第22話「学びたくなくて」
「へー、ちかげちゃん、新しい部屋を建ててもらったんだー」
「うん……是非とも見に来てほしいって言ってたよ」
「ちかげちゃんの招待なら、きっとおいしーおやつも食べられるんだろーなー」
「う、うん……かもね……」
舗装された道を歩きながら楽しそうに笑っているすずの姿を見ていると、ちくちく良心が痛む行人。
(みんな、恨むよ……こんな役を押し付けるなんて……)
内心、ため息をつきつつ黙々と目的地の学校に向かって歩く行人とすず。
「ところでさ」
ふと、笑顔のすずが尋ねた。
「んっ?」
「ゆうべ、どっか出掛けてなかった?」
「えっ!?」
昨日の出掛けるところを気付かれたのかと内心驚く行人。
「い、いや別にその……あ、トイレ……厠に行っていたんだよ」
「ふーん……?」
微かな違和感。すずは少しだけ気にしつつ、ちかげの新築に向かう。そこに塩作り職人のおはなと妹のらんのが歩いている。
「おはよー。すずー、行人―」
「おはよう。らん。おはなちゃん……ってあれ?」
「らん、何で算盤なんか持ってんの?」
「あっ! い、いや……うっかり持って来ちまったさ。置いてこよっか姉ぇちゃん」
「んだ。はははは」
「………あやしい………」
行人や他の女の子の言動に明確な違和感を覚えるすず。
「おはよー。すずっぺ」
「おはよー」
「おはよう」
「おはよー」
道で村のみんなが挨拶をするたびにすずの違和感は膨らんでいく。
(かおりちゃんとしおりちゃん……仕事じゃ、絶対着ない他所行きだ。じゅんちゃんはいつも昼起きなのに……)
何より、ちらちらとこちらを監視するような気配。
(……それにさっきから見張られているような……)
不自然なみんなの様子。最近の自分の行動を振り返り、真っ先に思い出すのは大嫌いな『勉強』だ。
(まさか……)
(やばい……なんかカンづいてるよ……)
ちらちらと不審そうに周囲を見回し始めたすずの様子を見ていた。
この状況、かつて自分が島に来たばかり頃とそっくりだなと行人は過去に思いを馳せつつ、なんとかすずの気を逸らしながら目的の学校まで案内を続ける。
「ほ、ほら、ここだよ」
「わっ、これ!?」
すずは西洋式の校舎に驚いたように近づいていく。
「おっきいねー。見たこともない形の家だね……わっ、時計があるよ!」
しげしげと見上げるすず。目的地までたどり着いた行人はほっと嘆息する。そこへちかげが学校から出てくる。
「いらっしゃーい。すずちゃん、行人さん」
「おはよー、ちかげちゃん」
「やばいよちかげさん。なんかバレそうだよ」
「大丈夫ですの。一歩でも入れば、罠が発動しますから」
ヒソヒソ、ヒソヒソと小声で会話する行人とちかげ。その様子を怪しげに見つめているすず。
「わ、罠!?」
「はい。この校舎は忍のくないさんとみことちゃんに徹底監修してもらった……本格忍者屋敷ですからね!」
「声がでかいって!」
「行人さんもヘタなトコ触ると危険ですから……気をつけて」
「……そんなトコで授業すんの……?」
「ねぇ、ちかげちゃーん」
朗らかな笑顔ですずが声をかける。
「ここ、すごいねー。今日からこんな立派なトコで授業するんだー」
「えぇ、そうですの。気に入りまして?」
「ちょ、ちかげさん!」
「あっ!!」
しまったと驚愕の声を上げるちかげと怒りを露わにするすず。
その瞬間、脱兎のごとく逃げ出したすずを指差しながら行人に呼びかけるちかげ。
「ああっ! 私としたことが……! 行人さん、早く追ってください!!」
「……ちかげさーん……」
行人は苦笑い気味にすずを追いかける行人。
その様子を見ていた少女たちはすずに気付かれたことを察知してすずの前を遮る。
「はね! 捕まえるわよ!!」
「分かってるだ!」
「すず姉ぇ、今日こそ逃がさないわよ!」
「待つだっ!」
すずの前をはねと巨大なカモに乗ったゆきのが立ちふさがる。
「うわっ!」
「みぎゃっ!」
すずは目線のフェイントと体さばきであっさりとふたりを抜いて走り去っていく。その鮮やかな動きに追いかけてきた行人は感心してしまう。
「さすが、身の軽さは村のトップクラスだね!」
「感心してないで捕まえなさーい!!」
追いかけてきたちかげの声にはっと我に返り、再び走り出す行人。
「へへーん、行人ー! 追っても『無駄』だよー。疲れる前に諦めちゃえばー?」
無駄・無理。その言葉は行人にとってなによりも許せない一言だった。挑発されていることはわかっているが、乗らないわけにはいかない。
「ふふふっ……そういや、すずとのガチは将棋以来だったね……!」
燃え上がる闘争心に自然と行人の顔に笑みがこぼれる。
「その勝負、買った! 今度は絶対、勝つ!!」
足に力を入れて、すずを追う。だが森の中を韋駄天のように早く走るすずには中々追いつかない。行人は呼吸を整えながら、逃走を続けるすずを追い続ける。
(ボクもけっこー速くなったんだけど……やっぱ、すずの猫的反射神経には劣るか……なら!)
仕掛けるならここだと行人は頭に乗っかっていたとんかつを掴む。
「とんかつ、今夜の冷やっこあげるから協力して!」
ぷっと頷くとんかつの了承を得た行人はとんかつをすずの足元に投げつける。
「頼むぞ!」
「えっ!?」
とんかつの気配に気づいたすずはその身を翻す。行人は一瞬で間合いを詰め、体勢が崩れたすずの手首と肩甲骨を極め、身動きを封じる。
「さあ、捕えたぞ!」
「うにゃ~、痛いよー」
「うっ、ごめんよ。でも逃げるすずも悪いんだぞ?」
「あんなだまし討ちみたいな真似をしてひどいよっ!」
「そ、それは……ボクもどうかと思うけど……」
「行人……今日、行人の好きな物を作るから、手を放してくれない?」
「だめです。もうすぐみんなが追いつくから我慢しなさい」
「いくとぉっ……」
「ううぅ……駄目なものは駄目!」
下から潤んだ瞳で見上げられていけない気持ちになってしまい、行人は頬を赤らめて顔を横に逸らす。
「じゃあ、もう放してよ。逃げないから」
「……約束だよ?」
行人はすずを関節技を解き、服に付いた土を払う。
「さ、一緒に学校にいこう」
「行人……」
「何?」
「ありがとう!」
満面の笑みにどきっとする行人の隙を突き、すずが抱き着く。
「ちょ、えっ? え……えっ!?」
突然抱き付かれ、豊満な肢体の感触と甘い匂いに顔を真っ赤にする行人の耳にすずはふぅーと息を吹きかける。
「きゃああああああああっ!?」
女の子のような悲鳴を上げて行人は鼻血を吹いてその場に崩れ落ちた。
「うわっ……凄いことになってる。あやねの言った通りだねー」
血溜まりに沈む行人を心配そうにながめながら、すずはその場を後にするのだった。
「ごめんねー、行人……今日の晩御飯は行人の好きな物をご馳走するからねー!」
(あやね……! よ、余計なことを……!!)
薄れゆく意識の中で、あやねに恨む行人のだった。
行人の前から逃げだしたすず。もうすぐ家に戻れると思った瞬間。目の前に見慣れた少女が立ちふさがる。
「やっぱりここに来たわね」
「あやね……先回りしてたの?」
「行人様はいい仕事をしてくれたわ。私が来るまで足止めしれたんだもの」
「つまり、あやねを倒せば勉強から逃げられるんだね?」
「ええ、あなたを倒して今から勉強地獄に突き落としてやるわ」
お互いに不敵な笑みを浮かべ、あやねとすずは対峙する。
「今まで負けっぱなしだった私がついにすずに勝てる日が来るなんてね……!」
「今まで勝てなかったのに、今日は勝てると思っているの?」
「あなたこそ、私たちに勝てると思っているの? すでにすずが学校から逃げ出したことは村中に知れ渡っているわ。ここで私を倒して逃げても逃げ切れるかしら?」
「うっ……!」
「聞いた話じゃ、オババや西の主様もかなり怒ってるって話よ」
「オババや……からあげも!?」
優しくも厳しい村の長と森の主を思い出し、すずは震え上がる。
「さあ、おとなしく……学校に行って皆に謝罪することね」
「うっ、ううっ……」
強気な姿勢のままあやねが二歩進む度にすずは恐怖の慄きながら一歩ずつ後退る。その時はっと気づいたすずは歩みを止め、きっとあやねを睨み付けた。
「嘘だよ! そんな急に私が学校から逃げたなんてからあげたちが知ってるわけないもんっ!」
「へぇ……やっぱり気づいたんだ? でも、遅いわよ!」
すずの虚を突き、あやねが間合いを一気に詰める。
「あっ!?」
「もらったわ!」
襟元と腰を掴み、あやねはすずを投げ飛ばす。会心の技に勝利を確信し、笑みを浮かべたがその表情は崩れる。咄嗟にあやねの手を払い、猫のように体を回転させて四つん這いに着地するすず。
「……恐れ入ったわ。あそこからかわされるなんてね……」
「へへんっ。運動であやねには負けないよーだ」
「そうね……私の身体能力ではすずに遠く及ばない。そこは認めるわ」
「あやね……?」
あの負けず嫌いがあっさり敗北を認めたことに言い知れぬ不安を覚えるすず。
「私があんたに勝てるとしたら、ここよ」
今度こそ完璧な勝利を確信し、指で自分の頭を指差すあやね。
不安は確信に変わる。『何か』をされる前に倒すべしと直感が告げているのだ。すずは全力であやねに襲い掛かった。
「それってどういう……!」
「こういうことですわ!」
すずの言葉を遮るようにちかげの号令が響き渡る。すずの周りから一斉に学校にいた少女たちが襲い掛かった。
「「「「「「「「捕まえたーーーーーーっ!!」」」」」」」」
「えっ、ええーーーーっ!」
十数人の少女たちに囲まれ、すずは驚愕の声をあげて取り押さえられるのだった。
「まっ、無理して一人で捕まえる必要なんてなかったよ」
あやねは簀巻きにされて学校に連行されるすずににやにやと笑いながら説明する。
「ここまでされたらわかるよぉ……私との会話や戦っていたのはみんなが追いつくまでの時間稼ぎだったんでしょ?」
「ええ、その通りよ」
「すずさんが逃げ出した後、すぐにあやねさんと相談してみんなで捕まえようって決めましたの。先に追いかけていた行人さんでも難しいかもしれないと……」
「あんたのすばしっこさは折り紙つきだしね。行人様だけじゃあ、ちょっと難しいかもって思ったの」
「言っとくけど、もうちょっとで捕まえられたんだからね……?」
鼻を押さえながら行人が苦笑しながら歩き、その隣には戻ってきたとんかつが慰めるようにぷっと鳴いている。
「ひ、酷いよみんな……私をだまして……!」
「「「「「「うっ」」」」」
すずの言葉に思うところがあるのか顔を逸らす一同。
「私が勉強、大っ嫌いって知ってるのに! 酷いーーーーーっ!!」
「何を言ってるの! みんなは意地悪でやってるんじゃないのよ!?」
「そうだよ。すずも大事な友達だから一緒に勉強したいって思っているだけだよ!」
「む~~~~っ。だったら、もっと面白いことをすればいいのにぃ~~~~。勉強なんてつまんないことしなくたって生きていけるよ!」
「まあ、気持ちはわかるけど……」
「何言ってるの。行人、頭いいじゃない。私みたいなおバカの気持ちなんてわかんないよ」
すずの魂の叫びに同意してしまう行人。あやねにきっと睨まれる。仕方ないなあと思いつつ、すずの説得を始める。
「そんなことないよ。ボクだって学校嫌いだったし」
「本当?」
「でもね。昨夜、くないさんの楽しいって言葉を聞いて……ちゃんと考えてみたんだ。ボクはなんで学校が嫌いだったんだろってね。そうしたらさ……やれ義務教育だとかやれ成績の順位だとかってそういったおしつけに反感を持ってたってだけで、学ぶこともついでにつまんない、嫌いだって決めつけてたって気がついたんだ。だって知らなかったことを知ったり、できなかったことができるようになったりって楽しいじゃない? そのことにもっと早く気づいていればなーって思ってさ」
行人は考え込むすずの頭を撫で、さらに言葉を続けてていく。
「だからさ、すずも勉強を毛嫌いしないで色々知って、色々できるようになって……みんなと楽しめるようになろ」
行人の言葉を噛みしめ、すずは行人をまじまじと見つめる。
(そう言えば……行人、島に来たばっかりの時は家事も何もできなかったんだよね……でも頑張ってちゃんとお勉強してできるようになったんだ……)
自分は勉強が嫌いだ。でも……行人の言う通り、できるようになることはとても楽しいことは知っている。初めから嫌いと否定せず、少しづつでいいから。
(やってみよう)
行人の言葉に静かに頷いた。
「……私も頑張ってみよっかな……」
「おっ、えらいえらい」
「でも……ああ~ん。やっぱり数字や計算は考えただけで眩暈が~~~~!!」
行人の説得に心を動かされたすずをにやにやと笑うあやね。
「ようやく観念したみたいね」
「うにゃ~。やっぱ、逃げようかな……」
「何言ってるの。これからすずの為に、士郎が特別授業をしてくれるのよ?」
「えっ、士郎さんが……? うにゃあぁぁ、厳しそう~~~」
「ええ、厳しいわよ……? 逃げたくなる! くらいにね……!!」
「やっぱ、嫌~~~~!!」
「ククククッ。逃がさないわよ……?」
簀巻き姿のまま逃げ出そうとするすずをあやねがからかい続ける。そんなのんきな光景を眺めながら行人はふと、思い出した。
「……そういえば……」
「どうしましたの、行人さん?」
学校の校舎が見え始めた頃に行人は何気なくちかげが尋ねた。
「学校に用意した罠を解除しないとみんなが掛かってしまうかなーって……」
「それなら問題ありませんの。このとらっぷはすずちゃんにしか効果のないものですから」
「すずにしか効かない……? それってどういう?」
「それはですね……最高級大福を使ったとらっぷの数々ですわ!」
眼鏡の縁ををくいっと押し上げつつ、ドヤ顔で言うちかげ。対照的に笑うべきなのか突っ込みをいれるべきか困惑する行人。
「いやいや、ちかげさん……そんな子供でも引っかからないって……」
「ちかげちゃん! それ、本当!?」
縄 でぐるぐる巻きにされたすずが顔を輝かせて、ちかげに近寄る。
「すずちゃん!?」
「学校に行けば、大福がたくさんあるんだね!」
「ちょっと待って! それは罠……!!」
「先に行ってるよーーーーーっ!!」
制止を振り切り、学校に向かって一直線のすず。
「……最初から、こうすればよかったですの……」
「いや、ちかげさんのせいじゃないよ……」
「罠だとわかってても突撃するなんてね……どんだけ、食い意地がはってるのよ……」
うにゃあああああああああっと罠に掛かったすずの絶叫を聞きながら、黄昏る一同であった。