10話「夢叶って」
正午を過ぎ、太陽が頂点が燦々と輝く藍蘭島の青空。
温かい陽射し。緑の野辺に咲き乱れる花々。その中を、白い蝶たちが飛ぶ。
花からは花へひらりひらりと。
そんな静かな景色に。一陣の紅い風が駆け抜ける。
駆ける。駆ける。駆ける。
大地を、木を、屋根を駆け抜けて。衛宮士郎はあやねの案内の元、藍蘭島を駆け回っていた。
「うわあぁぁぁっ……!」
士郎に抱き付いていたあやねは感嘆する。
お姫様抱っこされ、吹き付ける風で乱れたツインテールの黒髪を手で押さえた。あやねは確信する。
(最高の、式神だわ……!)
一方、士郎もまた感動していた。
数キロ先を見通す鷹の目を駆使して、藍蘭島の人々の営みを。
人と動物たちが互いに手を取り合い、支えあう。
言葉を交わし、助け合って生活する。
不幸も争いもない、当たり前の営み。
この胸に去来するものはなんだろうか。こみ上げてくる不思議な感覚に士郎は戸惑いを隠せない。
かつて銃弾が飛び交い、血と涙で染まった大地とは違う。
川の水は澄み渡り、海は太陽を反射して眩しいばかりに輝き、景色をより煌びやかなものに引き上げていた。
頬を撫でる風は涼しげで、ずっと先まで延びる草原の、草の香りを運んでくる。
静かな平穏が……何よりも尊い、『日常』がそこにはあった。
(ああ……そうか……)
村人たちの笑顔を眺めながら、士郎をようやく何に戸惑っていたか確信した。
「ここで……最後よ」
あやねはふぅっと息をつく。
南の森へ行けば犬猫たちと戯れ。
東の森に進めば蠢く食人植物がうようよわらわら。危うく食べられそうになるも士郎に助けてもらった。
北の森は岩山が並び立つ山岳地帯。藍蘭島自慢の桜の木をしばらくふたりで鑑賞していた。
藍蘭島中央にそびえ立つ富士山(ふじやま)。まさか島で一番高い山をあんなに早く頂上まで駆け上がるとは思わなかったとの驚くあやねと、常夏の島と思っていたこの場所でこんな雪景色を見られると思っていなかったと驚く士郎。
士郎のおかげで藍蘭島の有名な名所はわずか数時間ほどで全て案内することができ、最後に案内したのがこの自分たちが住む、西の森の浜辺であった。眼下に広がった夕日に染まった海を見つめる。
自分の好きな藍蘭島の海を。
「……やはり、そう……なのか……」
「……? どうしたの」
「いや……」
言おうとしたが言葉にならず、微かに首を振る。そして士郎は改めて地平線に沈む太陽を眺める。
(ああ……なんて綺麗なんだろう)
それが目の前に広がる幻想郷の如き光景を見た、一人の男の感壊だった。
「良い……ところだな。藍蘭島は……」
「ふふっ、当然でしょ?」
「ああ、ここは……本当に……」
静かで、平穏で、平和な島だ。
数時間かけて藍蘭島を巡り、士郎はようやく理解する。
この藍蘭島は、英雄が必要とされない場所なのだと。
(世界平和など大層なものではない)
かつて願った理想(ユメ)のカタチ。
俺はただ、せめて目の届く全ての人が幸せであって欲しかった。
戦争がなく。
誰も傷つかない。
ああ、この場所こそ。
我が生涯を賭して辿り着こうとした、全て遠き理想郷(アヴァロン)。
「士郎……?」
心配げに見上げるあやねに、「なんでもない」と告げ、
聖杯戦争から十数年。
理想の為に戦い続けた日々。
世界と契約し、その果てに犯罪者として処刑された。
死後は世界の危機の度に召喚され、いくつもの町や国を滅ぼしてきた。
絶望し、磨耗の果てに自己の消滅を願った。
復讐の機会が訪れた第5次聖杯戦争。
魔術の師であり友人でもあった遠坂に召喚され、かつての衛宮士郎に戦いの果てに答えを得た。
答えを得たその先が……この、平和な島だというのなら。
理想を失い、再び正義の味方を目指そうとする自分の成すべきことが分かるかもしれない。
「そうだな……もうしばらく、ここにいるのも悪くはないかもしれんな」
「えっ……?」
士郎の言葉にあやねは驚いたように顔を上げる。
「君を真の主と認めたわけにはいかないが……だがこのまま君に厄介になるのに、私の言動や君への配慮は足りなかったようだ。この場で謝罪させて欲しい」
「えっ……え、え……??」
すまなかったと頭を下げる士郎に困惑をみせるあやね。
「ま、まあ、私もあなたの扱いが雑だったし、別にいいわよ」
「ならばいい」
あっさりと頭を上げてしたり顔で頷く士郎にあやねにもう一回謝罪させてやろうかと睨む。
いつの間にか夕日は沈み、夜の世界が広がりを見せる。
星が瞬く。
雲ひとつない満天の夜空と。
金色に輝く満月。
見ているだけで吸い込まれそうなほど美しい光景。
ふと見上げた美しい藍蘭島の夜に感動しながら…………どこかで似たような光景を見たことを、士郎は思い出す。
かつて共に戦い続けた美しくも強かった剣の英霊。
霞んでしまった遠い記憶の中で彼女は、なんと自分に告げただろうか。
「あやね」
士郎は共に星の空を見上げていたあやねに声をかける。
「短い間かもしれんが、世話になる」
「短い間じゃないわよ。あんたは一生、私の式神なんだから」
「ふむ? その未熟な力で私を従えようとは、ずいぶん大きく出たな」
「はっ! あんたこそその減らず口、すぐに閉じさせて私の言いなりにしてやるわ!!」
「ほう、未熟者がどこまで足掻けるか楽しみだ」
「まだ言うかーっ!!」
星と月明かりに照らされた騎士と見習い巫女はいつまでも騒ぎ続けるのだった。
「ま、まあいいわ……それよりまだ大事なことをしてなかったわね」
吹き抜ける風が、あやねの甘い汗の香りを運んできた。
「なんだ?」
「何って握手よ握手。これから一緒に頑張っていくんだもの当然しょ?」
あやねはにっこりと満面の笑顔を咲かせて、士郎に手を差し出した。
「ようこそ、藍蘭島へ!」
「ああ、そうだな……しばらく、世話になる」
差し出された小さな手と巌のような大きな手が触れ合う。
顔を見合わせて笑い合いながら、士郎とあやねは握手を交わすのであった。
士郎があやねに『食われる』まで、あと三ヶ月。
「ふふふっ…………今日はお楽しみでしたね」
帰宅した士郎とあやねににっこりと嗤うちずる。
「……お楽しみ?」
「待て、何か勘違いをしてないか? ただ、この島を案内してもらっただけだぞ」
「お母さま、楽しかったわ。士郎が私を抱えて色々(案内)できたし………」
「……へえ?」
「マ、マスター!?」
あやねは無自覚にさらに追い打ちをかける。
「ずっと士郎に抱いて(運んで)もらっていたから腰がちょっと痛いわね……」
一日中士郎を連れ回したあやねは、腰をさすりながら風呂に出も入ろうかとのんびりと部屋に向かう。
「」
「」
その後ろでは鬼の形相をしたちずるに必死に弁明する士郎の姿があるのだった。
投稿名を改正しました。KUON⇒秀八。