第24話「強くなりたくて」
あやねは目を瞑り、静かに呼吸を整える。
早朝の修練場。
静謐な空気が漂うこの場所にいるのはあやねだけだ。その中心で、胡坐を組んで瞑想に耽る。瞑想にはいくか種類があるがあやねが行っているのは、イメージトレーニング。最初に聞いて教わった時は『いめとれ』って何だろうという状態だったがあれこれ模索していると士郎が一言。
「常にイメージするのは、最強の自分だ」
その言葉でコツをつかみ、最強の自分を想像する。
あらゆる攻撃からも受けながらも瞬く間に回復する強靭な身体。
無数の手段を講じることのできる機敏な身体能力。
逆境を乗り越え、新しい常識を切り開くことのできる頭脳。
(あやね最強伝説は、ここから始まるのよ……!)
最強の自分を想像したら、次は出会ってきた強者たちを形作る。
東西南北の主たち。
同年代で随一の運動能力の持つ少女。
村唯一の少年。
忍術使い。
村一番の剛腕。
知略に富んだ策士。
だが、今倒すべき相手は『天才』の名を欲しいままにする最大の宿敵だ。
イメージする。自分の持ちうる武器と技術を駆使する。
イメージする。相手の思考・能力・技術を出し抜く。
イメージする。全ての能力・技術・怨ね……ではなく、強い意志を注ぎ込んで……打倒する。
「うん……完璧ね」
ただ相手を倒すことだけを一心に考えて、想像の中ではぼっこぼこにした。
後は、実践するのみ。
あやねは一礼をして息を吐くと、足を解いて立ち上がる。凝り固まった筋肉をほぐし、額からにじんだ汗を拭う。
『あやね。そろそろ時間だ』
「ええ。ありがとう」
士郎からの念話を聞き、あやねは最後に隠し武器の点検を終える頃に、一人の少女が姿を現す。
血の温度がさらに上昇し、心臓の鼓動が高鳴る。積年の怨敵を前にあやねは不敵な笑みを浮かべた。
「よく逃げ出さずにいたわね?」
「こんな最高の機会を逃すわけないでしょ? まさか、こんなにも早くお姉さまと決着が着けられるなんてね……!」
「それはこっちのセリフよ。今まで強がっていた分、きっちりお仕置きね……!」
「あら、お仕置されるのは、お姉さまでしょ……?」
「……面白いことを言うじゃない……!」
「「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ!!」」
「紅夜叉にいいようにされてむしゃくしゃしていた鬱憤を、あなたで晴らそうかしらね……!」
「お生憎さま。鬱憤が溜まっているのは私だって一緒よ。本当に、今日はいい日だわ。すずを倒し、今ノリにノってる私がついにお姉さま越えをする日が来るなんてね……」
「本当に、オモシロイことを言うようになったわね……姉より優れた妹などいないと教えてあげるわ。その貧相な身体にね……!」
まちがドS全開の笑みを浮かべる。
「ではこれより実戦形式の組み手稽古を行う。武術、呪術、道具……命に係わる類のものでなければ何を使用しても構わん」
実体化した士郎は戦闘のルールを説明する。
要するに無差別・何でもあり。実戦さながらのルールにあやねは精神は昂ぶり、笑みがこぼれた。
「行くわよ!」
「来なさい!」
一気呵成に突っ込んでいくあやねに対し、脱力し、完全な自然体で待つまち。
「やっ!」
あやねはまちに突撃すると見せかけ、横に跳ぶと懐から煙玉を取り出してまちに投げつけた。どろんっと煙幕がまちの足元で巻き起こし、懐から吹き矢と筒を取り出す。
(龍神流柔術を習得したお姉さま相手に接近戦は不利……しびれ薬たっぷり塗ったこの吹き矢で動きを封じる!)
何度も何度も執拗に吹き矢を打ち込む。さらに追撃しようと呪符を構えた瞬間。
「あやねちゃん、そろそろいいかしら?」
「なっ…………!」
立ち込めた煙の中から現れたのは、かすり傷一つついていない姉の姿であった。
「どうして……」
「簡単よ。私にはみんながいるもの」
ぶわっと黒煙が消し飛ぶとまち周囲にてるてるまっちょをはじめとする式神たちが召喚されていた。
「……なるほど、本気になってくれたみたいね」
「士郎さまから手ほどきを受けたあなたを見縊るほど私は愚かじゃないわ」
空中であやねを見下ろしている式神たちにまちは号令をかける。
「行きなさい!」
「逝くのはあんたたちの方よっ!」
印を結び、力在る言葉を叫ぶと地面に並べていたお札が発動する。
「そ、それは……!」
「お姉さまこそ、私がなんの対策も講じてないとでも思ったの?」
煙幕に紛れて四方に並べられた式神返しの札に気が付いたまちは顔をしかめる。
「さあ、仕切り直しよ!」
「よくもみんなを……!!」
両者は同時に駆け出す一瞬、立ち止まるとあやねは道場の入り口を指差して叫んだ。
「あっ! 行人様!!」
「そんなウソに引っかからないわよ!」
「知ってるわ!」
「っ!?」
短いやり取りの後に突然、後頭部に衝撃が走ってまちはその場でつんのめる。
何が起こったのかとぶつかった物をみるとくの字に曲がった樫の木……ブーメランだ。背後からの奇襲、その隙を狙ってあやねはさらに追い打ちをかける。
「もらった!」
「あっ……!」
勝負の最中に気が抜いたまちの間合いに詰め寄り、巫女服の襟と裾を掴むと綺麗な背負い投げをするあやね。
だがまちも藍蘭島で『天才』の称号を手にする少女。投げ飛ばされる寸前、身体を捩じって極まっていた手を外し、空中に投げ出されたまちは猫のようにしなやかな動きで着地する。
「やるわね……今ので、決まったと思ったのに」
「やってくれたわね……! あやねちゃん!!」
睨み合う二人。数秒間の静寂の後、今度はまちが間合いを詰めるや激しい拳打を打ち合う。
(あやね相手に距離をとって考える時間を与えることは不利……正攻法で、押し潰す!)
まちの猛攻にさっきまでの攻勢から一変、あやねは苦悶の表情を浮かべて打ち合いながら徐々に後退する。
「やる気満々ね……そんなに紅夜叉に何もできなかったことが悔しいの?」
「……それだけじゃ、ないわ!」
そう叫ぶと一気にあやねの間合いに詰め寄り、襟首を掴む。虚を突かれたあやねが咄嗟に手を振り払おうとするが遅かった。
「あっ……!」
気が付いた時には地面にたたきつけられていた。
「ぐうぅっ!」
「これでも、龍神神社の巫女よ。半人前のあんたになんか負けるもんですか」
自信に満ちた表情でまちは宣言する。
「ふふっ、嬉しいわね……! つまり、お姉さまに勝てば、一人前に認めて貰えるってことね!!」
「甘い!」
起き上がり、掴みかかろうするがまちは慌てた様子もなく手首を極めると再びあやねを地面に投げ飛ばす。
「式神のみんなを還したぐらいで、この私と対等になったと思ったの?」
「誰かに負けるのはいいっ! でも……」
泥まみれになりながら立ち上がって組み付くあやね。
「あんたには、負けられない!!」
あやねはそう叫ぶと再びまちに向かって突っ込んでいく。
その後、何度も倒されるが立ち上がり続けて勝負はあやねの意志と体力が尽きるまで続くのだった。
それから一時間後。
「くかああああああああああっ!!」
「遅い! このままだと夕餉に間に合わんぞ?」
「ああああああああああああああっ!!!」
今日もさんさんと朝日が降り注ぐ晴天の藍蘭島。
生きとし生きるものたちに祝福するかのように穏やかな陽気も少女の鬼気迫る叫び声で台無しだ。
あやねは叫びながら前進する。海の中を走りながら。
腰まで浸かった状態で波をかき分けて走り続けながら士郎を睨みつける。
(こんな練習に、なんも意味があるの!?)
「これかね? 足場の悪く水の抵抗や波で不安定にもなる……まあ、ようするに足腰の強化とバランス感覚を磨くためのものだ」
(心を読まれたっ!?)
「あやね、顔に出ているぞ? ふむ、私を睨みつけれる程度に、成長したか……あと30分ほど続けようか」
「いやあああああああっ!!」
絶望の慟哭を上げるあやねであった。
藍蘭島を半周ほどすると、士郎は休憩の指示を与えてあやねを休ませる。ぜひゅーぜひゅーと白目を剥いて荒い呼吸を吐きながらどうにか生き長らえている。
士郎は木陰まであやねを運ぶと竹製の水筒を差し出す。ひったくると勢いよく喉を潤し、ようやく一息ついたのかあやねは士郎にいくつかの質問を投げかけた。
「士郎、今日のお姉さまとの試合って……」
「彼女は島でも有数の遣い手。それも君と同じ流派だ。手加減なしの試合形式……学ぶことも多いだろう?」
「そうだけど……」
「まちの技を受けてみて、わかったものもあったのではないか?」
「……むぅ……」
確かに間近で見た姉の体さばき、技のタイミング、目や肩などフェイントの数々。
学ぶことも多いし、実際に負けたことで気づかなかった課題を見つけることもできた。
「確かに……ね」
「だが、最初の奇襲はよかったが……その後がな……」
「うっ……でも、あのまま押し切る予定だったのよ? お姉さまは打たれ弱いし、体力ないもないから長引けば、勝てるはずだったのに……」
「なるほど、相手を分析し、己の長所を弁えて戦い方を考えたのは成長したというべきか」
「えへへ。そうでしょ?」
「だがあやね。ひとつだけ勘違いをしている。君が成長するように、相手もまた成長するのだ」
「……確かに……」
「今後はまちとの実戦形式の稽古を主に取り組んでいくので頑張りたまえ」
「えっ!?」
「ちづるにも承諾をもらっている。二人が切磋琢磨するのは良い刺激だと喜んでいたぞ」
「お、お母さまーーーーーっ!!」
異性にはあまり見せられない、愉快な表情で絶叫するあやね。
そんな残念少女の姿を眺めながら、士郎は満足げに頷くのであった。
一方、神社では。
「ふふっ。いい傾向ね」
あやねを倒した後、すぐに修練場に籠って座禅を組んで集中して修行に打ち込むまちの姿にちづるは嬉しそうに頷く。
妹のあやねの急激な成長に危機感を抱いているのだろう。努力や修行に今一つ、身が入らなかったまちがかつてないないほどの集中力を発揮して研鑽を積み重ねていく。
(……今度、お祖母様のところにでも行こうかしら……)
「はっ! やっ!!」
木刀を振い、苛烈に攻撃を仕掛ける行人。対する士郎は短刀を模した竹刀を操り、行人の剣撃を受け流していく。
「どうした……この程度かね?」
「くっ、まだまだぁ!」
二刀の短剣に阻まれ、攻めきれない行人はさらに手数を増やして攻め立てる。
だが次の瞬間、右足で地面を蹴りつけ、砂を跳ね上げる。
「むっ」
「もらった!」
士郎の視界を一瞬封じることに成功した行人は追い込むために突撃しようとした瞬間。
「だがまだ甘い」
「うわっ!?」
という言葉と共に足を払われ、地面に転がされる。
「うわっと……!」
咄嗟に受け身を取りつつ、すぐさま起き上がって構えなおす行人。
「もう一度、お願いします!」
「ふっ、掛かってくるがいい!」
「うおおおおおおっ!」
咆哮を上げ、突貫する行人。無形の構えで対峙する士郎。
再び巻き起こる剣と剣の鍔迫り合い。
「行人、頑張っているねー」
ぼんやりとした様子で行人の稽古を眺めるすず。
『すずも混ざってくればいいのに』
隣に住んでいる西の長・からあげが微笑ましそうに言っている。
「……んー、今はいいかな……」
『ふふっ、確かに修行中の行人くんってかっこいいよね』
「そうそう……って、何言ってんの!?」
『恍けちゃって……顔にそう書いてあるよ?』
「からあげのいじわる……」
頬を膨らましながら拗ねるすず。それでも、視線の先は行人から逸らそうとしない。
(おや、これはひょっとすると……?)
からあげは内心の好奇心を抑えつつ、この少女にどんなアドバイスをするのか迷うのだった。
さらに数時間の時間が流れ、夕刻も徐々に近づく頃。神社を目指して歩く人影は士郎に気づいて声をかける。
「すいませーん」
「むっ。行人君か……何か忘れ物かね?」
鳥居の前を箒で掃除している士郎の前にやってきた行人とすず。
深刻そうな表情の行人を心配そうに見つめるすずの様子に疑問を抱いた士郎は行人に声をかける。
「……何かあったのかね?」
「……士郎さん……ボクに、普段の稽古以外に精神修養を課して下さい……!」
「どういうことだ?」
「紅夜叉に負けて悟ったんです。ボクが勝たなくちゃいけないのは、何より自分自身だということを……!!」
「むぅっ」
「誰に負けるものしかたない。けど自分にだけは負けられないっ! その為に、士郎さんっ!!」
「ああっ、いいだろう」
「士郎さん……!」
「私の知る限り、最高の方法で心を鍛えてみせよう。励めよ」
「はいっ!」
「行人……頑張っているんだね……!」
そばで行人の覚悟を決めた表情に見惚れているすずははっと我に返る。
(そうだ……ぼっーとしてる場合じゃない。今まで以上に厳しい修行に明け暮れる行人の為に、私も士郎さんから新しいまっさーじや疲れがよくとれる料理を学ばなきゃ!)
盛り上がっている行人(犠牲者)とすず(加害者)と士郎(教唆犯)は互いの事情を知らず、真剣に相手のことを思って行動する。そして、行人の思春期特有のもやもやした気持ちはさらに悪化の一途をたどる。
行人の理性が爆発する、2週間前のことであった。