第23話「謎めいて」
「……士郎さんってどんな英雄なんですの?」
「なによ? 藪から棒に……」
ある日の正午。仕事を終えたあやねとちかげは神社の境内の一角でのんびりと昼食をとりながら雑談をしていた。
「あいつが伝説の英雄っていうがねぇ……」
「あやねさんは気になりませか?」
「だって事あるごとに、修行や精進が足りないとかこの未熟者がとか……! 私を半人前扱いして! おまけにちょっと言い返したら、その十倍の皮肉が返ってくる!! あれは英雄なんかじゃないわ! 鬼小姑かなんかよ!」
「えっ? 士郎さんが……!? わたくしも色々発明のあどばいすをいただきますけど小言なんて言われたことなんてないですが……」
「あんにゃろっ! 私は厳しいくせに他の女には甘いなんて、どういうことよっ!!」
ギャースと吼えるあやねを落ち着かせつつ、ちかげの好奇心はむくむくと湧き上がってくる。
(偉業を成し遂げ、英雄にまで上り詰めた存在。やはり、一度詳しく研究してみたいですわ……!)
「というわけで説明しなさい士郎!」
「……何がどういうことか、説明してくれないかね?」
激昂するあやねは夕餉の支度をしている士郎に突撃していた。
「だから、私だけめちゃくちゃ厳しくしているのはどういうことよ!?」
「むっ。そのことか……行人少年にも相応の指導をしているつもりだが?」
「まあ……そう、ね……」
真面目な努力家の彼が途中から絶叫を上げ、極限まで追い込まれた苛烈な修行を思い出し、言葉を濁すあやね。
「いやまあ。えーと……行人様や私が厳しいのって……」
「指導を促す上で相応の密度の訓練は必要だ。そして真剣に努力している者に私も真摯に応えているだけだ」
「……未熟なのはわかっているけど、私たちに小言や皮肉を言いすぎじゃない?」
「そのことか。あやねも行人少年も気が強いだろう?」
「そうね。それが理由なの?」
「ああ。手厳しい言葉で煽れば煽るほどやる気を出してくれるからな」
「…………な、なら……最近の修練がきつくて……疲れが、溜まっているのだけれど……」
「それはおかしいな。毎日、私の料理とマッサージや整体でどの程度、疲れが溜まっているのか確認してる。明日には元に戻れるだろう」
「…………い、行人様は…………」
「彼も問題ない。数日前、すず君には初心者向けの整体と足ツボなどの疲労回復の術をいくつか伝授した。風呂上りに行うように言い含めている」
だが士郎は知らない。
毎回、ぼろ雑巾のように追い込まれた行人はほとんど反抗するもできず、服を脱がされてすずに風呂に放り込まれ、全身を洗われた後に士郎の教えた整体を行っていることを。その度に声にならない声を上げ、風呂場が鼻血で染まっているのが最近のパターンと化していることも。
「それで、他に質問はあるかね?」
「ア、アリマセン……」
「よろしい。では食事ができるまで待っていなさい」
「はいぃっ……」
しゅんとしながら去っていくあやねに一瞥すると士郎はすぐさま調理にかかるのだった。
「できたぞ」
士郎が持ってきたのは、見るもうまそうな天ぷらの盛り合わせ。油で揚げた衣がジュージューと音をたてている。
「わあぁっ!」
「……いつ見ても英霊様の料理はすばらしいわね……」
卓袱台に並べられた士郎お手製の夕食に歓喜の表情を浮かべるあやねと驚愕の表情を浮かべるまち。
付け合わせはたっぷりのサラダ。
小鉢には木の芽の胡麻和えと冷や奴。そして味噌汁。
漬物は士郎が漬けたきゅうりのぬか漬け。
士郎がよそった大盛りのご飯は、ぴかぴかに光り輝いていた。
二人は手を合せて、いただきますと唱和すると無言で箸を使って食べ始める。
「うっ、うまっ…………!」
何度も食べているはずなのに、声にならなかった。あやねが最初に手を付けたのはえびの天ぷら。噛む度に口の中でサクサクでジューシー。
口直しにと一口、含んだ味噌汁はとても上品で味わい深かった。
今度はと箸を伸ばし食べたのは、きゅうりのぬか漬けがあつあつのできたて御飯とこれまたよく合う。勢いよくかき込むと無言で御飯の二杯目を要求するあやねはふと視線を感じ、隣に目をやる。
そこには鋭い眼光で姉がこちらの天ぷらを凝視していた。
「……あげないわよ……?」
「……気にしなくていいわ……」
「へえ……」
「……勝手にもらうから……!」
「させるかぁっ!」
両者ともに立ち上がり、俊敏に箸を操ってメインのえびの天ぷらを強奪しようとするまちに対し、あやねも箸を駆使して徹底抗戦を行う。
「……今まで負け続けたあやねが、わたしに抵抗するなんて……成長したわね?」
「成長したんじゃないわ……追い抜いたのよ……!」
「へぇ……なかなか、面白いことを言うじゃない……!」
どんどんエスカレートしていく二人の争いは姉妹喧嘩勃発か……と思われた瞬間。
「食事中に喧嘩とは……デザートのプリンはいらないということかね?」
その言葉を聞き、暴れていた二人は音もなく座る。
何事もなかったかのように振舞うあやねとまちは、胸の中で誓うのだった。
((……いつか、決着をつけてやる……!!))
そんな騒動とは関係ないまま、夜に海龍神社へ一枚の招待状が届く。
謎の怪人が巻き起こす波乱の手紙が。
招待状であやねとまちが呼び出された数日後。
月見亭での紅夜叉の一件を事細か(嘘も含む)に話したあやねは、思いのたけを士郎に吐き出し続けていた。
「なんてことがあったのよーーーーーっ!!」
「まあ、災難だったな。マスター」
神社の道場で湯呑を片手に怒りをにじませるあやねを諌める士郎。
あやねは月見亭の騒動を士郎に詳細を説明する。
差出人不明の手紙で行人やすずなどの友人たちが集められたこと。
謎の怪人・紅夜叉の暗躍。
狂乱に振り回された一同の醜態の数々。
「……なんてことがあったのよ……! 折角、行人様と二人っきりになれるちゃんすだったのに!」
「まあ、月並みだが過去のことは変えられん。またの機会を待ってはどうだ?」
「わかってはいるけどさぁ……!」
「それで事件の続きだが……ただの愉快犯ではないのかね?」
「それだけじゃないわ! これを見て!!」
あやねがぐっと差し出したのは一冊の手書きの本。
「これは……推理小説か?」
表紙の題名には、『月見亭の殺人』の文字。中を確認しようと士郎が手を伸ばすとあわててあやねが制止した。
「ちょっと、待ちなさい!」
「なぜかね。まだ読んではいないがこの本に事件の詳細が描かれているのだろう? ならば……」
「……こ、ここに書かれている本の内容には、いくつか間違いがるわ!」
「……ほう?」
「私の活躍したところが軒並み削除されて、ただの犠牲者になってるわ。犯人を見つけ出そうと懸命に探したのに……!」
「…………」
「それだけじゃないの! 私が行人様を誘惑しようとして紅夜叉に捕まるなんて……そんな浅はかで安っぽい女じゃないわ!」
「なるほど……」
「わかった!? な、なら……!!」
「あやね……今日から修行の量を3倍に増やそうか」
「っ!?」
士郎は実にいい笑顔で、あやねに言い放つ。
「詳細はどうあれ、謎の怪人とやらに負けてしまったのだろう?」
「は、はいぃぃぃっ……」
「それでは、君を指導している者として実に申し訳ない。今後は更なる研鑽を積んでもらうことで清算しようと思う」
「ち、ちなみに……具体的に、どんなことをするんでしょうか……?」
「そうだな……では、今まで一番きつかった稽古を思い出せ」
「……っ!!」
目を閉じて過去の稽古風景を思い出し、あやねは気分が悪くなった。
「思い出したか…………そんなものは、天国だっ!!」
「いやああああぁぁぁぁぁっ!!」
あやねの甲高い悲鳴が今日も神社から響き渡る。
「い、嫌よ! それだけは……それだけは許してっ!!」
「駄目だ」
「お願い、お願いです! なんでも……言うことを聞くから…………!」
涙目になったあやねは士郎に縋り付いて必至の懇願をする。
「お願いか……なら、私と一緒に今までにない厳しい稽古と行こうか?」
「きゃああああああああっ!?」
あっさりあやねを引きはがした士郎の宣言に再度、絶叫を上げて崩れ落ちるあやね。
彼女に幸あれ。