第27話「突然だって」
夜が明けた早朝の境内。二人の剣士が交錯する。
静謐な空間を切り裂くような斬撃が放たれる。
「はっ! やっ!!」
木刀を自在に操り、苛烈に攻撃を仕掛ける行人。対する士郎は短刀を模した竹刀を操り、行人の剣撃を受け流していく。
「どうした……この程度かね?」
「くっ、まだまだぁ!」
二刀の短剣に阻まれ、攻めきれない行人はさらに上下左右に斬り掛かって手数をさらに増やして攻め立てる。
だが次の瞬間、行人の右足が地面を蹴りつけ、砂を跳ね上げる。
「むっ」
「もらった!」
士郎の視界を一瞬封じることに成功した行人は追い込むために突撃しようとした瞬間。
「だがまだ甘い」
「うわっ!?」
言葉と共に足を払われ、地面に転がされる。
「うわっと……!」
咄嗟に受け身を取りつつ、すぐさま起き上がって構え直す行人。
「もう一度、お願いします!」
「ふっ、掛かってくるがいい!」
「次こそ、一本取るっ!」
咆哮を上げ、突貫する行人。再び、無形の構えで対峙する士郎。再び巻き起こる剣と剣の鍔迫り合い。
「行人、頑張っているねー」
ぼんやりとした様子で行人の稽古風景を眺めているすず。
『すずも混ざってくればいいのに』
隣に住んでいる西の長・からあげが微笑ましそうに言っている。
「……んー、今はいいかな……」
『ふふっ、確かに修行中の行人くんってかっこいいよね』
「そうそう……って、何言ってんの!?」
『恍けちゃって……顔にそう書いてあるよ?』
「からあげのいじわる……」
頬を膨らましながら拗ねるすず。それでも、視線の先は行人から逸らそうとしない。
(おや、これはひょっとすると……?)
からあげは内心の好奇心を抑えつつ、この少女にどんなアドバイスをするのか迷うのだった。
それから三十分もの間、士郎との稽古を終えた行人は挨拶をして神社を出ていく。静寂の戻った境内を掃除する士郎にあやねが話しかける。
「……すず、最近綺麗になった?」
「むっ……言われてみれば、そうだな」
「なんでかしら……?」
「やはり、行人君と一緒に暮らしているからだろう。異性がいると女性は容姿を気にするしな」
「ふ~ん……なら、私も行人様には一層輝いて見えるってことかしら!?」
「いや、まったくないだろう」
「少しくらい褒めたっていいじゃない!」
「いや、あやねはどちらかというと何かに集中している姿が凛々しくて私は好感をもてる」
「なっ……!」
顔を赤らめて思わず後ずさるあやね。
「ふっ、今の表情も私は好きだな」
「な、何言ってんのよ!」
「あやね、大切な話がある」
「何よ。急にどうしたの?」
急に真剣な表情になった士郎に驚きつつ、先を促すあやね。
「今までよくがんばったな。あやね、君は今日から一人前の巫女だ」
言葉の意味が、まだ理解できない。あやねは驚愕の表情を張り付けている。混乱と疑問を経て、やがて歓喜による満面の笑みを浮かべた。
「ほ、本当……!!」
「ちずるにようやく認めさせることができたな……日々の稽古による目覚ましい成長もそうだが、何よりまちに勝利したことが大きな要因だ」
「えへへへへ……やっぱり? お姉さまに勝ったんだもの。お母さまも納得するしかないわよね!」
「後日、正式にちづるから昇進の報告を受けるだろう。今まで……よく頑張ったな」
「ありがとう……士郎……!!」
歓喜のあまり、涙を浮かべるあやね。その姿を見下ろしつつ、士郎は口を開く。
「喜んでもれえて何よりだ。だが、もう一つ話がある。それも聞いてくれるか」
「え、他にもあるの……?」
「あやねが正式な巫女となった以上、私はもう必要ないだろう。これより仮契約を解除し、この地を去る」
突然の士郎の宣言にあやねは言葉の意味が理解できなかった。
「し、士郎……な、何を言ってっ……」
「今まで世話になった。礼を言う」
静かに頭を下げると姿が消えようとする士郎。驚愕しつつもあやねは叫ぶように制止する。
「待って! いきなりそんな……そんなの認めないわ!!」
「……ならば、条件を出そう」
「じょ、条件?」
「私にどんな方法でもいい。勝利することができたのなら、君に従う」
「だったら!」
売り言葉に買い言葉。
あやねは考える間もなくすぐさま懐から呪符を取り出し、構えた。勝利に必要な戦略も戦術もない。ただ目の前の大切な存在を手放したくなくて。
対する士郎は構えることなく悠然としている。だが、その眼光はあやねが見たこともないほど冷ややかな凄みを帯びている。
「たわけ。少しは頭を使え……!」
「きゃ……!」
気が付けば、尻餅をついて士郎を見上げている。傷一つなく道場の床に座り込み、あやねは自分が何をされたのか咄嗟に理解できなかった。
自分は強くなったはずだ。なのに……今、自分がどうやって倒れたのか分からない。戦慄が身体を支配する。
「さらばだ」
その言葉とともに完全に霊体化して士郎は去るのだった。
ショックを受けていたあやねは立ち上ることもできず、その場で蹲っていた
「こんにちはー」
「士郎さん、今朝はありがとうざいます」
憔悴しているあやねの耳に親友の少女と思い人の声が届く。
「す、すず……!」
「今朝の稽古のお礼を……って、どうしたの!?」
「あやねしっかりして!」
「す、すず~~!」
すずの豊満な胸に泣きながら抱きつくあやね。
「よしよし、落ち着いて。それでどうしたの? あやねが、あの打たれ強くて頑丈で負け慣れているあやねがこんなに落ち込んでるなんて……!」
「すず、ちょっと静かにしようか?」
行人が冷静にツッコミつつ、あやねの追い詰められた表情を見ながら考える。また士郎の無茶ぶりでも始ったのかと思いがらあやねの話に耳を傾ける。泣きながらぽつりぽつりと語りだした内容は予想の斜め上をいくものだった。二人は驚き、怒りを露わにする。
「そんな一方的な……!」
「そうよね! そうよね!!」
「でも、なんで今なんだろう……?」
「どういうこと?」
「だっていなくなるならもっと前からでもよかったのにどうして今なんだろうって……」
「言われてみれば……」
「私にも見当がつかないわ。なら、お姉さまかお母さまに相談してみましょう!」
「うん。それがいいね。じゃ、次は別の問題だ」
「士郎さんを倒す……だね」
士郎を倒す。
英霊と呼ばれる存在を打破する。というその言葉の意味を理解し、身体が震え上がる三人。
「落ち着きなさい。あやね……! 勝負は、まだついてないわよ……大丈夫、考えろ。大丈夫、考えろ……!」
自己暗示のように大丈夫と考えろを繰り返す。
まずは状況整理だ。深呼吸で息を整えて混乱した思考を落ち着かせる。
母が、何より士郎が自分を一人前と認めてくれたのだ。
この程度に困難を打ち破らずに士郎を認めさせるなんてできるものか。
(けど、士郎に勝つには私一人では……勝てない)
なら、どうするべきか。
「みんなに協力してもらおう」
行人の言葉に頷くあやねとすず。
「そうね。行人さまの言う通りよ。お姉さまやお母さまにもお願いしましょう。そうだ。もっと人を増やして……村のみんなにお願いすれば、十人くらい集まるはず。あとはみんなで相談して作戦を決める!」
「うん。みんなに相談すればきっと何とかなるよ!」
行動の指針を決めるとすぐさま神社を飛び出し、野良仕事に精を出していた村人たちに声をかける。
「皆、お願い、協力して!」
あやねの叫びに仕事をしていた娘たちがどうしたのかと何人か集まってくる。
「どしたの、あやね」
「お願い、士郎を倒すのに力を貸してほしいの……!」
「……何があったの……?」
「士郎って……あやねが召喚した式神さんだよね?」
「その通りよ。あいつは私のものなのに……士郎が私から離れようとしているの……!!」
「「「「もしかして痴情の縺れ……!!」」」」
「違うわよ!!」
「またまた~! 朝早くから二入で楽しそうに海で泳いだりしてるの見たわよ?」
(違う……! 重りを背負ったまま泳ぎました……服のまま……!!)
「私も! あやねと式神さんが追いかけっこしてたの」
(違う……! 稽古がきつかったから逃げていたのよ……!)
「……あたしも見た。森の中で顔を真っ赤にして荒い息をつきながら服を整えてるとこを……!!」
(だから違うって……! 捕まってお仕置きされたのよ……!!!)
「お仕置き(意味深)ですって!」
「「「「きゃああああああっ!!」」」」
黄色い歓声を上げる少女たちに弁解しようとするがいつの間にかすずに口をふさがれてもごもごふがふがと言葉にならない言葉が漏れる。
(何するのよ!)
(落ち着いて。私に考えがあるの)
(すず、どういうこと?)
(考えてもみなよ。急にこんなことを言われたってみんな困惑するだけだよ?)
(まあ、確かに)
(言われてみれば……)
(だがらさ、あやねと士郎さんにもっと関心を持ってもらえるように話に尾びれをつけた方が噂が広がりやすいと思うの!)
(確かに……)
(興味は持ってもらっているわね……)
三人でアイコンタクトで話し合う数秒の間に黄色い歓声が叫びにきこえるほどテンションの上がっている様子に戦々恐々とするあやねと行人。
「……だから、みんなの考えてるようなことじゃないわ!」
「ウン。ソウダネー」
「そういうことにしておくわ」
優しい眼差しに色々言ってやりたいのを我慢しつつ、さらに詳しく協力を要請する。あやねの事情に興奮気味な様子で話を聞き込みつつ、脳裏にはあれやこれやの人様に見せられない妄想が迸っていた。
(これってあれよね)
(うん)
(みんなが考えている通りだと思うの……!)
(これはやっぱり……)
((((痴情の縺れ……!!))))
アイコンタクトのみで会話する少女たちにあやねは気づかない。話終えたところで、「何か質問はある?」と尋ねると。
「つまり……正式にあやねの式神になってくれるように、『無理やり』にでも士郎さんを認めさせればいいってこと?」
「……? え、まあ、そういうことよ」
聞き終えた少女の言葉に一瞬、違和感を感じたあやねだったがすぐに頷く。
「そういうことだから……みんなに協力して欲しいの……!」
「任せて!」
瞬く間に島中に広がっていく。
あやねの願いは人から人、人から動物へ、動物から動物へと。伝わる度に変化を遂げて伝達される。
「あやねが士郎さんを無理やりにでも認めされて式神にする」
「あやねが拒絶する士郎さんを無理やりにでも認めさせて夫婦にさせる」
「士郎があやねを無理やりに手籠めにして逃げたので、罰を与えるために協力する」
「士郎があやねを無理やりに手籠めにして逃げたので、みんなで袋叩きにするために協力してくれ」
結果。
僅かたった一日の間に、曲解と勘違いを繰り返して島中に拡散していく。
翌日、あやねが目撃した光景は……島中の人・動物問わず全ての女性陣が女の敵・衛宮士郎の打倒を唱えて団結する姿だった。