ビスケと分かれてからはや3日。途中妨害もなく、イナギは無事目的地に辿り着いていた。
イワリーヂ空港。アイジエン大陸の北西に位置する、大陸随一のハブ空港である。年末も近づいたこの季節。道中の浮かれた空気はどこへやら、現在この場所には異様な熱気が漂っていた。
理由はただ一つ、空港に集っている人の群れである。常人とはまた違う険呑な雰囲気を纏った、普通にカテゴライズされなさそうな人の多少。そう、その理由は、間違いなくハンター試験だった。より詳しく述べるなら、試験開始から丁度1週間前の今日に運行予定のエルベガ行きの便である。何故なら、これが現在ハンター試験に間に合う唯一の交通手段であるからだ。
試験に間に合う船便は、とっくに出向済みである。結果、この地域に居るハンター志望者がこの空港に集う事に相成ったのだった。
そんな空港で、予約していたチケットを無事発券し終えたイナギは搭乗時間を待っていた。休憩室の一席を確保できたとはいえ、確実に空港のキャパを超えた人波である。時折響く怒声と打撃音にいい加減うんざりし始めた頃、ようやく待ち望んだ館内放送が飛び込んできた。
『12:30発エルベガ方面行きの便の搭乗手続きを開始します。チケットを持っていらっしゃる方は、至急3番ゲートまでいらしてください。繰り返します――』
これは実質ハンター試験受験者の呼び出しに等しい。剣呑な雰囲気を持つ人間が続々と、互いに牽制しながら順々に休憩室を出て行く。
「さて、と。行きますか」
そうして5分後。最後の受験生が部屋を出て行ってからイナギは開いていた本をパタンと閉じたのだった。
かささぎの梯
第四話 『ナビゲーター』
空港に大挙していた受験生の一人として飛行船に乗り込んで3日。イナギはヨルビアン大陸の西北、エルベガを取り囲むロマブ砂漠の上空にいた。
ここまでの道中は特に何も起こらず、強いて言えばそろそろ機内食に飽きてきたかな、くらい。ハンター試験のハの字も感じさせない順調な旅程である。
現在時刻は午後の2時過ぎ。飛行船の窓からは一面見渡す限りの砂世界。到着までもう暫くはかかりそうかな、などと考えていたイナギの耳にあるアナウンスが飛び込んできた。
『皆さま、この度はセントラル航空をご利用くださり誠にありがとうございます。当船は間もなく目的地に到着いたします。着陸の際は揺れが予想されますので、お近くの座席にかけていただくか、手すり等におつかまりください』
深みのある落ち着いた男性の声。飛行船の機長である。この3日間で何度も聞いた彼の声を受けて、しかしその内容が故に受験生各所からは疑問が漏れていた。それもそのはず、エルベガ――ハンター試験会場がある、世界有数のギャンブル都市はまだ見えてこない。
受験生の思いをよそに、飛行船はゆっくりと高度を下げていく。着陸しようとしているのは……砂漠のど真ん中に似つかわしくない、巨大なキノコ型の建造物。金属で作られたそれの高さは優に50メートルは超えて見える。傘の部分は水平な円形。その径は飛行船が4台程縦に並べられそうであった。
そのまま、着陸。きっかり10秒は数えてから、再びのアナウンス。
『長らく大変お待たせ致しました。当船は無事目的地に到着いたしました。ハンター試験会場のエルベガから南に約250キロ、皆様にはここから歩いてエルベガを目指していただきます』
その内容を受け、呆然から戸惑い、そして怒り。受験生の怒号をそよ風のように流し、機長はそのまま話を続ける。
『当飛行船は皆様の下船を確認後、イワリーヂ空港に向けて引き返します。もしご自身で砂漠を抜ける自信がない方は、そのまま船内に残っても結構です。その際お帰りの運賃はいただきませんのでご安心ください――ただし、残られた方は別ルートから試験会場に辿り着けたとしても今年のハンター試験は失格です、とハンター協会から言づけられておりますのでご注意ください』
まぁこの程度で音を上げる方は、ハンターなどなれる筈もない、ということなのでしょう。どうぞ命を大事になさってください。
ふいごのように吹き寄せる機長の声に受験生は煽られ、その熱は増すばかり。
『……ただ、皆さんの言うことも最もです。水・食料何もなく、このロマブ砂漠を200キロ以上歩き続けるのはさすがに厳しい。そのため受験生の皆様に、セントラル航空からプレゼントを用意いたしました。外をご覧ください』
傍らの窓から外を見てみる。無数のコンテナが無秩序に並べてあった。
『中身は必要になであろう、道具・食料・水などが入っています。エルベガまでお連れできないお詫びです、ご自由にご活用ください。早い者勝ちですけどね』
機長はそのまま沈黙。一拍開け、船内の受験生は大挙して下船タラップを駆け下りた。蟻のようにコンテナに群がる。鍵はかかっていないようで、自らの戦利品を主張する声が各所から上がった。
全ての受験生が下りてすぐ、飛行船の入り口が閉まっていく。駆動音を鳴り響かせ、巨体が上がる。地面にできた巨大な影が薄くなったところで、船外の拡声器から再び機長の声。
『現時点での不合格者0名、皆さんの健闘をお祈りします。そして一つ言い忘れましたが――』
物資を漁る受験生の騒めきよりも遥かに大きい声に続き、飛行船から一つのコンテナが放り出される。その先は受験生たちの脇を通り抜け、遥か下の地面へ落ちていく。
落下の衝撃でコンテナが壊れ、中から大量の物資がまき散らされる……前に地面から無数の細長い生き物が飛び出し、コンテナの残骸を覆うように暗褐色の球体が出来上がった。
『――ここはロマブ砂漠の固有種、ミズオイムカデの巣の中心です。彼らは皆渇いています、水そのものの気配を感じ取れるほどに』
『見てわかる通り、成虫の大きさは人と同じくらい。巣に集まっているのは1000匹くらいでしょうか。水と食糧を持って、彼らと戦いながらエルベガを目指すのか。もしくは何も持たずに、飢えや乾きと戦うのか。それは自由です』
『なに、自信がないようでしたら地面に降りなければ大丈夫。皆様がいる着陸場は傘状になっており、ムカデは上まで上がってこれません。ハンター試験の開始日に、セントラル航空が責任をもってお迎えに上がりますよ。それまでの物資も十分にありますしね』
もう受験生たちからは何の声も上がらなかった。蠢いた球が解かれた時にはコンテナの残骸しか残されていなかった。
『最後に一つ、私からのアドバイスです。エルベガはここから真北へ250キロ、急げば3日くらいで着くでしょう。目的地までは、方角を間違えないようコンパスをご確認ください』
以上、皆様の健闘を祈りますなんて言葉を最後に飛行船は動き始め、既に音を上げ帰還を望む一部の受験生を一顧だにせず、その船影は次第に小さくなり、すぐに地平線の果てに消えていったのであった。
▽▲
降船して30分。飛行船の姿が完全に見え無くなった頃、イナギはコンテナの脇で座り込んでいた。
周りの受験生はコンテナを漁り続ける者、怒りを露わにする者、気勢を揚げる者。様々ではあるが、心が折れてしまっている者も少なくないようである。
そんなギブアップ組と間違えられそうな様子の彼であるが、その理由は砂漠の気候であった。
「……だめだ、暑すぎる。死ぬ」
彼は雪深い寒国の生まれであった。冬には港が凍り船の出入りが出来ないほどで、夏であっても20度を超えることはない。富豪の避暑地としても人気のあるその国で生まれ育った彼にとって、今の気候は過酷であった。
ここロマブは世界で一番寒暖差が激しい地域として有名である。今は12月とはいえ、その気温は軽く30度を超えてくる。その空気はひどく乾いており、呼吸する度に体内の水分を奪っていく。
しかもここは地上50メートル。加えて足下はコンクリートである。試しに触ってみたら軽くやけどした。痛い。
「暑すぎて今は動きたくない……涼しくなるまで動かないようにしよう」
纏のお陰でマシになっているとはいえ、苦手なものは苦手なのである。そんな中ではロクに頭も動かない。
暑さと時差への慣らしもかねて、日が沈むまではなるべく日陰にいよう。
そんなこんなで、イナギはコンテナに背を預けてゆっくりと目を閉じたのだった。
そうしておおよそ4時間後。
日が完全に隠れ、俄かに涼しく、いや寒くなりだした頃、イナギはゆっくりと動き出した。
目を開けて、辺りを見回す。コンテナ漁りも既に一通り終わっているようで、寒さ故か不安故か受験生のほとんどは中央部に集まっていた。
コンテナの中に入っていたのだろう、毛布を引っ被っている者が多い。漏れ聞こえる声から察するに、その大半はハンター試験を諦めたようである。
「確かに、あの巨大ムカデ見たら普通は諦めるよな」
普通の人間がムカデに覆われて無事に済むとも思えない。
ま、ライバルが減るに越したことないかなんて考えながら、傍らのコンテナの扉を開けた。
中は暗く、奥まで見通すことはできない。しかしここも例に漏れず探索済みで、大分荒々しく探されたことは分かった。
足元に転がっていたライトを手に取り、中を照らす。水・食料品の類はすべて持ち去られているようだ。
「っと。それ以外は結構残ってるな」
ライトで残った物資を照らしながら、一つ一つ確認していく。
必要なものはすぐに見つかった。
「機長からのアドバイス……コンパスを確認しろって言ってたからな」
通常念を覚えるのはハンター試験合格後である事から分かるように、ハンター試験は非念能力者に合わせた難易度で作られている。念能力者にとってみれば、身体力を問う課題は圧倒的に難易度が低かった。
イナギであればあのムカデの群れを突っ切ってエルベガまで歩いていくことは(暑さ以外は)訳ないが、通常の受験生には半ば不可能である。
つまり非念能力者でもエルベガに辿り着ける道は確実にあり、イナギが怪しんでいたのが最後の船長の言葉だった。
「目的地までは方角を間違えないように、か。パッと見は何の変哲もないコンパスだよな」
手元のライトで照らし、顔を近づける。
よくよく見ると、目盛りは付いているもののあるべき東西南北の表記は存在しなかった。その代わり指針の片側が赤く塗られ、白地で"エルベガ"と刻字されている。
コンパスを持ち、コンテナの外に出て辺りを見渡す。遥か先に小さく、しかし遠洋から望む灯台のようにハッキリと見える光点。北極星の真下にあるあの煌きこそ、エルベガに間違いなかった。
そこで、かすかな違和感。
「――コンパスが、少しずれてる? 」
磁針の延長線上から、エルベガはほんの僅かにずれていた。
イナギはすぐコンテナの中に引き返し、同じコンパスを追加で2つ。等間隔で地面に並べてみる。
すると、その針先はやはり光点からずれており、そしてその全てが同じ方位を示していた。
今イナギがいる位置は、離着場の南端付近であった。エルベガとは逆側である。違和感の正体を確かめるべく、コンパスを持ち北端へ向かう。
ただ真ん中付近には受験生がたむろしているため、離陸場の外縁を進む。そのまま半分ほど進んだ所で、更なる違和感。
先ほどより、1目盛りほど針の傾きが大きくなっていた。傾きにして4度ほど。
つまりこのコンパスは、確かにどこかを指示していた。
「機長が言った目的地は、かなり近いところにあるかもしれない」
ボストンバッグから手帳と筆記具を取り出し、計算することにする。
このキノコ型の離陸場は傘の部分の面積がかなり広く取られており、全長200メートルの飛行船が縦に4台は並べられる。
その半径は400メートル。そして中心と外縁からの角度差が約4度。そこから考えると目的地までの距離は……
「……コンパスの針先、約5キロくらいの所、かな」
砂漠の夜は明るい。空気が澄んでおり、月や星の明かりが辺りを照らしているからだ。
右手の親指と人差し指で小さな円を作り、そこを覗き穴にして針先を見る。5キロほど先には、クジラくらいはありそうなこぶし型の大岩。そしてその上には――
「人型。一人。多分、ナビゲーターだね」
イナギは、ようやくハンター試験会場までの案内人の影を見つけたのだった。