第26話「勝ちたくって」
日課となった士郎の稽古を終え、一息ついた決心したあやねは士郎に宣言する。
「今度こそ……お姉さまに下剋上よ!」
あやねの言葉に士郎は眉をひそめ、確認するように問いかける。
「急だな……君の技量ではまちには遠く及ばない。では、なにか勝算はあるのかね?」
「……それはまだ考え中です」
「ふむ、勝利への熱意は買うがな……とりあえず、朝食を摂ってからでも遅くはあるまい」
「思考を促すために、こんなものを作ってみたのだが……食べるかね?」
士郎の言葉とともに卓袱台に置かれた、赤いとても赤いものを盛った皿を見つめる。
煉獄のごとくグツグツと煮えたぎるその食べ物は、形容しがたき……ナニカ。
「し、士郎……これは……何……!?」
「君は辛い物が好みと言っていたからな。麻婆豆腐だ。試しに作ってみたのだが、どうかね?」
「どうかねって……!」
震えながらあやねが凝視している先にはマグマのように蠢く、麻婆豆腐(?)。
「こ、これを……食べるの……?」
「まあ、嘘だと思って食べてみたまえ」
恐る恐る赤で染まったレンゲを口に運ぶ。
その瞬間、衝撃が全身を脈動する。
口が焼け、舌が痺れる。熱が広がり、汗が噴き出てくる。
この辛味、ただの辛味ではない。
この世すべての辛味と言っても過言ではない辛さ。それなのに……旨い!
全身を貫く辛味の後から言葉にならないほどの旨味が次々と湧き上がってくる。
頭の中が冴えわたり、滾った血液が全身を巡る。
四肢に力が漲り、かつてないほど体が軽い……!
頬が紅潮し、昂揚感に包まれながらあやねは確信する。
この食べ物こそ、私にもっとも相応しい最高の料理。
額から流れる汗を無視して一心不乱に食べ続けるあやね。麻婆豆腐を全て食べ終えた瞬間、脳裏を必勝の策が閃いた。
「これだわ!」
翌日。
藍蘭島の中心部。島で最も高い山・富士山(ふじやま)。
はらはらと粉雪を振り続ける雪原の中。まちはいつもの巫女装束の上に防寒具を着込む。震える両手をこすり合わせ、挑戦者を待ち続ける。
「来たわね。あやね……というか遅いのよ!」
「ごめんなさい……ちょっと道に迷っちゃって……」
「……ふふっ。まあ、逃げ出さずによくによく来たわ……けど決闘するのはいいわ。何もこんな寒いところでしなくてもいいじゃない……!」
まちは全身を震わせながら叫ぶ。
場所は藍蘭島の中心部にそびえ立つ富士山(ふじやま)の頂上。年間を通して雪が舞い、積雪が積もるこの場所で、あやねとまちは決闘を申し込んだのだ。
「ここならお姉さまが尻尾巻いて逃げるかと思ったのに……」
「妹の挑戦から、誰が逃げるもんですか! それより……は、早く……始めましょうか!」
防寒具を着ているとはいえ、凍えるような寒さを完全には防げない。ぷるぷると身を震わせつつ、まちは札を取り出して睨み付ける。それに対し、落ち着き払った仕草であやねは空から舞い散る雪空を見つめる。
「お姉さま、見て……綺麗な銀世界……」
「何、見ているのよ! 早く始めわよっ!!」
「お姉さま、焦り過ぎよ……そんなにあせるから婚期を逃して『いき遅れる』わよ?」
行き遅れ、婚期を逃す。
まちにとって決して許すことのできない言葉。挑発と分かっていても……怒りの炎は燃え上がる。
「……覚悟は、できているみたいね。こんな朝は早くから人を呼び出し、喧嘩を売るなんて……ダダジャ、スマサナイワヨ……?」
地獄に堕ちる覚悟ができているみたいで安心したと嗤う姉に畏れを抱きつつ、あやねは口を開く。
「ふふっ。怖い怖い……でも、まだ話は終わっていないわよ……?」
あやねは懐から一枚の紙を取り出すと、まちに内容が分かるように前へ突き出す。
「お姉さまが勝てば、何もないけど……負ければ、行人さまとのでーとができるよう、取り計らい、全力でさぽーとするわ」
紙は必ず約束を履行すると明記された契約書であった。
「っ!?」
「どうかしら?」
「……それじゃ、あやねに『利』がないわ……何が目的なの?」
「お姉さまに勝利できる、それだけよ」
「……そんなことをしなくても、私が勝って命令すれば……」
「そんな無理やりに従わせて……私が本気で手伝うと思っているの?」
「むぅ……」
「どうするの、お姉さま?」
「い、いやでも……姉が、妹に負けるわけには……!」
心の中で勝ちと負けの天秤がぐらぐらと揺れる。姉の尊厳と想い人との逢引き。
「ちなみに、今私に負けてくれると士郎お手製の豪華でぃなーとでざーとが付くわ」
「私の負けです」
天秤が負けへと傾き、まちは完全なる敗北宣言するのだった。
その姿をしばらくの間眺めるとあやねは万感の想いを胸に秘め、天を仰ぐ。
「私の、勝ちだわ……!」
今回の戦略。士郎から教わった、古代中国の偉人・孟子の教えである『天の時、地の利、人の和』を参考とした。
天、早朝で朝の弱いまちの本来の能力を制限する。
地、修行場で慣れている神社ではなく、藍蘭島唯一の雪の降る場所を指定。
人、身体が温まるもの(士郎特製・激辛麻婆)を食べ、防寒具と携帯用カイロまで用意した万全の状態のあやね。さらにまちについて詳しく調べ、特技・弱点を確認し、政略を練る。
結論、まちに勝利するために必要なこととは、戦わないこと。柔術・呪術の優れたまち相手に正面から戦って勝利を得ることは至難。なら戦わない方針で戦術を整えていく。いくつもの策を巡らし、初めての勝利をもぎ取ったのだった。
「見事だ。よくがんばったな、あやね」
「ふ、ふんっ……あ、当たり前じゃない……!」
見届け役としてそばで霊体化していた士郎が姿を現す。積年の相手にようやく一勝をあげたあやねを士郎は褒め称える。
あやねは冷静を装いつつも顔を赤らめてそっぽをむく。その様子を苦笑する士郎にドキドキする鼓動を感じながらあやねは口を開く。
「お姉さまは通過点に過ぎないわ! 更なる高みを目指してあやねちゃん最強伝説はこれからも続くわ!」
「ふっ、それは楽しみだ」
「ええ、期待して見てなさい!」
両手を振り回して叫ぶあやねを優しげに眺めながら、士郎は心の中で呟く。
(だが、確かに彼女は成長したな……もう、私も必要ないかもしれん……)
胸の内に覚悟を決める士郎だった。