「あそこにいる子だが……」
「ああ、あの子? 青い髪が特徴的な子ね。女の子っぽく見えるけど……あの子がどうかしたの? っ!?」
「おい、そこの君!」
ソーニャが聴く前に、セルゲイが大声をあげて話しかけていたのだった。
「久しぶりだな」
「…………そうですね」
「ああ、こっちは俺の同僚、ソーニャ・ベルツ。警備隊所属だ」
「よろしくね。ソーニャ・ベルツよ」
「…………どうも」
ペコリと頭を下げるルシア。
彼はジッとソーニャの持っている飲み物を見ていた。
「……飲む?」
「…………」
コクンと頷いて受け取り飲むルシアだが。
「〜〜〜〜〜〜」
無表情で眉も顰めず硬直した。
「苦いのか不味いのか分かり難いわね」
「ハッハッハ」
ソーニャは早くもルシアが感情を表に出さない、訳ありの子だと察したようだ。
セルゲイもその突っ込みに大笑いだ。
「あれからどうしてたんだ?」
「…………遺跡を回ってました」
「遺跡?」
聞き逃せない言葉に反応するソーニャ。
まだ発見されていない遺跡もあるとはいえ、基本的に知られている遺跡は全て警備隊管轄になる。
未来では警備隊が禁止エリアとして完全に封鎖しているが、現在のクロスベルでは侵入の禁止の旨を市民へ通達しているだけだ。
「こいつは遺跡を回っているんだそうだ」
「ええ…………探し物があるんです」
「でも危ないでしょう」
「…………」
「それでも、探さないといけないんだとさ」
セルゲイが肩を竦めて言うと、ソーニャが渋々肯く。
本来なら幼い子供を保護し、子供の事情など黙殺して匿うところだが、信頼するセルゲイが見逃しているのだ。何か事情があるのだろうと引き下がった。
だがソーニャは、警備隊の一員としてルシアに忠告する。
「でも気をつけて。最近、クロスベルを中心に子供たちが行方不明になる事件が多発しているの」
「…………」
「ああ、アレか」
「流石にその数が多すぎるわ。エレボニア・カルバート・リベール・クロスベルの上層部を始め、遊撃士協会や七耀教会もこの件を問題視してるわ」
「…………」
「仮にこの事件が誘拐だとしたら、犯人たちは恐ろしいわ。目撃情報も殆どない。そしてその手並みは鮮やかよ」
誘拐事件というのは、拉致する状況、その後の運び方など、成功率は圧倒的に低い、とても難しい犯罪だ。
だがそんな犯罪を何十回と成功させている。
恐ろしい敵だと、ソーニャは踏んでいた。
(最近妙に襲ってくる、あの仮面の連中のことでしょうか)
ルシアはそう考えるが、そんな訳ないかとすぐに否定する。
襲撃犯を殺した数は、既に二ケタ近い。
命を摘み取る事に、最近は躊躇うことも多いが、それでも自分は死ぬ訳にはいかないのだ。
アルテナに会い、自分の使命を引き継ぐまでは。
「ルシア。お前は何か知らないか?」
「…………いえ、何も」
「そうか」
その答えには期待してなかったようで、すぐに違う話を振って来た。
その瞬間だった。
「ドロボー!!」
「!!」
クロスベル自治州の、昼も麗らかな時間帯に響く女性の悲鳴。
全ての視線が発生元に注がれる。
そこにいたのは、地面に倒れている少女とその母親らしき叫んだ女性と、その女性から慌てて離れて走る男の姿が。
男の逃走ルート上に、ルシアやセルゲイたちがいた。
セルゲイはタバコをコーヒーに放り込むと立ちあがり、警棒を片手に構える。
ソーニャも万が一に備えてのバックアップの為に懐に手を忍ばせて警戒する。
「邪魔だぁ! どけぇ!!」
男はセルゲイが邪魔しようとしている事に気付くと、奪った鞄を懐に抱え込み、ナイフを取り出して加速する。
オーブメントでも装備しているのだろうか。
その身体能力には目を見張るものがあり、セルゲイもチンピラに相対するよりも深く警戒し、腰を落とす。
街中に悲鳴が上がってパニックの光景が広がる瞬間だった。
「———閃光斬———」
小さな呟きがセルゲイとソーニャの耳に届いたかと思い、まばたき1つした直後。
男の背後にルシアが立っていて片手には大人用サイズの剣を手にしている姿と、白目を剥いて崩れ落ちていく男の姿だった。
「なっ!?」
「!?」
セルゲイとソーニャは驚愕する。
全く見えなかった剣の軌跡とルシアの動き。
2人は呆然としてルシアを凝視した。
周囲も一転二転する展開に固まり、そしてようやく歓声を上げて少年を讃え始める。
ルシアはそんな周囲に気にせず、相変わらず何を考えているのか分からない顔で、倒れていた少女の元へと歩み寄った。
少女は手を擦り剥いたようで大泣きしていて、掌からは血が出ていた。
どうやら母親のバッグを盗んだ時に、幼い少女は弾き飛ばされたらしい。
「…………」
「ふえええぇぇぇぇぇん!」
「だ、大丈夫よ。大丈夫ですからね〜〜〜」
母が娘をあやして落ち着かせようとする中、ルシアは少女の手を取り、ジっとその傷を見詰める。
そして何度か少女と手へ視線を往復させると、
「ヒール」
手を翳したルシアから青い光が注がれ、少女の手を覆い始めたではないか。
小さな光だったが、確かに少女の手は癒えていく。
「わぁ! ありがとう、お兄ちゃん!」
「…………感謝など無用です」
痛みが無くなった少女はすぐに泣き止み、ルシアへと満面の笑みを浮かべてお礼を言った。
母親もその後少年にお礼を言い、やってきた警察官が男を連行していく。
アーツによって癒すなんて凄い、幼いのにアーツを使えて凄いと周囲は褒め称える。
ルシアは帰っていく少女が手を振ってくるので、それに振り返すことなく少女を見送り、そしてセルゲイたちへ振り返った。
「…………では、私はまだ用事がありますので」
「あ、ああ」
「え、ええ」
何事もなかったようにルシアは去っていった。
その場に取り残されたセルゲイとソーニャは夢心地のように呆然としている。
ソーニャはセルゲイに問いかける。
「あの子……何者なの?」
「分からん……」
「子供の身体能力を大幅に超えてるわ、あの動き。それに回復系のアーツも。あんなアーツ初めて見た」
「それもそうだが…………気になった事は他にもある」
「他?」
セルゲイへと顔を向けると、困惑した色を浮かべたセルゲイがいた。
「前に遭った時より、ずっとあいつが不安定に見える」
「……そうなの?」
「ああ。少なくても、誰かの為に何かをするような奴には見えなかったが……」
「?」
「他に関心が無い、そんな感じだった気がするが、今のあいつは……」
「でも、そうだとしたら良い事じゃない。力を持っている彼が誰かの為にそれを使うなんて」
「……まあ、そうなんだけどな……普通なら」
嫌な予感がするぜ、とセルゲイはポツリと漏らしたのだった。
「…………ここが『月の僧院』ですか」
夕方。
陽も沈み、辺りが暗闇に包まれた頃、噂で聞いた遺跡の前にいた。
今は閉ざされた、どこかの山奥に不思議な遺跡があると、何でも屋を運営している時に耳に挟んだ。
そこには何かがあるかもとルシアは思い、やってきたのだが……。
事態は思わず方へと移行することになる。
「!!」
ハっとなって月の僧院を見上げる。
断崖絶壁の上に立つ遺跡は、どこか教会を模してあり、けれど比べ物にならないくらいに大きい。
それに————。
「これは……人避けの結界」
ルシアはその結界の境目に立ち、手を触れて呟く。
そして一呼吸と共に、魔力を纏った拳を振りおろした。
パリン、とガラスが砕けるような音が響いた直後、『建物から空気』が漂ってくる。
「こ、この気配は……!」
よく知っている気配。
この気配には、自分が気付かない訳がないのだ。
しかも、本当に極僅か。
こうして近寄って警戒し、ようやく気付けた程度の大きさ。
だから結界などを張り、内側に何もないように見せかけて自分に気づかれないようにしたのだろう。
そうルシアは悟った。
「まさか……この世界でも復活したというのですかっ!」
汗を垂らし、険しい瞳をその建造物へと向けた。
「ゾファー!」
その声は、限りなく険しいものであり、ルシアは眉を顰めて睨みつけていた。
そして。
この時、そんなルシアを見詰める人物が近くにいた。
髪は白く、どこか顔色も悪い。
だがその瞳は鋭くどこか刹那的であり、地獄の業火を表しているような真っ赤の瞳は恐ろしいものがあった。
ソレは己の愛剣を手に旅をする、力を渇望する存在。
後に『とある組織』に入る、1人の青年だった。
「ここが……例の一部の拠点か」
青年はポツリと呟き、そして眼下にいる少年に目を向けた。
少年は剣を片手に、遺跡の中へと飛び込んでいく。
「あの強固な結界で覆われたここに気付き、あまつさえ侵入できるなど……奴らの同士か、元同胞といったところか」
青年は少年へと憎悪の視線を向け、己の成長の糧にすることを誓った。
「……逃がさん」
その男は崖の上から飛び降り、月の僧院の窓ガラスを突き破って突入した
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ついにあの剣士が登場。
そして次回は、勘違いによる血みどろの激突。
次回が大きな転換点になります。